「…その前に、一つ聴かせてくれないかな」

 

 答えを待つのび太に、ドラえもんは言う。

 

「さっき。あのまま僕を銃で脅して…それでどうするつもりだったわけ?僕だって君の事はよく知ってる。

《甘っちょろい君が、あのまま引き金を引けたとは思えないんだけど?》

 

 赤き真実が使えるなら当然青き真実も然り。ドラえもんが放ってきた青き矢を、のび太は赤き結果を張る事によって凌ぐ。

 まるでファンタジーを見るかのようなその攻防。きっと聖奈達は唖然としてるんだろうな、とのび太は内心苦笑する。

 

【確かに僕に君は殺せない。でも君を無力化する方法はあるよ】

《へぇ?どんな方法だってのさ!言っておくけど僕を運ぶのは相当大変じゃない?暴れられたらまず無理だよねぇ!自分で言うのも何だけど、体重は結構あるしさ!簡単に気絶するほどヤワでもないよ?》

【君はロボットだ。スイッチがある事くらい覚えてるさ!】

 

 追撃の青い剣を、のび太は赤で容易くあしらう。魔法戦で負けるつもりはない。曲がりなりにもこっちは“本物”。ドラえもんはあくまで“代理”だ。

 

【君のシッポを引っ張ればスリープモードになる。そうだろ!?

 

 シールドを弾けさせる。ドラえもんが吹っ飛んだ。まごうことなき真実。反論は、許さない。

 

「……見事なもんだね。こっちの領域で戦うのは、さすがに分が悪かったか」

 

 ドラえもんは苦い笑みを浮かべて立ち上がった。

 

「でもだからって、僕がそう簡単に全部話すとでも思ってるわけ?」

「思うさ。……というかそれしかない」

 

 あまり乱暴な手は使いたくないが。多少は強硬手段も必要だ。のび太が手を翳すと、周囲に次々と青い剣が出現する。

 魔術師と魔女を打ち破る青き真実の矢。神々しいまでに輝くその矢は、通常の概念では防げない。防げるのは、その青い仮説を跳ね返す赤き真実の盾のみ。

 のび太の意図が読めたのだろう。さすがのドラえもんも顔色を失う。

 

「忌々しいけど……アルルネシアの赤き真実と出木杉君の言葉のおかげで、僕にも“それなりに”予想はついてる。勿論全部当たるとは思ってないけど、的外れな予想だって僕達にとっては立派な仮説。青き真実として翳すには充分なんだ」

 

 そう。予想が当たろうと外れようと。“仮説”を攻撃手段に変えられるのが自分達だ。

 言葉と真実こそ最大の魔法。今ののび太にはその力を最大限生かす事が出来る。

 

「今から僕の仮説を一つ残らず君にぶつける。赤を使わなければこの数全ては防げない。

君が身を守るには、赤き真実で僕達に伝えるしかないんだ。君とセワシ君の真実を」

 

 ジャキン、と。のび太の翳した無数の青い剣が音を立てた。

 

「荒っぽい真似はしたくないけど。此処に来て僕は知ったんだ。優しさと甘さは違う。ぶつかり合う事を怖れてたら、本当の答えなんて見えて来ないんだ」

「……っ」

「僕が友達でも何でもないって言うなら。僕を本気で裏切りたいなら。正面から全力でぶつかりに来てよ。それなら僕だって本気で応える。絆が切れてないって信じてるから…君の気持ちから逃げたりしない」

 

 もう逃げない。

 自分の気持ちからも、ドラえもんの気持ちからも。

 

「だけど君はまだ迷ってる!僕を殺すって言いながらまだ本気でぶつかってきてない。あれだけ秘密道具があるのに、扱いきれてないじゃないか。何で?君がもし本当にそう思うなら、たった一言言えばいいのに!!

 

 のび太は叫ぶ。

 自分は逃げない。だから、どうか。

 

「赤で言って!“お前なんか友達じゃない”って!!その一言で僕は死ぬんだから!!

 

 どうか、君も、逃げないで。

 

「……ドラちゃん」

 

 凍りつくように動かないドラえもんに、追い討ちをかけるがごとく静香が言った。

 

「復唱要求よ。“僕はのび太君を友達だなんて思ってないし、本気で殺したい”。貴方がそれを赤で言えば、それで全部が終わるわ。リザインよ。

だってのび太さんはずっと、その為に戦ってきたの。貴方に会う為に、真実を知る為に……もう一度友達に戻る為に」

 

 そうだ。自分はずっとそればかり考えてきた。のび太は唇を噛み締める。

 勿論、街から脱出して、生き残るのが最優先事項だ。その為に行動してきたつもりだ。だけど実は途中から、それさえどうでもよくなっていたのかもしれない。

 いや。どうでもよくないわけじゃない。でも。自分がずっと考えてたのは、ドラえもんのことばかりだった。

 絶叫に近い声を上げる静香。

 

「のび太さんがずっと頑張ってきた気持ち。今まで一緒に頑張ってきた記憶。全部根本から叩き折って否定出来るなら、やってみればいい!」

「う……っ!!

「あたし達が今知りたいのはセワシさんの考えじゃない、貴方の意志よ!いつまでぐだぐだ迷う気なの、ドラちゃんっ!?

 

 その声が、空間を切り裂いた。その瞬間、“何か”にピシリと罅が入って――粉々に砕け散る、澄んだ音色が響いた。

 

「答えは……たった一つ。そうだよね」

 

 実際に何かが壊れたわけじゃない。でも、今その音は確かに鳴った。誰かの心の中で、確かに。

 

「……い」

 

 頭を垂れたドラえもんの。

 

「君達は……酷い。残酷だ。最低っだ……!」

 

 声が震えていた。覆っていた何かが、囲っていたものが剥がれ落ちて、剥き出しの感情が露わになる。

隠しきる限界を超えて、決壊する。ああ、とのび太は呻いた。悟ったからだ。

 ドラえもんも、分かっている。否、最初から――分かってた。

 

「どうせこうなる気はしてたさ、分かってたさ……!だけど、どうしようもないじゃないか。

だって僕は所詮ロボットで、しかもオリジナルの存在でもなくて……【セワシ君の為に生まれたのに……!】

 

 弾けた赤い欠片は、雨のよう。

 それとも涙、なのだろうか。

 

「無理だよ。言える訳、ない……!」

 

 どんなに虚構で隠しても。

 理性で塗り固めても。

 本当の気持ちに、嘘がつける者などいないのだ。

 

 

 

【だって僕も……のび太君が大好きなんだもの……!!

 

 

 

 のび太の頬を、涙が流れた。今この瞬間まで生きていて良かったと、本気で思った。

 真実は此処にあった。

 辿り着いたのだ。たった、今。

 

「やっぱりこうなった。……僕も分かってたよ。だって、セワシ君がのび太君を殺すと決めた時…一番反対してたのは君じゃないか。

それはただセワシ君本人や自分が消えてしまうから……それだけが理由じゃなかった筈だよ」

 

 静かな声で、出木杉が言った。

 

「誤魔化せないんだ、誰にも。本当の気持ちに嘘がつける人なんていないよ」

「……うん」

「全部話す時が来たんだ。いいじゃないか。それはセワシ君にだって禁止されてないんだし。

知らずに何かを決めるなんて、できっこないんだから」

「……うん。そうだね、出木杉君」

 

 目に一杯涙を溜めてドラえもんが頷く。頷いた拍子に涙はこぼれ落ちる。

鼻を啜って顔をごしごし擦る様は野良猫というよりアライグマだ。おかしくなってついのび太は笑ってしまう。

 

「ドラえもん、顔ぐっちゃぐちゃなんだけど」

「う、五月蝿い!誰のせいだよ……ってかのび太君にだけは言われたくなっうう……」

 

 ついにわんわんと声を上げて泣き出すドラえもん。それは何より“ドラえもんらしい”顔だった。のび太はまた嬉しくて、それがまた涙になる。

まったく、こんな泣き方をしたら感動もシリアスもへったくれもないではないか。

 だけど、本当はそれでいいのかもしれない。馬鹿らしい日常の、絵に描いたようなギャグ漫画のキャラクター。自分達にはそれが一番、似合っている。

 

「本当に、全部話してくれるんだよな?」

 

 ひとしきり泣き喚いた後。頃合いと判断したのか、スネ夫がそう切り出した。

 

「ってか僕よく分かってないんだけど。さっきのあの……“赤き真実”だの“青き真実”だのってのは何なんだよ。

しゃべった言葉が文字になって浮かんで、剣やら盾やらになるなんて」

「簡単に説明すると、それが魔女や魔術師だけが使える力なんだ」

 

 のび太が説明する。魔法に精通しない彼らが混乱するのも無理からぬこと。

代理権限を執行できるドラえもんや出木杉、アルルネシアと会話した静香は理解しているようだが。

 

「使用条件はいくつかあるけど、今はそれは割愛する。とりあえず覚えておいて欲しいのは【赤き真実】は疑う余地のない絶対の真実だってこと。

《青き真実》は仮説であり、青き真実の矢を防げるのは“赤き真実”で作った盾だけ。僕達はこれらを使って戦う事が出来るんだ」

 

 残念ながらあまり上手な説明が出来そうにない。スネ夫と武は顔を見合わせ、曖昧な顔で頷いた。とりあえず今は概要だけでも分かってもらえれば充分だ。

 

「えっと……とりあえず確認なんだけど」

 

 意外にも太郎が手を挙げて発言する。

 

【赤き真実】では誰も本当の事しか言えない。そういうことなんだよね?」

「正解。…あのアルルネシアでさえ嘘がつけない。そして【赤き真実を直接耳にした人間は誰もその内容を疑えないんだ。だから誰かの身の潔白を証明したりするのには凄く便利な力ってわけ】

 

 残念ながら、自分の身の潔白は証明できないのが難点だが。それくらいの制約がなければ割に合わないのだろう。

地味なようでいて、この力のメリットは非常に大きい。下手すれば世界さえ変えかねない力だと自覚している。

 人間には開けない“絶対の真実”という名の猫箱。開ける事が出来るのは、魔女と魔術師とそれに代理権限を与えられた者だけだ。

 

「今から僕達がする話を……全部赤で語ることは出来ない。

実は赤き真実を使える量には制限があって、その制限がどれくらいかを知られてはならない決まりだからね。だから……僕は吐こうと思えば嘘が吐ける」

 

 ドラえもんはぐるりと皆を見回した。

 

「それでも……君達は信じてくれるかい?」

 

 のび太は迷わなかった。信じない。そんな選択は初めから存在しないのだ。

 

「信じるさ。他ならぬ君の言葉だもの」

 

 誰かを信じて、信じ続けて。実際裏切りにあった事もある。だけどのび太はそれを一度も後悔した事はない。

 誰かを疑って、悪意だと決めつけて生きるより。誰かを信じて、優しい気持ちを受け取れる生き方がしたい。

その方が誰にとっても幸せな筈だ。正しい必要さえない。間違っていても構わない。

 それが自分。野比のび太だ。

 

「ありがとう、のび太君。でもちょっと待ってね。正直……何から話せばいいのか悩むんだ」

 

 ドラえもんは少し困ったような顔で、笑った。

 

「……一番最初の世界の話かな、やっぱり。この世界が“過去”じゃなかった時の話を……物語をしよう」

 

 それはアルルネシアが訪れる前の、壊れていない世界から始まる。のび太は腹を括った。自分の予想はどこまで的を射ているのだろうか。

 ドラえもんは一瞬遠い眼をして、そして話し始めた。

 

「今から百年も前なんだ。全部の始まりはね」

 

 それは悲劇。

 そして、真実。

 

 

百六

 罪過

〜記の水底から〜

 

 

 

 

 

変わり、変わり果てても行くよ。