“抗う事に疲れてたんだ

 待ってくれない運命に

 何時になれば夜は明けるの?

 誰にも 分からない”

 

 

 

――西暦1995年8月、研究所のどこか。

 

 

 

 歌いながら歩いていた緑川リュウジは、後ろから聞こえてきた足音に、ゆっくりと振り向いた。足をひきずる音と、僅かな水音。相手の様子を図るには充分だ。

 

「今そこでその歌なの?」

 

 相手は苦笑して言った。

 

「合いすぎてて、怖いんだけど」

 

 リュウジはその彼――基山ヒロトに向けて、小さく肩をすくめてみせた。予想通りの状況である。ヒロトは端から見てもボロボロだった。頬やら額やらから溢れる血が、顔の半分を汚している。多分右目はもうろくに見えていまい。

 首と腹にも深い傷がある。撃たれた傷やら抉られた傷やら。手足も傷だらけで、引きずる左足は捻挫でもしたのかもしれない。

 

「派手にやられたね、ヒロト」

「まだギリギリ動けるけどね。ファイナルアタックとケアルガが使えれば楽だったのに。あの後ネメシスが三体も増援に来てさ、トドメがポスタルとキメラだよ?ネメシス三体とキメラは倒したけど、ポスタルには逃げられちゃった」

「そりゃ大変だったね。ご愁傷様」

 

 この世界において自分達にはそれぞれ制約がある。“蘇生魔法”及び“大治療魔法と時間停止魔法はNG”“人の心を覗く力も駄目”などなど。お陰で苦労させられっぱなしである。

 またリュウジにはさらに別の制約もあった。それが“のび太達の前に極力姿を現してはいけない”“その制約を誰かに伝えてはならない”ということ。何故なら姿を現さなかった分、自分は力を得るのだから。ついでに、“リュウジは直接アルルネシアと戦ってはならない”というルールも守らなければならない。

 仲間に心配かけたり仲間を助けられないのは心苦しいが、兵士として非情な判断を下すならそれで問題ないのだ。何故なら自分が最も得意とするのは、誰かを祝福――つまり補助魔法である。

 “絆で結ばれた二人を永久に祝福し、運命に力を与えることができる”。それが祝祭の魔女・レーゼとして覚醒した緑川リュウジの力である。

 

「全ての犠牲は、一つの奇跡の為に積み上げられる。俺達はどこまでも裏方でなくちゃいけないんだ。のび太達が奇跡を掴む為にはね」

 

 だから耐えなければならない。

 それが一度は死に世界から永遠に消える筈だった自分達が−−支払うべき正当な対価なのだから。

 

 

“「君のように強くなんか

 生きていけない」って嘆いた

 ホントは気付いていたんだ

 お互い ギリギリだって”

 

 

「この歌。元は風丸君の為に用意された歌だったけど」

 

 リュウジは微笑んで、言う。

 

「ヒロトの言う通りさ。嫌にピッタリなんだよね。今の、ドラえもんの気持ちに」

 

 

“偽物ばかりを並べて

 自分を飾って溺れたフリ

 もうすぐ君はやって来るだろう

 堕ちた僕を知らぬまま”

 

 

 道筋は違えど。結末が同じ物語は吐いて捨てるようにある。同時に一見同じ結末でも。道筋が違うことでまるで違う意味を持つ事もある。

 

「箱庭の中で同じ悲劇を繰り返し、繰り返し、繰り返し。疲れてたのはセワシだけじゃない。でもセワシの痛みを第一に想うドラえもんに、そんな言葉は口に出来なかった」

 

 自分も偽物。出木杉も偽物。世界さえ、偽物。溺れ死ぬ寸前の狂った箱庭。それでも偽物の中に真実があって、だからこそ苦しい。

 仲間の死をえても立ち向かう事を選んだこの世界ののび太は。ドラえもんにとっては酷く眩しくて。そんな風に強くはなれない自分を、恨めしく思っていたのだろう。

 

「明けない夜がある。でも明けるとまだ信じているから…尋ねるんだろうね。いつになったら夜は明けるのかって」

 

 ヒロトが俯いて言った。かつて闇の中にいて救われた彼だからこそ。見えるものがあるのだろう。

 

「闇の中にいる時は気付けないんだ。明けない夜を作ってるのは、他ならない自分自身だなんて」

 

 

 

Lost誰を?Murder何を?”

 愛するほど裏切りは近づく

 最期の握手を振り払う君に

 僕は嗤って 心で泣いた

 さぁこれがラストゲームだ

 僕を裁くなら どうか君の手で”

 

 

 

――西暦1995年8月、研究所・食堂。

 

 

 

 揺れなかったわけじゃない。絶望しなかったわけじゃない。だけど今自分がすべき事は、立ち止まって下を向く事ではない筈だ。のび太はそう思って、半ば無理矢理顔を上げていた。無理矢理でも立ち上がるしかないと、わかっていた。

 

「たあっ」

 

 電光丸を装備したドラえもんは強い。ドラえもん本人の体力など知れたものだったが、電光丸は相手の殺気を察知して的確に動く。喧嘩で絶対負けない秘密道具だと以前ドラえもんが言っていたのを思い出す。

 電光丸本体は普通の刀ではないので切るのには向かないが、電気ショックを浴びせられればまともに立っていられなくなる。触れられたらアウトだと思っておいた方がいい。

 そして問題は。扱うドラえもん自身ものび太の事をよく知り尽くしているということ。頭脳戦じゃいろんな意味で勝ち目などない。

 

――流して流して。隙を見つけるしかない。

 

「せいっ!」

「くっ!」

 

 まるで槍のように突き出された電光丸を、背を逸らすことでなんとか避けた。唯一の幸いは電光丸があくまで近接武器であり、ドラえもん本人のリーチも極めて短いことか。

 さらに――もし自分の予想が正しいのなら。もう一つ弱点がある筈だ。

 

「はっ!!

 

 兜割りの一撃を刀の柄で流した。刃を刃でそのまま受けるのは実は愚の骨頂であり(アニメではよく見えるが)、最悪そのまま指を切断されるなんて事にもなりかねない。

 元よりのび太のスペックがスペックだ。力勝負に持ち込まれたら最初から勝ち目はない。相手の力を受け流し、体制を崩させて勝つ。自分に勝ち目があるとしたら、それしかない。

 

「案外頭使ってるじゃない」

 

 そんなのび太の思考を察してか、ドラえもんが苦笑気味に言う。

 

「刀の戦い方なんて全然勉強してないと思ってたけど?」

「してないよ。僕に刃物は向いてないし」

 

 事実だ。今までの考察全て。自分の経験から学んだことではない。

 だが。

 

「見てたもの。健治さんの戦い方を」

 

 自分で刃を振るうだけが経験ではない。自分の刀の使い方は全部、健治のやり方を見様見真似でトレースしているに過ぎない。彼もさほど腕力に恵まれたタイプではなかった。いつか自分も応用出来るかなと思って、それとなく見ていたのだ。

 

「“勉強”だと思わなきゃ、案外なんとかなるもんだよ」

 

 のび太の勉強嫌いの最大の理由は、そこにあったのだ。嫌で嫌でたまらない事を、訳もわからず押し付けられる。自分の将来の為だと大人達は口を揃えるけど、それが理解できないから尚更嫌になる。

 でも。自分の為に必要だと、納得して学んだ事は。意外に容易く覚えられるものらしい。もっと早くこれに気付いていれば、あそこまで勉強に苦手意識を持たなくて済んだかもしれないのに。

 

「そうだね。セワシ君もそうだった。勉強なんて大嫌いなのに、必死で理工学を勉強して、理論を確立させて……」

「ってことは僕にもそれだけの素質があるって思っていいかな?」

「自惚れるなよ。セワシ君は君よりずっと真面目で頭もいいんだから」

 

 ほんの少し、意地になったようにドラえもんがムッとした顔をする。いつもの“怒った”ドラえもんの顔。いつの間にかドラえもんは、のび太の知る表情ばかりを見せてくれるようになった。

 殻を破るのは、もうすぐ。だからのび太は言った。

 

「そう。セワシ君は僕と同一人物だけど……全く違う存在だよね」

 

 今の自分の、ありのままの感情を。

 

 

 

“逃げ出すのも楽じゃなかった

 のしかかる罪の意識に

 何時になれば朝は来るのか?

 誰にも 答えられない

 

 ずっと君のように強く

 なりたかったって叫んだ

 俯く哀しい眼ずっと

 泣いてたのは 誰だろう

 

 夢と現の境界線

 信じるべきものを誤ってるって

 君は教えてくれるのだろう

 僕もホントは知ってた”

 

 

 

「君はセワシ君の存在は、僕にとって絶望だって言うかもしれない。でも全然違うよ。セワシ君が教えてくれた。この世界にも……そして僕にも。希望はまだあるんだって」

 

 どこかで誰かが歌っている。まるでドラえもんの気持ちを歌っているかのような歌詞。

 多分ドラえもんにさっきから隙が多い要因の一つでもあるのだろう。逃げるのさえ勇気はいる。罪の意識は、一生追いかけてくる。

 だからのび太は思う。自分達は後悔しない為の、一番良い選択を捜さなければならないのだと。

 

「僕みたいなノロマで愚図な奴でもさ。本気の本気になれば世界を変えられるんだって……その可能性もあるってセワシ君は示してくれた。僕もセワシ君になれるかもしれない。最後まで未来を信じて戦えるかもしれない。いや……可能性があるなら僕だって、絶対に負けない」

 

 世界で最後の一人になる可能性。それはとても怖い。凄く凄く、怖い。

 だけどセワシは最後の一人になって尚諦めなかった。だから今自分がいて、みんながいて、ドラえもんがいる。

 

「セワシが消えようとしてるのは……死にたいからだけじゃないでしょ。自暴自棄になって全部壊しちゃえば楽だったのに、まだみんなの幸せを願ってるのか、君には分かる筈だ」

 

 それはきっと、セワシが血反吐を吐くほどの努力と時間を費やして掴んだ――奇跡だ。

 

「諦めてないからだよ」

 

 

Lost誰を?Murder何を?”

 願うほど恐怖は募る

 魔法の言葉も今闇に散って

 僕は嗤って 心で泣いた

 さぁこれがラストチャンスだ

 僕を裁けるか 君を試してる”

 

 

「本当はまだ諦めきれてないから。時間をかけて、回りくどい手を使ってる。セワシ君は無意識に僕達を試してるんだと思う」

 

 ドラえもんの顔に、明らかな動揺が浮かぶ。彼もきっと薄々気付いてた。

 だから迷ったのだ。何をするのが一番セワシの望みに近いのか、分からなくて。

 

「僕はまだセワシ君ほどの絶望は知らない。それでも死んでしまえば良かったって思った瞬間はあったよ。だけど」

 

 のび太は強い声で、言った。

 

「僕はまだ僕を諦めない。ドラえもんのことも、セワシ君のことも」

 

 

“誰を殺して 何を奪って

 僕を殺して 君を傷つけて”

 

 

「それは僕を愛してくれた人達を、裏切る事になるから」

 

 今、是非を問う。

 

「ドラえもん。……君はどうする?」

 

 

Lost誰を?Murder何を?”

 愛するほど裏切りは近づく

 最期の握手を振り払う君に

 僕は嗤って 心で泣いた

 さぁこれがラストゲームだ

 僕を裁くなら どうか君の手で

 

Lost誰を?Murder何を?”

 その時夜が終わりを告げた

 手を伸ばした先君が待っていた

 僕は笑って 本気で泣いた

 大事なものをもう間違えないさ

 答えはこんなに 近くにあった

 

 昇る太陽は 君だった”

 

百十三

 親友

等の夜が明ける時〜

 

 

 

 

僕を裁くならどうか君の手で。