−−西暦1995年8月、学校校舎・3F廊下。

 

 

 やはり、4Fへ続くシャッターは殆ど閉じられている。セキュリティはスネ夫が全て解除した筈だが。

まだ別に制御システムがあるとしか考えられない。そうまでして守りたいものが、4F以上の階にあるという事か。

 綱海は一人、廊下を歩いていた。一人になれたのは好都合だった。

仲間達の事を嫌っているわけでは断じてないが、一人で動きたいタイミングというものもある。

 

「………」

 

 無言で、窓枠の上を見つめた。そこにはアンブレラが仕掛けたカメラがある。

今はスネ夫がそのカメラから、自分の動きを見ている筈だった。

彼も綱海の戦闘能力は知らされているが、それでも一人で動くとなれば心配する筈だ。他のメンバーより優先的に見られていると考えた方が良い。

 しかし。スネ夫の監視が行き届くのは、あくまでカメラが機能している事が前提。

そして校内に仕掛けられているカメラの数は、広さに対してあまりに少ない。

綱海近くにあるカメラは今自分が見上げている一台のみであり、またそのカメラが故障しているのは日を見るより明らかだった。

 丸いカバーガラスは割れ、引きちぎられたコードが露出。しかも紫色のねばねばした体液にまみれている。さしずめリッカーあたりが天井を這う際壊していったのだろう。

 この場所ならば、スネ夫の視界には入らない。絶好のチャンスである。しかし。

 

「邪魔すんなよ、と」

 

 一体どういう理由で嗅ぎつけるのか−−鼻も目も腐ってるくせに。

歯をむき出して近付いてきたゾンビの腹に、綱海は強烈な蹴りを食らわせる。

そのゾンビは吹っ飛び、後ろにいたもう一体を巻き込んでひっくり返った。

 綱海は手をポケットに突っ込んだまま、後ろに迫っていたゾンビに向けて鋭い回し蹴りを見舞う。

固いスパイクでもろに即頭部を蹴り潰され、そのゾンビの頭が割れた。中身が飛び出し、床に飛び散る。

こいつはもう動かないだろう。問題は、その後ろにもう一体二体と迫ってきていること。さっきひっくり返った二体も起き上がってきていることだ。

 なかなかの数に囲まれている。銃器の類も綱海は持っていない。狭い廊下で挟み撃ちにされてしまったわけだ。

窓の外にはケルベロスどもが涎を垂らして待ち構えているし、本来なら絶体絶命のピンチといったところだろう。

 けれど、綱海は面倒くさそうにため息を吐くに留めた。

自分がこれで死ぬなどとは微塵も思っていない。そもそもこの程度で殺られるなら、一年前の時点でとっくに御陀仏だっただろう。

 

「お前らに恨みはないし…元は人だった奴らを蹴散らすのは気が重いんだけどなあ」

 

 自分の本当の敵は、彼らではない。

 倒すべき者は、別にいる。

 

「…眠らせてやった方が、救われるなら。望み通りにしてやるぜ」

 

 綱海の体を、青いオーラが取り巻いた。立ち上るそれはまるで焔が揺らめいているかのよう。

理性も常識も失った筈のアンデット達が、束の間足を止める。まるで何かに気圧されたかのように。

 

「荒ぶる海を統べる絶対の神よ、契約の下、我が名に従え」

 

 あの頃、自分はただの中学生だった。なにも知らない、サーフィンとサッカーをこよくなく愛する、普通の少年だった。

 もうあの頃には戻れない。魔女と初めて戦い、全ての悪夢を終わらせる事を誓ったその日に−−覚悟は決めたのだから。

災禍の魔女を倒す為、人間であることを捨てると。人の理を外れて生き続けることを。

 

 

 

「召喚…化身、青海竜リヴァイアサン!!

 

 

 

 水が、辺りの空間に満ちる。それは現実の場所に流れ込む水ではない。

空間に直接溢れ出した水だ。誰にも逃げ場はない。アンデット達はあっという間に水浸しになる。

 綱海の背後には、体の長いドラゴンが悠々と身をくねらせていた。

碧い体に碧い眼。綱海が呼び出した化身という名の召喚獣は、その鋭い眼で死者達をねめつけた。

こいつらが敵か?と。問いかける思念に、綱海は笑みをもって答える。

 奴らは敵。仮初めとはいえ敵。我が道を阻むもの。我が正義に仇なすもの。つまりは汝の敵であるぞ、と。

 

「全てを浄化せよ」

 

 綱海の手に、黒いサッカーボールが具現化された。改良されたそれはゆうに100kgの重さがある。

綱海の意志で出したり消したりが可能なソウルウエポン。これも創造の魔女との契約で得た力と言える。

 綱海はその超重量級のボールを思い切り宙へ蹴り上げた。

途端、リヴァイアサンが吠える。その口がボールに向けてがばりと開かれ、大量の水と気が吐き出された。

 

「真・ダイダルウェーブ」

 

 あっけないものだ。大量に廊下に満ちていたアンデット達が、あまりに強烈な水圧で粉砕され、押し流される。

化身の力を借りたシュートの威力は、ツナミ・ブーストとは比較にならないのだ。

 あっという間の出来事だった。廊下は再び静寂を取り戻す。アンデット達の呻き声はしばらく聞かずに済むだろう。

綱海は一つ息を吐いて、リヴァイアサンを消した。代わりに聞こえたのは、パチパチという拍手の音だ。

 

「相変わらず派手だねぇ」

 

 誰かなど見なくても分かる。通路の影から現れた人物を、綱海はジト目で見た。

 

「あのなあ。見てたんなら手、貸せよ」

 

 彼の戦闘能力は自分を上回る。なんせ曲がりなりにも“魔女”の力を持つのだから。

今のアンデット達を倒すのに本当なら化身は必要なかったし、化身発動は言わば自分が面倒くさがったのが最大の理由だが−−彼が手を貸してくれたなら、その“面倒”も無かった筈なのだ。

「ごめんごめん。でも俺の技ってちょっと大味だから、狭い屋内にあんま向いてないっていうかー」

「小技使えよ!技のレパートリー俺よりずっと多いだろ!!

「やだよ面倒くさい」

「結局助ける気ねぇんじゃん!」

「だからごめんってばー」

 相変わらず軽い調子の相手に、がくりと肩を落とす。

悪意があるのやらないのやら。現状に不似合いなほどころころ笑う少年に、もはや脱力する他ない。

 小柄な体。緑色の髪をポニーテールにし、高い声で明るく笑うその姿は、ぱっと身可愛い女の子にしか見えない。

だが、これでも元“普通の中学生男子”だ。魔女の力を得て人間でなくなった今も外見は何一つ変わっていない。

つまり元々こんな顔である。女装したら恐ろしいまでに似合ってしまうことだろう。

 彼は名を、緑川リュウジという。聖奈が探している“親戚の男の子”だ。実際親戚でもなんでもないのだが、少なくとも聖奈はそう信じている。

確かにリュウジが彼女を助けたのは事実で、そこに他意は無かったのだろうけど。

「本題入ろっか、綱海。…ここはスネ夫君から見えないんだよね」

「ああ。ほれ、カメラはあの通り」

「うわーお」

 ネバネバベタベタなカメラを指差すと、リュウジは口を“O”の字に開けて感嘆の声を上げた。完璧に面白がっているようだ。

 

「お前いい加減、聖奈に顔見せてやれよ。彼女、お前に会うまで頑張るんだって張り切ってたぞ。

騙してた手前、気まずいのは分かるけどさ」

 

 綱海はずっと、リュウジはすぐ近くで見ていることを知っていた。ただしカメラには映らない方法ないし死角を使ってだが。

聖奈はリュウジがすぐ近くにいるのにも気付かず、ずっと彼を探していたわけである。そろそろ可哀想になってきたところだ。

 リュウジは聖奈の両親に幻術をかけ、自分を親戚の子だと誤認させて聖奈に近付いた。

全ては今日の為の下準備だ。聖奈の両親はアンブレラの下請けで働いており、何かを知っている可能性があったのである。

そう、綱海もリュウジも、この事件がアンブレラの手管だと早い段階でアタリをつけていたのだ。

 さらに。聖奈が今日この日、自分達のキーパーソンである野比のび太と親しくなることも知っていた。

彼女を知り信頼を得る事は、自分達がのび太に近付く為に必要なステップでもあったのである。

残念ながらリュウジは諸事情により聖奈と共に行動することが出来なくなってしまったのだが。

 自分達の目的は“敵”を倒すこと。同時に、その“敵”の被害を最小限に留める事だ。

聖奈のことも、彼女が自衛能力を身につけられるようサポートしつつ、最低限のガードはするつもりでいる。

それでもどんな理由であれ彼女を騙し利用した事実に変わりはない。リュウジが気まずさを感じるのも、分からないことではないのだ。

 

「うん…まあ、そのうちね。…でもこれ、一応円堂や一之瀬の考えでもあるからさ。これ以上“説明困難”な登場人物を増やすのは得策じゃないでしょう?」

 

 リュウジが困ったように笑う。その意味を理解し、綱海は頭痛を覚えた。

確かに−−現状極めて説明困難だ。自分やヒロト、リュウジの能力という奴は。何故平然と銃火器を持っていたのか。

刃物を持ち歩いていたのか。何より、ツナミ・ブーストのような特殊能力を持つのはどうしてか。

 のび太達も疑問には思っている筈だ。今まで上手く話題を流してきたが、それもいつまで保つだろう?

今はそれなりの信頼関係を保てているからいいが、もし何かキッカケがあって−−新たに誰かが犠牲になるような事態になったりして、疑念が噴出したら。

最悪、自分達にもあらぬ疑いをかけられることになりかねない。

 ならばいっそ、全てを話してしまうべきかとも思う。自分達の正体。自分達の目的。自分達が、本当に願っていること。

それが一番であるような気もする。

自分達は確かに、のび太達とは違う場所に立ってはいるけれど−−もう望んでしまっているから。彼らと、本当の仲間になりたいと。

 だけど。

 

「…いつか全部を話す時は来る。必ず…来る。でもまだ…信じて貰える段階じゃないかも、な」

 

 未来から来たロボットに時間犯罪。魔法のような秘密道具。

のび太達は自分達とは違った方向で、“ファンタジー”への耐性がある。

それでも“異世界”やら“魔女”やらを本気で信じて貰うには、どうしても実物を見て貰う他ないのだ。

 

「…今のところ、作戦はうまくいってる。ラストエデンのメンバー総出で被害を最小限に抑えてるから、

どうにかススキヶ原の町の外にはウイルスは出てないよ」

 

 あとこれも確定。リュウジは続けた。

「俺達異世界の人間は、T−ウイルスに感染しないし進化もしない。

干渉値を破らない為、世界が作った仕組みだろうね。こんなウイルスが異世界に出たら大変だもの」

「つまりT−ウイルスの元となった始祖ウイルスそのものは、最初からこの世界にあったと見て間違いないのか」

「恐らくは。…でも、アンブレラを突っついて方針転換させたのはやっぱり…奴で間違いないと思う」

 奴。綱海は唇を噛み締める。自分達が追い続けている魔女。恐らくはこの町が無茶苦茶になった原因を作ったであろう、あの女。

 絶対に許す訳には、いかない。

 

「今度こそ…引導を渡してやる。待ってろよ、アルルネシア…!!

 

 今も高笑いを続けているだろうが。のび太達はきっと見せてくれるだろう。

 お前が思うよりずっと、人間は力強い生き物なのだから。

 

 

 

三十二

暗躍

の勢力〜

 

 

 

 

 

平穏は今何処。