−−西暦1995年8月、学校校舎・1F給食室。

 

 

 いつもなら閑散としているか、イイ匂いが漂っている給食室。最近は給食センターを利用する学校も出てきたが、この学校は自分達でちゃんと作っていたようだ。

懐かしいな、と聖奈は思う。こんな状況でなければ浸る事も出来ただろう。

 血と肉と食い荒らされた死体が、散乱したりしていなければ。

 

「ひっでぇことしやがる…」

 

 顔をしかめながら武が言う。

 

「給食のおばちゃん…この人知ってるぜ。いい人だったのに…」

 

 通路の真ん中で、大の字形に倒れている人物がいた。割烹着を着た、ふくよかな体の中年女性だ。

顔の半分が消失し、ハラワタがごっそり食われている。どう見ても息は、ない。脳を損傷しているので生き返ってくることもないだろう。

 凄まじい匂いに、吐き気をこらえながら反対側を見る聖奈。

もう驚きはなかったが、まだ死体にも異臭にも慣れない。最後まで人間でいたいと願うなら−−その方がいいのかもしれなかった。

 

−−何で私…こんな目に遭ってるんだろう。

 

 いつまでもメソメソしていてはいけない。周りにいるのは自分よりずっと幼い子供達ばかり。

自分が彼らを護らなければならないと、分かっているのに。

 

−−何でみんな…こんな事になっちゃったんだろう。

 

 聖奈は唇を噛み締める。通路の奥には、もう一人人間が事切れていた。こちらも給食のおばさんだろう。

さっきの女性より幾分若いようだが、亡者達は年齢に関係なく人を襲う。化粧の濃いその顔と頭は歪み、恐怖に彩られている。彼女には両手足がなかった。

 生きたまま手足を食いちぎられたのかもしれない。

自分でなくて良かった−−一瞬でもそう思った自分を、聖奈は恥ずかしく思った。

 

「何これ?」

 

 スネ夫が壁を見て首を傾げる。

 

「生肉の処理方法…?」

 

 聖奈も近付いていって、その場所を覗きこむ。キッチンの前の壁に張り紙がしてあった。

セロテーブが変色していない。ごく最近貼られたものらしい。

 

 

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【給食員の皆さんへのお願い】

 

 

 いつもお疲れ様です。暑い季節になりました。

先日神奈川県で起きた中学校の大量食中毒事件はご存知のことと思います。

当小学校でも食中毒への警戒をより一層強化するべく、対策を徹底させています。

 今まで、残飯を処理する際肉類とそれ以外のもので処分を分けて頂くようお願いして参りました。

肉類を専用の処理シェルターに落として頂く件は今までと変わりませんが、今後は調理で余った肉や少し古くなった肉、魚も同様にして頂くようお願い申し上げます。

 子供達が食中毒になるのを防ぐ為です。よろしくお願い申し上げます。

 

 

 学校長

 

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「何だ。ただの職員へのお願いじゃねぇか」

 

 武が呆れたように言う。

「処理シェルターってこれだな。どこに続いてんだ?さすがに人間は通り抜けられそうにねぇけど」

「…なんか…変ですよね」

「あ?」

「このシェルターですよ」

 湧き上がる疑問。聖奈は思ったままを口にしていた。

 

「肉類だけ分けて落とす意味、あるんでしょうか?食中毒を防ぐ為なら普通に生ゴミに出せばいいだけなのに」

 

 シェルターを覗きこむ。錆び付いた、四角い緑色の管が下の方まで続いている。

武でなくともこの下に降りるのは無理だろう。サイズが小さい上、深さも分からないんじゃ危険すぎる。暗くて底は見えない。

 気のせいだろうか。下から獣の唸り声がするような気がする。

 

「あー…駄目だ」

 

 奥のドアをガタガタ鳴らしていたスネ夫が、残念そうに声を上げた。

 

「完璧塞がれちゃってる。この板は外れそうにないな。…おばさん達、この給食室に立てこもってたのかも」

 

 見れば奥のドアは、上下に板が打ちつけられている。

傍には数本の釘と金槌も落ちていた。やはり、化け物から逃れようと彼女達がやったのだろう。

 これも一応、武器になるかもしれない。聖奈は拾って武に渡した。このメンバーで銃を持ってないのは彼だけだ。

 

「あれ?」

 

 カチャン、と。足が何かを蹴った。何かの金属らしい。一瞬キラリと光ったそれを拾い上げる。

 

「何処かの教室の…鍵?」

 

 タグにうっすら文字が書いてあるようだが、いかんせん照明が悪い。

どうやら化け物が襲撃した際、照明をいくつか破損したらしい。チカチカするせいでタグの掠れた文字が非常に読み辛かった。

 聖奈が目を細めてまじまじと鍵を見た時だ。おい、と武に声をかけられた。

「今…あの板が動いたような気が…」

「え?」

 武が凝視しているのは、ダストシュートの上。天井の幕板だった。なるほど、確かに板の一枚がややズレている。

だがこんなボロい学校なのだ、天井板が壊れている箇所など、別におかしくもないような−−。

 

「え?」

 

 ずり。

 

 今。明らかに聖奈の見ている前で、板の隙間が広がった。その向こうに広がるのは墨を塗りたくったかのような闇だ。

その闇の中、何か色のついたモノがよぎった気がした。生存者が天井裏に隠れていたのか?−−否。

 この状況で。そんな楽観的な考えは持たない方がいい。梯子も何もないあんな高い場所に、普通の人間が登るなどまず無理だ。

 

 ずる。ずるる。

 

 引きずるような音とともに隙間が、闇が広がる。聖奈は震える手でハンドガンを握りしめた。

心臓がばくばくと煩い。喉がカラカラに乾いて、背中が汗でぐっしょり濡れてある。

暑いのに、酷く寒い。恐怖が体中を凍り付かせようと暴れ狂う。

 逃げちゃ駄目だ。

 逃げちゃ駄目なんだ。

 聖奈は必死で言い聞かせた。武とスネ夫が息を呑み天井を凝視している。彼らは自分が護らなければ。

真っ先に彼らを放り出して逃げてしまいたい−−そう叫ぶ本能をどうにか殴り倒し、天井に銃を向けた。

 膝ががくがく震え、照準が合わない。見ている間にも幕板はどんどん動いていく。

 

 ぬっ、と。

 

 巨大な手が、突き出した。

 

「ひぃっ…!」

 

 悲鳴を上げたのは自分かスネ夫か、あるいは両方か。だらん、と長い舌が本体より先に地面に着地した。

その舌は棘だらけで、ぎぎ、と黒板に爪を立てるような怪音とともに床を削った。

 闇の中から、血管を浮き彫りにした体が覗いた。そして。

 

 どん。

 

 長い舌に、退化した眼を持つ形容しがたい化け物が−−“舐めるモノ”が、給食室の床に落下した。

 

「はっ…上等だぜ!こっちはなあっ…てめえらに山ほど恨みがあんだ!!

 

 勇敢にも武が真正面から向かっていく。聖奈は出遅れたものの、なんとか引き金を引いた。化け物の足から体液が吹き出す。

さらに武の金属バットが脳天に叩き込まれる。“舐めるモノ”が悲鳴を上げた。どうやら多少なりの効果はあったらしい。

 後ろで銃声がした。振り向いてぎょっとする聖奈。撃ったのはスネ夫だが、彼は自分達とは別の方向を向いていた。

 打ちつけられたドアの前。同じ化け物が二体も並んで居座っている。なんと、天井に潜んでいたのは一匹だけでは無かったらしい。スネ夫が悲鳴を上げる。

「ジャイアン!さすがに三体相手じゃ分が悪いよ…一時撤退だ!」

「ちっ…!」

 悔しそうに舌打ちする武。しかし反論はしなかった。三体も同時に襲ってくるのは予想外だったのだろう。

ましてやこんな狭い部屋じゃ逃げ場もない。

 廊下へ逃げるしかない。三人は給食室を飛び出した。化け物達が追ってくる。

なんとか振り切るか、奴らを分断しない限り勝ち目はない。

聖奈は悲鳴をかみ殺しながら、目の前の階段を駆け上がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

−−西暦1995年8月、小学校・1F職員室。

 

 

 ゾンビの額に風穴が吹き出し、腐った脳漿がだらだらと零れた。マリオネットのように崩れ落ちるアンデット。

だが一体倒しただけでは油断できない。その後ろからすぐ新手が現れる。しかも今警戒すべきは単なるゾンビだけではないのだ。

 

「くっ…!」

 

 のび太はギリギリのところで身を屈めて回避した。頭上スレスレを、ゾンビ犬の牙が掠めていく。

噛まれたらもれなく奴らのお友達だ。頭を噛み砕いてもらえなければ、死ぬより酷い結末が待っている。

 

「さしずめ、地獄の番犬“ケルベロス”ってとこだな」

 

 ナイフをくるくる回しながら、健治が言う。

「素早くって攻撃が当たらないばかりか、これじゃ逃げるのもままならねぇ。…太郎、俺の背中にちゃんとくっついてろよ」

「う、うんっ…」

 震えながらも必死で健治にしがみつく太郎。

泣かないだけ大したものだ。彼なりに足手まといなるまいと必死なのかもしれない。

 その二人を、歯をむき出しにしたアンデットが襲う。一歩後ろに下がって攻撃を避けた健治は、同時にバタフライナイフを前に突き出していた。

流れるような動作で、ゾンビのこめかみを抉る。鮮やかなものだ。

ゾンビが断末魔を上げてひっくり返る。近接武器だけで仕留めるなんて大したものである。

 自分も負けてはいられない。銃を両手でしっかり構えて、照準を合わせる。“ケルベロス”が大きく口を開けて飛びかかってきた。

その口の中に、のび太は銃弾を連続して叩き込む。ピンポイントショットだ。

 

「ぎゃんっ…!」

 

 喉と後頭部から血を吹き出させ、グロテスクなゾンビ犬の一体が吹っ飛んだ。

これで何体倒しただろう。数は減ったが、まだまだゾンビ達も犬も残っている。隣の部屋が巣窟になっているのだろうか。

 

「ちょっとキリねぇな」

 

 今まで攻撃をかわすだけに留めていた綱海がため息を吐いた。

「仕方ねぇ。…アレ…やるかな」

「アレ?」

「おう。とっときのアレ、だ」

 いつの間に入手したのだろう。その手には黒いサッカーボールがあった。

こんな状況でボールなんて、一体何に使うのか。そう思っていたら、なんと。

 

 

 

「ツナミ・ブースト」

 

 

 

 綱海の周りから、大量の水が噴き出した。何を馬鹿なと言われるかもしれないし原理なんか分からないが−−実際それは、目の前で起きたのだ。

 綱海の周りにインスタントの海ができる。

彼はボールをサーフボード代わりにして波に乗った後、勢いよくオーバーヘッドシュートを決めた。

凄まじい勢いの水を纏い、ボードがゾンビ達に飛んでいく。

 

「う…嘘…」

 

 眼を疑った。次の瞬間ゾンビ達は跡形もなく消し飛んでいたのである。おまけにさっきまであれだけあった水も全て消滅してしまっていた。

 のび太は慌てて眼を擦る。自分は一体何を見たのだろう。今のは幻だったのか?いや、しかし。

 

「綱海…お前、一体何者だよ…マジで」

 

 健治が呆然とした顔で尋ねる。綱海は振り向いて笑った。

 

「ただの超次元なサッカー選手だよ。それ以上でもそれ以下でもねぇ」

 

 超次元な時点で“ただの”ではないと思うのだが。のび太はそうツッコミを入れる余裕はなかった。さすがに展開が滅茶苦茶だ。

 まあお陰様で、面倒な危機は去ったのだけども。

 

 

 

十一

奇襲

〜頭上から堕ちる

 

 

 

 

 

それでも。