その実。ススキヶ原が舞台とされる以前にも、小規模のウイルス実験はいくつも行われていたりする。

北米のある小さな町に伝わる怪談。それが恐ろしい生体実験から生まれたものであるなどと、一体誰が想像しただろう?

 出木杉が見つけた資料に、その記述はあった。

今はもう住人のいない、荒れ果てた小さな屋敷には、女の子の幽霊が棲んでいる。

彼女は自らが死んだことも家族が死んだことも分からぬまま、両親を求めて夜な夜な徘徊するのだという。

彼女にけして見つかってはならない。見つけられたら最後、男は頭を潰され、女は顔を剥がされて殺されるから、と。

 徘徊する少女の名前は、リサ・トレヴァー。

屋敷でまるで神隠しに遭うがごとく消えた家族の一人娘。当時十四歳。

まるでどこかのお姫様のように美しい少女であったという。屋敷には絵画も残っている。

だが、悪霊と化した彼女にかつての面影はない。女の顔を剥がして作ったマスクを被り、髪を振り乱して襲ってくるのだそうだ。

 キリスト教思考の強い国々では、こういった“幽霊”の話は極めて少ない。

人に仇なす地縛霊の怪談は、日本の方が圧倒的に多い。これだけ聴くと、まるで北米やヨーロッパの国々の幽霊は祟らず、日本の幽霊は祟るものであるように感じるかもしれない。

 しかし事実は違う。キリスト教に則った国では、祟る幽霊を幽霊とは呼ばない。

人に害を及ぼす見えざる存在は基本的に“悪魔”と総称されるからだ。

出木杉は宗教学関係はあまり明るくなかったが、多分アメリカの“悪魔”話と日本の“悪霊”話の数を相対的に比較してみれば、さほど差は出ないのではないかと思う。

 話を戻そう。

 結論から言うに、この“実在したリサという少女を主人公にした怪談”は、極めて珍しいものである。

地元の人達でさえ何故だか彼女を“悪魔”とは呼ばない。人に害を与える地縛霊。誰もがそう認識しているのである。

 彼女を目撃して奇跡的に生還した者がいるのもそうだが、ただ彼女を見ただけにしては随分と物語の作りが細かい。

幽霊屋敷の女の子、という基盤はありきたりだが、女の顔を剥がすだの男を殴り殺すだのやけに詳しく設定されている。

行方不明は数知れず。死体が見つかったのは男女合わせて僅か二名ばかりなのだとか。死体が出ているならば、これはもうただの怪談ではない。

 

――そう、リサという名の悪霊は……実在したんだ。

 

 ただし正確には“悪霊”ではない。彼女が行方不明になって相応の年月が過ぎているが――さ迷う彼女は実際、死んでなどいなかったのである。

だが彼女が悪霊か生体かという一点を覗けば、怪談は恐ろしいまでに事実と合致していたのだ。

 彼女と両親は、ウイルスの最初の実験台にされた。

監禁された家族はなんとか屋敷から脱出しようとしたが、父親はそれが果たせぬまま衰弱死。母と娘はウイルスの実験台になったそうだ。

 しかし思うような成果が出ず、結局彼女達は処分される事になったのだが――ガスであっさり死んだ母親と違い、娘は何をどうやっても死ななかった。

B.O.Wとして有用な能力こそなかったものの、リサはウイルスに侵された結果凄まじいまでの生命力を誇るようになっていたのである。

 しかし、彼女はのび太やセワシのような完全適合者ではない。

辛うじて人型を保ってはいたものの、元の麗しい姿は見る影もないものとなり、知性は失われていく一方だったという。

 やがて研究サンプル不足という理由から、再びリサは生体実験の対象となり――試しにネメシスを寄生させようと試みたのだが(よく間違われるが追跡者と呼ばれるネメシスは、人間の男性にアメーバ状のネメシス体を寄生させて作られる。つまり本体はあの巨躯ではなくその身に救うアメーバ状B.O.Wなのだ)、なんとリサは逆にネメシスを吸収。支配してしまったという。

 だが知性は完全に崩壊、研究員の女性達を襲って顔剥ぎをするなど凶行を繰り返すばかり。

ただパワーがあるだけ、ネメシス体を操るだけで、アンブレラのコントロールもきかない化け物。

アンブレラは完全にリサの掌握を諦めた。彼女は屋敷に再び捨てられ、今も父と母の面影を求めて彷徨い歩いているのだという。

 大人達の都合で踏みにじられた少女の魂と尊厳。

気が狂いそうなほど恐ろしく悲しい物語だ。

こんな犠牲者をこれ以上出さない為にも、自分達の手で決着をつけなければと出木杉が決意を新たにしたのは、ほんのついさっきのことである。

 

――どんなに残酷な物語でも、屋敷に執着するリサ本人は屋敷から出られない。アンブレラに捨てられた以上海を渡ってくることもありえない。

 

 悲しみや怒りは抱いたが、それでも心のどこかで対岸の火事であるかのごとく思っていた事は否定出来ない。リサのような存在が目の前に現れる筈はない、と。

相手が魔女である以上、有り得ない事は有り得ないと、既に身を持って知っていた筈なのに。

 

「あああ、うぅ……」

 

 今。悪夢は目の前にあった。

 まるで髪のように長いネメシスの触手を垂らし。呻き声を上げる、一体のB.O.W

今まで見た中では追跡者に次いで人間に近い姿をしていると言っていいだろう。

灰色の汚れた拘束着に、両手首を戒める重たい手枷。遠目から見れば、うなだれた囚人のように見えるかもしれない。

 声から察するに、元は女だったのだろう。俯き、意味もわからぬ声で呻きながら、ずるずると足を引きずるように歩く。まるで世界の全てに絶望し、今か今かと終わりを待つ死刑囚のように。

 

――そんな、バカな。

 

 リサ・トレヴァーは海の向こうにいる筈だ。しかしならばこの目の前の存在はなんだ。

 資料で見たあの哀れな少女の成れの果てと、そっくりな姿ではないか。

 

「リサ・トレヴァーはあたしにとってはなかなか面白い研究材料だったわ。兵器としての有用性に欠けるから、他の研究チームメンバーは早々に見切りをつけたみたいだけど」

 

 出木杉の動揺を知ってか知らずか、アルルネシアはニヤニヤしながら口を開く。

 

「生命力では他のB.O.Wと比較しても頭一つ飛び抜けている。でも、ウイルスとある程度共存出来てるせいか、感染してるのに補食行動をとらないの。

体が腐ってくこともないわ。でも脳は壊れちゃってるから知性はないし、凶暴性も増してるのよね」

「……何が言いたい」

「そう急かさないで出木杉ちゃん。……でね、リサの面白いところは、知性なんか残ってないのに、ある一つの願望に則って行動するところなのよ。

彼女の望みはただ一つ……愛するパパとママに再会すること。だから見かけた人間を追いかけるのよ。でも…

 

 大仰に身振り手振り解説するアルルネシア。

 

「もうパパとママは死んじゃってるから本人な筈ないし、そもそも彼女の認識能力は失われてるわ。違う、と判断したリサは失望して追いかけた人間を殺すの。……そして、この子もね」

 

 ああ、うう、と呻くばかりの“リサもどき”の肩をぽんぽんと魔女は叩く。

親しい友人に、今日の晩飯食べていこうか、と誘うようなそんな気安さだ。リサはまったく反応しないが。

 

「出木杉ちゃんが疑ってるように、本物のリサはまだお屋敷で彷徨ってるわ。この子はまったくの別人。

でもね、面白いことに……半日かけて実験し、ほぼリサと同じような手順を踏ませてみたらね……まるでそっくりな怪物が出来上がったのよ。

特性も同じ。補食行動しないかわりに、見かけた人間を片っ端から追いかけて殴り殺す。ただし……一つだけリサ本人とは違う点があるの」

 

 じゃらり、と音が鳴る。元々この哀れな娘の手枷は、鎖で繋がれていたのだろう。それを力任せに引きちぎったのだろうか、千切れた短い鎖が二本、重たそうに垂れ下がっている。

 ネメシスの触手に隠れて見えない娘の顔。そこから一瞬だけ、どこかで見たような目が覗いた気がして。

 ぞくり、と。出木杉の背に冷たいものが走る。まさか。まさか彼女は。

 

「この“トレヴァーβ”も、愛しい者を探して彷徨い歩く亡者。そう……」

 

 アルルネシアの真っ赤な唇が、にぃぃ、と笑みの形につり上がった。

 

 

 

「この子が探してるのはパパとママじゃなくて…大好きだったお兄ちゃんなのよ」

 

 

 

 バリン、と。硝子が砕けるような音がした。それは実際の世界で鳴った音ではなく、あくまで聴いた者の頭の中だけで鳴った音なのだろうが。

 出木杉は目を見開いて、凍りついていた。武の方を振り向くなどできる筈もない。今の言葉で理解させられてしまった。分かって、しまった。

 

「まさか……さっきあの映画をあたし達に見せたのは……」

 

 静香が震えの止まらぬ声を発した。

 

「貴女は……貴女って人は!」

 

 憎悪に変わる一瞬前の驚愕。信じられない。そんな感情に溢れた静香の様子に、腹いっぱいと言わんばかりに魔女は声を上げて笑った。

 こいつが笑う時はいつだって場違いで、気が狂っている。

 

「そうよぉ!いいわいいわいいわいいわぁぁ!貴方達のそういう顔が見たくてあたし頑張ったの!手間暇かけて浚った意味があったってもんだわっ!!

もう一人のお友達は全然駄目だったの、適合能力が低すぎて普通のゾンビになっちゃって全然役に立たなかった。でもこの子は存分にあたしを楽しませてくれたわぁ!!

「うそだ……」

「何が嘘?何が嘘なのかしらぁ武ちゃんんん?その口で言ってご覧なさい?あたしが赤でバッサリ切り捨ててあげるからぁ!!

可愛いかったわよ、自分がどんどん化け物になっても、ちょっと前まではずっとお兄ちゃんお兄ちゃん呼んでて、日記まで書いてたみたいだもの。ひっどい字で全然読めないのにねぇぇ!!

 

 やめろ、と。出木杉は呟いた。やめろ、やめてくれ。それ以上を口にするな。頼むから黙ってくれ、ああこんなクソみたいな女に頼み事なんて本当は死ぬほど嫌なのだけど!

 これ以上彼を追い詰めるな。

 これ以上彼女の心を汚すな。

 

「召喚したのはあたしだから、この子はあたしにだけは危害を加えない。でもあたしの言う事をきくわけでもないから、コントロールがなかなか難しくってぇ。

確かに戦争で扱う生物兵器としては失敗作よね。まああたしは利益も戦争も興味ないから全然良いんだけどぉぉ!!

 

 歪に歪むアルルネシアの顔。路地裏のゴミ溜めで何千年もかけて腐らせたのに、地面に帰ることさえ出来ない――喩えるならばそんな、悪意。

この魔女は全ての悪意の体現。人間が持ちうるあらゆる欲望だけをパンパンに詰め込んだ肉袋なのだ。

 

「災禍の魔女アルルネシアの名においてぇ、赤き真実を行使するゥゥ!!

 

 魔女の高笑いが、五月蠅い。

 

【トレヴァーβとジャイ子ちゃんは同一人物!この可愛い子があんたの妹よ武ちゃぁぁん!!

 

 イエス、と言わんばかりにトレヴァーβが吠えた。ばさり、と触手が顔からズレる。そこから見えた丸い目と輪郭には、確かに面影があった。

 あの気高い、少女の面影が。

 

「嘘だ……嘘だああああっ!」

 

 頭を抱えて武が絶叫する。出木杉は絶望の中、暫く動く事さえ出来ずに立ち尽くしていた。

 

百三十四

 奴隷

サ・トレヴァー〜

 

 

 

 

ぱっぱらぱーで唱えましょう どんな願いも叶えましょう