――西暦1995年8月、ススキヶ原地下水道。
茶色い巨大な鰐が、大口開けて向かって来る。B.O.W化した鰐、アリゲーター。
多分元々大きめの種だったのだろうが(残念ながらそっちの方面に明るくない)、ウイルスでさらに巨大化している。狭い地下水道に詰まってしまいそうな勢いだ。
明るい茶髪をドレッドヘアーにし、ゴーグルとマントを装備をした少年・鬼道有人は、ため息をついた。
アンデットの群だけで手一杯なのに、どうしてこう余計なオマケがついてくるのだろう。
「うーん、どうしよっか」
しましまの猫耳帽子を被った少年――松野空介が、可愛らしく首を傾げた。
多分こいつは自分の愛らしい容姿に自覚があるんだろうなと思う。自
分が女だったら、ついほだされてしまったかもしれない。
しかし誤魔化されてはならない。この面倒な状況を招いたのはこの松野だ。
「どうしよっか、じゃない!お前は何でこう、考えなしに動き回るんだ。もう少し周りを見ろ周りを!!」
「だって楽しくなってきちゃってさ〜つい☆」
うわあ、なんてウザい☆マーク。鬼道は頭痛を覚えながら、松野の後頭部を叩いた。
鬼道と松野はあともう一人、壁山塀吾郎という下級生と一緒に行動していた。この三人でひと班。スリーマンセルでの行動が基本である。
ところがどっこい、アリゲーターを見つけた後、松野が暴走(頭が悪いわけでもないのに、楽しくなると後先を考えないのがこいつの困ったところである)。
壁山とはぐれた挙げ句、こんな場所に追い詰められてしまった。
鬼道と松野。二人の後ろは壁である。文字通り背水の陣だ。
「ピンチだね〜」
「お前はもう少し反省しろ!」
下水道を完全に封鎖し、ウイルスが町の外へ流れ出さないようにする。その為には、このアリゲーターが外に続く道に張ったバリケードを突破してくれては大問題だ。
だからこいつが外に行かないよう、自分達を囮にして引きつけた――までは良かったのだが。
ああなんてったってこんな事に。他数名、応援に来てくれる班とも合流しそびれている。最悪だ。誰かさんのせいで。
「ギャギャアアアア!!」
もうなんて表現したらいいのやら、な鳴き声を上げるアリゲーター。
鰐って鳴くものだろうか、それともB.O.W化した結果声帯がイカレたのだろうか。
鬼道は半ば現実逃避気味に考えた。
確かなことは一つ。自分達はまだ、こんな場所で退場してやるわけにはいかないという事だけ。
「こういう魚系って大抵、電撃には弱いよね?問題はここが下水道で、下手なことすると僕達も感電するって事だけど」
「……マックス、補助魔法。あと三秒後に上に飛べ」
「はいはい」
マックス、というのは松野の愛称である。もはやツッコミも飽きた。楽天的すぎる松野のペースに合わせていたら、B.O.Wにやられるより先に過労死しかねない。
鬼道は頭の痛い思いをしつつ、松野に指示を出す。
今の説明だけで充分だ。なんだかんだと付き合いは長い。
「“Shell”&“BA−Tthunder”…」
魔法基礎防御を上げる魔法と、雷系魔法を一度だけ打ち消す魔法を両方唱える松野。
その判断は正しい。念には念を入れて損はない。
あまり魔力を消費したくはないが、そろそろ悠長な事も言ってられない状況だ。
鬼道は息を吸い込み。
「“Thundera”!」
雷系中級魔法を放った。同時に自分達二人はジャンプする。地面や壁を電流が伝う一瞬を回避する為に。
「――ッ!!」
モロに雷撃を食らったアリゲーターが絶叫し、身体を仰け反らせる。
水に濡れた身体に元々の耐性。相当なダメージは食らった筈だ。
身体を痙攣させ、大鰐は両の眼からだらだらと血を流している。
しかし。
「ガオァァァ!!」
激痛でパニックになったのか。身体を振り回し、大暴れを始めた。
狭い通路が地震のように揺れる。振り回される尾が、松野の身体を真正面から捉えた。
「がっ!」
「マックス!」
鬼道の目の前で松野の小柄な身体が吹っ飛び、転がった。水路に落ちなかったものの、倒れたまま暫く呻いている。
「やっば……ガードしきれなかった。肋ニ、三本持ってかれたんだけ……ど」
苦しそうに呻く松野。それでも笑ってみせるのは流石というべきか、彼らしいと言うべきか。
松野のかけた補助魔法“Shell”はあくまで特殊攻撃を想定したバリアだ。物理攻撃には滅法弱い。
対物理防御魔法である“Protess”も同時に唱えておくべきだったか、などと。今考えも仕方ないのだが。
「“Protess”&“Curelra”!」
防御魔法を唱え、自分と松野を守り。同時に回復中級魔法で松野の怪我を癒やしにかかる。
もっと強力な回復魔法もあるが、強すぎる回復魔法は無闇に使うべきではないのだ。悪戯に体力を奪う羽目になる。
加えて。防護壁を発動させながら同時進行で回復させるのはなかなか骨の折れる作業だった。
「鬼道……無理しなくていいよ。僕は大丈夫。第一、この世界じゃ僕達は死なないんだから」
「だが世界から退場する事になる。この世界に当面戻ってこれない以上、同じ事だろう」
この箱庭の世界でなら自分達は死ぬことがない。しかし、此処で致命傷を負って世界から弾き出されたら、もうこれ以上の仕事は出来ない。
実は自分達の仲間にももう退場者が出ているのだ。彼らの願い――“この世界のこれ以上の悲劇を阻止し、アルルネシアに一矢報いる”――を叶える為にも。簡単に負けてやるわけにはいかない。
例え傷だらけで戦い続ける事が、どれだけ辛いとしてもだ。
ガゴンッ!
背後で大きな音がして、鬼道は振り向く。そして次に、あきれ果てた笑みを浮かべた。
「お前達な。……派手にやりすぎだろう」
自分達を追い込んでいた行き止まりの壁に、大穴が空いていた。砂塵の中から姿を現したのは、三つの人影。
「悪いな鬼道!源田の奴が道に迷ったもんだから、探すの手間どってさぁ」
浅黒い肌に女の子のような美貌を乗せた隻眼の少年、佐久間次郎。
「さ、佐久間!だからそれはお前が先に行ってしまうからだろう!?俺は止めたのに!」
気性の荒い佐久間のストッパー、長身に長い焦げ茶の髪、温厚なキーパーである源田幸次郎。
「お前らどっちも悪い。……くそ、手間かけさせやがって」
モヒカンヘアーと口の悪さはさることながら、しかし頭脳明晰な司令塔でもある彼、不動明王。
円堂が手配してくれた、三人の援軍である。
「なんだよ鬼道クン、ピンチなわけ?」
「それほどでもないさ。だがお前達が来てくれて助かった。不動、マックスを頼む」
「仕方ねぇな」
鬼道は不動に松野を預け、再びアリゲーターに向き直る。
鬼道の両サイドを佐久間と源田の二人が固めた。彼らも戦う気満々の様子だ。実に頼もしい。
かつて自分達が普通の人間として生きていた頃からそう。彼らはいつも自分を支え、共に帝国学園サッカー部を導いてくれていた。
良い仲間に恵まれている幸運。友として当たり前のように愛される奇跡。今はほんのふとした瞬間に、その幸せを実感出来るようになっていた。
全ての過去には必ず意味がある。犯した罪にも、犠牲になった命にさえ等しく、ある。今ならそれがハッキリと、分かる。
「既にアリゲーターは手負い。この一撃で終わらせるぞ」
「イエス、マイロード」
「ならあの技だな、鬼道」
ニヤリ、と笑い合い。鬼道はボールを掲げていた。通常とは桁違いの重量を誇るそれを、高く高く放り投げる。ボールにオーラが集まってゆく。
ボールが落下するのと。ピュウ、と鬼道が口笛を吹くのは同時。
大地からぴょこんぴょこんと愛らしい青いペンギン達が顔を出した。鬼道は高らかに、自分達の原点となる必殺技の名を叫ぶ。
「皇帝ペンギン……2号!!」
***
――西暦1995年8月、ススキヶ原・商店街。
割れた窓硝子に、頭を突っ込んでいる死体。
恐怖に駆られて飛び降りたのか、ビルの前で地面に赤をブチ撒けている死体。
腹の中身を引きずる死体に、手足があらぬ方向にねじ曲がっている死体。
地獄絵図としか言いようがない。その中を、少年・吹雪士郎は歩いていた。
「……罪なんか、無いのにね」
子供や動物が好きで、穏やかな性格の吹雪にとって、この惨状は見るに耐えないものだった。あまりにも、あまりにも惨い。
歩き回る死体も、そうでない死体も、元は皆普通の人間。誰にも罪など無い。それなのに――それなのに何故。
「あまりだよね」
悲しくてたまらない。しかし一番悲しいのは今自分には、そんな彼らを救う手だてが無いという事だった。
まだ人間の意識を持つ生存者がどこかにいるかもしれない。
しかしワクチンが無い以上、発症を防ぐ手立ては無いのだ。
となれば自分達に出来るのは、アンデット化した先から、元・人間達を殺戮して回る事のみ。
死によって彼らを解放し、同時に街の外へ被害が広がるのを一秒でも遅らせる事に他なら無かった。
「ぎにゃぁ」
ふらふらと小さな女の子が歩いて来た。唇が耳まで避け、頬の肉は抉られて骨が露出している。
右の目玉は抉られたのか、だらんと眼窩を外れて視神経を垂らしていた。
痛かっただろう。怖かっただろう。しかしもう彼女はその痛みや恐怖さえ思い出す事が出来ない。
あるのは強烈な飢餓のみ。人間だったという意識さえ、闇の底に霧散して――もう二度と、戻る事はないのだ。
「ごめんね」
女の子だけではない。吹雪の周りを取り囲むように集まってきたアンデット達全てに向けて、吹雪は謝罪を口にした。
「今、解放してあげるから」
もし自分達にもっと力があれば。自分達がアルルネシアと出逢ったあの最初の戦いで、彼女を倒す事が出来ていれば。この世界に悲劇を齎さずに済んだ筈なのに。
しかしながら今更の後悔に意味はない。今自分に出来る事を精一杯する。
それ以外に、償う手段などありはしないのだ。
「永遠の名を冠す者よ、我が名の元にその姿を示せ……!」
吹雪の周囲の温度が一気に下がった。夏であるにも関わらず、キラキラと雪の結晶が辺りを舞い始める。
一気に片をつけよう。少しでも悲しみの時間が短くて済むように。
「召喚!我が化身……氷結界龍・ブリューナク!!」
キラキラと輝く白銀の羽根を持つドラゴンが降臨した。吹雪の願いの力に応えた麗しき化身。
凍てつく風に、何も感じない筈のアンデット達の足が一瞬止まる。
彼らにどうか、慈悲を。吹雪は祈るような気持ちで、技を叫んだ。
「全てを無に帰せ……ネオ・ダイヤモンドダスト!!」
猛烈な雪嵐が吹き荒れ、全ての敵を凍らせてゆく。いくらウイルスが冷気に強くとも限界はあるのだ。
絶対零度の風に舐められたアンデット達は一瞬にして氷像と化し、次の瞬間ガラガラと崩れ落ちていった。
「……ああ、風丸君?吹雪だけど。こっちは片付いたよ」
吹雪は仲間に連絡を入れた。無理矢理にでも感情を殺すしかないと知っている。
何故なら此処は戦場で、甘い奴から死んでいく場所なのだから。
第百二十五話
狂乱
〜見えざる勇者達〜
愛は夢のままでは 続かない。