今日である事は確かだ。しかし、これは一体いつの時間の出来事であるのか。武は動揺しながら、映し出される映像を睨みつける。

 ススキ台の駅前噴水広場。長年見慣れたその場所に、普段通りの面影はない。

放置自転車は薙ぎ倒され、多くがホイールをいびつに歪めて転がっている。

そのもはやスクラップと呼んで差し支えない山の中には、天をあおぐように突きだした人の手や足、頭などが生えていた。

ただの遺体かゾンビか。いずれにせよ生きた人間でないことは用意に想像できる。

 綺麗に整備された噴水。田舎ながら、ちょっとお洒落なデートスポットとして紹介された事もある。

鮮やかな色のレンガの石畳は、ビール瓶をリサイクルして作られたものなのだとか。

自分も静香ちゃんと、なんて妄想したことがない訳ではない。

 しかし。今噴水からは赤い水が吹き上げ、レンガを斑に染めている。噴水の中に上半身を突っ込んでいる死体と、プカプカと浮いている生首。

 まるでいつぞや見た、趣味の悪いミステリーの一場面だ。

もっともちゃんとしたミステリーならば、死人が蘇り町を闊歩するなんて邪道な展開は無い筈だったが。

 

『あ、あぁ……』

 

 広場で今、追い詰められている小学生の女の子三人。ジャイ子と、その友人と思しき少女二人だ。

文字通り絶体絶命のピンチである。周りを取り囲む複数のゾンビ達は、気持ち悪い呻き声を上げながら徐々に包囲網を狭めつつあった。

 

『あとちょっと……あとちょっとだったのに……!駅はもうそこなのにっ』

 

 多分元々三人の中でも一番メンタルが弱かったのだろう。さっきの映像で泣き喚いていた長い黒髪の少女が、またもへたりこんでいる。

 

『やっぱり、やっぱり駄目だったのよ!神様なんかいなかった!あたし達みんな死ぬ運命なのよ。嫌……死にたくない痛いのは嫌あああっ!』

『マサコ、取り乱してる場合じゃないでしょ!神様がいないかなんてまだ……まだ分からない!』

 

 ジャイ子は気丈にマサコというらしい少女を励ますが、もう彼女の心には届かないようだった。耳を塞ぎ目を閉じ、いやいやするように頭を振るばかり。

 

『諦めたら駄目……駄目だって!まだ生きてるうちは諦めちゃ駄目よっ!』

 

 しかしジャイ子の声も虚しく。群集から這うようにして伸びてきた手が、マサコの足首を掴んでいた。

 骨が露出し、指の一部が欠落したその手が、生きた人間のそれである筈がない。

 

『きゃああああっ!嫌っ!離して、離してぇぇぇ!』

 

 騒ぐマサコを無視して、腐った腕は一気に引かれた。よく見れば人体には有り得ない長さの腕だ。

もしかしたらB.O.Wか何かだったのかもしれないが、生憎群集の隙間ごしでは本体は見えない。

 マサコの身体が石畳を引きずられる。マサコは奇声に誓い声で泣き喚き、石畳に爪を立てて抵抗するが、引きずる力はあまりに強かった。

バリバリという嫌な音と共に少女の両手の爪が剥がれる。

 

『助けっ…yrん助けてぇぇっ!!

『マサコぉぉっ!』

 

 ジャイ子達の手は届かなかった。マサコの身体がゾンビの群に引きずりこまれる。そして。

 

『ぎゃああああああああ痛い痛い痛い痛いぃぃぃっ!!

 

 甲高く濁った悲鳴が鼓膜を貫いた。

 ぐちゃぐちゃ。

 ぼきぼきぼき。

 ぼたぼたぼた。

 何をしているかされているか、想像さえしたくない吐き気のする音が木霊する。最初は悲鳴とコラボレーションしていたが、やがて悲鳴の方は聞こえなくなった。ジャイ子ともう一人の短い茶髪の少女は、身を寄せ合って震えるしかない。

 マサコが食いつくされたら、次は彼女達の番に違いないのだ。

 

「くそっ……ジャイ子!ジャイ子ぉっ!」

「ジャイアン落ち着いて!これはリアルタイム映像じゃないよっ!」

「わかってらぁ!だけど…だけどジャイ子がぁ……っ」

 

 スネ夫に宥められながらも、感情が抑えられずに暴れる武。

 この映像が過去だとしても、今から行けば間に合うかもしれない。武の心に一瞬よぎったそんな考えは、出木杉に即座に否定された。

 

「間に合うわけない」

 

 冷酷なほどあっさりと、彼は言い放った。

 

「今何時だと思ってるの?……この映像の西日の射し方からして、時間は五時から七時の間。気持ちは分かるけど、どうにもならない」

 

 そうだ。今はもう真夜中なのだ。屋内にいるせいで時間感覚が麻痺しているが、ちゃんと時計は持っている。

 日が傾く時間帯に危機に陥った彼女を、今の自分がどう行動したって救える筈がない。分かっている。分かっているけれど!

 

『泣いてちゃ駄目…泣いてちゃ駄目っ』

 

 まるで譫言のように、自らに言い聞かせるようにジャイ子は繰り返す。

 

『お兄ちゃんならきっと……戦う!』

 

 ごあああっ、とついに呻き声をあげながら女子高生らしきアンデットが彼女達に襲いかかってきた。ひっくり返り、血走った眼球。理性の濁った目にもはや現実は見えていない。噛みつかれたら、終わりだ。

 

「ジャイ子ぉぉっ!」

 

 届かないと分かっていても武は叫ぶ。自分を押さえつけるスネ夫の手が痛い。理性では分かっていようと心底邪魔だ。しかし彼を殴るという選択肢さえ思いつかない。

 頭にあるのは、愛しい妹の姿だけだ。

 

『うわあああああっ!』

 

 ジャイ子は手に持った鞄を一心不乱に振り回し、アンデット達を遠ざける。武が誕生日に買ってやったピンクのショルダーバック。蓋が開き、中に入っていた文具がばらばらと地面に落ちた。

 彼女がいつも大事にしていた、漫画執筆用のセット。きっとこれで、友達の家でも漫画を書くつもりでいたのだろう。こんな事になるとは露知らず。

 

『くっ……ごめん、借りる!』

『いいよ、ヒナちゃん。使って!』

 

 落ちたGペンを茶髪の友人が拾い上げた。ヒナというのが彼女の名前であったらしい。大事なペンが何に使われるか明白でも、ジャイ子は文句一つ言わない。

 彼女達も知っているのだろう。時には命より大事なものもあるかもしれない。しかしまずは生きてこそ。生きて足掻く時間があってこそ−−意味もまたあるのだと。

 漫画用のGペンの先は、言わば万年筆のような形状をしている。インクを隙間から流し、画一的でない線を表現する為なのだそうだ。武も前に妹に見せて貰ったことがある。

 友人が振り上げた鋭いペン先が、アンデットの腐った眼球を刺し貫いていた。

ぐちゅり、と気持ち悪い音とともに目玉が潰れ、腐った漿液と血がだらだら零れる。脳まで貫けたのか友人に攻撃されたアンデットはそのまま倒れた。

 しかし、相手の数がそもそも多すぎるのだ。ジャイ子も丸ペンを拾って攻撃するが、事態はなかなか好転しない。

そればかりが、どんどん追い詰められつつある。アンデットの数は彼女達の撃退より遙かに早いスピードで増えつつあった。

駅前通りには店が多い。つまり、アンデット化する人間が発生しやすいのだ。

 

「ジャイ子、ジャイ子ぉ……う、うう……!」

 

 武は膝をつき、むせび泣いた。どうして映像なのか。

どうして自分はあの場にいなかったのか。妹が食い殺される様をただ見ているしかできないなんて――そんな事、耐えられる筈がない。

 

「強いね、ジャイ子ちゃん」

 

 のび太がぽつりと言う。

 

「こんなに強い子だったなんて、知らなかった」

 

 そうだ、強くて優しい子なのだ、彼女は。

 しかし武もまた知らなかったことではある。妹をただ護るべきお姫様だと思っていたから、その感情がフィルターになっていたのかもしれない。

 ジャイ子の“勇気”がもう一人の友人をも支えているのは分かる。武器も力もない。それでも諦めない姿の、心のなんと尊いことか。

 

『きゃあっ!』

 

 悲鳴が上がった。ついにアンデットが、ジャイ子の腕に噛みついたのだ。小さな女の子のアンデットだから力はまだそこまで強くなかったのだろう。

しかしジャイ子の二の腕からはジワジワと血が滲んでいく。苦悶の悲鳴が大きくなる。彼女は抵抗するも、振り払うことができない。

 もう駄目なのか。これで終わってしまうのか。そう絶望したのは武の方だった。もう見ていられない−−顔を覆ったその時だった。

 

 

 

『光よ!』

 

 

 

 鋭く叫ぶ声。何かが断続的に蒸発するような音とともに、あれほど大量に溢れていたアンデット達の呻き声が消えていた。

 え、と顔を上げる武。目を見開く。

 あれだけたくさんいたゾンビ達が、画面の中から綺麗さっぱりといなくなっていた。その代わり増えていたのは、新たな登場人物。

 

『ごめん。もっと早く助けに来れたら良かったんだけど』

 

 少し高めの声に、愛らしい顔立ち、緑髪のポニーテール。最初は女の子だと思った。年は中学生くらいか。彼女は手に、鍵のような形の不思議な剣を持っている。彼女がジャイ子達を助けてくれたのだろうか。

 

「りゅ、リュウジ君!?

「え!?まさか……」

「はい。緑川リュウジ君。私の探してる、あの子です!!

 

 聖奈が言うのなら間違いないだろう。あの子が、祝祭の魔女?もっとデカくて力強そうな男かと思っていたのに(いや確かに“魔女”という称号には見合わないかもしれないが、魔術師や魔女というのはあくまで力の種類による区分けであり、性別は関係ないと聞いている)。

 

『これで暫く大丈夫。一通り消し飛ばしたからね』

『あ、ありがとうございます…助けてくれて。でも貴方は一体……?』

 

 にっこり笑うリュウジに、ジャイ子は戸惑い気味に尋ねる。彼が誰であるのか。そして今何をやったのか。それら諸々、訊きたいことは山積みだっただろう。

 

『俺は緑川リュウジ。そうだな……君のお兄さんの友達の友達ってところかな?』

 

 まあ間違ってはいない。彼はヒロトの仲間である筈だから。

 

『さて。……こんな時に申し訳ないんだけど…。ジャイ子ちゃん、君はどうしたいかな?』

 

 分かってるよね、とリュウジは言う。その意味を悟り、武は唇を噛み締めた。

 そうだ。アンデット達は倒したが――ジャイ子は怪我をしている。つまりもう、感染してしまったという事だ。

 

『あたし……』

 

 くしゃり、と顔を歪めてジャイ子は俯く。助けて貰っておいて何だが、武はリュウジが憎いとさえ思った。

何故今その質問をしなければならない?確かに感染してる、それが何だ。とりあえず助けてくれればいいじゃないか。

 分かっている。我ながら矛盾していると。何よりここでそう口に出して叫べば――否定することになってしまう。同じように感染して、覚悟を決めた安雄や健治のことを。

 

『……ヒナちゃんを、助けて』

 

 嗚咽を漏らしながら、ジャイ子は言った。

 

『お兄ちゃんに……伝えてくれますか。お兄ちゃんはあたしの自慢で……大好きなお兄ちゃんで』

 

 なんで、と。

 武は口の中で呟く。

 

『だから、生きて欲しいの。頑張って生きてって』

 

 何でそんなことを。

 

「う……」

 

 ぶつり、と映像はそこで途切れた。再び室内が真っ暗になる。武は頭をかきむしり、叫んだ。

 

「うわああああっ!」

 

 暫くの間。闇の中から、泣き声が止む事は無かった。

 

百三十二

 映像

〜過去ののソナタ〜

 

 

 

 

明日もし君が壊れても。