−−西暦1995年8月、学校校舎・1F廊下。
ゾンビどもを倒した後、のび太達は再び探索を開始した。職員室のまだ探していない棚や引き出し、そして他にもまだ教室は残っている。
どうやら職員室は、皮肉な意味で宝の山だったようだ。B.O.Wのデータやら注意事項やら。
それらを見てハッキリしたのは、どうやら全職員のうち少なくとも三割ほどがアンブレラと関わっていたらしいという事だった。
「だーからさぁ」
綱海が呆れ果てた声で言う。
「こんなもん、引き出しに入れておくなんてどういう神経してんのよ。超のつく機密書類じゃね?」
青いファイルをパタパタさせる綱海。それは最初に見つけた注意文章と、新たに発見した何枚もの書類がまとめられていた。
ファイルそのものは棚から適当にかっぱらったブツだが、中身は全てて職員の引き出しや棚から発見したものである。
呆れるのも当然だ。のび太もまぁ機密文章−−自分にとって0点のテストは立派な機密文章だ−−
を引き出しに入れっぱなしにして見つかり、エラい目にあったりするクチだが。
見つかったらクビが飛ぶどころでない書類なのに、いくらなんでも管理が杜撰すぎやしないだろうか。
新たに見つけたいくつものB.O.Wのデータは、自分達を戦慄させるのに充分だった。
化け物の研究をしているのは既に分かっていたことだが、実際写真付きで解説されるのはリアリティが違う。
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★バイオゲラス
カメレオンをベースに製作された巨大爬虫類型B.O.Wであり、体色を変える事によるステルス攻撃を得意とします。
長い舌での攻撃は射程が長く、また見た目に反し硬度もあるため生半可な防具では防げません。
貫通性に優れ、また非常に強い毒も持っている為、かなりクオリティの高い仕上がりとなっております。
拝見なさりたい方は念の為血清をご持参下さい。一応保健室の金庫に隠してあります(ナンバーは4509です)。
唯一難点としましては、アルコールが好物である為、アルコールを与えずに放置した場合戦闘意欲を欠くということにあります。
アルコールなら何でも好みますが、消毒用のアルコールはT−ウイルスと相性が悪い為与えないで下さい。著しい品質低下に繋がります。
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まるで商品カタログだ。吐き気がしそうである。
「…俺、このB.O.W見たことあるかもしれねぇ」
「何だって?」
「……町の交差点で、お巡りさん襲ってたぜ。ヤバいと思って俺はすぐ逃げたけどよ」
バイオゲラスの写真を見て健治が言う。なんとこんな化け物が、学校の外を徘徊しているらしい。
冗談じゃない。アンブレラは一体何をしてるんだろう。こんな化け物を自分達で作っておいて、いざバイオハザードが起きたら野放しにするなんて。
責任もへったくれもあったもんじゃない。のび太は柄にもなく口汚く罵りたくなった。
町をこんな風に滅茶苦茶にしておいて、何人も何人も犠牲にしておいて−−彼らの良心は痛まないのだろうか。
怒りが憎しみに変わり、沸々と煮えたぎる。もしアンブレラの連中が目の前に現れたら、自分でも激情を抑え込む自信が無かった。
奴らのせいで母は。父は。自分達は。
「他にもいっぱい…怪物の写真と説明が書いてある…うぅ、怖いよう…」
太郎が涙目になって言う。
「こいつらまさかまだ…学校にいるなんて事ないよね?」
「…ないと、信じたいけどね」
もし学校や、あるいは地下研究所にまだいるとしたら。非常に厄介だと言わざるをえない。
自分達はいずれ地下研究所に行かなければならないのだ。ゾンビだけでも嫌なのに、こんな化け物達と戦うのは極力避けたかった。
本当は、今でも怖くて仕方ないのだ。いくらゾンビ達の動きがトロくても噛まれたら地獄が待っている。
いつまでも命懸け。緊張の解ける瞬間なんてない。
いっそシューティングゲームのようなものだと割り切れたら楽なのに−−のび太は現実感の強い己を呪った。
「…あとは…気になるのはこの楽譜だよね。中途半端に切れてるけど、何の意味があるのかな」
のび太は綱海からファイルを受け取り、楽譜を取り出して眺める。それは前後が欠落した奇妙な楽譜だった。
のび太には音感もなければリズム感もない。ついでに辛うじて読めるのはト音記号だけ。これが何の曲かなど分かる筈もない。
ただの楽譜なら、関係ないと思ってスルーしていただろう。問題は楽譜の上にサインペンで書かれた文字だ。
『C-3の隠し金庫の鍵です。大切に保管して下さい』
楽譜がどうして鍵になるのかサッパリ分からないが。隠し金庫という言葉は引っかかる。
これも何かに使えると思って、保存しておいた方がいいだろう。
職員室のゾンビは綱海が掃討したが、また新たに湧き出してこないとも限らないのだ。
「あれ?こっちのシャッター…最初見た時は閉まってたのに」
東校舎へ続く防火シャッターが開いているので、のび太は首を傾げた。
確か火災が起きた時、火の回りを遅くするため自動的に閉まる隔壁の筈だ。
火災でもないのに閉まっているのでおかしいと思い、疑問に思ったのである。
「ああ。それ、スネ夫がやったんだよ。制御室にハッキングして開けたんだと」
「は、ハッキングぅ!?」
「凄ぇのなーあいつ。小学生なのにんな技術持ってるなんてよ」
けらけら笑う綱海。のび太はあっけにとられた。
確かに、スネ夫は最新のWindows95を導入した、超高いパソコンを持っている−−とさんざ自慢してきた記憶があるが。
まさか学校のセキュリティにクラックしてしまうとは。意外な特技にあんぐりである。
誰しも人に誇れるモノがあるという事らしい。自分も負けていられない。仲間のことを考えると、不思議なくらい感情が落ち着く自分がいた。
恐怖も絶望も悲壮も、消えはしないけれど落ち着いて見る余裕が生まれる。
静香、スネ夫、武はそこにいてくれるだけでのび太を安心させてくれる存在だった。
健治達もいずれは彼らと同じくらい大切な人達になるかもしれない。
そうでありたい。そんな時が来るまで、みんなで生き残って。脱出した時、生きていて本当に良かったと、肩を抱いて喜び合えたら。
それが今の自分が、一番に望んでいることだ。
「…おい、この教室…人の話し声がするぞ!」
まだ探索していない教室の前。ドアに耳を当てて様子を探っていた健治が声を上げる。
どうやら生存者がいるようだ。全員の顔に喜びの笑みが浮かぶ。
「良かった…僕達の他にも人がいたんだ!協力すれば一緒に脱出できるかも…!」
希望をこめて、のび太はドアを開けた。しかし、開けた瞬間目の前に現れた壁に思わずたじろぐ。
「わ…!?な、何これ!?」
正確には、壁ではなかった。椅子と机で築き上げたバリケードだ。
しかも、針金をぐるぐるに巻いて、がっしりと固定してある。
一人二人では出来ない芸等だ。何人もの人の気配がする。ドアの開いた音にざわめいた声も。
「その声…もしや野比君か!?」
「!もしかして…先生?先生なの!?」
のび太の上げた声に反応した者がいた。バリケードのせいで当然あちらの姿などは見えない。しかし、その声は聞き覚えのあるものだった。のび太のクラスの担任教師である。
「良かった…そうか、無事だったんだな。本当に良かった…!」
いつも厳しい先生の声は、今はとても穏やかなものに聞こえた。
心から安堵してくれている。それが分かり、のび太は涙が出そうになった。
「うん…なんとかね。他のみんなもいるよ。スネ夫もジャイアンも静香ちゃんも無事…。
ねぇ、このバリケードどけてよ。そっちにも生き残った人いるんでしょ?みんなで協力すれば脱出する方法が見つかるかもしれないよ!」
「……すまない、野比君。そのバリケードはかなり頑丈に固めてあるんだ。ちょっとやちょっとじゃ動かせないよ」
「そんな…」
「ちょっとあんた!何勝手なこと言ってんのよ!」
自分達の会話を割って入るようにして、知らない怒鳴り声がした。中年の女性だろう。
「あたし達はここで救助を待つのよ!それをどけて化け物が入ってきたらどうしてくれるの!?放っておいて頂戴、あんた達なんかの為に死ぬのは御免だわ!!」
「おい、相手は子供だぞ。あんたこそ何身勝手なこと言ってるんだ!」
「何よ!じゃあアンタは見ず知らずのガキのせいで殺されてもいいわけ!?」
どうやら自分のせいで、面倒なことになってしまったらしい。
怒鳴った中年女性と、反論した若い男が言い争っているようだ。
ヒートアップしていく二人を止めようとする声も複数聞こえる。どうやら少なくとも先生以外に四人以上生存者がいたらしい。
「……本当にすまんな。バリケードは簡単には動かせないし、何より私の一存でここにいる人達を危険に晒す訳にはいかないのだよ」
「…そっか」
無理にどうこう言う事は出来なかった。
女性の発言は、自分の身だけが可愛い身勝手なものに聞こえるかもしれないが、こんな状況ではそう言いたくもなるだろう。
仕方ないことだ。幸い自分達も一応保健室という名のベースはあるのだし、武器も調達できている。
何が何でも彼らの協力が必要という訳ではない。
「…ねぇ、先生」
その時。職員室で見つけた資料を思い出し、疑問を口にした。
「先生は…まさか…」
まさか、アンブレラの関係者なんかじゃないよね?ウイルス兵器の製作になんか荷担してないよね?
のび太はそう尋ねかけて−−やめた。先生の机にアンブレラの資料は無かった。
もし先生が無関係だとしても、こんな話を他の生存者達に聞かされたら疑われるのは必至だろう。
極限状態なのだ。溜まりに溜まった怒りがどう爆発するかは分からない。
第三者がいる以上、彼らに無駄な混乱を与える話は出来なかった。
先生を信じたい。ならば先生を無駄に危険な目に遭わせる必要は、ないではないか。
「…やっぱり、いいや。……僕達も脱出の方法、探すから。だからどうか…無事でいてね」
彼らの籠城がいつまで保つかは分からない。
先生達の選択こそ、生き残る為最善の策なのかもしれない。でも、のび太はもう立ち止まっているのは嫌だった。
例え逃げ延びれたとしても。何も知らないまま、分からないままのエンディングは−−嫌だ。
「のび太…いいのか?」
「うん。……行こう、みんな」
心配そうな顔の健治に、努めて明るくのび太は言った。先生が無事だった。それが分かっただけ充分ではないか。
「野比君」
教室を出る寸前。背中で恩師の声を聴いた。
「君は頭は悪いが…誰かを誰より思いやれる、優しい子だ。
これからどんな辛い事があっても…その優しさを、強さを忘れてはいけないよ。
そんな君が先生もみんなも、大好きなんだからね」
いつも叱られてばかりだったのに。そんな風に見てくれていたのか。のび太は鼻を啜り、言った。
「うん。…ありがとう、先生」
どうかまた、生きて会う事ができますように。
第十二話
生存者
〜壁の向こうの声〜
どんな絶望の中だとしても。