理科室の鍵をかけたのも、下手をしたら安雄に化け物をけしかけたのもドラえもんかもしれない。
少なくとも可能ではある。
そんな話をのび太がしてきたので、武はあっけにとられた。何を言い出すのだ、コイツは。
「馬鹿な事言ってんじゃねぇぞ…ドラえもんがんな真似するわけないだろうが!」
「そ、そうよのび太さん!いくらなんでも酷いわ!!」
武の言葉に、静香も便乗してくる。苛立たしいのもほどがある。
多分他の人間が同じ事を言っても、ここまで不愉快にはならなかっただろう。
「のび太!ドラえもんはお前の一番の友達じゃねぇのかよ!お前が信じないでどうするんだ!!」
「僕だって本気でそんな事思ってない!可能性としつ言っただけだよ!
秘密道具の使える22世紀のロボットなら出来るって話をしただけ!!」
のび太が悲鳴のような声を上げる。悲痛に満ちた声に、我に返った。
そうだ、何を馬鹿なことを。ドラえもんを誰より信じたいのは、のび太に決まっているではないか。
「…悪ぃ。ついカッとなった」
すぐ手が出てしまう。のび太の胸倉を掴んでいた手を離した。
指先がやけに痺れるような気がしたのは、どうしてだろう。
「…一回やめようか、この話は。みんな頭を冷やした方が良さそうだ」
間に入ったのはヒロトだ。
「…まずは、安雄君を安全に匿うことを考えよう。保健室に運ぶのが一番だけど…ちょっと遠いよね」
「だったら相談室がいいと思います。あそこのソファーなら、寝かせてあげられそう。アンデットがいなければ、ですが」
「それは確認した方がいいね」
聖奈とヒロトで頷きあう。そうだ、まずはそれが先決ではないか。
確かに理科室の件は気になる事だらけだが、証拠か何かが見つからない限り何一つ断定は出来ないのだ。
『理科室の金庫に手がかりがあるのは間違いないから、出来れば取りに行きたいけど。
化け物がまだいるかもしれないし、何より鍵が開かないんじゃどうしようもないよな』
インカムごしに、カチカチと音がする。スネ夫はモニター画面を操作しながら話しているらしい。
鍵と言えば、聖奈が給食室で一つ拾っている。
これが理科室の鍵であったら儲けものだが、流石にそう都合よくはいかなかったようだ。
明かりに照らしてよく見てみたら、タグには“裏門”と書いてある。どうやら学校の裏門を開く鍵らしい。
何でこんなものが給食室に落ちていたのだろう?
「俺がとってきたファイルに…何か役に立つもの、ないかな。個人的にこの楽譜と歌詞がさっぱり意味不明なんだけど」
安雄の言葉に、のび太は譜面のことを思い出す。
安雄の持ってきたファイルの中に、序盤だけで終わっている楽譜と、曲のものと思しき歌詞カードがあったのだ。
静香に見てもらったところ、以前自分が見つけてきた楽譜と同じ曲である可能性があるという。
のび太自身は楽譜なんてさっぱり読めない。
音楽は他の科目と比べて好きな方ではあったが、そもそも小学校の音楽の授業だけで楽譜が読めるようになるのは難しいと思う。
読めるとしたら、幼稚園からピアノを習ってた女の子達くらいではないだろうか。
この楽譜が、何かの鍵であるのは確かだろう。
しかし問題は、のび太達が見つけた分と安雄が見つけた分だけでは譜面が完成しないこと。
そして静香いわく、かなり難易度の高そうな内容であるという事である。
「ピアノは習ってるけど…私まだバイエルがやっと終わったレベルだもの。これはちょっと弾けそうにないわ…」
「聖奈さんは?」
「…私も…一時期かじってはいましたけど。この難易度の曲が弾けるかと言うと…怪しいです」
「……」
何だこれは。いきなり詰みか。のび太は頭を抱える。
どんな仕組みになってるか分からないが、曲を弾けない事にはどうにもならないではないか。
しかも、歌詞がついているという事は−−弾き語りしなければならない可能性がある。
『俺、出来るかも』
すると意外なところから助け舟が。保健室にいる健治である。
『俺はその楽譜見てねぇから何とも言えないけど。
これでも昔は習い事山ほどやらされてよー、中学時代は軽音部やってたんだよな。キーボードとボーカル担当で』
何それ凄い。思わず目をまんまるにしてしまうのび太。
あまりにも予想外だった。ぶっちゃけ、部活や習い事なんか縁のない、よろしくない方々とぶいぶい言わせてるような人種だと
−−無免許でバイク乗りこなして夜・露・死・苦!みたいな−−。
『…のび太どんな想像したんだオイ。言っとくが俺免許は持ってるからな?』
「何で聞こえてんの心の声!?」
『やっぱりか!後で覚えてろよっ!!』
「うわああんジャイアン二号降臨んんん−っ!!」
健治さんあなたエスパーですか。エスパー●美さんですか。のび太は大パニックである。
『のび太…ぐるぐるすんのは後にしろよ?今それどころじゃないからな?』
綱海が冷静なツッコミをくれた。いや分かってます。分かってますってば。
『音楽室の隠し金庫に、都合よく理科室の鍵があるかは分からないけどよ。
何か大事なもんが入ってんのは確かだ。早いとこ楽譜の残り探して、健治に弾いて貰わねぇとな。…そういやヒロト。お前はピアノ弾けねぇの?』
「俺は作曲専門だから。基本的に自分の作った曲も演奏出来ないタイプ」
そういうものなのだろうか。音感があれば演奏できます、というものでもないらしい。
「最後の楽譜、音楽室にある可能性もあるよね。ついでに探してみればいいんじゃない?」
それは一理ある。やはり楽譜といえば音楽室だ。今までみたく職員室や理科室から見つかるのがおかしいのである。
と、そこまで考えて不思議に思った。何故楽譜が数枚ずつバラバラにあったのだろう?職員室はまだ分かる。失くしてしまったと仮定できなくはない。
しかし理科室が謎だ。
金庫に保管されているのに、全部揃ってないのだろう?単に、安雄が取り損ねたファイルに残りがあったのだろうか。それとも。
誰かが、自分達を混乱させようとしている?まさか、とは思うけど。
「健治さんと太郎は銃持ってないんだよな。…よしのび太、俺と一緒に迎えに行くぞ」
「分かったよ」
なんかさっきから自分ばっかり休む暇がないような。意外と疲れてはいないけれど、地味に貧乏籤を引かされてる気がする。
のび太はさりげなく後ろを振り返った。ヒロトがニコニコしながら手を振ってくる。
絶対こいつ、気付いてるだろ。思わずジト目になってしまう。他のメンバーは“残念ながら”異論などはないようだった。
『放送室…もといモニタールームなんだけど。
見た感じ、化け物が踏み行った形跡もないし、かなり頑丈に作られてるみたいだ。
意外と狭くないしね。今後はこっちをベースにした方がいいかも』
「そっか。じゃあめぼしい薬だけ持って、金田さんにも保健室から出るように行って貰った方がいいかもね」
『そこはまあ、相談だな』
とりあえずは、健治と太郎を迎えに行かなければ。のび太は立ち上がり、うーんと伸びをした。さて、一仕事してきますか。
−−西暦1995年8月、学校校舎・2F男子更衣室。
ずっと奇妙だと思っていた点が、やっと解決した。僕は持参したモニターにデータを表示し、彼に見せる。
「見てよ。…あの綱海が持ってた銃…ヘルブレイズとかいう銃。この世界に存在しないんだ」
見慣れない銃なので気にかかり、調べてみたのだ。少々手間がかかったのは過去と未来も含めて調査した為だ。
結論。あの銃は、現代はもちろん過去500年と未来500年にも存在していない。22世紀にさえ存在しない。
明らかに異質なものと判明した。どう時間と場所をひっくり返してみたところで、検索に引っかかってこない。
これは一体、何を意味するのだろう。
「奴らが未来人だという線は、薄くなったな」
彼はモニターを凝視して言う。
「しかしそうなると…残る可能性は“異世界人”しかない」
「異世界…」
世界はとても広く、とても狭い。知る者だけが、世界がヒトツじゃない。
多次元世界説−−その理論は古くから存在している。
実際、間違いない事は22世紀にて証明された。『もしもボックス』が開発されるきっかけである。
しかし。自由に異世界を渡る術がまだ乏しい。
時間もまた枝分かれするものだが、それでも不可逆であり、基本的に過去は一方通行だ。
異世界は違う。その可能性は無限であり、行き先を自在に選ぶにはあまりに選択肢が多すぎる。
『もしもボックス』とて、数多ある可能性の中から最も理想に近い世界を絞り込み、最終的にはアトランダムに選んでいるのが現状だ。
例えば『もし魔法文明が発達した世界だったら』と言ったとして。
僕達がトリップするのは魔法が使える世界として選ばれた何千・何万もの世界のうち一つだ。
その何千・何万のどこがブチ当たるかは運次第なのである。
「信じがたいね。異世界を自在に渡る方法があるなんて」
可能性としてゼロではないが。
無限にある世界という名の欠片から、必ず同じ一つを探し当てる事が出来なければ、事実上異世界を渡り歩くのは不可能だ。
なんせ己の本来いた世界に戻ってこれなくなってしまうのだから。
22世紀の科学でも不可能とされた技術を、あの少年達は持っているというのだろうか。
「…それに奴らが異世界の人間だとしたら、危険を犯してウイルス汚染の進むこの世界に来た理由が分からない。
バイオハザードが想定外ならまず、感染前に世界の外へ離脱する筈だぜ?」
となればやはり、ヒロト達にとってこの事件は想定内だった事になる。
のび太に近付いたのももしかしたら彼の“性質”を知った上という事もある。
だが、目的が分からない。今のところさりげなくのび太をサポートし、彼の成長を促しているように見えるが。
そんな事をして一体何の得になるのか。ヒロトはまだ分からないが、綱海の戦闘能力では多少力のあるB.O.Wでもあっさり蹴散らしてみせるだろう。
事を解決したいだけなら、彼の力でひたすら町内を“ゴミ掃除”すれば済む話だ。
『俺とヒロトは異世界から来た特殊部隊の一員で、この世界にやってきた超悪い魔女を追っかけてきててー
魔女に狙われそうなのび太君をガードしに来たのです。以上』
綱海が冗談混じりに言っていたあの言葉が気にかかる。
何もかもが真実という訳ではないだろう。
のび太を護衛すると言うわりには無責任に放置したり、わざわざ危ない目に遭わせすぎてる気がする。
「魔女…」
僕は回収した資料に目を落とし、呟いた。
「…君は、魔女って信じる?」
技術者の彼に、こんな疑問はナンセンスだったか。しかし彼は皮肉な笑い声を上げる。
「いるかもしれねぇな…そんなモンも」
仮面の下、深い絶望を宿した眼。
「こんな真似…人間じゃねぇ。魔女や悪魔だって言われた方がよほど救いがあるってもんだ」
僕は何も言えなかった。彼を救う言葉さえ見つからない自分が、恨めしくて仕方なかった。
第十九話
楽譜
〜音符の中に潜むモノ〜
自分はただ、自分で在り続けるだけ。