「……どういうつもりだ」
自分でも驚くほど低い声が出た。暗闇の中、武の泣き声が響いている。
かつてないほどの怒りを、セワシは感じていた。ジャイ子の最後の姿を映した映像を、わざわざ自分に見せつけた人物。それが誰かなど言うまでもない。
「隠れてないで姿を現せアルルネシア。それとも千年生きた魔女ともあろうものが、俺達を怖れるのか?」
安い挑発だが口にせずにはいられなかった。
そんなに愉しいのか。ガキどもを追い詰めてじわじわ真綿で締め殺すような真似をして。
それが生存本能に則ったものならまだ分かる。しかしアルルネシアにあるのはただの愉悦だけ。
「俺の目の前で……ここまで仲間を傷つけやがって。いい度胸だ。楽に死ねると思うなよ女狐が……!!」
魔女以前に、一個の生物として。恥ずかしいとは思わないのか。
「くすくす……くすくす。格好いいじゃない、セワシちゃん。それとも『のび太』ちゃんって呼んだほうがいいかしらぁ?もう種明かしはしたんでしょ?」
「セワシで結構。その名前は捨てたんでな。第一ややこしい」
「それもそうね……うふふ」
闇の中、耳障りな魔女の嗤い声が響く。
「まずは今の映像について補足してあげる。あれはあたしの魔具で撮影したもので、最後の場面の時間は六時前ってとこね。今貴方達が駅前に行けたところで、あの場所にはだぁれもいないわ」
やはりそうだったか。
しかし、まだそれが真実とは限らない。セワシが魔術師ゆえの思考だろう。
魔女の言葉を鵜呑みにするほど危険な事はない。ましてや相手はアルルネシア。言葉と真実で本領するのは十八番、セワシやのび太よりもさらに得意である筈だ。
信じていいのは赤き真実だけ。そしてその赤き真実にも抜け道がある事を忘れてはならない。
「あの後、ジャイ子ちゃんの望み通り……リュウジちゃんはジャイ子ちゃんのお友達だけを連れて安全な場所に避難させようとしたわ。
だけどあたしとしてはそれじゃ面白くなかったのよね。映像には無かったけど、あの後にも結構面白いイベントはあったのよ?」
アルルネシアの“面白い”が本当に楽しい事であった事などない。
これ以上不快な思いをさせられるのは間違いないのだ。黒で塗り潰された世界の中、姿なき敵を睨みつけるセワシ。
「祝祭の魔女はとぉっても強いもの。並大抵の歓迎じゃ意味ないでしょ?だからあの場に、キメラやハンターを数体召喚してあげたの」
「!!」
「ふふっ…いくらリュウジちゃんでもお荷物が二人もいたんじゃねぇ。さすがにリュウジちゃん本人は浚えなかったけど、隙をついて女の子二人は回収させて貰ったわ。
あのまま殺すよりもっとおもてなしがしてあげたくてぇ……きゃはははははっ!」
何がおもてなしだ。ふざけるな。
セワシがそう怒鳴ろうとした、その時だ。
グズッ。
湿った、鈍い音がした。セワシは目を見開く。何が起きたか理解するまで、時間がかかった。
脇腹に、灼熱。
刺された、と理解する前に。腐るような甘い吐息が顔にかかった。
「ふふふ……王手ね」
耳元で囁かれる、声。
「気配を殺すの、なかなか上手でしょ?あたしはずうっと、貴方の傍にいたのよ……ね、セワシちゃん」
そんな馬鹿な。確かに声を反響させるのは、スピーカーやら何やらで何とかなるかもしれない。
だが戦闘訓練を受け、魔法の経験も詰んでいる自分が。
すぐ傍にいる魔女の殺気に、気付かなかったというのか?
「ぐぅっ!?」
刃が引き抜かれる。内臓ごと吐きそうな不快感。電気がついたのは同時だった。眩しさに目を焼かれながら、セワシは膝をつく。
「せ、セワシ君!?」
「セワシ!!」
異変に気付いたのび太達が振り返った。これくらい問題ない、と言おうとして激しい嘔吐感に襲われる。
ごぼり、と血の塊を吐き出していた。肉の欠片がまじったどす黒い血だ。こいつはヤバいかもしれない、とセワシはどこか他人事のように思う。
傷が思った以上に深い。すぐ吐いたあたり、胃を傷つけたのは間違いないだろう。
肝臓あたりもえぐっているかもしれない。ご丁寧に魔女は傷口を広げながら刃を引き抜いてくれたようだ。腹が、焼け付くように熱い。
「油断したわね。伊達に千年、修羅場潜ってるわけじゃないのよ?貴方の百年のさらに十倍。キャリアで勝てるわけないじゃないの」
ニヤニヤ嗤うアルルネシアの手には、柄まで血に染まった短剣が。魔術武器のアセイミだ。
彼女のメイン武器は確か重たいハンマーだったと記憶しているが(腕力に自信があるからだろう、アルルネシアは女とは思えないほど馬鹿力だ)、儀式的な意味合いの強い場では別の魔術武器を使うのかもしれない。
アセイミには旧くから魔を砕くことに重要な力と意味を持つ武器だ。
「せ、セワシ君!待ってて今魔法で……うわっ!」
セワシの傷を回復魔法で治療しようとしたのだろう。近付いてきたのび太が不可視の力で吹っ飛ばされた。
−−ちっ……そういう事かよ。
心の中で舌打ちする。アセイミによる魔術武器の攻撃−−これはただの傷ではない。反魔法の力を発生させるような術でも使われたのだろう。
しかも、さっきから傷がまるで塞がる気配がない。ウイルスの自己回復能力さえ抑え込まれているらしい。
「普通の傷じゃぁないわよ。傷口を広げ、肉体をじわじわ破壊し続ける呪いをかけてあるわ。魔法の傷にはウイルスも無力……このままじゃ直にセワシちゃんは死ぬ」
「てめぇ……!」
涙で真っ赤になった目で、武がアルルネシアを見る。その視線が愉快と言わんばかりに、魔女は高笑った。
痛みには慣れている。今までにももっと酷い事だって経験しているのだ。だが、傷口を現在進行形で広げ続ける呪い−−その痛みは尋常でないものがあった。
吐血のせいもあってうまくろくに喋る事もままならない。
このレベルの怪我となると、ドラえもんのお医者さんカバンではどうしようもないだろう。普通の人間なら即死していたかもしれないレベルだ。
「……アルルネシアに赤で復唱要求。“セワシの傷は魔法によるものである”」
身を起こしたのび太が、常にない冷静さでそう言った。何を、と疑問に思いかけて気付く。セワシ自身も魔術師の端くれ、魔法には詳しい。
「……いいわよ、応じてあげる。【あたしが刺したセワシちゃんの傷は、魔法による儀式に則ったものよ】」
赤き言葉がくるくると宙を踊る。アルルネシアも気付いたらしい。ニヤリと不適に嗤う魔女。
「ついでだからもう一つ。【そう、呪術による儀式ではないわ】」
赤で言うならば間違いはない。
魔法−−つまり魔術と、呪術には大きな違いがある。それは除法を用意するか否か。
相手を呪い殺すのが大前提の呪術に除法
はまず存在しない。
しかし、魔術は違う。必ず除法を用意する、それが魔術だ。
「ふふ…これもゲームの条件だから教えてあげるわね。【セワシちゃんを助ける方法はあるわ。それは今からあたしが始めるゲームをクリアする事!】」
「ゲームだって……!?」
「もう知ってるでしょ?あたしの目的が何なのかってことくらいは」
そうだ。セワシは再び血を吐きながらも、なんとか顔をあげる。
アルルネシアの目的は、世界征服や滅亡といった悪役の常套句ではない。寧ろもっとたちが悪い。彼女はただこの世界を引っ掻き回し、悲しみ苦しむ者達を眺めて楽しみたいだけだ。つまりは己の享楽。それ以上でもそれ以下でもない。
ならばこんな状況です――−否、こんな状況だからこそ。いかに自らが楽しいような展開に持っていくか。それしか考えていないのだろう。
「魔女の夜会、発動……!」
アルルネシアが血まみれのアセイミを掲げて、高らかに唱えた瞬間。
ズン、と空気が質量を増したのを感じた。
「な……何?何が始まるの?」
「太郎君、あたしから離れないで。嫌な予感がする」
不安げな顔をする太郎を傍に引き寄せる静香。アルルネシアの周りから噴き出した濃い闇が、モニタールームの中でぐるぐると渦を巻き、人工の明かりを飲み込まんとする。
「これはあたし特有の能力なの。まあ完全なオリジナルではないんだけどね。全てを楽しいゲームに変える、面白くする!これ以上あたしに相応しい技はない!」
セワシがはっとした時にはもう遅かった。がしゃん、と部屋の中に柵が現れる。危うく串刺しになりかけた仲間達は、なんとか身を引いて難を逃れたようだが。
室内で、なんと人数が分断されてしまっている。セワシのいる教卓側には、自分と武と出木杉。それ以外は全て後ろ側だ。
「ルールは非常にカンタン。【あたしが今から召喚するB.O.Wを、武ちゃん出木杉ちゃんセワシちゃんの三人がかりで倒せば貴方達の勝ち。倒した時点で魔法は解けるから、そこで回復でも何でもすればいいわ】」
「……なるほど。だから武さん達だけ分断したわけか。公開処刑のつもりですか?最悪に趣味が悪いですよ」
「あら、そこまでの事は考えてないわよ?別に三人以外の子達が先に進んでも構わないしね。【出木杉ちゃんセワシちゃん武ちゃん以外がこの部屋を出てもルール違反にはならないわ】」
忌々しげな聖奈の言葉を、どこ吹く風と言わんばかりに流すアルルネシア。ご丁寧に赤での説明。ならばルールを疑う必要は無いのだろう。
だが、メンバーが悪い。
自分はこの有様で、出木杉はそもそも重傷。唯一無傷に近い武は、さっきの映像を見て心底動揺している筈だ。
いや、事態はもっと厄介かもしれない。
セワシはある可能性に思い至り、心の中で舌打ちした。あの映像をわざわざこのタイミングで見せた理由。単に武を動揺させる為だけか?
「うぅ!」
「セワシ君!セワシ君!しっかりして!!」
柵ごしにドラえもんが叫ぶ。声が既に泣いている。声を出そうとしたが掠れてうまく音にならない。痛みが思考を邪魔する。喉が痛いほど渇いている。
「……やってやらぁ」
武が、目元をゴシゴシと擦って立ち上がる。
「セワシは死なせねぇ……!これ以上誰も犠牲にしてたまっかよ!」
「ジャイアン……」
「安心しろ出木杉。どんな化け物だろうと俺一人で倒してやらぁ!!」
虚勢もあるし、それだけでもないのだろう。セワシは泣きたくなる。
体の痛みより、心が痛い。
何故。どうして自分なんかの為に戦うなどと言えるのか。自分は彼らの友である“のび太”を傷つけ、迷惑しかかけていないイレギュラーである筈なのに。
何でそんなに、強いのだろう。
「いいわぁ。いいわよォ!それくらいの威勢がなくっちゃ面白くないもの!!」
アルルネシアは心底愉快そうに嗤う。再び、闇の気配が濃くなった。彼女自慢のB.O.Wとやらを呼ぶ気なのだろう。
「さぁさおいでなさい!罪と戯れなさい!」
魔女の目の前、床にドス黒い魔法陣が浮かび上がる。ぬっ、と。その中央から真っ黒な塊が床を突き抜けるように飛び出してきた。
漂うのは、腐臭。
「召喚。トレヴァーβ!!」
罰が形をもって今、解き放たれた。
第百三十三話
混沌
〜クレイジー・クレイジー〜
打ち壊せないくらいの問題が、僕らをまた試している。