魔女は一体何を企んでいるのか。何がしたいのか。セワシは忌々しげにドアを睨み、皆の後に続いた。

 あからさまに誘っている。わざわざ自分達をこの部屋に閉じ込めて、何をさせようと言うのだろう。

 

「モニタールーム、ね」

 

 元は規則正しく並んでいたのだろう椅子は、アンデットが暴れたのか今はてんでばらばらに転がっている。静香が機材を覗き込んで、言った。

 

「ここで研究発表会でもやってたのかしら」

「まあ、そんな感じでしょうね」

 

 何かめぼしいものが無いか、危ないものが無いか。すぐチェックを始める聖奈は流石と言うべきか。こういう時はむしろ女性の方が度胸があるのかもしれない。

 

「…見てよセワシ君。この機械も、この時代のものじゃない」

 

 ドラえもんが指さす先を見る。機材に貼られたラベルには、2011年4月28日製造の文字が。

 アルルネシアは異世界を渡り歩く魔女だ。

そしてヒロト達の世界を訪れているのは既に語られていること。そのヒロト達は2011年の世界から来た存在だ。

ならばこの機材は、彼らの世界から持ち込まれたものなのだろうか。

 

「!」

 

 唐突に、部屋の電気が消えた。スネ夫と静香、太郎が短く悲鳴を上げる。

セワシは身構えて周囲の気配を探った。この闇の中、視界を奪って自分達を消すつもりなのか?いや。

 アルルネシアの本当の目的は、自分達を皆殺しにする事ではない。

寧ろそれはつまらないと考えるのが彼女だ。彼女はあくまで自分達を利用して楽しみを増やしたいだけ。

 

「機械が!」

 

 パッとレンズに光が灯った。自分達の誰かが触ってしまったのかと思いきや、そうではないらしい。

スライドショーではなく、ムービー。突如どこかで録画された映像が映し出され始めた。セワシは眼をこらす。これは――どこかの住宅地?

 

 ザザッ

 

 ノイズが耳についたと思った瞬間、スピーカーからいくつもの呻き声と悲鳴が流れ始めた。どうやら映画のように、音声と映像の両方で自分達を楽しませてくれるつもりらしい。悪趣味極まりない。

 

『あぁ、う……』

 

 ずる。

 ずる。

 映像内に真っ先に登場したのは、長い髪を振り乱して這いずる女ゾンビだった。

女には下半身がない。引きちぎられた胴体から、ずるずると腸を長く長く引き摺っている。

 そこに、地響きとともに緑色の巨体が現れた。バイオゲラスだ。

腐った体表を持つ大蜥蜴は、まるで蟻のように女ゾンビの頭を踏みつけて、ゆったりと歩き去っていく。画面には頭を踏み砕かれて動かなくなった女ゾンビだけが残された。

 

『駄目!アヤちゃん落ち着いて!』

『嫌、もう嫌ぁぁ!死にたくない死にたくない死にたくないぃぃ!!

『駄目よ、今出ていったら!!

『ぎゃああああっ!!

 

 複数の少女の声の後に、つんざくような断末魔。画面に再び動きがあった。

はげ上がった頭の老いたゾンビが、小学生くらいの少女の折れ曲がった右腕を掴んで引き摺っている。そのすぐ傍には、老婆のゾンビが。

 少女は激痛に泡を吹きながらもまだ生きていた。

腹に大穴があき、内臓を溢れ出させながらもまだ。だが地獄は終わっていない。老人のゾンビが右腕を、老婆のゾンビが左腕を掴み。

 思い切り、反対方向に引っ張った。

 

 ごきごきぐき。

 ぶちぶちぐち。

 

『ぎゃあああああ痛い痛い痛いぃぃぷぎゃばぶはぁっ』

 

 少女の両腕が力任せに引きちぎられ、絶叫が響くあまりに凄まじい光景に、さすがのセワシも目をそらす。

 

「ひど……い」

 

 太郎が涙目になって言う。

 

「こんなことが今……町で起きてるってこと?」

 

 誰も、何も言うことができない。誰もが町から逃げて来たわけだし、学校内もアンデットだらけだったから、ある程度のものは見ているだろう。

セワシに至ってはこんな景色をもう何十年も繰り返している。でも。

 だからといって、慣れていい光景ではない。ましてや、現在進行形で誰かが食い散らかされる様など。

 まだビクビクと痙攣する少女の身体を食みながら、老いた二人のアンデットが路地裏に消えていく。

遠ざかる咀嚼の音と足音、まるでBGMのように絶えない悲鳴の合唱。それに混じって、いくつものすすり泣きと声が聞こえてきた。

 

『カナちゃ、カナちゃんがぁぁ……』

『何で……何でよ。何でこんなことに、一体何が起きてるの……』

『う……うぅ、泣いてちゃ駄目。ここにいたら危険だわ。早く逃げなきゃ』

『逃げる?どこへ逃げればいいっていうの?』

『わかんない。でも、あの蜥蜴の化け物が戻ってきたりしたら……』

『ううう…』

 

 ジャイアンがん?という顔をする。どうした、とセワシは尋ねかけてハッとした。まさか、今の声が――。

 

「ジャイ子ちゃん……?」

 

 画面にインしてきた三人の少女。そのうちの一人を見て、スネ夫がが声を上げた。

漫画家のベージュのベレー帽に、女の子にしては大きな体、武によく似た面立ち。泣き腫らしてぐちゃぐちゃだったが間違いない、武の探し人である彼女だ。

 

『あたしもう嫌。どこに逃げたって一緒じゃない。あたし達もみんな、カナちゃんみたいに引きちぎられて化け物に食い殺されるんだわッ!!

 

 少女の一人、長い黒髪の女の子が道の真ん中で座りこむ。既に髪は乱れ、服は血や汚物で汚れていた。

恐らく彼女達はそれなりの時間逃げ続けてきたのだろう。だが、目の前で友人が殺されて−−張り詰めていたものがプッツリと切れてしまったのかもしれない。

 

『誰かあたしを助けて……助けて助けて助けてぇ神様ぁぁ!!あたしが何をしたっていうのよ……何でこんな目に遭わなきゃいけないのよ!もう嫌、もう嫌、死にたくないぃっ』

 

 嘆きの声が誰もの耳を裂く。自分もそうだったな、とセワシは思った。

どうしてこんな目に遭わなきゃならないのか。何故大切な人達を奪われなくてはならなかったのか。何度も何度も嘆いて、迷って、怒って。

 ずっと誰かに助けを求めた。それで救われると、信じていた。

 だけど。都合の良い救世主なんて来る筈もない。セワシは否が応でも理解させられた。この世界に、神様などいない事を。

 目の前の少女はそれを分かっているのかいないのか。

仮にセワシが出て行って、それでは何も変わらないと説教したところで無意味だろう。自分の足で立って立ち向かえなければ、現実は何も変わらない。

 あの時の自分にも――その勇気はなかった。だから多分、悲劇は悲劇のまま終わってしまって。ああ、もう自分にだって分かっているのだ。

 だって。

 

『神様は助けてなんかくれない!』

 

 パシィッ、と。小気味良い音が鳴った。セワシを含め映像を見ていた誰もがあっけにとられる。

 ジャイ子が黒髪の少女の頬を思い切り張ったのだから、当然だろう。

 

『願えば助けてくれる……都合の良い神様なんかいないの!他人をアテにするだけじゃ何も変わらない……あたし達もカナちゃんみたいに殺されるだけっ!!

 

 ボロボロと涙を流しながら。未知の恐怖に怯え、足を竦ませながらも。

 そう叫ぶジャイ子の声は、強かった。

 

『神様が救ってくれるとしたら、本気で生きる勇気がある子だけよ。テレサ様だってそう言ってたでしょ!?

「テレサ様って」

 

 静香が思い出したように呟く。

 

「前にジャイ子ちゃんから借りた漫画に出てきた…女神様の名前だわ。自分の人生の先生だって言ってた」

「……ジャイ子らしいな」

 

 頷く武の声が震えている。

 

「あいつ……こんな時まで漫画の台詞とか。なんでこんなに、強ぇんだよ?」

 

 セワシは画面の中を見やる。お世辞にもスタイルが良いとは言えず、美人でもない少女(無論こんな事を言ったら武に殴られることは間違いないが。彼は妹を絶世の美女だと信じている)。

だけど今、その姿はとても美しく見えた。畏れを知らないのは単なる馬鹿だ。本当の勇者とは畏れてなお立ち向かう者を言うのである。

 生きる覚悟を決めた者は美しい。どんな殉教者よりも、聖職者よりも。

 

――都合の良い神様は、いない。

 

 しかしそれは、神の全てを否定する言葉ではない。他人に頼り、縋るだけの者に勝利が齎される事などけして無いのだ。

 

――救われるとしたらそれは、勇気を持つ者だけ。

 

 それは。セワシが仲間達から――認めるのは癪だがのび太からも――教えられたことである。

 今までの自分に足りなかったのは、立ち向かう勇気。過去は取り戻せない。既に失われた命には償いの言葉さえ持てない。でも、本当に大事なのは過去だろうか?

 昔は勇気が無かった。では、今は?

 もしこれからでも変えられるものがあるなら。間に合う事があるのなら。

 自分も誰かを救い、護ることができるだろうか。

 

『あたしのお兄ちゃんはね、スッゴく強いのよ。いつも乱暴だし、乙女心分かんないし空気読めないしお節介だけど……いつもあたしを想ってくれてる。あたしが困った時は必ず助けに来てくれる』

 

 ジャイ子、とまた武が呼んだ。その顔をセワシは見る事が出来なかった。

 

『お兄ちゃんはあたしのヒーローなの。お兄ちゃんが来てくれたらきっと何とかなるわ。だから……それまであたし達だけで頑張るの!』

 

 それは他力本願のようでいて、全く違う誓い。セワシには分かった。彼女は兄が来るまでという名目で、自分自身に誓いを立てたのだと。

 戦う勇気を示してみせたのだと。

 

『そうしたらきっと神様は見ていてくれる。きっと奇跡だって起こせるんだから!!

 

 ジャイ子の言葉に、座りこんでいた少女は頷き、もう一人の友人に支えられるようにして立ち上がった。

 彼女の言葉が、そうさせたのだ。

 

『これから何処へ行くの?安全な場所なんてあるのかしら……』

『電気も水も止まってないなら、町の外はきっとまだ無事な筈よ。町から出て、外の人に助けを求めるしかないわ。その為には……そうね、電車』

『そうか……そうよね』

 

 どうやらジャイ子達は、駅へ向かっていたらしい。ススキ台の駅を止まるのは京浜東北線だけだ。

京浜東北線は平日昼間は快速運転している。ススキ台のような小さな駅は通過されてしまうのだ。

 しかし映像では既に西日が射している。大雑把な目測だが、今が真夏であることを考慮すると五時以降である可能性が高い。

ならば快速運転の時間は終わっている。うまく行けば電車で町から脱出出来るだろう。

 ただし。本当に電車が来れば、の話だが。

 アンブレラは少なくとも最初はこの町だけに被害を留めるつもりだった筈だ。

ならば町そのものが封鎖されている可能性もある。否、アンブレラが手を下さずとも、事態が発覚すれば政府が公共機関を全て止める筈だ。

 だが、電車が来なくても、線路を歩くことはできる。隣駅までは歩ける距離だ。

 

 プツッ。

 

 そこで映像が暗転し、切り替わった。セワシは息を呑む。そこに映し出されていたのは駅前の噴水広場だ。

 

「嘘だろ……!?

 

 武が絶望の呻きを上げる。

 そこではジャイ子と友人二人が、大量のアンデット達に囲まれて、絶体絶命の危機に瀕していたのだから。

 

百三十一

 弾丸

〜始まった落〜

 

 

 

 

あなたは奈落の花じゃない。