「オリジナルの『出木杉』君と『ドラえもん』がいなくなった穴は、ここにいる出木杉君と僕がこの世界に入って代わりを演じることでひとまず埋められる」
ドラえもんは話を続ける。
「だけど最大の問題は。本来の歴史をセワシ君達は、殆ど何も分からない状態で終わらせてしまったこと。
誰が黒幕で何が原因で起きた事件なのか。それが分からなければ、事件の発生を防ぐことも出来ない」
確かに、セワシは何も知らなかったっぽいよな、とスネ夫は思い返す。
自分に銃を向けてきた時、アンブレラが黒幕だと知ったばかりといった風な様子だった。
新聞記事から察するに、アンブレラの事は多少は疑っていたのだろうが――今までその確信を得る事が出来なかったのだろう。
「だからまず僕達がしたのは、過去の世界の調査。学校に、廃旅館に。ヒントは山のようにある筈だからね。でも……」
「再現された世界では、ドラえもんも出木杉英才も消滅している。つまり本来なら存在しない。セワシ君に限っては言うまでもない。
だから……この世界で僕達が出来る行動は、極めて限られてるんだ」
ドラえもんの言葉を、出木杉が引き継ぐ。
「例えばドラえもんが扱う管理者権限の一つ、“どこでもドア”。本来なら宇宙にさえ行ける秘密道具だけど、この世界では行動範囲が狭い。
この世界か、史実のどちらかで君達が足を踏み入れた事のある場所しか行けない。だから僕達は君達が突入するまで、研究所の中には入れなかったんだ」
そういう事か。やっと合点がいった。
“どこでもドア”の便利さは既に語るまでもない事だが。もしドアの存在自体が嘘っぱちならば当然使えない。
しかし、スネ夫は防犯カメラで皆の行動をずっと追ってきたのだ。どこでもドアでもない限り、彼らの移動範囲は明らかに不自然、もとい不可能だ。
もし“管理者権限”ならば。さっさとどこでもドアで研究所に突入し、さっさか資料を漁れば済む話である。
それをせず、回りくどい手を使って自分達の行動を操作してきのは、“そうする必要があったから”に他ならない。
スネ夫がそう話すと、出木杉は肩をすくめた。
「全く持ってその通り。僕達が自分でこの世界を調査できるなら苦労はなかった。でもそれは諸々の制約に引っかかる。
というか歴史がさらに破綻する。だから面倒だけど君達に、この事件の真相を調べて貰う必要があったんだ」
「理解。で、その真相を調べる必要があったから、セワシもすぐのび太を殺しに来なかったわけ?」
「ご明察だよスネ夫。おかげでずっとセワシ君の機嫌が悪くて大変だった。まだ情報が集まってなくても、のび太君を殺せ殺せって聞かなくて」
そこまで憎いか。スネ夫はうなだれるしかない。否――それほどまでにセワシは悔いているということか。
そんな筈ないのに、とナチュラルにスネ夫は思う。
確かに不幸輪廻因子の存在は実証も否定もされていない。のび太は本当に、皆を不幸に巻き込んでしまう体質かもしれない。
だけど、だからそれが何だというのか。認めるのも癪だが、今まで自分達がなんとか生き残ってこれたのはのび太の働きによるところが大きい。
バイオゲラス、ハンター、ブラックタイガーその他諸々。のび太がいたから倒せたといっても過言ではない。
スネ夫本人も、のび太が助けにきてくれなければ資料室の段階でとうに殺されていた筈だ。恐らく、セワシが見た史実通りに。
それらは、曖昧な“不幸体質”なんてものよりずっと確かな事実だ。そののび太を殺せばみんなが幸せになるだなんて、そんな事誰が認められるだろう。
第一。のび太がいくらよく分からない因子持ちだったところで、異世界の魔女の襲来や大企業のウイルステロ、はたまた世界の滅亡まで責任をとらなきゃいけないなんて滅茶苦茶もいいところではないか。
「事件をリセットするには。事件の真相を知り、“全てがいつどこで”始まったかを知らなければならない。だけど、それは至難の技だった」
ドラえもんは皮肉げに嗤う。
「君達も気付いてないけど。この世界はもう何百回も繰り返されてるんだ。繰り返す羽目になるのは、いつも僕らの思うように君達が動いてくれなかったから。
真相を知る以前に、みんなバタバタ死んでいく。そんなパターンばっかりだったよ」
再び沈黙が落ちる。スネ夫は考えた。じわじわと染みてゆく、今のドラえもんの言葉を――考えた。
何百回。途方もない数だ。つまり同じ数だけ、自分達はこの箱庭で殺されてきたことになるが、スネ夫に無論その記憶はない。
それは多分幸せな事だ。もし記憶があったら――あっという間に頭がおかしくなってしまっただろう。
たった一度。ゾンビに囲まれ、仲間や家族が死に、恐怖に理性を削られ続ける。そんなこの事件をたった一度経験するだけで、こんなに苦しいのに。
それを何百回もなんて、想像さえできない領域だ。
セワシはこの箱庭の世界においては当事者ではない。
しかし、巻き込まれているのは確かに彼の愛する者達だ。その死を回避しようと回避しようと足掻いて足掻いて、なのにその望みは叶わない。何度でも彼を裏切る。
それは――どれほどの絶望だろう。
絶望と呼ぶのさえ生ぬるい、恐怖だろうか。
「もう一回。もう一回。……今度こそは良い目が出る筈だって信じて、セワシ君は賽子を転がしてきた。でも」
ドラえもんの声が震える。
「出るのはいつも、一の目だけ。悪い目ばかり繰り返す。何回言葉に意味を重ねても、結果は同じ」
スネ夫は目を逸らす。ドラえもんの顔を、直視出来ない。
『俺は……終わらせたいだけだ。全ての悪い夢を、悲しい事を。だからその為に』
初めてセワシと逢った時、彼が言っていたこと。その意味を考えれば考えるほど、悲しくてたまらなくなる。溢れ過ぎた感情で、頭が割れそうになる。
終わらせたい。もう大切な人達が死ぬのを見るのは嫌だ。彼はずっとそう叫んでいたのではないか。
『その為に……俺は真実を突き止め、野比のび太を、殺す』
あの時はまるで意味が分からなかった言葉が、今なら分かる。
自分達が考えていた以上に、彼にとっては真実は大きな意味を持っていた。何を引き換えにしてでも、それを得なければと思っていたのだ。
全ては皆を救う為。その結果、どうなろうとも今のセワシは消える。それがわかっていたのに、彼は。
『情報が正しいならば、このバイオハザードの原因はアンブレラ社にあるのだろう。だが……この町に不幸を呼んだ元凶は他ならない、野比のび太だ』
『ちょ……何だよ。どういう意味だよそれ!?』
『俺は野比のび太を憎む。奴さえいなければ、俺の世界が滅ぶことは無かった……こんなことにはならなかった。奴は死んで当然の存在だ』
死んで当然なんて、何でそんな事が言えるんだと思った。だからスネ夫は叫んだ。
『僕の質問に答えろよ!人の友達を悪く言うなんて最低だぞ!!』
友達。そうだ、あの馬鹿は自分の友達。野比のび太は自分達みんなの大事な仲間だ。何も考える必要さえない。ただ真っ直ぐそう言う事が出来た。それがスネ夫の真実だったから。
そんなスネ夫の言葉を、セワシはどんな気持ちで聴いていたのだろう。
彼にとっては紛れもなく、殺したいほど憎い存在。自分に生きる価値はない。命をもって償うしかないと、そう責め続けた“のび太”――いや、セワシ自身。
だけどそんな彼が、自分達にとって愛すべき友だった。そう思われていたと知った。その瞬間彼はどんな風に思い、スネ夫の前から姿を消したのか。
自分は魔術師じゃないから、赤き真実なんて使えない。そもそも彼の心の真実は、彼にしか、見えない。
「セワシ君は頑張ったよ。ボロボロになっても諦めないで頑張って頑張って……今そこにいる。賽子を投げる手さえもう擦り切れて血だらけになってるのに。何が最善の目かも……分からなくなりそうなくらいなのに」
出木杉が静かにそう告げた。
「セワシ君はずっと。醒めない最期の夢を……最期になる筈の夢を、見続けてるんだ」
この世界で、どうか終わりに。彼は何度もそう願い続けて、その度に裏切られてきたのだろう。
勝手であらぬ期待をかけたのはセワシだが、ある意味裏切り続けてきたのは自分達だ。スネ夫も仲間の死を経験するまでは知らなかった。
愛するものを永遠に失う。その痛みは時として、自らの死より遙かに苦痛であることを。セワシはどれだけ痛かっただろう。何十回、何百回と死ぬ自分達を見続けて。
「夢は、終わらせなければ。……僕達はこの無限の物語に、今度こそ終止符を打ちたい」
ドラえもんはのび太を見つめる。
「“アルルネシアがいつこの世界のどこに最初に降り立ったか”という情報を欲しがっていた。それが分かれば、この箱庭の世界をその時間のそのタイミングまで巻き戻せる。
一番最初の段階でアルルネシアとアンブレラの接点を失わせれば、この事件は発生しない。この情報はもう僕達で手に入れている」
「それがこの世界を救う……鍵」
「そう。そしてもう一つ、今回セワシ君が試そうとしていること。それはのび太君、君を殺すことで今後この世界がどう変化するかだ。不幸輪廻因子の真偽を確かめ、もしそれが確定したなら……」
そこでドラえもんは一旦言葉を切る。本当は想像したくないのだというように。
「のび太君が生まれないよう歴史に干渉した上で、アルルネシアを妨害する。そして歴史を確定させるつもりなんだ。そうすれば、みんなが幸せになれる筈だって……そう信じてるんだよ」
全ての黒幕であるアルルネシアと、アルルネシアを意図せずして呼び込んでしまったかもしれないのび太。その両方を抹消すれば、世界は救われる。理屈は分かる、でも。
「ふざけんな」
スネ夫は思わず、叫んでいた。
「ふざけるのも大概にしろよ!のび太が死ねばセワシも消える……んな滅茶苦茶な自己犠牲吐き気がするだけだ!とんだ偽善者!!残された僕達がどう思うかなんて、これっぽっちも考えてないじゃないか!!」
こんな事を言っちゃいけない。本当は言う資格もないと分かっていた。
セワシは自分達の気持ちを考えてくれないが、自分達だってセワシの痛みを理解できない。
彼の深い絶望を、傷を。知らず知らず抉り、裏切っていた自分達こそ咎められて然るべきだ。
だけど。それでも止まらなかった。だって。
「それで平和な世界が戻ってきたって……僕達が幸せになれるわけないじゃんか!!」
奇麗事かもしれない。でも。スネ夫は思う。
「誰かの人生丸ごと犠牲にするような世界が、本当の平和なもんか!!」
そんなの、自分は嫌だ。
「……僕達は、幸せだね」
やがて。ずっと黙っていたのび太が、口を開く。
「ねぇドラえもん。その上で……君はどうしたいの?」
その言葉に、ドラえもんが苦笑して返す。
「そうだね。……対決しようか、のび太君」
真実の果てにある決着。そう、まだ二人の戦いは終わっていない。
第百十一話
無限連鎖
〜ローリンローリン〜
呼び覚ませ、鮮やかに。