身体が妙にふわふわしている。この感覚の意味するところは分からない。ただ、いくら鈍いだのなんだのと揶揄されるのび太でもこれだけは分かる。
自分はまだ、生きている。背中に受けた傷はそれなりに深かった筈なのに(多分致命傷レベルだった筈だ)、今は痛みさえ殆どない。というか。
「傷が、殆ど塞がってる……!」
のび太の背中を見た静香が驚愕の声を上げた。
「もうほぼ傷跡しかないわ…!まさかこれが…」
「…ウイルスの、完全適合」
ドラえもんが呻くように言う。
「きちんとした生体実験も受けてないのに…まさかこんな事が。確かにのび太君はセワシ君と同じ体質だから、アンデットにならない可能性は極めて高かったけど…」
言葉が不自然に途切れる。ドラえもんが何を考えているか、手に取るように分かった。
自分は致命傷を受けた筈なのに、生き返った。しかもほぼ完全に傷を復元させてしまった。つまりウイルスが殆ど完全に身体に馴染んだことを意味する。
「僕は、もう」
まだ実感はない。のび太は右の掌を握ったり開いたりを繰り返す。
「人間じゃなくなっちゃった…のかな」
顔を上げた先。出木杉にはあからさまに目を逸らされた。彼らしからぬ分かりやすすぎる反応に、こんな状況ながらつい失笑してしまいたくなる。
人間でなくなった。自分はちゃんと実験されてないから、それがどこまでの範疇に及ぶかは分からないけれど。
もしかしたら既に、戻れない場所にいるかもしれないと――つまりはそういう事だ。もう年をとれないかもしれない。もう、人として死ぬことも叶わないかもしれないと――つまりは、そういう事だ。
「……あたし、最低ね」
ぼんやりとした思考に、静香の声が響く。
「それでも……のび太さんが生きていてくれて、嬉しいの。自分勝手ね」
その言葉で、気持ちの何もかもが吹っ切れたわけじゃない。でも頭のどこかが冷えると同時に、心のどこかが温かくなったのは確かだ。
まだ、事の重大さに実感は沸かない。セワシと同じだけのものを背負える自信もない。
だけど。どんな化け物になろうと――生きていてくれて良かったと言ってくれた娘がいる。世界で一番愛しい存在がそう思ってくれている。だったらそれ以上の事実は、いらないのではないだろうか。
自分が化け物じみた力を手にしたことで。彼女や仲間達を守れる可能性が上がるかもしれないならば。
その先の事より何より、今一番大事なのは、きっと。
「最低どころか、最高の言葉だよ、静香ちゃん」
のび太は思う。
今日何度も何度も思った事をまた思う。
「生きてて嬉しい…って。誰かに想って貰えるのがこんなに幸せだなんて。全然知らなかったよ」
自分は、幸せだ。
「はいはいー!二人の世界に入るのはそこまでにしといて下さいねー」
静香と二人、仲良くお花畑に突入しそうになったのび太を見かねてか、聖奈がパンパンと手を叩いた。
「私達も心配してたってことお忘れなく。というか彼氏いない歴長い身としては、目の前でイチャつかれると死ぬほど腹が立ちます。リア充爆発しろ☆」
「聖奈さん、ここ1995年設定だから!リア充なんて言葉無いから!!」
「だまらっしゃーい!」
「げふっ!」
どうしよう、聖奈のキャラが既に原型を留めてないんだが。ハリセンで派手にぶっ飛ばされながらのび太は思う。もう今更のような気がしないでもないが言わせてくれ。原作の可愛らしい大和撫子な緑川聖奈さんはどこへ消えちゃったんでしょーか。
「ってか個人的に聖奈さんに彼氏がいなかったのが超意外だ」
ぼそっとスネ夫が呟く。確かに、とのび太は思う。客観的に見ても聖奈は美人だ。アイドルばりの美人だ。ぶっちゃけ、容姿だけなら静香に勝る。男にモテない筈はないと思うのだけど。
ひょっとしたらものすごーく理想が高いのだろうか。あるいは、彼女の性格的な何かが男どもをドン引かせてしまうのか。後者の場合、色々と思い当たってしまう気がしないでもない。
「と、とにかく!僕が気絶してる間に何か進展あったなら教えて欲しいんだけど!!」
聖奈にさらにもう一発ハリセン攻撃を食らうのは御免だ。あれは地味に痛い。現実的な話を持ち出し、危機回避を図るのび太である。
「あるといえばあるよ。まずコレ。アンブレラの研究員達の交換日記を見つけた。ざっくりだけど読んでみて」
「あ、うん」
出木杉に日誌を手渡され、パラパラと捲ってみるのび太。研究員達の字は、走り書きだったり下手だったりで少々読み辛い。ついでに言えば、読めない漢字もちょこちょこある。そういったところは出木杉にフォローして貰った。さすがは天才、小学生で習わない漢字どころか、非常用漢字まで幅広くマスターしているらしい。
「……」
最初は女っ気がないだの、女の子の新人が可愛いだの可愛くないだの、そんな下らない雑談ばかりだった。しかし中には研究の中核に関わるような大事な話が混じっている事もある。
そして伝わってきたのは事実のみではない。彼らの研究への熱意、人を救える薬を作りたいという、真摯な想いも含めてだった。
「…アンブレラの…少なくともウイルスを研究してた人達は。人を傷つける兵器を作るつもりなんか、これっぽっちも無かったんだね」
誰かを助けられるかもしれない。誰かの笑顔が見たい。そう願っていた彼らが、研究方針の変更を知らされた時の絶望は。自分達の想像に余りあるものだ。
いつかまた、“兵器”ではなく“薬”を作れる日が来るかもしれない。そう信じてウイルス兵器の研究に荷担する事を選んだ彼ら。だがその想いさえも、アルルネシアこと二ノ宮蘭子が研究チームに入り本格的にウイルス開発にタッチするようになってから――次第に変貌し、歪んでいくようになる。
『そんな方法じゃ誰も救えないって絶望させてあげただけよぉ?あんた達がどんなに頑張って頑張って頑張って頑張って頑張って頑張っても病に侵された人間はゴミ溜めで狂ったように苦しんで死ぬだけだと教えてあげただけよぉ?誰もあんた達に感謝しないし、誰もあんた達を認めないし誰もあんた達を理解しないって分からせてあげただけよぉ?こんな素敵なものこれじゃあ宝の持ち腐れだわ滑稽だわお金も足りないんでしょ本当は困ってるし苦しいしだから誰かに縋りたいけど誰にも助けてもらえないわけだから本当にどうしようもなくて頭に浮かんだ可能性を否定しようとしたけど人間は汚いから無理無理無理無理無理でぇっ!どうせなら全部ブチまけてひっくり返してウイルスを兵器にかえてゴミどもがのたうち回って逃げ惑って死ぬのを見ながら美味しいワインでも見て楽しめばいいじゃないええそれが一番愉快で愉しいキモチイイのよ兵器を売ればお金もたくさん手に入って贅沢できるし好きなことやりたい放題じゃないのそれが最善よ最適よ最高なのよ分かってるのに見て見ぬフリしてイイ人ふるのやめたらぁって!一番愉しい事をすればいいでしょ人間なんてゴミどんなに死んでもいいじゃないあたしが赦してあげるわ認めてあげるわ愛して欲しかったらそうするのが一番イイに決まってるでしょぉ絶頂したいでしょあたしだけがワカルワカルワカルワカッてあげるのよさあさあさあさあブチ壊せぇぇってねぇぇぇ!!』
金田との会話の中。アルルネシアがブチ撒けた悪意の言葉が蘇る。ああやって彼女は善良な研究員達の心を折り、関わった者達を洗脳していったのだ。
「…アルルネシアはこの世界なんてどうなったっていい。むしろ…面白おかしく滅んでくれたら万々歳なんだ。その過程そのものが目的。…だってあの魔女は、人の悪意が具現化した存在なんだもの」
「…あんなのが…人の感情だってのか。認めたくねぇな…」
「そうだね」
武の言葉に頷く。認めたくないのはここにいる全員がそうだ。だが完全に否定もできない。誰かが苦しむ様を、高見から見物したい。人の不幸をゆびさして嗤いたい。そんな感情は、誰もが心のどこかに持っているものだから。
しかし忘れてはならない。自分達と魔女が決定的に違う点は、その悪意を制御出来るか否かという事だと。
「……これはまだ推測なんだけど」
出木杉が口を開く。
「アルルネシアに洗脳され…彼女を崇めるようになったアンブレラの幹部達は。アルルネシアに命じられるまま、ウイルス兵器を研究しB.O.Wを生み出した。…兵器ってのは戦争で使われてナンボだからね。アンブレラの幹部達はウイルスをどこかの国に高額で売り飛ばすか、ウイルスを使って世界を支配しようとしたか…どっちかを考えたんじゃないかと思う」
「…だろうね」
「だけどどんな兵器も、使われなきゃ張り子の虎だ。その威力を示す実例がなければ、取引材料には使えない。だから…奴らは事故に見せかけて、ススキヶ原でバイオハザードを起こしたをじゃないだろうか。汚染規模がこれほど大きくなるって、世界に示す為に」
なるほど。ススキヶ原はいわば、世界への“見せしめ”に使われたわけだ。ウイルスの悲惨さを世界にアピールする。その為だけに、この町の罪もない人々が犠牲になった。
吐き気がしそうだ。のび太は唇を噛み締める。
「なるほど。…でもそれなら何で、アンブレラの研究員達が巻き込まれてるんだ?しかも放送室にあった新聞記事じゃ、アンブレラは事件後暫くの後に壊滅してるんだぞ?」
「そうだねスネ夫君。それが僕も疑問だったんだ。…でも、この研究所の様子を見てハッキリしたよ。見て」
出木杉が指し示したのは、廊下に積み上がったダンボールだ。そこには油性ペンで“日用品”やら“上着”やらと書かれている。どう見たって研究員達の私物だが、何故廊下にダンボールに詰めて置いてあるのか。
「研究員達はみんな、この研究所から避難しようとしてたんだ。しかもこれだけ荷物がまとめてあるんだから、前々から決まってた“引っ越し”だ。多分バイオハザードが起こした後か直前に町から脱出する気だったんだよ。でも…」
そうか。のび太にも理解が追いつく。彼らはバイオハザードが起きるのを知っていて、逃げる算段もあったのに――脱出に失敗したのだ。
「恐らく研究所内で、彼らの予想外の事態が起きた。アルルネシアかその手管の者がB.O.Wを脱走させたんだ。アルルネシアにとってはウイルスに関するビジネスなんてどうでもいい。アンブレラを騙しておいて最初から…時が来ればアンブレラ自体を滅ぼすつもりだったんじゃないかな」
「ポイ捨てってわけ?最低ですね」
聖奈が眉を跳ね上げる。のび太も同じ気持ちだ。自分達が戦っているのは、そんな相手ということだ。
アンブレラの人達の本当の気持ちも、今この瞬間から背負っていこう。のび太は拳を握りしめて誓う。犠牲になったのは家族や安雄達だけではない。此処にも確かにいた勇者達を、自分はけして忘れない。
魔女は必ず、倒す。
彼らの想いに報いる為。この偽物の歴史を終わらせ、本当の未来を始める為に。
第百二十一話
劔
〜裏切り者の挽歌〜
決められている運命なんか 壊してやれ。