何が自分にとって最善なのだろう、とドラえもんは思う。

本当はまだ迷っている。のび太を救う事も、殺す事も。果たしてどちらがセワシの為みんなの為なのか、と。

 オリジナルの『ドラえもん』と22世紀が消滅した、世界。

 自分はそのオリジナルのフリをしてのび太の前に現れた。22世紀の猫型ロボットだと偽り、彼を矯正する為に来たのだと嘘をついて。

 最初はセワシの為に仕方なく、だった。乗り気でも何でも無かった。

のび太を見るたびオリジナルの記憶とセワシを思い出し“懐かしい”とは感じるが、そこまでだ。

それ以上の情を持つべきではないと分かっていた。セワシがいずれのび太の存在を抹消しにかかる事は薄々気づいていたから。

近い未来死を迎える者に情など抱いたら、辛いのは自分だ。

 こうなるのは目に見えていた。だからあえて毒を吐いたり冷たい態度で自分を誤魔化したりしてきた。なのに。

 

――君はいつでも、正直でまっすぐだ。

 

 嫌なものは嫌だと言う。

 欲しいものは欲しいと言う。

 実に幼くて我が儘だけどけして、大事なところで嘘を吐かない。誰かを助けるのに躊躇しない。何より、一度仲間と認めた相手を、裏切ることは絶対しない。

 

「のび太君は、覚えてるかな。雲の王国の時……僕が故障しちゃった時のこと」

「……覚えてるよ」

「あの時君は。壊れた僕を直そうと必死になって……何があっても見捨てたりしなかった」

 

 のび太達としてきた数々の冒険。それは殆どがオリジナルの『ドラえもん』とセワシが経験してきたものと同じ。

偽物とはいえドラえもんが現れた結果、箱庭の歴史も同じように動いたのだ。

ただし、自分の場合は秘密道具ではなく“管理者権限”であり、またところどころ幻で誤魔化したりしていたわけだが。

 あと、雲の王国での故障は自分の場合演技だったりする。相手の思惑を知る為わざと壊れたフリをしたのだ。

オリジナルは自分より秘密道具のスキルは高かったが、電撃への耐性が低かった。それでは困る。

セワシはドラえもんを作る時、電気に強くなるよう絶縁素材を多く使用していた。今のドラえもんは、小規模の落雷くらいならなんなく耐える事が出来る。

 だからあの時も。壊れたフリしてのび太の様子を見ていた。彼の頑張りも、努力も――ずっとずっと、見ていたのだ。

 

「情なんて持たないつもりだった。努力、してたんだよこれでも。だけどさ……本当は怖くて怖くてたまらない時でも、誰かの為に必死になれる君の姿を見てたらさ。僕の為に、あんな不器用に頑張られてさ。……何も思わないほど、薄情じゃないんだ」

 

 いつの間にか。囚われていた。

 

「忘れられたら、きっと楽だった。オリジナルの記憶も、そうじゃない思いも……全部。でも」

 

 逃げられるほど。

 “ドラえもん”は器用じゃないのだ。

 きっとオリジナルも、そう。

 

「忘れたくない僕も、確かにいる」

 

 風邪をひいて、ネジを一本落として。スクラップ寸前になったドラえもんの為に、のび太が駆けずり回ってネジを探してくれた事があった。

 ドラえもんが未来に帰る羽目になり、それが急に戻ってこられる事になった時(実際はセワシの考えで箱庭の外に長期間出ざるをえなかったのだが)、泣きながらこれからも一緒にいたいと言われた。

 あれも。これも。みんなみんなみんな。

 振り向けばそこに君がいて、君が溢れていた。散々迷惑はかけられたけど。泣きたくなるほど幸せだったのは、自分も同じだ。

 

「だけどね。時々箱庭の外に戻って……セワシ君の顔を見たら。何を言っていいか、分からなくなるんだ。

見るたびボロボロになっていく彼を、解放してあげることを……本当は一番に考えなくちゃいけないのに。

嘘をついてみんなを騙して、幸せに浸る自分が赦せなくなる」

 

 ごめん、ドラえもん。

 セワシは何度そう口にしただろう。そのたびにドラえもんは“君は悪くないよ”と言うしか出来なかった。

 

「本当はのび太君にもセワシ君にも消えて欲しくない。みんなに生きて欲しい。

でもそれは僕のエゴに過ぎないのかもしれない」

 

 今回の世界で最期になるだろう。どんな結末であれ、きっとそうなる。今まで研究所に辿りつく事さえ出来なかったのに、今自分達は此処にいて鍵を手にしている。

 今まではのび太と静香と出木杉くらいしか生き残れなかったのに、今は聖奈も太郎もスネ夫も武も此処にいる。

 たった一度の奇跡を願い、繰り返してきた惨劇。終わりがやっと見えてきた。

生き残った面々だけじゃない。金田や安雄、健治の最期だって今までとは違う。彼らは退場したけれど、のび太達に確かに何かを遺した。彼らの死を糧に、のび太達はここに立っている。

 無駄な事は、きっと何一つ無かった。

 未来が変わり始めている。今ののび太達なら本当に、アルルネシアが作った馬鹿げたシナリオをブチ壊すことが出来るかもしれない。

 だが。鍵を手にいれて扉を開けても、最後にアルルネシアを倒せるかは賭になる。

それにのび太が生きていることでさらなる不幸に見舞われるか、その逆になるかどうかは誰にも分からないのだ。

 

「答えを出したいんだ、のび太君」

 

 ドラえもんは立ち上がる。

 

「決着をつけよう」

 

 全員の顔を見回せば、皆が面白いほど感情を露わにしていた。思い悩む顔。悲しむ顔。

つらそうな顔。怒りを滲ませる顔。苛立つ顔。戸惑う顔。そして、静かな決意の、カオ。

 聖奈も、静香も、出木杉も、武も、スネ夫も、太郎も、のび太も。皆が皆、ドラえもんを見ていた。

 

「私には、分かりません」

 

 聖奈が唇を噛み締める。

 

「分かり合えたんでしょう?真実を見つけたんでしょう?なのにまだ、戦う必要があるんですか?

みんながみんな幸せになりたいなら、手をとりあえばそれでいいじゃないですか!」

「俺は、分かる気もするな。腹は立つけどよ」

 

 憮然と、しかしどこか悟ったような顔で武は言う。

 

「のび太が本当に不幸体質かなんて、今の段階じゃ分かるわけもねぇし。もしガチだったとしてもそれで選択が決まるわけでもねぇ。

でもな。セワシはもうのび太を殺したいって……それで自分が死ぬべきだって思っちまってるだろ。ドラえもんもセワシの意志をまず尊重させたいから悩むんだろ」

 

 武の言葉は。驚くほどドラえもんの心境を言い当てていた。

 

「男ってのは意地っぱりでプライドが高ぇもんだ。一度こうと決めたらよ、良くも悪くも譲れない。

だからケジメをつける為に、端から見りゃ必要もなさそうな喧嘩したりすんだよな。……俺様がいい例だ」

 

 そうだ。まったくその通りだ。もう答えはきっと出ている。これから何をしようがそれは変わらないのだろうに、最後の一歩が踏み出せなくてぐだぐだくだぐだ思考を回して。

 時には、誰かに相談するとか助けてもらうとか。そんな選択が思いつきもしなかったりする。

思いついても、それがとても格好の悪いものように思えてしまったりする。

 無意味な意地を張って格好つける自分が、本当は一番格好悪いのだと。

冷静になった後で気付いて後悔するなんて事もしょっちゅうだ。

 

「本当は、何をするにも決めるにも心一つなのに。ちょっと気構えを変えれば簡単なのに……それが出来なかったりするんだ」

「そういうものですか」

「そーゆーもんなんだよ。女も面倒くさいが男も面倒くさい。……なんてな、半分はとーちゃんの受け売りなんだけどよ」

 

 はは、と武が笑う。笑い飛ばす。

 

「でも、それが人間だ。ダチ同士なら拳で喧嘩すんのも意味がある。……答えを見つける為に必要な儀式みたいなもんだと、俺はそう思うぜ」

 

 好きに暴れろや、止めねーから。彼はそう言って締めくくった。ガキ大将の彼だからこそ言えた言葉だろう。聖奈はまだ納得しきってないようだが、それでいい。

 何もかも理解しなくていい。何が必要か不必要かなんて人それぞれだ。悩んで間違えて、人それぞれの方法でぶつかって答えを見つければそれでいいとドラえもんは思う。

 自分は人間ではないけれど――ヒトだ。少なくとも心はそうでありたいと、願う。

 

「僕とセワシ君は同一人物かもしれない。でも今の僕に、セワシ君の気持ちが分かるなんて言えない。だから何が一番良いのかなんて、分からないけど」

 

 悲哀。苦悩。苦痛。怒り。苛立ち。決意。全てを飲み込んだ顔で、のび太がドラえもんを見る。セワシの覚悟とも違う。セワシとはまた違った決意、強さ。

 保護者としての気持ちも少なからずあるからこそ、今の彼は眩しい。その成長を嬉しく思う自分も、確かにいる。

 

「僕の願いは、最初から変わってないよ。君と仲直りしなきゃ始まらない。我が儘かもしれないけど、世界がもし僕のせいで滅ぶのだとしても……このままじゃ死んでも死にきれないよ」

「それで、いいんじゃないかな」

 

 今日一日だけで、のび太は変わった。

 なんて強い眼が出来るようになったのだろう。昨日まではすぐビービー泣くような、情けない小学生だったのに。

 

「ちょっとくらい我が儘な方が、君らしくていいよ」

 

 自分の知るのび太は。我が儘で、自分勝手で自己中で手泣き虫で、喧嘩も弱いし度胸もない、すぐ他力本願するような弱っちい子供だけど。大切な仲間の為ならどこまでも勇敢になれる、誰より優しい少年だ。

 それで、いい。それが彼。

 自分の大好きな、野比のび太だ。

 

「管理者権限発動。“名刀・電光丸”」

 

 ドラえもんの手に出現する刀。一見すればチャンバラに使う玩具のようだが、実はかなりハイテクな代物だ。相手の敵意や殺意に反応し、オートで防御体制をとる機能がある。切れ味は本物の刀に劣るが、そもそもこれは切る武器ではない。刀の姿をしているが実際は電気ロッドに近いのだ。

 いわば麻痺効果を持つ鈍器。受け身をとった相手に打撃と電撃を同時に与えられる。その上にオート防御がついてるわけだから、理論上はどんなヘボい人間が使っても相手に勝てる。唯一例外は、相手も電光丸を使っていた時くらいだ。

 

「のび兄ちゃん、これっ」

 

 ドラえもんの武器を見て、太郎がのび太に差し出したのは。元は健治が使っていて、彼の亡き後太郎が受け継いだ日本刀。

 

「これ、使って!僕と……僕と健治兄ちゃんのキモチも、一緒に戦わせて!!

 

 のび太はほんの少し驚いたように目を見開いた後、やがて笑顔で受け取った。右手に銃。左手に日本刀。前例のない、近接武器と銃器での二刀流体制だ。

 

「ありがとう太郎。……有り難く使わせて貰うよ」

 

 有利なのは自分だ。しかしドラえもんにはひとかけらの慢心も無かった。仲間の想いを背負ったのび太がいかに手強いかは、自分が一番よく知っている。

 

「対決だよ、のび太君」

「望むところさ。たくさん喧嘩しようじゃないか」

 

 仲直りの為に。

 あるいは、答えを見つける為の儀式。ある者にとっては無意味でも、自分達にとっては神聖なものだ。

 

――君を介錯するのは僕の手で。どうか僕を裁くのは、君でいて。

 

 再戦が、始まった。

 

百十二

 喧嘩上等

れぞれのルール〜

 

 

 

 

取り戻せる、この私一人でも。