−−西暦1995年8月、学校校舎・1F保健室。

 

 

 がさごそと動き、健治、綱海、太郎が保健室を探し回っている。

部屋の中は探し尽くした筈だが、まだ手がかりが残ってないとは限らない。金田は黙ってその様子を見ていた。

 不思議でならない。彼らは何故頑張れるのだろう。生きる事に必死になれるのだろう。

金田が保健室から出ないのは、単純な外への恐怖だけでは無かった。

この部屋の耐久性などたかが知れている。

食料は自分が持ってきた分くらいしかないし、いつまでもこの部屋にいて無事で済むとは金田だって思ってはいない。

 それでもこの場所にいるのは−−投げやりになっているからに過ぎなかった。

金田はもう生きる気力を失っていた。街が地獄絵図と化し、愛する妻と娘を失った時点で。

 

−−彼らもまた、失った筈だ。

 

 家族が偶々不在だったスネ夫などはともかく。

他の面々は大切な誰かを失い、化け物に襲われた結果此処に逃げ込んできた筈である。ただ死にたくない。怖い。最初はそれだけしか考えられなかった筈なのだ。

 それなのに何故、前を向く事が出来たのか。自分の命が危ないという状況にあってなお、誰かを守る事を考えられるのだろうか。

 中でも金田が意外に思っているのは健治である。

金髪にピアス。着崩した制服。見た目はどう見たって不良だ。

どこの高校か知らないが、頭の良い進学校の生徒だとは到底思えない。

金田の中で“不良”とは、野蛮で他人の迷惑を顧みない自己中な−−ある種“絶対悪”のイメージがあった。

こんな事でもなければどうして関わり合いになりたいなどと思うだろう。

 しかし実際の健治は、見た目に反し落ち着きもあるし、暴力的な行いもしない。

何よりまだ事実が何一つ判明しない段階で、見ず知らずの他人である筈の太郎を助けた。

むしろ人格者と呼んでいいレベルだ。

見た目が荒れているからといって必ずしも心が腐っているわけではない−−不良というもののイメージを、改めざるをえなかった。

 

−−自分より年下の子達を侮ったりしない…何より、真剣に生きる事を考えている。

 

 何故そんな気持ちになれるのだろう。何故そんな事が出来るのだろう。何故諦めないで、運命に立ち向かう事が出来るのだろう。

 不思議でならない。同時に−−悔しくてならない。

 自分には出来なかったことを、いとも容易くしてませる彼らが。

 

「…おい、ガキども」

 

 質問せずにはいられなくなっていた。だから、金田は口にしていた。

 

「お前ら…何でまだ、生きようと思えるんだ」

 

 健治が、太郎が、綱海か動きを止める。三対の目に見つめられ、居心地が悪くなった。

自分がいかに醜い人間かを、見透かされているようで。

 

「…ウイルスの拡大が、町内だけで済むとも思えん。

ここで生き抜いたところで、アンブレラをどうにかしなければ何ともならんし、

下手をしたら急速に世界は終わっていくだろう。…何でまだ立っていられるんだ」

 

 自分には、無理だった。

 愛するモノを失った時点で、自分の世界は死んだも同然。

ありったけの荷物を車に詰め込んで逃げ出してきたが、そこから先は何一つ考えていなかった。

自分の事だけで精一杯だった筈が、いつの間にかその自分の事さえどうでもよくなっていた。

 こんな地獄で、生きいたくない。

でも死ぬ度胸もないから此処にいるだけ。

希望なんてモノは、とっくの昔に見えなくなっていた。

 終わってしまえたら楽なのに。

そうしてしまいたいと願うのに。彼らの立ち向かう姿が、どこか心に引っ掛かって離れない。

 

「…んなの、わかんねぇよ」

 

 口を開いたのは、健治だった。

「…俺の家族は、こんな騒ぎが起きる前にとっくに死んでるし。頼る親戚もいねぇから目下一人暮らし中だった。ある意味気楽っちゃ気楽だな」

「そうなのか」

「おう。…生きてる理由とか、実のところ本当に生きたくて生きてんのかも、ハッキリ言って分かんねぇ。

偶に考えてみるけど、ずっと宙ぶらりんなんだよな」

 唯一の武器であるナイフをくるくる回し、健治は苦笑いを浮かべた。

 

「でも……死ぬのはいつだって出来るだろ。半端なところで死んだら何か後悔する気がしてる。

少なくとも…俺が死んだことで守れねぇかもしれない奴がいるのに…くたばったりしたら、寝覚め悪ぃじゃねぇか」

 

 言いながら、太郎の頭を撫でる。太郎は不思議そうに首を傾げながらも、撫でられるのが好きなのか嬉しそうな顔で健治を見上げた。

 健治が誰の事を想ってそう言ったのかは明白である。

もしかしたら彼には小さな妹か弟がいたのかもしれない。

「だから多分、生きてる。…いいじゃん。生きたいから生きるんだ。理由なんかどう繕ったってこじつけだろ」

「…そうだな」

 生きたいから、生きる。

 

「…そうかもしれない、な」

 

 金田は目を閉じ、小さく笑みを浮かべた。今、とても大事なことを教えて貰った気がする。

まったく、これだから年はとりたくないものだ。

子供のように純粋に受け止める事ができない。ついウジウジと悩み、理屈をこねて余計な思考を回す。それが大人だ。

 今更子供になることは出来ないけれど。でも、大人である自分なりに出来る事はあるかもしれない。

 

「…君は、いい大人になるよ。…だから絶対に、死ぬな」

 

 死ぬのはいつでも出来る。それならば。

 誰かの役に立って天国に行きたいと、そう思う時間くらいある筈だ。

 

「私はもう年だ。まともに走る事もままならん。一番大切家族も、もういない」

 

 最初に化け物になったのは妻。

 久々の休日だった。いつも構ってやれなかった分、たくさん娘と遊んでやれたらと思った。

自分に似てない、とても優しくて気が利く子。トランプで遊ぶくらいしか出来なかったが、それでも本当に喜んでくれて。買い物に行く妻を、二人で笑顔で見送ったものだ。

 けれど、帰ってきた妻は人ではなくなっていた。

それに気付かない娘はいつものように妻に抱きついて−−ああ、自分はただ、娘が妻に食われるのを見ているしか出来なかった。

 あの時、自分にもう少しだけ勇気があったら。

せめて妻をこの手で眠らせてやるくらいは出来たのに。

自分はただ恐怖し、諦め、娘の死をちゃんと確認することさえしないまま逃げ出してしまった。

そうだ、自分はずっと後悔していたのだ。

 これ以上の後悔をしない為に。まだ間に合うことが、あるのだろうか。

「君達がもし脱出路を見つけても、一緒に逃げるのは無理だろう。

…これでも私は医者だ。こんな環境だが…もし君達の為に役に立てる事があるなら協力しよう。否…今更だが、協力させてくれないか」

「金田…さん」

「代わりと言ってはなんだが、脱出したら救助隊に私の事を伝えてはくれんかね。

健治君のおかげで眼が醒めた。私ももう少しだけ…信じてみることにするよ」

 世界は簡単に滅んだりはしないと。

 彼らが大人になれる未来は、可能性はまだ残されていると。

 

「…そうだぜ金田さん。諦めなけりゃ…可能性はいつだってゼロじゃないんだ。最後に勝つのは諦めの悪い奴だからな」

 

 ニッと笑って綱海が言う。やたら自信たっぷりなコイツとヒロトが一番謎なんだよなあと金田は思う。

彼らに至っては、まともにその思考を辿る気さえ起きない。

どう見たって戦場慣れしすぎている。銃を普通に隠し持っていたあたり、どうにも特殊部隊の人間くさいのだが。

「…ついでに君の正体も教えてくれんかね、綱海君とやら。何で銃なんか持ってたんだい?しかも三丁も」

「ん〜言っても信じないと思うんだけどなあ」

「…一応、言ってみたまえ」

 すわ、どんなトンデモ話をしてくるか。多少のことでは動じないぞと思い、身構える。我ながらだいぶ感化されてきた気がする。

 綱海が言った。

「俺とヒロトは異世界から来た特殊部隊の一員で、

この世界にやってきた超悪い魔女を追っかけてきててー

魔女に狙われそうなのび太君をガードしに来たのです。以上」

「……」

「……」

 金田、健治と共に沈黙。流石に予想の斜め上を行った。

さすがにもっとリアリティのある冗談をかましてくるかと思っていたのだが−−いやむしろ、ここまで突拍子がないと逆に真実味があるような気もする。

「…魔女、というのは置いといて…だ」

「置いちゃうのかよ金田さん」

「のび太君をガードしに来たなら、こうも簡単に彼を危険に晒したりはしないと思うし、普通なるべく共に行動しようと考えると思うのだが…?」

 非現実要素を無理矢理放り投げ、正論のツッコミをしてみる。

その切り返しは綱海にとっても意外だったようで、やや眼を丸くしてこちらを見た。

 

「なるほど。そう来たか。てっきり、魔女なんて非ィ現実な!ばかもーん!!って来るかと…」

 

 綱海は机に手をかけ、ひっくり返す仕草をする。

卓袱台返し、って巨人の星かいな。自分はあんなに頑固でも短気でもないぞ、とむくれたくなる。

 ってかこの小説を読むような年代層がこのネタを理解できるかというとかなり怪しいのだが。

 

「魔女!?綱海兄ちゃん達って悪い魔女をやっつけるヒーローなのっ!?

 

 そして太郎のこの反応である。眼を輝かせて言うものだから始末に負えない。

空気が読めないのか意図して読んでいないのか−−前者であると信じたいものだ。

「魔女なんているかよ、太郎。綱海…子供の前であんま微妙な話すんなって。信じちゃうだろ」

「えー?違うの?」

「あーもう、こういう時お前が発言すると話がややこしくなるって気付いてくれ太郎!」

 健治が完璧苦労人だ。子供に気を使いつつ常識を吹っ切れない。

まさしく過労死寸前のツッコミキャラである。金田が最初に抱いていたイメージは、良くも悪くも見る影がない。

「そういや、ジャイアンはどうしたんだ?聖奈とスネ夫と同じ班だったわけだろ。すっかり存在忘れられてるけど」

「…そういえば」

 綱海の言葉に、音沙汰のないもう一人を思い出した。彼ならばそう簡単にやられたりはしないと思うが−−なんせ化け物が徘徊する校舎である。心配といえば心配だ。

 

『おい、スネ夫!どうなってんだ!』

 

 噂をすれば陰か。通信機が、武の声を拾った。

『シャッターまだ閉まってるとこあるぞ!セキュリティは全部解除したんじゃ無かったのかよ!』

『え!?ほんと!?その筈だったんだけど…もしかして他に制御室があるのかな。探した方が良さそうだね』

『なんか面倒くさそう…』

 答えたのはスネ夫だ。のび太の声もする。

「良かった!三人とも無事だったんだな」

『あ、健治さん』

 健治が嬉しそうな声で会話に加わった。金田もひそかに胸を撫で下ろす。

しかし、まだシャッターが開かない箇所があったとは。まあ、初心者ハッカーであるスネ夫の技術に限界があったのも事実だろうが。

 

「とりあえず、状況を報告してくれよ。場合によっては迎えに行くし…金田さんも、これからは協力してくれるみたいだからさ」

 

 健治がこちらを振り向く。金田は笑みを浮かべて頷いた。

 さて。みっともなく足掻いてみせようか。

 

 

 

十五

恐怖

に、少年は〜

 

 

 

 

 

それが何なのか、今はわからなくても。