−−西暦1995年8月、学校校舎・3F放送室。

 

 

 暇だ暇だと、さっきから武が煩い。気持ちは非常に分かるが、いくら言い続けたところで現実が変わるわけでない事に早く気付いて欲しい。

そのうちそのへんのモノに八つ当たりを始めるのではないかと、スネ夫は気が気でなかった。

「ジャイアン…ここ精密機器の山なんだから、下手触って壊さないでよ?モニター出来なくなったら大変だろ」

「うるせぇ。俺様に指図すんな」

 ああ、なんで武が放送室係になっちゃったんだろう。心底くじ運の悪さを呪うスネ夫である。

周りに八つ当たりできないとなれば、その有り余った暴力は最終的に自分に向かってくる気がする。

 こんな時であろうとなかろうと、武に殴られるのは怖いし嫌だ。安雄の気持ちがよーく分かる。

「はぁ…上手くいかない。本当に上手くいかない…」

「あぁ!?

「あ、ああいやだからジャイアンのことじゃなくてさホラ…っ…ドラえもんのことでさ!」

 心の声が口に出てしまっていたらしい。鬼のような眼でこちらを睨んできた武に、慌てて弁明する。

 

「何でこんな事になってるのにまだ来てくれないんだろって…前にも話したことではあったけども!」

 

 言い訳代わりの話題ではあったが、再び口にするとやはり疑問は募ってくる。

 ドラえもんの姿を最後に見た時のことを思い出した。彼はドラ焼きを買いに行くと行っていて−−いや、それより前にだ。

何だか違和感を覚えたような。何だったっけ。

 

『これくらいお安い御用だよ。いい思い出は作れたかい?』

 

「いい思い出…」

「どうしたスネ夫?」

「ドラえもんが静香ちゃんに言ったんだ…覚えてる?いい思い出は作れたかいって」

 言葉のあやだったかもしれない。でも、自分達はその気になれば何度でも旅行に行けた筈だ。

特に今は夏休みで学校もないから時間だって余っている(そりゃあ夏休みの宿題という最大最強の敵が残るとしても)。

 なのにあの言いようは−−まるで、もう旅行に行けるのが最後であるかのような。少なくとも当分行けないような口振りだ。

「あと、一番おかしいのはみぃーちゃんだよ!ドラえもん、みぃーちゃんを連れていったのに、帰る時連れて帰ってこなかったんだ!」

「お、置き去り!?何で…ってまさか?」

「そのまさか、かも」

 みぃーちゃんをあれだけ溺愛しているドラえもんが、帰り際に彼女の存在を忘れるとは思えない。

そのドラえもんが意図的に彼女を島へ置き去りにしたとしたのなら。

 ドラえもんは知っていた可能性がある。今日この町が、どんな惨状になるかということを。

 

「…のび太の仮定が、あながち冗談じゃなくなってきたぞ…」

 

 武が唸る。

 

「ドラえもんは何考えて…ってかマジどこで何やってんだよ…!」

 

 ドラえもんがアンブレラと直接関わりがあり、この事件を起こした黒幕だ−−なんて馬鹿げたことは武も思っていないだろうが。

彼が姿を現さないことで、疑念がまるで灰のように積もりつつあるのは確かだ。

 ドラえもんがもし今回の事件を知っていて、みぃーちゃんを無人島へ避難させたのなら。何故自分達は戻してきたんだ?という話になる。

みぃーちゃんがバイオハザードに巻き込まれるのは駄目で、スネ夫達はどうでも良かったというのか?

 それにのび太は言っていた。まさかのタイミングでタイムマシンが消失していたこと。

スペアポケットがなくなっていたこと。

タイムマシンだけなら偶々メンテナンス中だったと解釈出来なくもないが、わざわざスペアポケットまで隠した理由は何だ?

 秘密道具全てが調整中だったというのもまた有り得ない。自分達は直前にどこでもドアを使ってる。

武もタケコプターを借りて、それが使用できるのは実証済みだ。少なくともこの二つは使えたのである。

とするとやはり、ドラえもんが他の秘密道具が使えないよう手を回したとしか考えられない。

 

−−分からない…分かんないよドラえもん…!

 

 スネ夫は頭を掻き毟りたくなる衝動を必死で抑えていた。ドラえもんの考えが全く分からない。

もしスペアポケットとタイムマシンが使えなくなったのがドラえもんの意志でないなら。

もしみぃーちゃんを偶々島に忘れてしまっただけなら。

もし事情があって自分達を助けられないなら。

言い訳でも何でもいいから、此処に来て弁明して欲しい。そうすれば多少胡散臭くたって、自分達はそれを信じてみせるのに。

 ドラえもんにとって自分達はどんな存在だったのだろう。いい思い出、なんて。彼はどんな気持ちでその言葉を口にしたのか。

 

「…タケコプター、まだ消えてないんだよな」

 

 武がポケットから、タケコプターを取り出して見る。

「この事件は…22世紀でも確定してたのか?だから…こいつがまだ手元にあるってことなのか?」

「…22世紀…?」

 そうだ。タケコプターが武の手元にある以上、未来に変化はないという事になる。

もしこの事件が歴史の予定調和なら、ドラえもんがアンブレラや事件となんら関わりがなくても、今日この日に起こる事を史実として知っていた可能性はある。

ならば何故、自分達を守ってくれなかったかという疑問は残るにしても。

 加えて、ドラえもんが20世紀にやって来た背景だ。彼はのび太の子孫であるセワシの命でのび太のお守りをしている。

もしあの22世紀が消えていたならドラえもんは発明されないし、セワシが消滅していたならドラえもんが発明されても20世紀に来る事にはならない。

 つまり、この事件の後。のび太は子孫を残すまで生き長らえたという事になる。

無論、今にでものび太が死ねばセワシは存在しなくなり、タケコプターが武に渡る結果もなくなり、消滅することになるのだろうが−−。

 

−−それとも、この事件が起きたことで、既に世界はパラレルワールドになっちゃってるのかも…。

 

 多次元世界説というか、またの名を“もしもボックス理論”というか。

“もしもボックス”で仮定した世界を、二度目の使用で取り消しても、仮定した世界は消滅せず裏で続いていくという話である。

前にドラえもんが教えてくれて、興味深いなと思ったので覚えていたのだ。

 もしパラレルワールドになってしまっているなら。上記の考察全てが無意味になってしまう。

のび太が死のうがセワシは存在するし、ドラえもんも消えないという矛盾した事態が容認されてしまう事になる。

パラレルワールドなのだから、既に繋がらなくなった過去で何が起きようと未来にはまったく関係がないのだ。非常にややこしいったらない。

 

「わっ」

 

 体を捻った拍子に、机の上の本を床に落としてしまった。スネ夫は慌ててそれを拾う。

幸い、床は綺麗に掃除されていた。本だと思ったのは古びたノートだったようだ。

誰かの名前が書いてあるが掠れてよく見えない。あまり丁寧な扱いをされていなかったのか、あちこちページが破れているようだ。

 もしかしたらアンブレラの連中が残した、何かの手がかりかもしれない。スネ夫はそれを手に取り、開いてみた。

 

 

 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 みんな しんだ。

 生きのこったのは、三人だけ。ぼくらは、−−ちゃんをたすけて、三人でにげだした。

 ここがドコかもわからない。でも、にげなくちゃ。しにたくない。

 でも、外のせかいはもう、しんでしまっていた。ゾンビだらけだ。

けんきゅうじょの、人たちもみんな。生きてる人は、ほとんどのこっていなかった。

 しにたくない。こわい。いやだ。

 たすけて、●●●●●。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 

 

 

「何これ…?」

 

 それは子供の字だった。ひどく荒れている。

平仮名だらけで非常に読みにくいが、それは子供が幼かったせいか、あるいは書いてる人間の精神状態が原因か。

あちこち掠れていて読めない。最後の固有名詞に至っては明らかに意図的にペンで塗りつぶされている。

そのペンのあとだけ真新しかった。

 

「何だそれ?ガキの日記帳か?」

 

 後ろから武が覗きこんでくる。

 

「きったねぇ字。しかも平仮名だらけとかのび太みてぇ」

 

 いや、あんたも人の事言えませんけど。スネ夫は心の中で突っ込む。

自分もそこまで字が上手いわけではないが、少なくとも武よりはマシだ。とりあえず人間の文字である。

武は魔界の世界に足を踏み込んだレベルだ。あんなカオス、狙って書けるものでもないだろうに。

 

 

 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 薄々気付いてたけど、彼女はまだウイルスを投与されていなかったみたいだ。

僕達は子供のままなのに、彼女だけ背が伸びている。このままいくと彼女だけが年老いて死ぬことになるだろう。

 彼女が好きだ。でも僕はもう人間じゃない。もし彼女が望んでくれても、僕と彼女は結ばれてはならない。

 もう三年近く、僕達以外に生きてる人に会っていない。もう生き残ってる人はいないんだろうか。

 唯一の希望は、取り戻すことだ。

君がいれば、全てをなかったことにできるかもしれない。

でもそれ以上に僕は、君にまた会いたい。

 あの日失ってしまった君を取り戻す。君を、君の未来を、君の世界を。そして今度こそ、君に言うんだ。

 

 いつも守ってくれてありがとう。

 そして−−ごめんなさい。

 

 終わらせるんだ。彼女が老いて死ぬ前に、僕の記憶が風化してしまう前に。

 全ての悲しい事を。悪い夢を。

 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 

 

 

 前の日記よりだいぶ年月が経っているらしい。字が少し綺麗になっていて、ちゃんとまともな漢字が混じっている。

ニュアンスからすると“君”と“彼女”は別人のようだ。

「ウイルスって…T−ウイルスのことか?でも、それにしちゃ違和感があるなあ…」

「うん…」

 アンブレラの人間の日記−−ではなさそうだ。何だか、見てはいけないものを見ている気になってくる。

 

 

 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 どうやら、彼は失敗作だったらしい。まさか年老いた彼女より先に、彼の方が命を落とすことになるだなんて。

 子供の姿のままなのは彼も僕も同じだったのに、一体何が違っていたというのか。

 彼の最期を、僕は一生忘れない。最期の約束。絶対に守り抜いてみせる。

とうに人間ではなくなった僕ではあるけれど、それでも今日まで捨てなかったモノ。

 僕は今日、●●●●●である事を捨てる。僕は今日から“俺”として生きていこう。

 必ず、全てを取り戻す。それが彼の望みで、彼との誓いだ。

 この偽物の歴史に終止符を打つ。たとえ何年かかっても。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 

 

 

 これはもしや、あの仮面の少年の持ち物だったのだろうか。

スネ夫は震える手で最期のページを捲った。

 

 

 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 彼女にも、置いていかれた。

 世界にはもう、俺独りだけだ。

 独りは、嫌だ。これは俺のエゴ。

 偽物の君を作ることを。偽物の彼を側に置くことを。

 どうか、どうか赦してくれ。

−−−−−−−−−−−−−−−−−

 

 

 

 

三十三

日記

かの願い詩〜

 

 

 

 

 

希望は今何処。