自爆装置は、どうやら地下四階にあるらしい。そこまで降りていくのがまた面倒だ。
しかも地下四階で装置を作動させた後、また地下一階まで戻らなければ脱出出来ないのである。
どうしてこう、建物の作りをややこしくしたのか。わざと迷いやすくしたのかもしれない。武は心の底からうんざりさせられた。
「……」
さっきから何度も後ろを振り返ってしまう。そんな筈はないと分かってはいる。しかし、直感が告げているのだ。彼女は確かに、近くにいると。
「武兄ちゃん?さっきから変だよ?」
太郎が不安げに裾を引っ張ってきたので、武はその頭をわしゃわしゃと撫でた。
「大したことねぇ。……気にすんな」
そうとしか言えない。実際、大した事ないと言えばその通りなのだ。全て自分の見間違いかもしれないこと。
これ以上皆に余計な心配などかけたくない。気のせいならばそれでいい。そういう事にしてしまえば、いい。
でも完全に振り切りきれないから、自分はこうして振り返ってしまうわけなのだが。
「武君って」
そんな時、唐突に聖奈が口を開く。
「妹さんがいるんですよね、確か」
「!」
「保健室で言ってたじゃないですか。探してるんだって」
何故今その話をするのか。聖奈に特別な力などないのは知っている。
しかし武は動揺させられていた。まるで自分の胸の内を見透かされたようで。
「……まぁな。でも、正直望みは薄い、だろうよ」
ジャイ子が遊びに行った友人の家は町の北端にある。せめて町の外であったならと思わずにはいられない。
両親はもう駄目でも、妹さえ無事だったなら。それだけで自分は、恐れを殺して生きていけるのに。
情けなくて笑える。シスコンだとからかわれた時は怒ったけどまったくその通りだ。
自分は妹に甘い。とことん甘い。さらにはその妹を生きる理由にして縋っている。
まったく何で今日になってから、こんな惨めな思いばかりしなくてはならないのだろう?
「ジャイ子がよ、俺みたいに……他の奴押しのけて、ブン殴ってでも逃げようとする奴ならまだアレだったんだけどな」
いつも思っていた。彼女は自分に似ていなくて良かった、と。
外見はそっくりだと言われていたが、内面はまるで似てない兄妹だった。
彼女は粗雑な自分と違って真面目で、非常に女の子らしい繊細な少女だったのだ。
「あいつは一人じゃ生きられねぇよ。でもそれはジャイ子が弱いからじゃない。優しいからなんだ。
あいつ絵が凄く上手くてよ……俺が落ち込んだ時とか、あるいは誕生日プレゼントだとかで、凄く良い絵を描いてくれるんだ」
少女漫画家になりたい、と彼女が言い出した時、武は誰より応援しようと思った。
彼女がまだ駆け出しながらその夢を叶えた時は、我がことのように喜んだ。
正直、自分は少女漫画の良さなど分からない。キラキラした眼のデカい少女ばかり出てくる絵柄がまず好きではなかったし、勢いのあるアクションが無いストーリーにも惹かれない。
そもそも女の子の腫れた惚れたに興味がない。だからジャイ子の描く漫画でさえ、ストーリーの良さなど全く分からなかった。
だけど。贔屓目を抜きにしても、彼女の絵には何かがあったのだ。
乙女チックな画風は他の少女漫画と大差なかったが、立体感があって、何より−−人の表情の描き方が抜群に上手かった。
幸せそうに微笑む顔。
優しく慈しむような顔。
途方にくれて涙する顔。
誇りを汚された怒りの顔−−。
リアリティのある絵柄ではなかったが、見ただけでその人物の感情を伝えてくる、胸に迫るような何かがあった。
ジャイ子の絵を見ればどんなにイライラしていても落ち込んでいても、平時の自分を取り戻す事が出来たのだ。
「俺とは全然違う。俺みたいな兄貴にゃ勿体無いくらいデキた妹で……俺の誇りだったんだ。あいつの為なら何だってしてやりたかった。守ってやりたかった」
今更目頭が熱くなって、武は瞼を擦った。
何で、どうにもならなくなってから思い出というヤツは溢れてくるんだろう。溢れて溢れて、止まらなくなるんだろう。
今になって何を考えたところで結果は変わらない。何もかも自分のせいだなんて思うほど傲慢でもない。
だけど。だけどもし自分が皆と無人島に行かなかったら。
あるいはジャイ子も一緒に連れていっていたら。こんなにも後悔することは無かったんじゃないか−――なんて。そう思ってしまう自分は、本当に弱い。
「……優しいよ」
のび太の声に、武ははっとして顔を上げる。
「ジャイアンだって優しいじゃない。ジャイ子ちゃんとよく似てる」
「……どこが似てるってんだよ。ジャイ子に失礼だろが」
つい棘のある言い方をしてしまう。溺愛する妹に似てると言われて嬉しくない筈がない。いつもならデレデレと肯定していただろうが、今は違う。
自分はとんだ出来損ないだ。そう思い知らされることばかり起きている。
「分かってたんだよ、本当は。てめぇが自分勝手な人間だって」
誰かの為にと名目をつけても、いつだっつ自分の為にしか動かない。究極の自分勝手。
損得だけで生きてる利己主義。子供の無邪気さを言い訳にして、恐喝と暴力ばかり繰り返す。
最悪だ。こんな救いようのない奴、みんなに嫌われても仕方ない。前にクラスでペアにあぶれた時(互いの良いところを書きあいましょう、というお題だった。まったく教師も残酷なことをする)に気付くべきだったのだ。
もっと己の根本的な部分を、腐った根性を叩き直さなければ−−誰かに好かれるなど有り得ないという事に。
「でもな。情けないくらいすぐ……プチっといっちまってなあ。言葉より先に手が出ちまうんだ」
お前の為に誘ってやったのに断るのか、と殴り。友達の俺に貸せないってのか、とラジコンやら秘密道具やらを奪い。
遊びたかったのも玩具が欲しかったのも自分の為なのに、他人のせいにして横暴な事を言い、横暴な真似をしてきた。
ジャイ子にだって叱られた事がある。お兄ちゃんはどうしてもっとお友達を大事にしないの、と。
あの時さえ自分はジャイ子の機嫌をとるのでいっぱいいっぱいで、肝心の言われた内容を直そうとはしなくて。
「まぁ、ジャイアンに殴られるのは痛いけどさ」
のび太が苦笑しつつ言う。
「でも気付いてる?ジャイアンってば今日は殆ど僕達を殴ってないよ」
「あ?」
「丸くなってると思わない?ねぇスネ夫」
「そういやそうだね」
同意を求められたスネ夫が頷く。武は目を見開く。言われてみれば、そんな気がする。
「僕は今日まで、何一つ大事な事が見えてなかった。誰かに当たり前のように愛されてること、誰かに当たり前のように助けて貰ってること。
そして……当たり前のことを当たり前だと気付かずにいられる…幸せ」
のび太の静かな声が染み渡る。そうだ、自分もそうだった。
幸せな毎日が崩れ去るまで気付けなかったことが、たくさんあった。
「ジャイアンもさ、何かが見えるようになったって事じゃない?こんな事になって、たくさん人が死んで……悲しい事がたくさんあったけど。そんな風に変われたのは、きっと良い事だと思う」
「……変わったか、俺は」
「うん。でも、僕の知ってるジャイアンの一番好きなところは変わってないから、安心してる」
武は俯いていた顔を上げた。のび太は微笑っている。
「鉄人兵団と戦った時だって、カラス警備隊とカチあった時だって、誰より真っ先に飛び出してくのはジャイアンじゃないか。
他の冒険の時だってそう、ピンチになればなるほど立ち向かえるのがジャイアンじゃない」
メカトピアとの戦争、人類を恨む鳥人間達との戦い。
今ではもう懐かしい冒険の数々。確かに自分は、怒りに任せて誰より先に飛び出す鉄砲玉だった。
「すぐ怒るのが短所だっていうけど、それも多分ジャイアンの良いところだよ。
僕みたいのは臆病だから、すぐ怒ったりできなくて……でもいつもジャイアンが代わりに怒ってくれて、嬉しい時もあるんだ。正直なところね」
初めて聴くのび太の本音。そうだ、それが−−のび太なんじゃないか。
人の良いところを簡単に見つけてしまう。疑うよりまず歩みよろうとする。
友達になって、まずはそれから!なんて夢物語のようなことを、平気で信じてしまう馬鹿なのだ。
だけどそんな馬鹿な奴だから。自分達はみんな此処にいる。
『僕も……いっつもジャイアンには苛められるし、泣かされてきたけどさあ。それでもやっぱり友達なんだよね。だってあいつは絶対、友達を裏切らない。僕達の為に怒って泣いて……立ち向かってくれる奴なんだ』
いつも身勝手に苛めて、理不尽に殴ってばかりの武を。友達として当たり前のように受け入れて、受け止めてくれた彼。
そんな彼だから自分達は。
『だからどんなに敵がたくさんいたって……僕は友達の味方でいたい。たくさんの人が今までそうしてくれたように』
彼に惹かれて、導かれるように集まった。
「ジャイアンは勇敢で、友達の為に本気で怒れる優しい奴じゃないか。ジャイ子ちゃんも分かってたと思うよ。お兄ちゃんのカッコイイところがさ」
「てめぇ……」
頼むから。頼むからそれ以上言わないでくれないか。
泣いてしまいそうなんだ。みっともない。
「のび太のくせにカッコつけたこと言いやがって!ったくよぉ!」
「いたっ!痛いってば痛いってばぁ!」
この流れで殴るのははばかられて、のび太のこめかみをグリグリやった(結局殴るのと変わらなかった気がしないでもない)。
どうしてこう、恥ずかしい台詞を真顔で吐いてしまえるのか。嫉妬するくらい、格好良くて羨ましい。
−――本当の勇者は、お前だよのび太。
自分の方が腕力はある。体格もある。だけど彼は武にはないものを確かに持っている。
−−―もうちょい早く、気づきたかったなあ。
ちり、と小さく後悔が胸を焼いた。もう少し早く気付いていれば、もっと自分は自分を変えられたかもしれない。もっと誰かに優しく出来たかもしれない。
そんな事、もはやどうにもならないのだけど。
「……」
視線に気付き、そちらを見れば。そんな自分達をどこか眩しそうに見てくるセワシと眼があった。視線はすぐに逸らされてしまったが。
彼は自分達の姿に、一体なにを思っていたのだろう。
「あ……!」
息を呑んだ。廊下の突き当たり、茶色いドアがきしみを上げて開いたのだ。プレートにはモニタールームと書かれている。
「……お誘いみたいだね?」
スネ夫がひきつった顔で言った。その声に答えるように、後ろでシャッターが閉じる。退路を絶たれた。どうやら行くしかないらしい。
あからさまな罠。だが、そろそろこちらから攻めいってやろうと思っていたところである。
「いいじゃねぇか。ギッタギタのメッタンメッタンにしてやらぁ」
武はごきり、と拳を鳴らしてドアノブに手をかけた。魔がゆるゆると口を開ける。
魔女を殴るまで絶対死んでやらない。どんな罠でもブチ壊すだけだ。。
第百三十話
妹
〜張り巡らされた殺意〜
正しさとは、自分のこと 強く信じることだ。