−−西暦1995年8月、学校校舎・2F相談室。

 

 

 夏とはいえ、もう外は真っ暗だ。とりあえずは建物の中にいられて良かったな、とのび太は思う。

この闇の中、ゾンビに襲いかかられたらひとたまりもない。武器を落としでもしたら、それを探す事もかなわずジ・エンドだ。

 相談室まで戻ってきたので、皆に事の経緯を話す。すると女性陣から拍手が起こった。

「凄い凄い!本当にあの曲が弾けちゃうなんて!」

「歌声も素敵でした。健治さんは歌手を目指すべきですね、じゃないと絶対損です!」

 素晴らしい誉めっぷりだ。健治が反応に困るほどの。

彼が誉められるのは嬉しいが、静香に好意を寄せる身としては少々複雑な気分になってしまう。

自分も歌、練習してみようか。少なくとも某ジャイアンさんに比べたら百倍はマシである筈だ。

 

『けど…理科室の鍵が何で金庫にあったんだ?』

 

 インカムごしに、綱海が疑問を投げてくる。

『鍵しか入ってなかったってのも変だよな。なんか、誰かが中身をすり替えたみたいだ』

「誰かって…誰が?金庫は音楽室の隠し部屋にあったんだから、あの仕掛けを作動させなきゃ無理じゃないか。そもそも何の為に?」

『…うーん……』

 安雄の尤もなツッコミに、さすがの綱海も答えを見つけあぐねて唸る。

あの鍵を放り込んだタイミングがいつかは分からないが、少なくとも自分達が学校にやって来てからではない筈だ。

ピアノを演奏すれば音が鳴る。奏者の技量にもよるだろうが、場所の関係上あのピアノの音は比較的校舎内に響きやすいようだ。

ならば自分達が気付かないとは考えにくい。

 加えて。あの譜面のコピーがあるならともかく、原本な何故かてんでバラバラに保管されていた。

その上難易度はかなり高い。そうそう弾けるとも思わないのだが。

 

「それよりも…さっき気付いたんですが、相談室の奥…」

 

 聖奈が指さす。最初に来た時は気付かなかったが、部屋の奥の壁には絵が飾られていた。真っ赤なドレスを着た女性の絵だ。

 この部屋にいない者達に絵は見えない。どんな絵?とスネ夫が聴いてきたので、のび太は簡潔に答える。

 

「赤い派手なドレスの、茶色い髪の女の人だよ。眼も赤くてすっごい美人。二十代後半…くらいかなあ」

 

 多分日本人ではないのだろう。下に名前が掘ってある。“Arlesnesia”−−駄目だ、自分は英語が読めない。

 

「アルレス…いや、アルルネシア…か?下になんかいっぱい彫ってあるぞ」

 

 健治が示した先には金の文字があり、何やら文章がびっしり書いてあった。やっぱりアルファベットだ。

もしかしたら英語ではないかもしれない。誰か読んでくれないかな、ってか読める人いないかな−−と見て思って振り向くと、ヒロトがこちらに近付いてきた。

「…何かキチガイっぽくて嫌。吐き気がしそう」

「読めるの!?

「まあね」

 ヒロトは実に嫌そうな顔をしながらも、碑文を読み始めた。

 

 

 

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 偉大なる災禍の魔女、アルルネシア様は仰られました。

 人は愚かで、地に這う虫螻にも劣る存在ですが、ただ一つ救済する方法があると。

 それは生まれ変わることでございます。

 人の姿と肉を捨て、アルルネシア様の僕に見合う力を手にすることです。

残念ながら今の人は汚いくせにあまりに非力で、このままでは彼女の靴の裏を舐める権利さえございません。

 私達は魔女を信じ、魔女を愛し、魔女に希います。

 魔女は私達に生まれ変わる権利と手段を下さいました。来る年の8の月に、世界と人は変わるのでございます。

夜会に招かれた諸君は感謝の意を込めて生贄になる事を選びなさい。これはとても名誉な事です。

 夜会の際、わたくし自らも贄の名誉を賜りました。歓喜で気が狂ってしまいそうです。

わたくしは必ずや暴君となりて貴女様のお側に永遠に仕える事を誓いましょう。

腐臭を放ちて地を這う痛みも、その喜びに比べたら些細なものです。

 全ては貴女様の理想の為に。

 

 嗚呼偉大なる、アルルネシア様。

 

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「なんだよその…新手の新興宗教みたいな文句は」

 

 武が不愉快そうに言った。

「まあ魔女みたいなもんも…世の中にはいるかもしれねーけど?いくらなんでも人間を見下しすぎだろ」

「悪魔の証明って言葉もあります。魔女や悪魔の存在を証明するには、その本人を連れてくればいいだけだけど…その逆は遥かに難しいって」

 聖奈が苦い顔で言う。

「それよりも…気付きませんか?今は八月です。ここには“8の月”に特別な儀式が起きるとあって…

これを書いた人は自分は“暴君”になり、“腐臭を放って地を這う”と言ってるんです」

『ま、まさか!?

 スネ夫が声を上げる。

 

『これ…ここで語られる“夜会”って…バイオハザードのこと!?

 

 まさか、と思う。のび太は恐る恐る絵を見上げる。ドレスの女が、真っ赤な瞳でじっとこちらを見下ろしていた。

さっきまでただなんとなく“綺麗だな”と思っていたその微笑みが、今は毒々しいものにしか見えない。

 かつて、ドラえもんの“もしもボックス”で、魔法の世界というものは体験している。

科学より魔法が発達した異世界というのも有り得ない話ではないだろうし、実際魔女の存在自体は否定しない。

 だが。もしこの碑文が一連を示すなら−−とどのつまり事件の首謀者は“魔女”という事になってしまう。

そんな馬鹿な。ウイルス兵器のバイオハザードなんて、どう見ても化学の領域ではないか。

 

『…魔女幻想、というのは。昔から多く伝えられている』

 

 インカムから、重々しい声がした。保健室にいる金田だ。

 

『中世末期から近代にかけてのヨーロッパや北アメリカ…正確には十五世紀から十八世紀の魔女狩り騒動は有名だろう。

これも信仰が契機で起こったものだ。ヨーロッパでは約四万人もが魔女裁判にかけられ、処刑されたと言われているな』

 

 四万人。途方もない数字に絶句するのび太。

『中世に入った頃、キリスト教社会において悪魔が人間や動物を使って悪行を成すと信じられるようになってな。

やがては魔女…簡単に言えば悪魔にとりつかれた人間、が魔術を使う人間へと展開していった結果だろうが…裁く仕組みが作られたんだ。

スイスとクロアチアの民衆がその始まりで、やがて民衆法廷という形で魔女を裁くようになった。

…十七世紀で魔女狩り運動は急激に衰退したが、その理由は諸説あり、今尚ハッキリしていない』

「詳しいな金田さん。…実は今でもその名残はあったりするんだろ?イスラエルじゃいまだに“妖術禁止令”なんてもんがあるらしいし」

『健治君こそよく知っているな。…魔女だと確定された人物の多くが、炙刑や絞首刑、あるいは溺死刑に処せられた。

魔女が実在したかはともかく、それだけ“魔女”を恐れる人間がいたのは確かなのだ』

 気が遠くなるような話だ。オバケ(のび太の中では悪魔も悪霊も似たようなものだ)を怖がる気持ちは分かる。非常に分かる。

だからといって、人の命を容易く奪う心境が分からない。

 火炙りなんて。考えただけでも恐ろしい。魔女狩りの話は自分だって少しは知ってる。

いくら魔女じゃないと主張しても、聞き入れられないのが現実だったという事も。

 

『現代にも陰で魔女狩りを行う国はあるが…日本にも、魔女信仰が伝わる地域があるんだ。

割と最近でいうと、昭和五十八年の“六軒島”事件が有名だな』

 

 六軒島。そういえばそんな名前を、テレビの特集で見たことがある気がする。

バラバラ死体が出てきたので(勿論イメージ映像だが)凄く怖がったのでよく覚えている。

 

『島には古くから“黄金の魔女”という魔女の存在が信じられていて、当時富豪として名高かった“右代宮金蔵”とその一族に莫大な富を授けたという。

だが、魔女との契約が切れたとされる昭和五十八年十月に、一族全員が謎の死を遂げた。

…近隣では今でも“黄金の魔女”を信じて、島に近付く者はいないらしい』

 

 誰ともなく、ごくり、と唾を飲み込む音がした。

 魔女がいるかどうかは定かでない。ただそれを信じている人々がおり、結果として死んだ人達がいるのは事実なのだ。

 あるいは。信じる人がいればその時点で“魔女”はいる事になるのかもしれない。

魔女狩りを行う人間にとって、対象が本物の魔女かどうかは正直関係のない事だろうから。

 

「話が…なんとなく見えてきたわ」

 

 静香が重い口を開く。

 

「この“災禍の魔女”が実在したかは分からないけど。それを狂信的なまでに信じている人達がいた。

なら…誰かがその“魔女”を名乗って信者達を従えたら…本物の魔女でなくとも、アルルネシアは“存在する事になってしまう”」

 

 簡単なことだ。アルルネシアを名乗る人物が、信者達に思うままを命じればいい。

掃除をしろ。身支度をさせろ。料理をしろ。あれを買え。これを壊せ。死んでみせろ。あいつを殺せ。

 使徒達は“魔女”に愛されたいが為に、どんな命令でも実行してみせるだろう。

とんでもない話だ。人の命より、正しいかもよく分からない信仰が大切なのかと思う。

しかしそんな考えも、自分が無宗教だからこそなのだろうか。

 

「この絵の女の人が全てを…アンブレラを陰で操ってたってこと…?」

 

 誰もがぞっとする思いで、一様に絵を見上げる。まだ、本当のことは分からない。

偶々碑文にあるような事件になってしまった可能性もあるし、そもそもこの文章が学校やアンブレラ関係者のオリジナルと決まったわけではないのだ。

 

「裏に名前があるみたい…寄贈・アンブレラコーポレーション…えっと…」

 

 眼を細め、静香が名前を読む。

 

「会長…オズウェル・E・スペンサー」

 

 スペンサー?どこかで聞いた名前のよいだ。首を捻っていると、あ!と綱海の声が聞こえた。

『資料にあった名前だぜ!アンブレラの代表取締役って書いてなかったか?』

『彼はその道の有名人だよ』

 インカムごしに金田が言う。

 

『スペンサーはアンブレラの創始者。一代でこれだけの大企業に成長させた天才的な起業家だ』

 

 では、やはりこの絵と碑文はアンブレラと無関係ではなさそうだ。ではプレゼント先は?

学校そのものへの寄贈なら、校長へのプレゼントだったとも解釈できる。

「理科室の金庫…にあった資料。見れば何か分かる、かな?」

「やっぱ避けて通れねぇか、そこは」

 理科室にひそんでいた人間に奪われてなければの話だが。のび太は思ったが、口には出さなかった。可能性があるならそこから逃げるわけにはいかない。

 何故こんなにも、強く思うかは分からないのだけど。

 

「…みんな」

 

 ソファから身を起こし、安雄が言った。

 

「理科室に行く前に…頼みがあるんだ。のび太と二人で話をさせてくれないかな」

 

 のび太は眼を丸くする。武が少し驚いた気配があったが、彼は黙って頷いた。

 

「分かった。みんな、一旦外に出ようぜ」

 

 武は薄々悟っていたのかもしれない。安雄がどんな覚悟を決めたのかを。

 

 

二十四

御伽噺

〜火炙り、拷問、端審問〜

 

 

 

 

 

誰にも穢せはしない。