何かが変わったのか。

 それとも変わったようで、変わってないのか。

 ただのび太は、今この場で確かに何かが終わったと気付いていた。

セワシの眼に宿る光が違う。何もかも吹っ切れたわけではないのだろうけど、でも。

 もう悲しいとは、思わない。

 

「勘違いするなよ、のび太」

 

 目つきは相変わらずのまま、セワシがこちらをギロリと睨む。

 

「初めて見る物語だから、少し様子を見てやる気になっただけだ。少しでもお前が他の奴らの足引っ張りやがったら、その時点で容赦なくブチ殺すから覚悟しとけ」

「わ、分かってるよもう!いちいち言う事怖いんだから」

「ツンデレだな」

「ツンデレがいるよ」

「ツンデレですね」

「ツンデレさんだわ」

「ツンデレ乙」

「お前らなあああっ!」

 

 武、出木杉、聖奈、静香、スネ夫と総ツッコミを食らい、さすがのセワシも涙目になっている。

 っていうか多分1995年の世界にツンデレって言葉はないと思うんですけど、そのへんはスルーですかそうですか。

 もはやメタな発言に突っ込むのはやめようと思うのび太である。ぶっちゃけ、キリがない。

 

「管理者権限発動、“お医者さんカバン”。ほらのび太君もセワシ君も傷見せて。ちゃちゃっと治しちゃうよ」

「いつも思うけど便利だよねその道具……」

 

 ドラえもんに治療してもらいながら、お医者要らずだ、としみじみ思うのび太。制約のあるあたり、魔法の方が不便だ。

例えば自分達が扱うCurel系の魔法は、回復させる相手の体力が大きく鍵になってくる。あまり大きな規模の回復魔法を使うと、相手の体力を過剰に奪う事になりかねない。

実は未熟な魔法使いが回復魔法で相手を死なせてしまう事例は後を絶たないのだ。

 その点、お医者さんカバンはあくまで“医療”の範疇を出ない。確か以前ドラえもんは言っていた。あまりに大きな怪我や病気は治せない事もあるが、対象者の体質や体力に回復速度が左右されにくいのだという。

お医者さんカバンの方が対象者にあわせてワクチンなどを精製するからだとかなんとか。まったく科学の力は恐れ入る。

 今ここにあるお医者カバンはあくまで管理者権限であって、本物の秘密道具ではないけれど、それでもこれらは全て実際に存在した秘密道具を元にしている。

このお医者カバンも当然実在した筈だ。22世紀はそれだけ技術が進化していたという事である。

 

「便利だけど、便利なだけじゃないんだよ、秘密道具って」

 

 自分達の処置をしながらドラえもんが言う。

 

「例えばお医者カバンじゃ、黒タグレベルの患者は治せない。

22世紀だって本当に重篤な患者は入院するしかないし……死んだ人間を生き返らせる技術までは無かったもの。魔法ならできるでしょ?」

「まあ出来なくはない……けど」

 

 魔法の場合、対象者に体力があり、かつ術者に高い技量と魔力があれば死者を生き返らせる事も、不可能ではない。

対象者の体力に大きく依存する事を前提にすれば、死者蘇生魔法“alaseというものもある。だが、条件はえらく厳しい。

 また、もっと悪質なものになるが、死者を蘇らせて奴隷にする術というものも存在する。

こちらは死体の一部が手元にあり、かつ死後24時間以内という条件つき。また術者の手で対象を殺害していないと威力と持続時間は半減するんだそうな。

まあのび太は使おうとも思わない魔法だが。

 

「それに秘密道具ってのはコストが高いんだよ。まあこのあたり、オリジナルのドラえもんの記憶なんだけどさ。

オリジナルがあんなにたくさん秘密道具を抱え込めたのは、ぶっちゃけ雇い主であるオリジナルの“セワシ君”の家が裕福だったからで」

 

 やけにリアルな話に、思わず静香と顔を見合わせてしまうのび太。なんだか夢を壊された気分だ。

 そういえばドラえもんの仲間であるドラえもんズメンバーの一人、エルマタドーラは、常に金欠に悩んでいるらしいと聴いた事がある。

貧乏で、だから秘密道具もみんなレンタルなんだとか。よくよく考えればこれだけ便利かつ燃費の良い道具の数々が、低コストで済む筈がない。

 

「22世紀の科学技術は確かに1995年とは比較にならない。でも、新たに生まれた問題もいくつかあったんだ。

一つはさっき言った秘密道具のコスト面。高水準の技術社会の恩恵を受けられるのは、裕福な家庭に限られた。

実は貧富の差は今より相当激しくなってて、社会問題にもなってたんだよ。生活保護、なんて仕組みもなくなっちゃったしね」

「そうなの!?

「21世紀半ばから、生活保護世帯が急増して、政府が財政破綻寸前に追い込まれたのが原因らしいよ。

まあ不況による就職難が大本の原因らしいけど…まったく夢も希望も無いったら」

 

 もはや想像さえつかない話だ。のび太は知る。自分の今まで見てきた輝かしい22世紀は、あくまで社会の一部、光の一面でしかなかったという事に。

 誰もが幸せで誰もが平和な理想社会、なんてものはやっぱり存在しないのだ。光があれば必ず、その裏に闇は潜むものである。

 

「あとは秘密道具を使った戦争も起きたんだよねぇ……確か」

 

 出木杉が溜め息を吐きながら言った。

 

「知っての通り、秘密道具の力は便利で危険だ。使い方を誤れば犯罪の温床になりかねない。

で、実際秘密道具を使った犯罪が急増して……オリジナルのドラえもんの時代にはもう、だいぶ取り締まり厳しくなってたって聴いたけど」

「そうそ。でも日本はまだマシ。対策が早かったからね。

でもよその国じゃ秘密道具を使ったテロや戦争も起きたりして……一時期、日本でも秘密反対運動が起きたんだよ。封印しなきゃマズいんじゃないかっていうね。

で、その影響か知らないけど」

 

 ドラえもんが苦い顔で言った。

 

「タイムマシン調査によると。25世紀くらいに、大きく文明がロストする未来が報告されている。

勿論未来だからその姿は一定ではないんだけど……現代社会に警鐘を鳴らしたのは、確かだね」

 

 何もかも未知の世界だ。しかしのび太は否定する事なく、その話に耳を傾けた。難しくて理解しきれない点は確かにあるけれど、聴かなければならないと思ったのだ。

 だって自分は知らなかった事で−−耳を塞いできた事で。今までにもたくさん、後悔してきたのだから。

 

「世の中お金がなきゃだめなのかぁ」

「あ、えっとその……」

 

 ぐったりした様子で太郎が呟くので、非常に気まずい雰囲気が流れた。もしや小学一年生に聴かせていい会話ではなかったか。

 あながちその呟きが的外れでもないものだから、笑えない。

 

「そういえば」

 

 ふとのび太は気付き、発言する。薄々疑問に思っていた事があるのだ。今訊かないとこのまま流れてしまう気がする。

 

「この世界はセワシ君が作った……セワシ君の過去を再現した世界、何だよね?でもって、一度だけ過去を上書きできるっていう」

「ああ。俺がこの研究所を脱出して外の世界に戻り、リセットボタンを押さなければ…この世界はそのまま現実になる」

「うん。それなんだけど。この世界は何時の時間軸から再現されてるのかなあ?正直、全部幻だとは思えない事がたくさんあるんだけど」

 

 全てが幻ではない。

 しかし秘密道具の一部は幻であり、一部は管理者権限である。

 そんなドラえもんの発言を踏まえて思ったのだが。どうにも自分達の今までの体験全てが幻で誤魔化されたものとは考えにくいのだ。

 例えば深海での人魚達との冒険。魔界での冒険。

 例えばチャモチャ星やらコーヤコーヤ星やら、銀河鉄道やらの闘い。

 幻だけで済ますにはあまりに規模が大きすぎるように思う。

 

「意外と鋭いじゃない、のび太君にしては」

 

 へぇ、とドラえもんが本気で驚いたように目を丸くするので、のび太は腐りたくなる。のび太にしては、は余計だ。まったくいちいち毒が強いったら。

 

「……のび太君の予想は正しいよ。実はこの箱庭が巻き戻してる時間はそんなに長いものじゃない。毎回違うんだけど、今回は約一ヶ月だね」

「一ヶ月!?……じゃあもしかしてそれより前の僕らの記憶って…」

「そう。……この世界が“箱庭”になる前……セワシ君とまったく同じ記憶って事になる。

つまり君達が鉄人兵団と戦ったり魔境を旅したりした時は……まだ秘密道具も存在したし、22世紀も消えてはいなかったのさ」

 

 ちょっと待て。

 のび太は混乱しながらもなんとか考えをまとめる。一ヶ月。自分達は仮にこの一ヶ月前後を何十年もループしてるとしてだ。つまりそのループに陥る前は、まだのび太=セワシだったということで。

 つまりドラえもんも。

 

「僕達が一緒に冒険したドラえもんは君じゃなくて……オリジナルの、本当に22世紀で生まれたドラえもんだった……ってこと?」

「そうなるね」

 

 でも僕にもあんまり実感はないんだ、と。ドラえもんは少し寂しそうに言う。

 

「僕はオリジナルの記憶をまるまるコピーされてるから。君達と一緒に冒険したのが僕自身じゃないって、本当は今でもまだ信じ切れてないくらい。

僕も冒険したかったよ。君達と一緒にさ」

 

 再現された過去は既に書き換えられている。そこにあるのは本来なら22世紀も秘密道具もない“過去”だった筈だ。

だからその隙間に二代目のドラえもんと出木杉が飛び込んだのだから。

 でも記憶だけは消えなかった。否、ドラえもんが穴埋めをした結果そうなったのかもしれない。

 ただ確かなのは。のび太達の記憶の中の冒険は紛れもない真実であり。その同行者がここにいるドラえもんではないという事だ。

 

「……いいじゃない、これから始めれば」

 

 切なくほど、泣きたくなるほどこの世界は残酷だ。だけどだからこそ言わなければならないと思った。

 のび太自身の、本当の気持ちを。

 

「事実が消えても……記憶が、想いが残るなら。多分それが真実ってヤツなんだと思う」

 

 この先、セワシの計画が予定通り運べば。今この時間もリセットされる。ここにいる全員が遅かれ早かれこの記憶を忘れてしまう事になる。

 でも。その為に戦い抜いた意志は、きっとどこかの未来で生きる。新しく築く明日で、必ず、必ず実を結ぶ筈だ。

 少なくとも自分はそう、信じている。

 

「思い出がなくなっちゃうのは悲しいけど。なくなっちゃう思い出に負けないくらい楽しいこと……たくさんやればいいよ。全部終わったあとはもう、誰も時間に困らないんだから」

「……そうだな」

 

 武が頷く。

 

「不思議なんだけどよ。もし時間が巻き戻っても…今ここにいる“ドラえもん”や“出木杉”も消えないような気がするんだ。なぁ、そうだったら最高じゃね?今度こそ一緒に冒険できるんだぜ?」

「そうだね、ジャイアン」

 

 気休めかもしれない。しかし、それは此処にいる全員の願い。

 どうか積み重ねた時が意味あるものとなるように。

 

「そうだったら、いいよね」

 

 美化されるばかりじゃない思い出を、くだらなくても幸せな日々をもう一度。それこそが幸せと呼べるものだ。そして。

 今だからハッキリと言えるのである。

 自分達は皆、幸せになる為に生まれて来たのだと。

 

百二十八

 影

側に潜むモノ〜

 

 

 

 

その価値がある声でいたいと願う。