粉微塵になったバイオゲラスの残骸。その近くに、見覚えのある帽子があった。

その帽子も、火に巻かれてどんどん燃え尽きていく。思い出さえ、焼き尽くしていくように。

 安雄の遺書を読んで、武は呟いた。

 

「馬鹿野郎…殴られるような事するからいけないんだろうが」

 

 目の前にいたら、ギタギタにしてやるところだ。そもそも、自分が怖いなら逆らわなければいいというのに。

学習能力のない阿呆だ。そのくせチキンだ。まったくもって救いようがない。

 だけど。馬鹿でも阿呆でもチキンでもいいから−−生きていて、欲しかった。

もう彼はこの世界から退場してしまった。これじゃあ殴ることさえ叶わない。

 

「…安雄は、命懸けで僕を助けてくれた」

 

 静かな声でのび太が言う。彼がこんな声で何かを言うのは初めてかもしれない。

 

「僕だって本当は安雄に死んで欲しくなかったけど。でも…こうも思うよ」

 

 のび太は泣いた笑顔で顔を上げた。

「安雄は死んだんじゃなくて…生き抜いたんだよ。自分が一番納得出来る方法で。

まったく、背負わされる身にもなって欲しいよね」

「のび太…」

 明らかな強がりだった。しかし彼はただ虚勢を張っているわけではない。

答えはもう見えているけど、感情がまだ追いつかないだけなのだ。

 武と同じだ。目の前で死なれただけもっとキツいかもしれない。悲しくて悲しくて、やりきれなくて悔しくて。

だけどそう思って立ち止まる事を、安雄が望まないのは分かっている。

安雄の遺書は、のび太や自分達の背中を押す為に用意されたものなのだ。

 本音を言うと、別の意味で武には悔しい事があった。

自分はいつも安雄を殴ってばかりいたし、怖い思いをさせていた自覚はあるけれど。

それでも、一緒に野球をしたり騒いだり、かなり仲良くやっていたつもりだったのだ。

 だが、安雄が想いを残したのはのび太だった。自分では、無かった。それが正直、悲しい。

 

「…安雄は、悩んだんだろうな。化け物になるって分かってて…でも死にたくなかったから」

 

 俺だって絶対悩むし。と健治が言う。言いながら理科室の隅に設置された消火器を取り外す。

「…そんな時、のび太から多分…なんかの形で、答を受け取ったんじゃねぇかな。だから、お前を助けて花道を飾ろうとしたんだろうよ」

「僕は何もしてないよ」

「のび太はそう思ってても、安雄は違うってこともある。それが言葉ってヤツだ。

言葉は時に、銃弾にも包帯にもなる。お前の何気ない一言が、誰かの世界を変える事もあると思うぜ」

 世界を変える、言葉。力こそ絶対だと思っていた武にとっては、なんだか新鮮な響きだった。

ペンは剣より強し、なんて言葉があるが、どんなに言葉を書き連ねたって剣で切られたら真っ二つじゃないか。物の喩えでも現実でもそれは変わらない筈である。

 だけど。力に恵まれないのび太の言葉が、立ち止まっていた安雄の足を動かしたなら−−そこにはやはり、ただの暴力にはない無血の力があったという事になる。

 

−−ひょっとしたらそれが…俺に足りなかったものなのか…?

 

 武は自らの手を見つめる。自分にももう少し別の力があったなら。

のび太ではなく自分が安雄を助ける事も出来たのだろうか。

 

「…なんとかしなくちゃ。これ以上誰かが死んだりしないように」

 

 聖奈が呟く。その目も赤い。

 

「全員で…生きて帰るんです。もう誰も死なせたりしないように」

 

 それが簡単じゃないのは分かっている。それでも彼女は口にしたかったのだろう。

言葉が魔法であるなら。言葉にした事で、現実に少しでも近づける筈だから。

「よし、こんなもんか」

「健治兄ちゃん…僕も消火器やりたかったよう」

「あのなぁ!外したら後がないんだから仕方ないだろ!」

「ぶー」

 消火器でバイオゲラスの火を消した健治は、ぶーたれる太郎の頭を軽くはたいた。

太郎は安雄が死んだことを理解しているのだろうか。この様子だとどうにも怪しい。まあ、確かにさほど接点はなかっただろうが。

 どうやらバイオゲラスは元々燃えにくい体だったらしい。あの火が消火器一本で消えたのは多分そういう事だろう。

これで駄目なら廊下からもう一本とってくるしかなかった。火がついたままにするのはあまりに危険すぎる。

 

『…いつまでも立ち止まってるわけにはいかないよ。みんな、次の行動を決めないと』

 

 インカムからスネ夫の声がした。鼻を啜っているあたり、彼も泣いていたのだろう。

『何かアテ、ある人いる?』

「その事なんだけどね」

 ヒロトがスタスタ歩いていく。その先には、例の金庫。そうだった、と武は思い出す。

つい趣旨を忘れていた。自分達が危険を犯してまで理科室に来たのは、この金庫にあったと思しき資料を回収しに来たのではないか。

 

「……やっぱり。金庫の中身、殆ど空だよ」

 

 ヒロトが残念そうに言う。安雄の話では、どっさりファイルが入っていたという事だったのに。

どうやら誰かに奪われたのは間違いないらしい。

それは理科室に鍵をかけた何者かでしか有り得ない−−どうやって密室から出、バイオゲラスに襲われずに済んだかという問題は残るとしても。

 しかし−−殆ど?という事は、何かは残っていたという事だろうか。武はヒロトの手元を覗き込む。

「日記だよ、ページがちょっとしか残ってないし、英語だけど」

「また英語かよ!此処は日本なんだよ日本語使えよ不親切なっ(涙)」

「き、気持ちは分かるけど俺に言われても困るってば…訳したげるから我慢してって」

 心からの武の叫びに、ヒロトがひきつり笑いを浮かべる。確かにアンブレラはアメリカの企業だ。

当然主要の社員はみんなガイジンである事だろう。ましてやプライベートの日記に日本語を用いるとも思えないが。

 だけどこれは元々RPGなわけで。

日本のゲームで英語の謎解き資料とか出てきてみろ、自分達みたいなフツーの小学生にとっては死亡フラグ以外の何者でもないではないか!!

 

「読むよ。…意訳だけど勘弁してね」

 

 皆が集まってくる。ヒロトが英文を翻訳して読み上げた。

 

 

 

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六月八日

 

 ススキヶ原の潰れた旅館を買い取る事になったらしい。確かにあそこ地価も安いド田舎だもんな。

俺達にとっちゃ良い物件だ。学校の裏手からちょっと登ってすぐだしよ。

 何でも学校の地下施設だけじゃ足りなくなりそうらしい。増設ってヤツだ。旅館の地下に、一部のB.O.Wの専用飼育施設を作るんだとよ。

あー…この間上司にえれぇ叱られてたもんな支部長。管理してたB.O.W同士が喧嘩して、ケルベロスとハンターを二体も駄目にしちまった。

まあ支部長が悪かったんじゃなくて、雇ったバイトが餌やりをサボったせいなんだけどな。かーいそうに。

 バイオゲラス、フローズヴィニルト、ハンター、ケルベロス、ポスタル、ネメシス。

このあたりが移送リストに上がってるらしい。すっげー面子。どうやってあんなの運ぶんだよ。裏門外の輸送エレベーターじゃ、一体ずつが関の山だぞ?

 タイラントは?って冗談で訊いたら殴られた。冗談だってのにビビりすぎだぜ先輩!

あんなバケモン、まずカプセルからも出せねぇって事くらい、俺でも分かってるっつーの!

あーもう絶対タンコブできたし。年上だからって偉そうにすんじゃねぇよなまったく。

 

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9月3日

 

 この国の連中は馬鹿か?何がホラー探検ツアーだ。

 誰だよこの旅館がホラースポットだなんて噂流したの。

おかげで変な観光客や不良のガキどもがたむろするようになっちまったじゃねぇか。

 支部長に相談したらマジで焦ってやがった。そりゃ、施設がバレたらアンブレラ社そのものの存続に関わるからな。

俺はこんな会社未練なんかないからいいけど、支部長はそうもいかないだろ。

 丁度いいから観光客も不良どもも地下に引きずりこんで、まとめてB.O.Wどもの餌にしちまえとかのたまいやがった。

てめぇ、自分が何言ってんのか分かってんのか?ま、責任は全部あちらさん持ちだからどうでもいいけどよ。

 そろそろ“うわばみ”野郎が腹を空かせてるところだ。メチルなんか与えたらまた叱られちまうかな。酒がもったいないっての。

 

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1025

 

 先輩の機嫌がいい。どうやら先日のフローズヴィニルトの検証結果がよろしかったらしい。

今まで散々地味な黒ゴリラとか言われてたが、大躍進だ。なんと奴らは複数の個体と連携をとって、獲物を追い詰める事が出来るらしい。

 今までのB.O.Wは殆ど協調性無かったもんなぁ。T−ウイルスに感染した肉はもう腐らねぇから、共食いなんて事にはならなかったけど。

喧嘩して腸で綱引きやってんの見た時はマジ勘弁と思ったもんな。奴らに痛覚は−−ってあるわけないか。神経壊死してんだし。

 残念ながらバイオゲラスみたいな特殊能力はまだ無いが。今後改良の余地は充分にあるだろう。

今までのB.O.Wときたら食うことばっかりで、頭の中身空っぽなのばっかだったもんな。まあタイラントとネメシスは別格としても。

 そろそろちゃんと名前をつけてやるべきだろうか。いつまでも“黒ゴリラ”じゃさすがに不憫だ。

 

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 ページはその3枚しか残っていなかった。名前は掠れているが辛うじて“Jake”と読める。恐らくアンブレラの研究員か誰かだったのだろう。

 

「一年前の日記のようだね」

 

 ヒロトが険しい顔で言う。

「裏門の鍵はあった筈だ。そこからエレベーターを使って偽装された飼育施設に行けば、ワクチンが残ってる可能性はある。手がかりもあるだろう。だけど…」

「この日記そのものが問題だよな。他の資料がごっそり無くなってるのに…わざと置いていったみたいだ。何者かの罠かもしれない」

「健治さんの言う通りだ」

 罠。その言葉に、思わず皆が顔を見合わせる。しかし、少なくとも自分の心は決まっていた。武は口を開く。

 

「行こうぜ。行くしかないだろ」

 

 安雄のグレードランチャーと、手榴弾の入った袋を拾い上げる。安雄は、のび太に一番想いを残したかったのかもしれないが。

引き継ぐ者はのび太一人ではない。彼の魂は自分達全員で受け継ぐ。

この地獄から抜け出すのは、みんな一緒。安雄の心も、必ず連れていく。

 

「罠なら罠ごと全部…俺様が吹き飛ばしてやる。安雄よりずっとグレードな花火を見せてやらなきゃ気が済まねぇからな」

 

 魂は、いつまでも傍にいる。武は空を仰ぎ見た。

 まだうっかりさ迷ってるかもしれないが。とりあえずそこから自分達を見ていればいい。

変わってみせる。力だけでなく、言葉の魔法も使えるように。

 

「終わらせに行こうぜ。全部の悲しいことも…この悪い夢もな!」

 

 必ずいつかは殴りに行くから。それまでビビッてればいい。

自分は臆病者に優しくできるほど、器用な人間ではないのだから。

 

 

二十八

友情

〜遺志をぐ者〜

 

 

 

 

 

それを嘆く必要はない。