英語圏のどこか。辺りに氾濫するアルファベットがそれを物語っている。

しかし、『のび太』がその場所を、アメリカのラクーシティだと認識したのはだいぶ後になってからだった。

 カーテンを全開にしなくて良かった。開け放っていたら自分達も見つかっていたかもしれない。

 横転し、赤々と火の手を上げる外車。トラック。パトカー。その横を、血だらけの人影が複数、亡霊のようにのろまな動きで歩いていた。

 首が捻れた警官は白目を剥き、舌を唾液と血液と一緒にだらしなく垂らしている。

 警官に付き従うように歩くのはブロンドの美しい女性。そう、多分美人だったのだと思う。

彼女の顔の半分は、まるで畑のように耕されていた。顔から流れた血がまるで赤いマフラーのようだ。

 その女性に手を引かれる女の子は、大きなテディベアを片手に抱えている。

だが茶色い筈のテディベアは派手な赤でデコレーションされていた。まるで首飾りのように、少女の腹からはみ出した腸が熊の首に巻きついている。

歩くたびに、ぼとぼとと内蔵の欠片が落下していくのに、少女の顔は恍惚そのものだ。

 

――何故、と思うより先に身体が動いていた。自分と一緒に捕らえられた静香と出木杉が心配になったんだ。

……というか、一人でそこにいるのが耐え難い恐怖だったと言ってもいい。

 

 研究所内は異常なほど静かだった。研究者達は皆死んでしまったのか、あるいは避難したのか。それが幸いし、二人を見つけ出すまでさほど時間はかからなかった。

 どうにか研究所内でまともな服を調達し、脱出を図る。室内の探索。

僅かばかりだが研究レポートと、研究者達の私物であろうカレンダーが見つかった。

そして自分達が、何ヶ月も実験台にされていた事を知ったのだ。同時に、世界がどのような現状にあるのかも。

 研究員達は脱出に失敗し、多くが防犯システムに引っかかり、レーザーやガスで殺されていた。また別の者達はアンデットの餌にされていた。

誰も運命からは逃れられなかったのである。この現状を予見できた筈の、アンブレラの社員達でさえ。

 

 

 

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 みんな しんだ。

 生きのこったのは、三人だけ。ぼくらは、しずかちゃんをたすけて、三人でにげだした。

 ここがドコかもわからない。でも、にげなくちゃ。しにたくない。

 でも、外のせかいはもう、しんでしまっていた。ゾンビだらけだ。けんきゅうじょの、人たちもみんな。生きてる人は、ほとんどのこっていなかった。

 しにたくない。こわい。いやだ。

 たすけて、ドラえもん。

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『世界はウイルスに支配されようとしている。いや……もう、遅いかもしれない』

 

 それでも立ち止まる訳にはいかないと『出木杉』は言った。

 

『ドラえもんの望みを叶える。それが僕達の、最後の希望だ』

 

――そして俺達は研究者達が使おうとした地下の脱出路を通り、バイクを盗み、ラクーシティを無事脱出。しかし、それはまだ始まりに過ぎない。

 

 追っ手が来ないあたり、自分達を捕らえた組織は壊滅したと見える。

けれど追ってくるのは人間ばかりではない。血に飢えたB.O.W、際限なく増えるアンデット。逃げても逃げても、連中は襲いかかってくる。

 バイクでハイウェイを走り。クルーザーを盗んで海を渡り。

しかし、『のび太』達に安住の地は無かった。世界中のどこへ行っても、ウイルスの魔の手は忍び寄る。

 最初はまだ他にも生存者達がいた。身を寄せ合いながら生きる人達と僅かな時間を共にした事もある。

けれど、脅威はウイルスばかりではない。極度の緊張や不安はいつだって人々を追い詰め続け、争いへと駆り立てた。

“ワクチンがある”なんてデマでも流れた日には目も当てられないほど酷い事件が相次いだ。

 世界が瞬く間に死んでいったのは、ウイルスだけが原因ではないのだ。

そうした人々の争いは小規模の喧嘩から国家間の戦争にまで及ぶ。

自分が知るだけで、ススキヶ原の事件後少なくとも三回、核兵器が使用された。どれだけの被害が出たかなど、想像もつかない事である。

 

――そんな世界でも俺達が生き抜けたのは。皮肉にもアンブレラの研究の賜物だった。

 

 『のび太』『出木杉』。二人は、T−ウイルスを投与され実験台にされた。静香はまだウイルス投与はされていなかった可能性があるが、どうやら自分達と違い延々と戦闘訓練を受けていたらしい。

結果三人は超次元的なまでの身体能力を手に入れたのである。軍から奪った銃と、『ドラえもん』が残してくれたデータから作り出した簡易的な秘密道具。

その二つがあれば、どんな相手にも負ける事は無かった。

 心を生かしたのは、仲間がいたこと。『ドラえもん』との約束。

歴史を変えて世界を救えるかもしれないという希望。

それがあったからこそ、自分達三人は手を取り合って生きる事が出来たのである。

 世界を巻き込む戦争とウイルスの猛威はやがて、人口の激減により沈静化していく。

自分達が他の生存者を見かけなくなった頃には、世界中が瓦礫と荒野と死体に埋め尽くされていた。

 

 世界は、滅亡したのだ。たった数年で――ほぼ完全に。

 

――残された文明と。ドラえもんの残してくれたデータを使い、俺達は小さな研究所で必死に研究を重ねた。けれど、タイムマシンの開発は早々に頓挫してしまったんだ。

 

 時間の流れを計測し、それを写し取る技術は確立した。

けれどどうしても、自分達が時間を渡る事が出来なかったのである。出来たのは精々写し取った過去を忠実に際限する箱庭を作ることだけ。

 原因は様々に考えられるが。恐らくこの世界が、異世界の干渉によってねじ曲げられた歴史だといのが最大の理由だろう。

タイムマシンを使おうにも、自分達の世界は過去と断然してしまっている。さながら時の檻。まるで異世界からの干渉に起こった世界が、これ以上の干渉を拒んだかのようだ。

 又。起きた問題はそれだけではない。

ウイルスを投与されていれば老いなかったかもしれない静香だが、彼女はまだその実験は受けておらず。

老化しない自分と『出木杉』と比べれば、その老いの早さは歴然だった。あるいはアンブレラの無茶な実験や訓練にも原因があったかもしれない。

 

 

 

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 薄々気付いてたけど、彼女はまだウイルスを投与されていなかったみたいだ。

僕達は子供のままなのに、彼女だけ背が伸びている。

このままいくと彼女だけが年老いて死ぬことになるだろう。

 彼女が好きだ。でも僕はもう人間じゃない。もし彼女が望んでくれても、僕と彼女は結ばれてはならない。

 もう三年近く、僕達以外に生きてる人に会っていない。もう生き残ってる人はいないんだろうか。

 唯一の希望は、取り戻すことだ。君がいれば、全てをなかったことにできるかもしれない。でもそれ以上に僕は、君にまた会いたい。

 あの日失ってしまった君を取り戻す。君を、君の未来を、君の世界を。そして今度こそ、君に言うんだ。

 

 いつも守ってくれてありがとう。

 そして――ごめんなさい。

 

 終わらせるんだ。彼女が老いて死ぬ前に、僕の記憶が風化してしまう前に。

 全ての悲しい事を。悪い夢を。

 

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 『出木杉』にもまた異変は迫っていた。彼は静香のように老いる事は無かったが、どうやら完全にウイルスと適合できていたわけではなかったらしい。

 ある時を境に著しく体調を崩すようになり――激しくされど緩やかに、その時間を終えていった。

最期は毎日喀血し、それはそれは苦痛に満ちた死であったに違いない。それでも彼は死の直前まで、研究をやめる事はなかった。

 

『大丈夫。だってみんな……取り戻せるんだもの。だから泣かないでのび太君。ほんの少し、休憩させて貰うだけだから』

 

 それが。『出木杉』の最期の言葉だ。

 

 

 

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 どうやら、彼は失敗作だったらしい。まさか年老いた彼女より先に、彼の方が命を落とすことになるだなんて。

 子供の姿のままなのは彼も僕も同じだったのに、一体何が違っていたというのか。

 彼の最期を、僕は一生忘れない。最期の約束。絶対に守り抜いてみせる。とうに人間ではなくなった僕ではあるけれど、それでも今日まで捨てなかったモノ。

 僕は今日、野比のび太である事を捨てる。僕は今日から“俺”として生きていこう。

 必ず、全てを取り戻す。それが彼の望みで、彼との誓いだ。

 この偽物の歴史に終止符を打つ。たとえ何年かかっても。

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「そして俺は……野比のび太である事を、捨てた。あいつには一生分からないだろうな。俺がどんな気持ちで、セワシを名乗っているかなんて」

 

 苦笑しながら、煙を吐き出すセワシ。

 そう、今の自分は“セワシ”だ。本来なら自分と静香の子孫として生まれる筈だった少年の名前。

 自分と静香は恋仲になったがそれまでだった。それ以上の深い関係を、セワシは拒んだ。

わかっていたからだ。歴史を改変するつもりである以上、子供など作ってもどうにもならない。寧ろ罪のない我が子を、改変の波に巻き込みたくない。

 それに。静香はともかく自分は老いる事さえない異常な存在だ。

医療に明るくない自分には、己の体質がどんな形で子供に遺伝するか、想像さえ出来なかった。B.O.Wのような怪物になってしまわないとも言い切れない。

 結果。歴史上本来存在していた筈の“セワシ”は、この世に誕生しない結果となったのである。

 

『いつか迎えに行きましょうね』

 

 静香は美しく成長し、そして老いた。身体の関係などなくても、彼女が皺だらけの老婆になっても。セワシは彼女を愛していた。愛し続けた。否、今でも――愛している。

 二人きりの世界。やがてはベッドから起きあがる事もままならなくなった彼女は、老いて尚気高かった。

 

『全てを救って。生まれ変わったら今度こそ……一緒に幸せになりましょうね。そしてセワシ君を迎えて、“お帰り”って言うの。……ううん』

 

 多分、一般的に見ればかなり長生きした筈だ。それでも必ず、その日はやって来る。老婆の手を握る子供の手。同じ時間を生きる事さえ出来なかった。

なのに彼女は最期の瞬間、心から幸せと言わんばかりに微笑ったのだ。

 

『みんなに“ただいま”“お帰り”って言いたいわ。スネ夫さん武さん安雄さんはる夫さん出木杉さん……太郎君や金田さん、聖奈さんや健治さんにも逢いに行きたい。ね。のび太さん。全部終わったら……そう言ってね』

 

 自分がのび太と呼ばれた、最後の日。

 

『約束よ、大好きな……あたしののび太さん』

 

 

 

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 彼女にも、置いていかれた。

 世界にはもう、俺独りだけだ。

 独りは、嫌だ。これは俺のエゴ。

 偽物の君を作ることを。偽物の彼を側に置くことを。

 どうか、どうか赦してくれ。

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百九

 未来色

見るように目覚めた場所で〜

 

 

 

 

未来までって伸ばした手。