――西暦1995年8月、研究所・地下2F食堂B前。
研究所内部にB.O.Wを放ち、ウイルスを撒く事でアンブレラ側のメリットは何も無い。
強いて言うなら、研究者達をまとめて処分する事で口封じが出来るという事くらいだが、単に口を封じるだけならもっとリスクの低い方法はいくらでもある。
そもそも入り口の構造上、地下でいくらB.O.Wやアンデットが暴れても地上に登って来る事は難しい。
つまり、アンブレラがやりたかった“見せしめのパフォーマンス”には何の役にも立たないのだ。
何より。いくらB.O.Wといっても、餌が無ければアンデット達のように全身を腐らせ、いずれ死に至ってしまう。
それなりに苦労して作ったB.O.W達を無駄に使い捨てる事でしかない。そう、思えばこの研究所を見つけた時点で、いくらでも推測は立てられたのだ。
自分の足りない頭を嘆くべきか。あるいはいつもよりはよく回っていると誉めておくべきなのか。武はやや真剣に悩んだ。
「もうそこが食堂なんだけどよ」
そして悩みたいのはもう一つ。
「何でこいつら相変わらず空気読まねぇかかな」
食堂の前には、何やらタムロっている連中がいる。
天井から逆さ吊りになり、真っ赤に腫れた顔からだらだら血を流しているサスペンヘッド(リッカーの進化系みたいなヤツだ)。
キシャア!と甲高い声を上げるキメラ。ぐおお、と低く唸るフローズヴィニルト量産型。
ついさっきまでいらっしゃらなかったのに、いつの間に湧いて出たのか。武は頭が痛くなる。一体でも面倒な相手な上、こんな狭い廊下で戦う羽目になるだなんて。
「空気読まないのは敵キャラの専売特許ですからね」
「違いない」
聖奈とドラえもんが、それぞれベレッタとショックガンを構えた。その後ろでは太郎が刀を握っている。
皆、勇ましくなったものだ。もう化け物達を前に、ただ震えて誰かの背中に隠れる者は一人とていない。
「サスペンヘッドの特性……こいつはニ体護衛を引き連れて現れる事が多い。
そういや資料に書いてあったね、そんな事も。
んでもって護衛を倒さないとこいつはほぼ逃げの一手だから、後々面倒なことになる」
嫌になるよ、とスネ夫が溜め息をつく。
「しかもあいつ、僕らの進路分かってて邪魔してるわけ?食堂の入口モロに塞ぎやがって。迷惑極まりない」
その声が聞こえたのか知らないが、サスペンヘッドはゆらゆらと身体を揺らし奇怪な鳴き声を上げた。
挑発か。挑発のつもりなのか。喧嘩なら買うぞ、と武が口にしようとしたら。
「売られた喧嘩は高値買い取り返品不可よ」
さらっと静香が怖い事を言ってくれた。いつの間にそんなドSさんになったんですかアナタ。
実はそれは某有名漫画の台詞を真似たものだったのだが、無論武がそんな事知る筈もない。
「……みんな、待って」
さぁイザ!と皆がB.O.Wに戦いを挑もうとしたその時だ。皆を制止する声が上がった。のび太である。
「弾が勿体無い。みんな下がってて。僕がなんとかするから」
「なんとかすって…何言ってるんだよ。君は病み上がりじゃないか」
「大丈夫。無茶したいわけじゃないんだ」
出木杉の声に、のび太は静かに銃を抜いた。武は目を見開く。
さっきまで生死の狭間をさ迷っていたとは思えない、しっかりとした眼。まさか本当に全快したのか?いや、何やらそれだけじゃないような。
「今わかったよ。“覚醒する”ってのがどういう事か。身体がやけに軽くてさ、気分が高揚してるんだ。……多分覚醒したのは、ウイルスの力だけじゃない」
のび太が銃を構えた途端。驚く事に、B.O.W達が一歩後退った。まるで本能で危険を察知したかのように。
「みんな……見てて。これが今の、僕だ」
乾いた音が、鳴った。
何が起きたのか、武が把握するまで数秒を要した。キメラと量産型フローズヴィニルトに守られている筈のサスペンヘッドの頭が、西瓜のように弾け飛んでいた。
理解が及ばなかったのはB.O.W達も同じなのだろう。守るべき主が突然命を失った事を受け止められなかったのか、彼らも暫し硬直し動きを止めている。
−−今……何が、起きた?
のび太が構えた銃口から、うっすら硝煙が立ち上っている。だから多分、今彼が撃ったのだろうという事は分かる。
しかし。
抜いて撃ちぬく動作が、自分には全く見えなかった。呆然としているあたり、恐らくドラえもんや聖奈達にも、なのだろう。
さらに恐るべきはその射撃スピードだけではない。
サスペンヘッドを撃つには、身体を不規則に動かし視界を阻むキメラとフローズヴィニルトの隙間を縫うしかないわけだが、その隙間こそ僅か数センチにも満たないものだ。
しかも一定ではない。そこを正確に撃ち抜くなど、並外れた技術と動体視力が揃って初めて出来ること。
確かに元々彼の射撃能力は優れていたが――今までの彼は根本的に身体能力が欠けていた。視力も同じほどにだ。
加えて。サスペンヘッドはそこまで装甲の堅いB.O.Wではないが、だからといって弾丸一発で頭を弾けさせるほど柔な筈がない。
そもそものび太の持つヘル・ブレイズ改・Y型という銃は、総弾数が多い反面一発あたりの威力が弱かった筈だ。
ならばあの威力は、一体どうやって?
「……全部、“視える”」
カシャンッと音がした。のび太が自らのトレードマークだった眼鏡を投げ捨てたのだ。
「これはもう、要らない」
お前今何をやったんだ。
何が起きたんだ。
そう尋ねたかったが、声が出なかった。我ながら情けない事だが認めざるをえない。武はごくり、と唾を飲み込む。
自分は今、のび太に気圧されている、と。
「君達に恨みはないけど」
のび太が銃を振ると、銃身から青く光が伸びた。まるでテレビで見たライトブレードのよう。銃を柄に、光を長刀に模して。
のび太は無表情でゆっくりと、B.O.W達に歩み寄っていく。
「邪魔を、しないで」
その瞬間、ドサッと辛うじて壁に引っかかっていたサスペンヘッドの身体が崩れ落ちた。するとそれを合図に、主をやられた恨みを思い出したのか、キメラと量産型フローズヴィニルトが揃って吠吼した。
「――ッ!」
ぐおお、と地の底から響くような絶叫に、武は思わず耳を塞いだ。ビリビリと周囲の壁が、天井が震える。軽く地震が起きるほどの声。
ものの例えではなく本当に鼓膜が破れてしまいそうだ。
他の皆も同じように耳を塞ぐ中、ただ一人のび太だけが平然とそこに立っていた。のび太の唇が動く。
ごめんな。
次の瞬間、軽やかにその身体が宙を舞っていた。運動音痴ののび太とは思えぬ跳躍力。
彼がB.O.W達を飛び越え、反対側に着地するのが見えた途端、頭を金槌で割られるような吠吼がピタリと止まった。
ずり、と。
湿った音と共に文字通り、キメラとフローズヴィニルトの顔が――ズレた。
「!!!!!」
ぎょっとする一同の前で、B.O.W達の顔にいくつも線が入り、やがてバランスを崩したかのように細切れになって、崩れた。
頭を粉々にされて失った首から、腐った体液がドロドロと溢れ出す。やがてどうっと音を立てて、ニ体の身体が崩れ落ちた。
「……今」
やがて出木杉が、引きつった声を出す。
「何回斬ったわけ?全然見えなかったんだけど」
斬った、のか。今のは。
どっと武の全身から冷たい汗が吹き出す。理解したからだ。そうかのび太はあの光で出来た剣で――B.O.W達を切り刻んだ、のか。確かに直線状に亀裂が入ったのはわかったが。
一度たりとも太刀筋が見えなかった。あの状態から察するに、斬ったのは二回や三回ではない筈なのに。
「念の為、十三回くらいは」
のび太はあっさり言い放つ。
「最後ちょっと荒かったけどね」
嘘だろ、とスネ夫が呟くのが聞こえた。武も全く同じ心境だ。今の一瞬で、十三回?どれだけ馬鹿なスピードで剣を振れば、そんな芸当が可能になるのか。
ドラえもんが深く息を吐いた。
「それが今の君の力か。……セワシ君、今まで相当僕達に気を使ってたんだな。ここまでとは想像してなかったよ。
なるほど、身体能力のみならず五感全てアップしてるわけか。セワシ君が何で眼鏡かけてなくて平気なのか、やっと分かった。あんなに眼が悪かったのにさ」
「眼鏡かけてた時より今の方が遙かに見えるね」
のび太は目の回りをごしごし擦りながら言う。眼鏡の無いのび太には強烈な違和感があったが、眼鏡がない今の方が良い眼をしてるとは思った。
多分、多少度があってなかったのだろう。無意識に眼をこらそうとして、相手を睨むような目つきになっていたのだと気づく。
無論、理由はそれだけでは無いのだろうか。
「化け物みたい、だよね」
のび太は苦笑する。すぐさま静香が首を振ったが、のび太はその肩を叩き“いいんだよ”と笑った。
「でも今此処から脱出して、みんなを守るには必要な力だ。安心してよ。この力、みんなを守る為と……アルルネシアを倒す為にしか使わないつもりだから」
「のび太……」
安心して、なんて。どんな気持ちでそう言ったのか。本当は一番怖くてたまらないのはのび太自身の筈なのに、その恐怖を押し殺して笑ってみせる彼。
何故自分は、彼と同じものを背負ってやれないのか。武は悔しくてならなかった。今まで散々調子よく“心の友”だなんて言っておいて。自分が彼を助けられた事など殆どない。いつものび太やみんなにばかり頑張らせている気がする。
自分も力が欲しかった、なんて。今ののび太を前にとても言えた事ではないが。そう思ってしまう自分は、未熟者なのだろうか。
「……あ?」
不意に武は声を上げた。視界の先、今、誰かがこっちを覗いていたような。
「誰だ!?」
「ジャイアン?どうしたの?」
通路の曲がりの陰だ。武は早足で駆け込み、そこを覗きこむ。しかし、曲がった先には誰もいない。ただ真っ暗な廊下がしん、と音もなく佇んでいるに過ぎない。
「もう、どうしたのさ武兄ちゃんってば」
「あ、いや……」
太郎にシャツの裾を引っ張られ、返答に悩む。気のせいだったのだろうか。いや。
「今そこに、誰かが立ってた気がしたんだけど」
確かに視線を感じた。殺意ではないが善意でもない。ただじっとこちらをねめつけ、観察するような眼差しだった。しかも、何だかよく知る人間だったような気がするのだが。
「誰かって、誰が?こんなB.O.Wとアンデットが彷徨く場所で、生き残ってられる奴なんか相当限られるけど」
「だよ……なぁ」
アンブレラの傭兵だってバタバタ倒れていっているくらいだ。普通の人間が生き残ってられる筈がない。偽静香とアルルネシアくらいなものだろう。
きっと何かを勘違いしただけだ。武はそこで無理矢理思考を切り替えた。余計な希望など持たない方がいい。その方が自分の為ではないか。
最愛の妹によく似たシルエットだったなんて。そんなの見間違いに決まっている。
第百二十二話
業
〜跳ね回る肢体〜
帰り道 見失わぬよう。