自分でも、何を話したいかはよくわかってない。ただ、一つだけ確かなこと。

自分はのび太に、謝らなければならない。

二人だけになった相談室。安雄は沈黙を破った。

 

「…俺さ、のび太」

 

 うまく言えないけれど。

「お前に謝んなきゃいけないんだよな」

「え?」

 何の事だか分からない。そういった顔するのび太に、安雄は苦笑する。

本気で分からないなら大したものだ。

 

「いっつもさあ…お前のこと馬鹿にしてたじゃん。グズだとかノロマだとか…

お前が入るとチームが負けるから一緒に野球すんの嫌だ、なんて言った事もあるよな」

 

 事実と言えば事実だ。しかし今思うと、だいぶ酷い事ばかり言っていた気がする。

のび太に良い印象がなかったのもあるが、正直自分はただ武やスネ夫に便乗していただけだ。

のび太を苛めていれば、自分は苛められずに済むから。

 

「自分が恥ずかしいよ。こうして見ればこの中で一番ビビリで、グズでノロマなのは俺じゃんか…」

 

 皆の話を聞き、姿を見てみれば。誰もが真剣に未来を考えている。

ただ生き延びるだけではない。真実を明らかにし、その為に命懸けで奮闘しているように思える。

 その点自分は何をした?何が出来た?

 

「俺は…ただ怖くて逃げ出しただけだ。仲間とはぐれたって言ったけど、本当は無意識に見捨てたのかもしれない。

その挙げ句このザマだよ。情けなさすぎて涙も出ないぜ」

 

 ただ、死にたくなかった。今でもさほど変わったわけではない。

 でも気付いたのだ。自分の本当の願いに。

 

「何で分かんなかったのかなあ…一人ぼっちで生き延びたって何の意味も無かったのに」

 

 一人でも生きていける。そう言う人もいるかもしれない。

けれどそれはあくまで架空の“誰か”の話。少なくとも、安雄の話ではない。

 

「…平和だった町に…退屈で、くだんなくて、でも幸せだって気付かないくらい幸せだった昨日に。俺…戻りたかったんだ」

 

 失って気付くというけれど、本当にそうだ。

失うまで、自分がどれだけ恵まれていたかも分からなかった。

失った後思い知って恐怖した。絶望した。そしてそれ以上を放棄したのだ。

 どんなに現実から眼を背けて、逃げ続けたところで。最後は必ず追いつかれて、屈伏させられると知っていたのに。

 

「だから…ごめん。本当に、ごめん。

お前のこと嫌いだなんて思ったことないんだ。なのに……弱虫で、ごめん」

 

 強くなりたかった。

 なれると信じていた時もあった。

 強いと思い込んでいた。

 こんな事になってやっと、それが幻想に過ぎなかったと思い知らされた。

 

「……安雄」

 

 やがて。のび太が口を開く。

「僕も…安雄のこと、嫌いだなんて思ったこと、ないよ」

「え…?」

「そりゃ、野球は好きだし…チームに入れてもらえなかったり、悪口言われるのはヤだったけどさ。

…逆らったらジャイアンが怖いもん。僕が一番よーく知ってるからさ」

 うう、思い出したら震えてきちゃった。というのび太。安雄はポカンとした。

勇敢に化け物と戦ってるように見える今ののび太でも、まだ誰かさんが怖いと感じるのか。ちょっと意外だった。

 そして彼が。安雄が単に武の言いなりになっていただけだと気付いていた事にも、驚いた。

「…ああ、うん。ジャイアンは怖いよな。マジで」

「怖いよ怖いよ。今でもさ、ドアに耳つけて話し声聞いてたりしたらどうしようと…」

「やっやめろよのび太!後で絶対ギタギタにされるだろ!!

「…ジャイアンリサイタルの生贄にされるのとボコボコにされるの、どっちがマシ?」

「きゅ…究極の二択…どっちも嫌だーっ!」

 ふと視線が合う。顔を見合わせ、互いに吹き出した。

武にビビッて、リサイタルの恐怖におののいて、それが当たり前だった頃。もう過去になってしまったと思っていた。でも。

 こんなところにまだ、日常が残っていたのだ。

 

「あははは…、ねっ…それでいいんじゃないかな」

 

 のび太が笑いすぎて涙目になりながら言った。

 

「どんな状況でも僕らはジャイアンが怖いんだ。

怖いものは怖いんだからしょーがないじゃないか。逃げるのだってさ、悪いことじゃないよ」

 

 逃げるのも、悪くない。思いがけない言葉に、安雄は目を見開く。

「僕だって安雄と変わんないよ。相変わらず弱虫だし、最初はビビッて逃げてただけだもん。

それでも何とかなってるのは、みんなに会えたから。

みんなが僕を見捨てないでくれたから…その気持ちに応えたいって思ってるだけ」

「気持ちに…応える」

「そう。…でもってさ。どうしてこんな事になったのか、原因が分かったら…これ以上悲しい思いはしなくていいかもしれないし。

全部自分の為だよ。自分の事しか考えてないんだ」

 それは、安雄が考えつきもしなかったことだ。今更真実なんて突き止めて何になる。そうタカを括る気持ちがどこかにあった。

ゾンビだらけの町が変わるわけではない。家族や友達が帰ってくるわけでもない。それなのに原因究明の為奔走できる彼らが、正直不思議だった。

 今が悲劇のドン底。どう足掻いたってこれ以上悲しい事なんて起きるわけもない。

絶望しきってそう決めつけていたが、よく考えれば此処はまだ全然“底”ではないのだ。

 何故なら一人ではないから。ゾンビだらけの校舎で、安全に近い場所にいて。想ってくれる仲間達が側にいるのだから。

 彼らを失う。それこそが今の自分にとって最大の悲劇ではなかろうか。

 

「…僕は、ゾンビになったママを殺して今此処にいる。

ママは今までたくさん僕を愛して、守ってくれたのに…僕は自分の身を守る為だけにママを刺した。

本来なら絶対赦されないことだ。ママだってまだ、死にたくなかった筈なのに」

 

 思い出したのだろう。のび太の眼が潤み始める。

視界が滲んできたのに気付いてか、彼は眼鏡を外すと慌てて瞼を擦った。

 

「けど…けどさ。だったらママが生きたかった分まで僕が生きなきゃ意味がないじゃん。

生きて…ママがいなくても大丈夫だよって見せてあげなきゃ。

きっと安心できなくて悲しむんじゃないかって思う」

 

 死者を悼み、悲しみ、貴ぶ。それだけで終わらず、喪失こそを力に変える。

安雄は何も言えなかった。驚いたのだ。こんな生き方を−−自分達がずっと馬鹿にし続けてきたのび太が出来たことに。

「それに、僕よりか弱い子がいる。僕が守りたい人がいる。

…だったら、嫌でも頑張っちゃうよ。ゾンビも化け物も怖いけど、失望されたくないもん」

「あー…分かるかも。男のプライドだよなあ」

 のび太の言う“守りたい人”が誰かは明白だ。我らがマドンナの静香姫である。

自分も静香が好きだったつもりだが−−こうして考えると、本当の意味での“好き”ではなかったということだろう。

 命を懸けて守る。カッコ悪いところを絶対見せたくない存在。自分もそんな存在に出逢えていたら、何かは変わっていたのだろうか。

「…お前はやっぱ、強いよ。俺も強くなりたかったなあ」

「僕は強くないよ。安雄だっていいじゃん、弱くたって」

 のび太はあっさり言ってみせた。

 

「後悔しないようにいっぱい考えて考えて、先を決めたらいいじゃない。

これが自分だ!って胸張れることが何か一つできたら…それが“生きる”って事だと思う」

 

 僕もそんな生き方がしたいなあ。のび太はそう言って微笑った。

それは畏れない者の笑顔ではなく。怖れて尚立ち向かう事を決めた者の笑顔だと分かった。

 

 

 

『どうすれば、化け物にならずに済むのか。最後の最後まで考え続けたい。

…そうすればきっと、後悔しないで済むから。それでも無理なら、私は私の納得のいく最期を選びたいかな。

…私自身でも、愛する人でもそれは同じです』

 

 

 

『自分は幸せだったって。生きてて良いんだって…そう思える何か。

人との出逢い、言葉との出逢い、歌との出逢い、夢との出逢い…とにかく何だっていい。

そういうものに出会えたら、何より俺達は“生きてる”って事になるんじゃないかな』

 

 

 

 聖奈の言葉とヒロトの言葉が、頭の中を巡る。生きること。生き抜くこと。

後悔しない為、自分が選ぶべき道。安雄の中で静かに何かがカチリと嵌った。

それはずっと探していたパズルのピースを見つけた感覚によく似ていた。

 答えなど、本当はとっくに出ていたんだろう。それしかない事も分かっていたんだろう。

それが今。のび太の言葉で、決意が固まった。事実に向き合い、立ち向かう覚悟ができた気がする。

 怖くたっていいんだ。

 泣いたっていいんだ。

 それが一番大切な時の“勇気”に繋がるなら、弱くたって全然良かったんだ。何でこんな簡単なことに気付けなかったんだろう?

 

「ありがとな…のび太」

 

 そうか。

 これが−−幸せってことなんだ。

「ところでのび太。一つ訊きたいんだけど」

「何?」

「出来杉とはる夫。見てないか?俺がはぐれたのはあいつらなんだよ」

 出来杉は頭も身体能力もピカイチだし、はる夫はあれで度胸がある。

そう簡単に死ぬとも思えない。まだ生きているなら、彼らはきっと戦力になる筈だ。

「ううん。見てないよ。…二人とも学校に来てるのは確かなの?」

「ああ。俺達、学校に着くまでは一緒だったんだ」

 案外広い校舎な上、変なところでシャッターが降りていたり鍵がかかっていたりとダンジョンじみているこの場所だが。

彼らが学校にいるならば、合流する事も不可能ではない筈だ。

 そして今はもう外も真っ暗である。このタイミングで校舎の外に出るのは自殺行為である。はる夫はともかく出来杉がそんな愚行を犯すとは思えない。

 

「そういえば、学校の電気はちゃんとついてるんだよな…」

 

 ふと安雄は呟く。

「水道もガスも通じてる。ってことはまだ町の外まで汚染が広がってないってことなのか?」

「今はそうかも。でもこのまま放っておいたら、いずれ日本中に広がっちゃうよ」

「だよな…」

 それは安雄も危惧している事だが。ならば何故町に救助が来ないのか。まだ外の者達がバイオハザードに気付いてないのか?

あるいはアンブレラが揉み消しているのか?それとも−−ウイルスを広めない為に、この町を既に見捨てる事に決めたんじゃ−−。

 いや、よそう。考えたって埒があかない。少なくともまだ町に核爆弾が落ちたわけじゃないのだ。

手遅れになる前に手を打てばまだ間に合う筈である。のび太達ならきっと、やってくれる。

 やっと戦う覚悟が出来たのだ。本当なら他力本願になどしたくなかったけれど。

 自分にはもう、時間がない。さっきから−−傷口が、痒くてたまらないのだ。

「ジャイアン達を呼んでいい。俺の話はここまでだ。…悪いな。一緒に戦えなくて」

「いいよ。安雄はここで安静にしてなきゃ」

 まだ自分を普通の怪我人扱いしてくれるのび太。安雄は涙が出そうになるのを、必死で堪えなければならなかった。

 出来る事なら、皆でもう一度野球がしたかった。

 

−−もうのび太を、馬鹿にしたりなんてしないのにさ。

 

 神様は本当に、残酷だ。

 

 

 

二十五

対話

に進む為に〜

 

 

 

 

 

さあ、征こうか。