−西暦1995年8月、学校校舎・1F保健室。

 

 

 金田が一度に戻ってきて欲しいというので、のび太達は保健室に来ていた。

今後は協力すると言ってくれたものの、それ以降彼との会話はずっとインカムごしである。

直接対面するのは、なんだか久々な気がしている。実際は大した時間も経っていないのだが。

 

「私からも幾つか報告があるのだ。

実は少し前に、ゾンビが数体保健室に攻めてきて…綱海君が退治してくれたのだが…」

 

 スネ夫を含めた全員が揃った保健室。金田はそう言って綱海を見た。綱海が頷く。

「ゾンビの中にな。明らかに一般市民じゃない奴が混じってた。

黒いライダースーツのような…まあ何という服かよく知らないけどよ。いかにも傭兵ですって感じのヤツな」

「そういえば安雄君もそんな感じの人を見たって言ってた気がするわ」

「静香ちゃんの言う通りだ。そいつは一人二人じゃない…何人もいたって事になる。

改めてゾンビを調べてみたらアンブレラのマークがバッチリついてた」

 だから手が臭いのなんのって。綱海が心の底から嫌そうな顔をする。

保健室にも手洗い場はあるし石鹸も常備されているが、洗っても簡単には落ちないのかもしれない。

 段々死体への恐怖も麻痺してはきたが。今ののび太でさえ、ゾンビの死体なんか触りたくないものだ。

いくら触っただけじゃそうそう感染しないと言っても。

 

「よく考えたら、おかしな話だよね」

 

 スネ夫が首を傾げる。

「今回の事件がアンブレラの狙ったものなら、アンブレラの奴が巻き込まれるわけないじゃん。

予めこんな事になるの分かってたら、少なくとも町からは脱出するでしょ」

「そうとも…限らないと思います」

 反論したのは聖奈だ。

「アンブレラは巨大な企業です。情報伝達が末端の末端まで伝わっていたかどうか。

…考えたくない事ですが、事件が起こるのを知っててあえて知らせなかった可能性もあるんじゃないでしょうか」

「見捨てたってこと?部下を!?

「医療現場でもトリアージという制度はあります。…救出に向かうことでより犠牲者を増やす可能性があるなら、

数人の犠牲に留める選択をするのも…分からなくはないです。納得はできませんけど」

 のび太は不快感に顔をしかめた。仲間を見捨てる選択なんて、考えるだけで恐ろしい。

確かに自分もある種、安雄を見捨てたと言われてしまう立場かもしれないし、戦場を知る者からすれば甘えた考えかもしれないが−−。

 誰かが死ぬ事を、当然のように受け入れるなんて。そんな事、一生かかってもできやしないだろう。

 

「もう一つの可能性として。事件が起こるのは分かっていても、

ここまでの規模になるのは予想できなかった…という事も考えられます」

 

 聖奈は真剣な顔で、一人一人の顔を見つめた。

 

「ちょっとした騒ぎで済むとタカを括っていたから…関係者でも逃げ遅れた人が出た。

その可能性もあり得るとは思います」

 

 なるほど。事件は予測していても規模が予想外だったケースもあるのか。

やっぱり自分の頭は足りないのかな、とのび太は思う。分かっちゃいたが、非常に残念な気分である。

 

「奴らがどこまで事件を予測してたかは気になるが…まだ判断出来る段階じゃないだろう。

それより私が気になったのは、アンブレラのゾンビが持っていたもんだ」

 

 言いながら金田はテーブルの上に、円柱型のガラスケースを置いた。

中には葉っぱのようなものがぎっしり入っている。

ぱっと見た感じ、特に役に立ちそうな品には見えない。ゲームなら薬草かなとも思うが、現実日本にはそんな都合の良い薬草なんてないわけで。

「マリファナだよ、これは」

「まりふぁな?なにそれ」

「そんな事も知らんのか?まあ、大麻と言った方が認知度が高いかもしれないが」

 大麻もよく知らない。バカにしたような金田の口調に思わずムッとするのび太。相変わらず目線が高いったらない。

 

「麻薬の一種さ。つまり違法薬物。強い常習性と幻覚作用があるよ」

 

 ヒロトがビンを手に取って言った。

 

「でもこのマリファナ…俺が知ってるのとちょっと違うような。こんな斑点あったっけ?」

 

 彼の言う通り、葉には赤黒い小さな点がたくさんあった。

まるで血が飛び散ったみたいだ−−そう思ってしまい、嫌な気分になる。

 しかし、何でアンブレラの傭兵が麻薬なんて持ってたんだろう。

研究に使うつもりだったのか−−否、研究者ならともかく傭兵に必要なんだろうか?

 そもそも日本は麻薬に厳しい。よくよく考えてみれば大麻という言葉に覚えがある気がする。

のび太が知ってるくらいだからかなり有名な麻薬なのだ。そんなもの、簡単に国内に持ち込めるものだろうか?

 

「こいつは普通の大麻じゃない。分析したから間違いないだろう。…恐らく遺伝子操作で作られた、全く新しい麻薬なんだ」

 

 金田の見やる先には、大きな顕微鏡が。どうやら山のように積み上がった荷物の中に入れてあったらしい。

まあ医者としての知識がなければ無用の長物だっただろうが−−土壇場でそんなものを持ち出してくる根性は凄い。

「試しにそのへんのゾンビとネズミを使って実験したら、数秒で効き目が出た。

ネズミの中には昇天しちまったヤツもいたくらいだ。幻覚作用はハンパない!」

「い、いつの間にそんな実験を…」

 金田の目がなんだかキラキラしてるように見える気がするのは気のせいか。

そもそもこの人本当に医者なのか。マッドななんちゃらではないのか?本当に?

 

「…まあ細かい話をしても君達の頭じゃ理解できんだろう。

問題はこんな危険な麻薬をアンブレラが使っていて、最前線に立つような連中が持ち歩いてるって事なのだよ」

 

 金田の結論はそこだったらしい。幻覚作用の強い薬物を傭兵が持ち歩いていたということは、兵器転用されていた可能性があること。

その葉の匂いを誤って嗅ぐだけで一時的な目眩と幻覚に襲われる。ゾンビ化した傭兵が持つビンが割れただけで一大事になりかねないのだ。

 確かに、これは皆を集めて話しておくべき情報だっただろう。しかも金田はこの場で、幻覚作用を中和する薬剤を調合したらしい。

 

「その実薬剤師の免許もあってな。手元にどっさり薬があって良かった。一時凌ぎだが、この薬があれば幻覚作用を打ち消せる」

 

 彼が机に置いたのはスプレー缶だ。つまり吸引して使うものらしい。

「予め吸っておくのもいいが、お薦めせんぞ。効果が長続きしないんでな。ヤバいと思ったその時に使え」

「…苦くないよね金田さん…」

「馬鹿もん、良薬は口に苦しだ!」

「ええ〜!?

「のび太の奴ガキだなあ。いまだに薬も注射も駄目だろお前!」

「うっさい!」

 ここぞとばかりに揶揄してくる武。のび太は涙目になる。嫌なものは嫌だと言って何が悪いのか。

そもそも小学生のうちは注射が怖くたって構わないしそれが普通だとパパは言ってたぞ!

 それにのび太は知ってるのだ。ニヤニヤ笑いながらからかう武も、注射が大の苦手という事を。

学校指定の予防接種の日、カーテンにしがみついてギャーギャー騒いでたのはどこの誰だと言いたい。

 

「でも、こいつは役に立ちそうだな。有り難く貰っておこうぜ。ありがとな」

 

 健治は素直である。見た目に反して良い子な反応に、金田も機嫌良さそうだ。

のび太は健治を見るたび不思議でならない。この人、一体どこで道を間違えちゃったんだろうか。

どう見たって中身は常識人である−−少なくとも自分達の中では一番の。

 皆も彼に従い、スプレー缶を受け取る。のび太も渋々ながらポーチに押し込んだ。使う機会が来ない事を祈りたい。

 

「それと健治にはそれ、渡しておくな」

 

 ぽーい、と綱海が健治に何かを投げた。

細長い形状はどう見たって刀だ。どこで見つけたのか、そんなもの。

「ゾンビが持ってたのをかっぱらった。お前まだバタフライナイフしかないだろ。こいつがあれば少しはマシだ。使い方は大丈夫か?」

「まあ…一時期木刀振り回してたからな俺…」

「はい!?

 訂正。木刀振り回してたって何ですか。かなり立派に真っ当に不良ルート辿ってらっしゃったんですか健治さん。

 のび太は開いた口が塞がらない。ツッコミ所は満載だが、満載すぎて言葉が追いつきそうになかった。

 そしていかにツッコミたくてもツッコんじゃいけない事例もあるわけで。

命が惜しかったら我慢した方がいいケースだろうか。

というかこれ以上脳内の健治のキャラを崩すのが怖い。

これ以上健治の闇歴史に触れそうな質問は避けた方が良い気がする−−自分の為に。

 

「…こうやって皆で集まれるの、もしかしたら最後かもしれないよね」

 

 ふと、静香が呟いた。何か根拠があったわけではなく、単なる勘だったのかもしれないが。

 いつ死んでもおかしくない場所にいる。仮に生きて帰れたとしても、救助が来た後ではもう皆と会う機会はないかもしれない。

少なくとも、町はもう死んでしまった。自分達の故郷は滅茶苦茶にされてしまった。脱出したが最後、もう戻ることは無いのだろう。

 

「…もう…生きてるかもわからないけど。友達みんなの間で、流行ってたおまじないがあるの。

みんなで一つ、同じお願いをして…人数が多ければ多いほど、叶う確率が高くなるんだって」

 

 勿論、みんなの心が一つにならないと駄目なの。静香はそう言って皆の顔を見る。

 

「信じられなくたっていいから…付き合ってくれる?」

 

 多分。ありきたりで流行りのまじないなどに力があるだなんて、彼女も思ってはいまい。

それでも、約束が欲しかったのだろう。言葉にしたら壊れてしまいそうな現実でも。言葉にする事で、魔法になるはずだと−−そう信じて。

 誰も、馬鹿馬鹿しいと笑わなかった。のび太は勿論、金田でさえも。

 静香に言われるまま、十人全員が右手を前に出して、掌を重ねた。のび太。スネ夫。武。健治。太郎。聖奈。ヒロト。綱海。金田。

一番最後に静香が自分の手を置き、反対の手でポーチのストラップの小瓶を取り出す。

 中には星形のビーズが入っていた。彼女は左手でキャップをはずすと、ビーズを皆の手に重ねた自分の右手の上に乗せる。

 

「みんなで、生きて帰れますように」

 

 ううん、そうじゃないわ。彼女は首を振る。

 

「祈るだけじゃ願いは叶わないもの。ちゃんと誓いを立てなきゃ。みんなも一緒に、誓って」

 

 静香は顔を上げ、強い声で言った。

 

「ここにいる全員。全員で必ず、生きて帰るの。生きて…必ず幸せになるのよ」

 

 一番幸せだった時間には、きっともう戻れない。

それでも自分達はまだ生きてるから、息をしているから。これから幸せを探す事は出来る筈だ。

「そうだよ。…幸せに、ならなきゃね」

「生きてこそだ、いつだって」

 ヒロトが言い、金田が言う。その時、皆の心は確かに一つになっていた。

安雄の死がそうさせたのかもしれない。のび太も繰り返した。

 

「幸せになる為に…戦うんだ」

 

 交わされた、小さな約束。叶う保証はないけれど。

 約束があった。確かに、そこに。

 

 

三十

麻薬

術師が嗤う〜

 

 

 

 

 

刹那さえ今は惜しく。