――西暦1995年8月、研究所・地下2F食堂B。
さも驚いた、と言わんばかりの顔をするのび太を、セワシは鼻で笑ってやった。そんなに意外だったのか。自分が食堂に先回りしていたのが。
「そういやそうか。君も管理者権限の一部は持ってるんだものね」
ドラえもんが苦い声で言う。苦い気持ちなのはこっちだと言いたい。
まさか本当にドラえもんまでそちらに着くだなんて思ってもみなかったのだ。それも計画が最終段階に入った今になって。
確かに、ドラえもんに少なからずのび太への情があるのは分かっていたが。それを切り捨て、のび太を自分の手で葬ると決めたのは彼自身ではないか。
所詮それを信じてしまった自分の爪が甘かったということか。
「あなた、私達がそこの廊下で戦っているのに気付いてたでしょう?何でノーリアクションですかね。助けに来いとは言いませんけど」
聖奈が眉をはね上げて言う。彼女も、自分の知る“彼女”とは随分違うなと思う。
容姿は何も変わらない。しかし今までセワシが見てきた聖奈は、もっと大人しいお嬢様だった。戦陣切ってB.O.Wと戦うような勇気は無かった筈なのに。
こうして、仲間の“敵”に恐れず向かってくる。
彼女もまた、のび太によって変わった一人という事なのか。
「助けに行くまでもないと判断した。……のび太の奴は覚醒したんだろう。ならばあの程度のB.O.Wなど敵ではない筈。それくらい分かる。お前は俺だからな。なぁのび太?」
「セワシ君…」
のび太が眉を寄せた。そんな、いかにも悲劇のヒーローですという顔はやめて貰えないだろうか。苛々する。
冷静さを欠いて、殴りかかりたくなってしまう。今はカッとして後先考えない行動をしている場合ではないというのに。
「化け物だ。生きる価値などない、にも関わらず屍のように生き続ける……化け物。違うか?」
くつくつと嗤いながら言う。何人かが目を逸らしたのが分かった。ああ、そうだろうとも。認めてしまえ。お前達も今見ただろう?そして思っただろう?
のび太は化け物になってしまったと、そう絶望しただろう?
「俺達は生まれてきたのが間違いだったんだ。ならば一秒でも早く死んで、皆を不幸から解放すべきだろう?」
「何で、そうなるんだよ」
呻くようにスネ夫が言った。
「鍵はもう手に入れた筈だ!あとはお前がその鍵の示す通り時間を巻き戻して、アルルネシアを倒せば済む話だろ!?何でそうまでしてのび太を殺さなきゃいけないんだよ!」
「それでは何も変わらないかもしれないからだ」
「!!」
セワシは無情に言い放つ。
それが自分自身の事だからこそ。
「アルルネシアが消えても……のび太の不幸輪廻因子があれば、また新しい悲劇を招かないとも限らない。第二、第三のアルルネシアが現れない保証がどこにある?」
不幸は根本から消し去らなければならない。
愛する者の平穏の為に。
「今ならまだ、ウイルスの再生力は完全じゃない。首を落とせば殺せる」
セワシは刀を抜いて、構えた。
アルルネシアと戦った時は本気が出せなかった。何故なら【この時間軸では誰にもアルルネシアを殺せず、その意味もない】というルールだったから。
この盤面が作られた時、セワシの意図せずにして生まれてしまったルールだ。
どうやらアルルネシアは、一つの世界に長居すればするほど力を蓄える魔女らしい。
彼女がヒロト達から追われる身であり、一つの世界に留まる事に危険が生じるからこその能力なのだろう。今の段階ではもう、自分はどうやったって魔女には勝てないのだ。
しかし。彼女の力のストックは、次元移動をするたびリセットされる。つまり、彼女がこの世界に来た直後が最も力が弱まっているということだ。
それでも千年を生きている分、元の地力がやたら高いのが問題だが――それでも今の段階とは比べるべくもない筈。
自分はそれに、賭けるしかない。そしてその確率を少しでも上げる為には。魔女に有利になりかねない要素を全て排除する必要がある。
「その為にはまず証明せねばなるまい。野比のび太のいない世界でなら、皆の生存確率を上げられるということを。
これは貴様への慈悲でもあるぞ。そんな化け物みたいな力を抱えて永劫を生きるより余程安楽だと思うがな」
「セワシ……!」
セワシの語りに武が何かを怒鳴りかけ、それを無理矢理飲み込んだのが分かった。何も知らないままだったらそうしていたのだろう。
彼らもドラえもんから全てを聴いたからこそ何も言えなくなっている。もう分かっているからだ。
セワシは本当はのび太を恨んでいるのではなく。過去と今の自分自身を、責め続けているという事を。
慈悲と言ったのも嘘ではない。この百年以上に及ぶ月日、この身体のせいで言葉にも出来ぬほどの苦悩を味わい続けてきた。
愛する人がどんどん大人になって、美しくなって――やがては老いていく様を見ながら。それでも子供のままでいるしかない自分。
死にたかった。
ずっとずっと死にたかった。
それでも這いずるように生きたのは全て、今この瞬間の為に他ならない。
「……分かったよ、セワシ君」
やがてのび太が意を決したように、一歩前に進み出た。
「闘おう。対決だよ」
「ふん、そうまでして生きたいか。クズが」
「生きたいよ。生きたいに決まってるじゃないか」
セワシの罵倒を軽く流し、あまりにあっさりのび太が言うので−−セワシはあっけにとられる。
「僕だって思ったさ。安雄や健治さんの命を踏み台にしてまで、僕に生きる価値がどこにあるんだって。でも……それでもみんな望んでくれた。教えてくれた。だから僕は今此処にいる」
のび太は迷いの無い眼で、セワシを見据えてきた。こちらが思わず怯みそうになるほどに。
「生きたいって思う事は罪じゃない。間違いでもない。みんながそう教えてくれた。僕が生きる事を望んでくれた。生きる理由だなんてそれで充分だ。……セワシ君、君だって同じだろう!?」
「何だと!?」
「君だってまだ諦めてないから今、此処にいるんだ。違うのか?」
世迷い言を。セワシは奥歯を噛み締める。吐き気がしそうなほどの怒りと不快感が渦を巻く。こいつにだけは。こいつにだけは言われたくない!
「貴様に何が分かる……っ」
何も知らないくせに。
「本当の絶望も知らない貴様に、何が分かると言うんだ――ッ!!」
激情に任せるまま、セワシは刃を振り上げた。仲間達から悲鳴が上がる。のび太は彼らを後ろに下がらせると、セワシに向けて掌を突き出してきた。
「“Protess”!!」
ガキィンッ!と甲高い音を立てて、セワシの刃が弾かれる。セワシは素早く空中で体勢を立て直した。驚愕に眼を見開きながら。
「上がったのは身体能力だけでは無いという事か……!やってくれる」
驚いているのはセワシだけではない。むしろ、魔法を理解していない者達は今何が起きたかさえ分からなかった筈だ。出木杉とドラえもん以外の全員が眼を白黒させている。
「ちょ……何?今何が起こったの!?」
「なんかバリアみたいなもんが見えたぞ!?」
太郎と武がわあわあと騒ぐ。まあそれが普通の反応か。セワシにとって魔法は既に身近なものだが、彼らにとっては理解不能なファンタジーに他ならない。
「宿命の魔術師としての力が、完成されつつあるみたいだね」
出木杉が説明する。
「のび太君が、赤き真実以外の魔法も使えるようになったって事さ。バリアってのは間違ってない。今のは魔法で防護壁を張った訳だからね」
「も、何が何だかわからねぇ」
「いいよそれで。魔法を本当の意味で理解出来るのはその道の人間だけなんだから。ただ…」
そこで彼は口ごもる。出木杉が何に驚いているか、すぐ分かった。セワシは舌打ちしたいのを堪える。気に入らない。のび太が評価されるのも、それ相応の力を手にした事も。
「ただ。魔法ってのは大抵、それなりの長さのスペルを詠唱してナンボなんだよ。のび太君は今いきなりその詠唱を破棄してprotessを発動させた。並大抵の事じゃないね」
「お褒めに預かり光栄でございますよ」
のび太が苦笑する。
「でもprotessなんて初歩の魔法だもん。詠唱破棄が出来る奴は少なくないし……これくらいセワシ君ならお茶の子さいさいじゃない?」
セワシは答えない。答えてやる義理もない。しかしのび太の言う事は正しかった。
セワシにもこれくらいは容易く出来る。そもそものび太と自分では魔術師としてのキャリアが違うのだ。のび太に出来るレベルのことが、セワシに出来ない筈はない。
「自惚れるなよ。今日初めて魔法を使った貴様と、百年以上魔術師として戦ってきた俺が対等だなんて思うな」
魔法だけではない。純粋に戦闘経験も自分の方が遙かに豊富だ。戦いに扱われる魔法の真価は、それに見合う剣の腕があって初めて発揮される。身体能力が上がったところで、のび太にはまだ技術もないし経験も足りない。
どちらが有利かは、語るまでもない事だ。
「いくぞ。……“Fire”!!」
火属性魔法を発動。のび太の眼前に小さな火の弾が襲いかかる。炎の魔法としては最弱の下級魔法だ。
だが、人は本能的に火を恐れる生き物。眼前を襲う炎を見て一瞬でも怯まない人間はいない。
「くっ……!」
案の定のび太の反応は遅れた。なんとか避けたものの、火の玉は仲間達のいる場所のすぐ近くの壁に当たり弾ける。静香が悲鳴を上げた。
「静香ちゃん!」
「莫迦が、隙だらけだ!!」
魔法を詠唱してすぐ攻撃に移る。実はこの単純動作が非常に難しい。ウイルスで強化され、かつ経験と技術を磨いたセワシだからこそ出来る事だ。
仲間達には申し訳ないが、彼らに当たらないギリギリの位置をついてFireを放ったのはわざとである。
案の定のび太は彼らを振り向いた。セワシの唇が笑みの形につり上がる。これで終わりだ。
「死ね!」
しかしセワシの剣がのび太に届く寸前、振り返った彼は刃を銃身で受け止めていた。金属が甲高い音で鳴り、キリキリと擦れる。
「あ……ぶなかったぁっ」
「残念ながらまだピンチは終わってないぞ?力比べじゃ俺の方が上だ!」
「だよね、やっぱ!」
空気が変わった、と感じた瞬間。
「“Blizzard”!!」
のび太の唇が動いていた。
ひやりとした冷気を肌で感じるより先に、セワシはバックステップで距離をとっていた。さっきまで自分が立っていた位置に、氷の華が咲いている。
氷属性の、最下級魔法。しかしあの距離で食らえば危なかった。
「忌々しい」
ここが屋外ならもっと派手に大技が使えたものを。思っていた以上に不便な環境と状況にセワシは苛立たされていた。
一進一退の攻防、なんて。一瞬で終わらせてやるつもりだったのに。
「まだまだ。本気で闘おう、セワシ君。僕は負けないよ。待っていてくれる人がいる限りはね」
「黙れ!!」
後悔させてやろうじゃないか。このセワシの前に立ちふさがった事を。。
第百二十三話
来迎
〜アルファとベータ〜
過ぎし日を偽る者。