−−西暦1995年8月、学校校舎・2F男子更衣室。

 

 

「はぁ…はぁ…」

 

 荒い息をなんとか落ち着けようと、俺は床に座り込んだ。ロッカーの前にはもう一つ、頭の半壊した男の死体が転がっている。

あれだけ脳みそが零れていたら、もう生き返ってくる事もないだろう。

もはや気に止める事もなく放置した。腐臭にはもうとっくに慣れてしまっている。今更吐き気を催す事もない。

 我ながら情けないくらい動揺していた。そもそも、落ち着く為に放送室を空けたのが失敗だったのだ。

鍵を掛け忘れるなんて、あまりにも馬鹿げたミスである。

 

『…大丈夫かい?』

 

 インカムから、唯一無二の友人の声がした。彼は今屋上にいる筈だ。

便利な力があるとはいえ、裏の手回しを殆ど任せてしまっている。正直、申し訳なく思う。

 

「…スネ夫に、逢ったんだ」

 

 眼を閉じ、俺は答える。

「今までの…シュミレーションでは。あいつは既に死亡している可能性が高かったからな。正直、驚いたよ」

『それだけじゃないだろ、君の場合』

「……お前に嘘は吐けないな」

 本当に、何でもお見通しだ。それほどまでに長い付き合いである。

こっちとしてはそれ以上に長い月日を、共に生きてきたような気がしているけど。

 

「…嬉しかった。まだ、生きていてくれて」

 

 モニターで彼らの行動の殆どは見ていたが。

別の工作の為に席を外す事はあったし、スネ夫の行動に至ってはある時を境にあえて見ていなかった。

 彼は資料室で殺される可能性が圧倒的に高い。

だからスネ夫が資料室に入った時点で観察を諦めた。彼が無惨に引き裂かれる様を、見たくはなかったから。

 放送室で人影を見つけて、慌てて銃を向けてしまったのは。

暗くて彼が誰か分からなかったのもあるし、見られるとマズい資料を片付けていなかったせいもある。

余計な事をしたら撃つのも躊躇わないつもりだった。だが−−彼だと分かった以上、撃つ事など出来る筈も無かった。

 

「まさかスネ夫が、のび太なんかの為にあんなに怒るなんてな…」

 

 ギリ、と唇を噛み締める。何であんな奴の為に。

確かにスネ夫はまだ知らないだろう−−のび太のせいでこの先、どれほどの迷惑を被る事になるかなど。

確かに今回は偶々助かったが、彼も他の友人達ものび太のせいで死んだり、化け物の仲間入りを果たす羽目になる可能性は極めて高いのだ。

 少なくとも−−それが“正史”だった。俺達の“目的”がなければ、のび太の父母よりも先に八つ裂きにしてやったものを。

 何故誰も気付かないのだ。あんな奴がいるから、誰もが不幸になるというのに。

 

『落ち着いて。まだアンブレラの名前がやっと分かった段階じゃないの。のび太君を殺すのは早いでしょ?』

 

 宥めるように友は言う。

彼がそう言うのは俺の手をなるべく汚させたくない気持ちもあるのだろうし、まだのび太への同情があるからだろう。

 彼はあまりに優しすぎる。こんな地獄に、荒みきった世界に生きるには、あまりにも。

 

「…間違えるなよ。俺の手はもう…汚れきっているんだ。今更躊躇う理由もない」

 

 想いを断ち切るように、俺は言った。

 安雄には申し訳ないと思う。けれど彼には、早い段階で死んで貰う必要があった。

“正史”にて、彼はほぼ最後まで生き残り−−結果、仲間達数名の死を招いた。

感染したのを隠し、生にしがみつき、仲間達へのアウトブレイクを招いたのである。

 シュミレーションの結果もさほど変わらない。彼は生への執着が他の者達と比べても強い。けして悪い事ではないが−−それが悪影響を招く確率があまりに高すぎる。

 加えて。彼はあの金庫に近付いた。

まさかあれが開くとは思わなかったが(さすがに計算外だった。いくら金庫の開け閉めが面倒だからっていい加減すぎやしないだろうか)

問題はあの金庫の中身ではなく、金庫の後ろに隠したものだ。

 理科室に潜んでいたのは俺ではなく友の方である。

彼は安雄がやって来たのに気付いて、慌てて“ソレ”を金庫の後ろの隙間に押し込んだ。

もしあのまま金庫を調べられていたら、後ろに隠したものにも気付かれる可能性があったのだ。“アレ”が見つかったら一巻の終わりである。友の正体が、一発でバレてしまう。

 だから俺は−−意を決して、ここで安雄を始末する事に決めた。

友に指示を出し、バイオゲラスに安雄を襲わせたのである。

 迷いがあったのは否定しない。自分にとってはのび太以外の存在は出来る限り生かしておきたかったのは確かだ。

だがその結果、ある意味一番最悪の事態を招いてしまった。

安雄は手傷を負い、仲間達に助けられてしまったのだ。トドメを刺せず、安雄を感染者にした。非常にマズい展開である。

 安雄はいずれ死ぬだろう。しかし、その過程で他の仲間達に感染を広げてしまったら本末転倒である。

なんとかしなければ。早急に安雄に、“完全な”トドメを刺す必要がある。

安雄を殺さなければならなくなった上殺し損ねた惨状−−俺が動揺して放送室に鍵をかけ忘れた原因がこれだ。

 

『どうするの…これから。またバイオゲラスをけしかける?』

 

 僕ならそれも出来るけど。友は静かにそう言った。

やりたくもない事を強要させてしまっている。それは痛いほどよく分かっている。

 俺は沈黙し、うなだれた。

罪悪感で死ねるなら、どれだけ楽だった事だろう。

しかしまだ、死ぬには早い。やっと知りたかった真実の一端が見えてきたのだ。

 例のモノと一緒に、金庫から根こそぎ奪ってきた資料を広げる。そこにはある名前が頻繁に登場していた。

 

「二ノ宮、蘭子…」

 

 目を細めて、俺はその名前を睨んだ。

 

 

 

 

 

 

 

−−西暦1995年8月、学校校舎・3F理科準備室。

 

 

 のび太が武と合流できたのは、二階と三階を繋ぐ踊り場である。

どちらも理科準備室に向かう途中だった。

どうやら武はここに来る前にスネ夫のところに寄り、放送室にあったインカムを受け取ってきたらしい。

 インカムの有り難いところは、片耳につけたまま放置できる事だ。

通信していても両手が塞がらずに済む。いつ、何が起こるか分からない場所では貴重な要素と言っていい。

 のび太は武とともに目的地に向かい、理科準備室にいた安雄、聖奈、静香、ヒロトと再会した。

狭い部屋がさらに窮屈になったが、こうして無事に合流できたのだから良しとしよう。

 

「どうにもおかしな事になってきたなあ」

 

 皆の話を聞いて、のび太は素直な感想を漏らした。

理科室の鍵を、内側からかけられたとしか思えないこと。

金庫にあった大量の資料。カメレオンの化け物。さらにはインカムごしにスネ夫が話した、謎の仮面の少年。

「化け物とアンブレラだけに邪魔されると思ってたのに…そのどっちでもない人間の敵がいるかもしれないなんて。一体何でそうなっちゃったのさ?」

「俺に訊くな、俺に」

 ぱしっ、と武に後頭部を叩かれるのび太。いつもなら拳骨が飛んでくるのが今日は平手だ。

つまりは冗談の範疇、という事だろう。シリアスすぎる空気が苦手なのはお互い様だ。

 仮面の少年は、スネ夫が見た感じまだ小学生くらいではないということだ。

かなり細身で、小柄だったということ。去り際に見た感じ髪の色は黒で、取り立てて長くも短くない長さだったようだ。

 仮面をつけて、どこから仕入れたかも分からない銃を持って。

放送室で皆を監視し、のび太を異様なまでに憎み−−スネ夫を脅しておきながら顔を見て逃げ出した。

怪しさ満載である。もしや彼が理科室に鍵をかけた人間なのだろうか?

 それを口にすると、皆が一斉に微妙な顔をした。

 

「それは無いわよ。鍵をかけるまではいいとして、どうやって理科室の外に出るの?

三階の窓から出るのはちょっと無茶じゃない?足場になりそうなパイプがある場所でもないし」

 

 静香がもっともな事を言う。

 

「それに…化け物のいる部屋で閉じこもったら、自分も食べられちゃう。自殺行為だわ」

 

 その通りだ。それに、金庫に見られたくないものがあって、だから安雄の口を封じようとしたのなら、それはアンブレラの人間の仕業であるべきである。

仮面の少年は、善悪がどうであるかはともかく、言動から察するにアンブレラの人間ではない。

アンブレラの奴ならば化け物にターゲットだけ襲わせる方法を知っているかもしれないが、そうではない人間にはまず無理だろう。

 いずれにせよ確かなのは。理科室から脱出できる手段がないということ。

もし今の矛盾を全て解決しようとすると、鍵をかけたのはアンブレラの第三者で、今まだ化け物と理科室に籠城しているという話になってしまうが−−。

 

『安雄を襲った化け物と、鍵をかけた人間が無関係の可能性もゼロじゃないけど…』

 

 インカムごしに、スネ夫が呻く。

 

『仮に金庫と、安雄が襲われた事実に因果関係がないとしてさ。

もし化け物と今も籠城中じゃないなら、秘密の隠し通路か…魔法みたいに部屋に出入りする方法が必要じゃないか。

あるのかなぁ、そんな都合の良いモノ』

 

 そうだよね、有るわけないよ−−のび太はそう口にしかけて、動きを止めた。

 

−−…待て。ちょっと待てよ。

 

 今。とんでもない想像を、した。そんな訳ない、そんなはずないと思いつつも−−手段として可能である事に気づいてしまった。

 一人いるではないか。密室を苦にせず、化け物と閉じこもっても無事でいられそうな人物が。

「…ジャイアン。確認したいこと、あるんだけど」

「あ?」

「タケコプター、持ってる?」

 武に再会したら、確かめようと思っていた事だ。使わなくても、使い道はあるのである。

 

「持ってるけど…電池切れ間近だから、大して使えねぇぞ。何する気だよ」

 

 言いながらタケコプターを取り出す武。のび太は安堵し、同時に複雑な気持ちになった。

タケコプターが存在しているならば、まだ自分達の知る22世紀は無事である。

未来にとってこのバイオハザードが予定調和かイレギュラーかは定かでないが、少なくとも22世紀まで人類と日本は生き残ったことになる。

 

「…タケコプターが消えてないなら、ドラえもんとドラえもんの22世紀も消えてないって事だ。

…少なくとも、現時点での歴史上からは」

 

 この事件のせいで、倒されてしまったのでなければ、だが。

ドラえもんには数々の未来道具があるし持ち前の強運もある。そうそうやられる事はないだろう。

「…あくまで可能だっていうだけの話だけど……。ドラえもんなら…出来るよね。化け物に襲われることなく、密室になった理科室を出入りすること」

!!

 ヒロトと聖奈を除くメンバーが、一斉に息を呑んだ。

 

「ドラえもんには“どこでもドア”や“とおりぬけループ”がある。姿を消すには“石ころぼうし”を使えばいい。

そもそも機械なんだから、何もしなくても襲われないかもしれないよね…?」

 

 ドラえもんには、安雄を襲う理由も資料を隠す理由もない。だから違うに決まってる。そう思いつつも、のび太の中には疑念が沸き起こりつつあった。

 何故ドラえもんは、未だに姿を現さないのかと。

 

 

 

十八

百鬼夜行

〜それはか、それとも〜

 

 

 

 

 

自分はただ、自分を貫くだけ。