――西暦1995年8月、研究所・地下3F廊下。
のび太には、感謝してもしきれないと思う。出木杉が何を思おうと、どう行動しようと−−きっとセワシの心は、溶かせなかったからだ。
自分達が何を決意しようと、最後に全てを決めるのはセワシ一人。セワシが頑固に全てを押し通したなら、自分とドラえもんはけして抗う事など出来なかっただろう。
誰かに恨まれる。憎まれる。殺意を向けられる。それそのものが本能的な恐怖であり、誰もが忌避してしかるべきものだ。
のび太だって、怖くなかった筈がない。なのに彼はセワシから逃げなかった。彼に真正面からぶつかり、その心をこじ開けてみせた。そして逃げずに立ち向かったのはのび太一人では、ない。
静香、聖奈、太郎、武、スネ夫。ここにはいないヒロト。
既に退場してしまった安雄、健治、金田、綱海。
のび太の仲間となったみんなが、そう。自らの運命を否定せず、戦い抜いてみせた。その結果今のこの物語があるのである。
悲劇でしかなかった物語を、絶望しかなかった筈の仲間達を。のび太がその手で、変えてみせたのだ。
――今やっと分かったよ、セワシ君。
出木杉はセワシを見る。彼はこちらの視線には気付かず、ひたすら太郎と聖奈に挟まれてイジられていた。あれで彼はフェミニストだ。女の子供には俄然弱い。
少し前までは想像さえしなかった光景に微笑ましくなり、出木杉は目を細めた。
――かつて……オリジナルの世界でも。繰り返したこの箱庭の世界でも。何故悲しい結末にしかならなかったのか。今なら、分かるんだ。
切欠を齎したのは、ヒロト達異世界からの介入者達だろう。
しかし彼らはあくまで切欠を作ったにすぎない。何故ならヒロトや綱海でさえ、最後は立派にのび太の虜になっていたのだから。
切欠を、変わるチャンスに変えたのはあくまでのび太の力。
彼が、一番最初に選んだから。全てを知って前に進む事を決めたから−−シナリオは、変化したのである。
『……僕も……何でこんな事になったのか、何が起きてるのか……ちゃんと知りたい』
もし彼がただ逃げ隠れる事しかしなければ、現実から目を背けていたら。
悲劇はきっと、悲劇のままだった。
『……生きるんだ』
教室に立てこもり、戦う事を拒んだ大人達は誰も生き残れなかった。
非力な筈ののび太達が、その度胸と知恵だけで生き残ってこれたのは、けして偶然なんかじゃない。
『来るなら来いっ……ゾンビ野郎ッ!!』
世界を変えるのはいつだって人の心。
彼らの立ち向かう勇気が、未来を切り開いてきたのだ。
かつてセワシ達に−−オリジナルの彼らに足りなかったのは、その勇気。
――僕には、のび太君みたいに……みんなを照らす力はないけれど。
破損箇所の一部は自らの自己修復プログラムで修理したが、その結果だいぶ電力を使ってしまった。そろそろ充電しなければ動けなくなるだろう。
加えて、修理も完全ではない。全快の四割ほどが精々だ。これでやれる事はたかが知れている。
だけど。今の出木杉よりもっとボロボロに追い詰められていた筈の健治は、生きる事を諦めなかった。
自分は皆から話を聴いただけで現場は見ていないけれど。
大広間でただ無惨な遺体となって見つかる筈だった健治が、太郎を守りきってB.O.W達を倒せたのは−−彼もまたのび太によって勇気を与えられ、その勇気に応えたからに他ならない。
この馬鹿げた運命に風穴を空けるには――ただ勇気を持てば、それでいい。そして勇気を持てたのは彼がそこにいたからこそ。のび太がいたから、変えられたものがある。
彼はそう教えてくれていたのに、自分達はなかなかそれに気付けなかった。まったく、なんと盲目であったことか。
――あの時の健治さんや、安雄君に比べたら……僕の今の怪我なんて全然大した事じゃない。
だからきっと、ある筈だ。
出木杉にしか出来ないことが、必ず。
「……」
静香が立ち止まり、来た道を振り返った。その眼にある不安げな色。出木杉はピンときて、言った。
「ヒロトさんのこと、かな?」
「ええ。必ず追い付いてくるって、そう信じてるんだけど。遅いのよね……」
地下道への入口があった四階でネメシスと遭遇した静香達。基山ヒロトは皆を行かせる為、囮になってネメシスと単独戦闘になったと聴く。
話を聴く限りだが、多分全員が生還する為の最善手だったのだろう。
彼の戦闘能力はズバ抜けていたし、セワシによれば魔法も使えた可能性が高いという。
ネメシスは主に単体の敵をどこまでも追いつめ、確実に始末する事に重きを置いて作られたB.O.Wだ。
ヒロトがターゲットになれば、ヒロトを倒すまでネメシスが他のメンバーを追いかけてくる事はない。
そして囮には、最も自力生還確率の高い人魚がなるべきだ。
ヒロトが適任者だったのは間違いだろう。
ただし。あのフロアに潜んでいたネメシスが一体きりだったとは限らない。そもそも四階はB.O.Wで溢れ返っていたのだ。
ネメシスの眼に止まらなかったB.O.Wが残っていたとしても不思議じゃない。いくらヒロトでも、狭い屋内でネメシスクラスを複数相手にするのは辛い筈だ。
彼の技は大味なものが多いと聴く。
また、この研究所に来るまでにはあの地下道を通らなければならない。地図がなければ迷路も同然の地下道をだ。
一見ブラックタイガー以外にB.O.Wは潜んでいないように見えたが、それも完全に調査して確かめたわけじゃない。ネメシスを倒したとしても、果たして一人で研究所まど行き着けるものだろうか。
「それに……結局金田さんの生死も分かってないわ」
唇を噛み締める静香。分かっていない、と言いながらも、絶望的である事を理解しているのだろう。
保健室はぶちまけられた血で真っ赤に染まっていたのだから。
「リュウジ君にも会えてないです。学校のどこかにいる筈なのに」
「緑川リュウジ……か」
「セワシさん、何か知ってるんですか?」
聖奈の言葉に、セワシが頷く。
「緑川リュウジも異世界の人間だっていう事は知ってるな?聖奈、お前の親戚というのが真っ赤な嘘だってことも」
リュウジがどこまで知っていたのかは実はよく分からないが。ヒロト達の仲間であるならば目的は同じだった筈だ。
恐らくはバイオハザードに巻き込まれると知っていて聖奈に近付いた。彼もまた真実を探り当てようとしたのかもしれない。
ただし。ならば何故自分達の前に姿を表さないのか、それは気になるところなのだが。
「奴もまた…魔女の一角だ。実は魔女や魔術師という称号は性別ではなく力の種類によって分類される。男の中にも、魔女と呼べる存在はいる」
「!」
「祝祭の魔女・レーゼ。それが奴の正体だ」
「リュウジ君が……」
予想したより、聖奈は驚いていないようだった。
もしかしたらある程度想定していたのかもしれない。ヒロトの仲間だという時点で、少なからず超常的力を持つのは確かだったのだから。
「僕の持ってるモニターは、君達のインカムより優秀だ。アルルネシアの妨害の中でも、少し前までは普通に機能してたんだけど」
ドラえもんが困り顔でモニターを見せてきた。出木杉は眉を寄せる。映っていはするが−−何なのかこれは。画質が恐ろしく悪い。
電波の悪いブラウン管を見るかのように、ノイズと砂嵐が景色を邪魔している。
「研究所に入ってからもうこんな感じ。探索できる範囲も極端に狭くなっちゃった。実はこれ、ヒロトさん達の生体反応もセンサーでキャッチできるんだけど……」
「なる……場所まで分からなくなっちゃってる状態?」
「そうなんだよ。ヒロトさんリュウジ君が生きてるのは確かなんだけど……何処にいるかが全然分からないんだ。少なくとも学校から半径1キロ以内にいるのは確実なんだけど」
「あー………結構広いね範囲」
「うん……」
のび太達が揃って複雑な顔をした。ヒロトとリュウジが生きているならそれは無論嬉しい。しかし生きていても、場所がまるで分からないのに助けに行くのは難しい。歯痒い気持ちでいっぱいなのだろう。
「あの、金田さんは?」
聖奈が尋ねる。ドラえもんは俯き、もう一度モニターを触って−−ゆっくりと、首を振った。金田の生体反応がもうキャッチできない、そういう事だろう。
その意味するところを悟った彼女は、悔しそうに唇を噛み締めた。
「……金田さんも、立ち向かったんだよ」
その聖奈の肩に手を置いて、スネ夫が言った。
「最初は保健室に籠もって、現実から眼を背けるばかりだったあの人も……変わる事が、出来たんだ。僕は信じてるよ。あの人は最期まで逃げずにアルルネシアに立ち向かったんだって」
「スネ夫さん……」
「無駄にしちゃ、いけないよね。あの人の分まで魔女をぶっ飛ばしてやろうぜ。悲しいけど……本気で泣くのは脱出した後だっていいんだから」
「……はい」
聖奈が頷く。半ばうなだれているようにも見えた。金田の事に関しては誰より責任を感じている筈だった。
聖奈が保健室に残ったところで、二人共々消されるのがオチだったんじゃとは思うのだけど。
運命というのは不思議なもので、本来の歴史にも今までの世界でも、緑川リュウジの存在は無かった。
だから今までの世界で聖奈が殺されたのは、彼女が金田と喧嘩して、あるいは焦って一人探索に出た結果という事になっている。
緑川リュウジを利用したアルルネシアの罠などがあった筈もない。
なのに、まるで照らし合わせたかのように、運命はよく似た形で動いた。ほぼ同じ時間とタイミングで聖奈は危機に瀕した。これは単なる偶然なのか、あるいは。
世界が本来の歴史に戻ろうと、揺り戻しをかけてきているのか。
「これからの事なんだけど」
そろそろ頃合いと判断して、出木杉は口を開いた。
「まずはこの研究所……ひいては町からの脱出だ。脱出ルートは分かるよね?」
「まぁ、マップはあるからね」
スネ夫が地図を広げて皆に見せる。
「もう一度確認するつもりだけど……多分ここが緊急用脱出口だ」
彼が指差したのは、研究所地下1Fのすぐ近く。なるほど、そこから点線で通路が伸びている。行き着く先には“Platform”の文字が。細長い停車スペースのすぐ脇からは、線路が敷地外のさらに向こうまで続いている。
「さりげなくティンダロスから逃げながら確認したんだけど。ロックランプがレッドになってた。なんとかして鍵を開けないと通れない」
「アルルネシアは言ってたわ。緊急脱出口を開ける為には、研究所の自爆装置を作動させないといけないって。しかも」
静香が苦虫を噛み潰した顔で言った。
「多分……一筋縄ではいかない敵が、配備されてる。文字通り綱渡りになるわ」
「まぁ、簡単にいくとは思ってないさ」
命懸け?そんなの今更だ。出木杉は皆を見る。苦い顔をする者はいたが、もう怯えている者はいない。誰もが多かれ少なかれ腹を括っているのだ。
「喧嘩上等だ」
戦え。もう分かっている。
それ以外に道を切り開く手段などない事を。
第百二十九話
道筋
〜未来線の行方〜
世界は残酷だ。それでも君を愛すよ。