−−西暦1995年8月、学校校舎・1F保健室。

 

 

「実際のところ、どうなんでしょう」

 

 聖奈と二人きりになって暫く。唐突に彼女は切り出した。

 

「T−ウイルスって、実際に戦場で使えるものなんでしょうか?お医者さんとしてはどうなんです?」

 

 どうやら彼女は金田に、一人の医師としての見解を訊いているらしい。

陰ながら気になり続けてたのかもしれない。金田も暇だったので、同じことについて考えてみることにする。

「…あくまで私個人の考えなら。今のままでは…失敗作、だろうな」

「失敗作ですか」

「ああ。リスクが高すぎる」

 そもそも金田は、細菌兵器というものの効果に対し懐疑的だった。

自分が医者なのもあるが、どうしても威力とリスクが見合わないのである。

 

「ウイルスという奴は少なからず、自陣が被害を被る可能性を孕んでいる。

ワクチンと抗ウイルス剤が作られたのも、このウイルスが最初期以外は空気感染しないのもその為だろう」

 

 だが。このT−ウイルスには大きな欠陥がある。サンプルを調べて経過観察してみたところ、驚くほどのスピードで変異していくのが分かった。

今後ワクチンを作るにしても、リアルタイムの対応が求められる。今の医療でどこまでこの進化に適応していけるかは怪しいところだ。

 また、T−ウイルスの性質そのものが悪質すぎる。敵を全滅させるならまだしも、感染者は生きる屍となって動き続け、無限に被害を拡大させるのだ。

確かに戦場ならば、敵軍は機能しなくなるだろう。だが奴らは自力では死んでくれない。こちらの陣地までウイルスの被害が飛び火しないとは言い切れないのだ。

 屋外でバラまかれたら、手がつけられない。狭い範囲に押しとどめることは極めて困難だ。なんせ人間以外にカラスや犬まで感染してしまうのだから。

それこそ汚染が発覚した町そのものを核爆弾で消し飛ばしでもしない限り、感染者は増え続けることだろう。

「T−ウイルスは変異し続ける上、感染者は自力で死亡しない。こんな危険なもの、実戦で使いなどしたらとんでもない事態になる」

「そんな…」

 聖奈は絶句して言った。

 

「じゃあ…ワクチンを見つけても無意味だってこと?私達も感染したら助からないんですか…?」

 

 金田は首を振る。状況は絶望的だが、必ずしもそうとは限らない。

 

「変異したウイルスでもワクチンがある程度の効果を上げる可能性はある。

それに我々が資料とサンプルを持ち帰るだけで、研究は大きく前進するだろう」

 

 それが自分達にとっての唯一の望みだ。あまり悠長にはしていられない。

ウイルスが原型も留めないまま変異してしまう前に。このことが海外に漏れる前に−−なんとかして手を打たなければ。本当に核ミサイルでも打たれたら冗談じゃない。

 恐らくT−ウイルスの本領は、バイオゲラスのようなB.O.Wを作り出すことにあったのだろう。

ウイルスそのものを撒くより余程安全だ。バイオゲラスの体液などからもアウトブレイクは起こるが、そこは奴に、必ず敵の頭を潰すよう教育すればいい。

たとえ感染しても、脳や脊椎を破壊されればアンデットになることはないのだから。

 

「…ウイルス兵器の構想を持つ国は多い。しかし、それが簡単に成功しないから…今の世界がなんとかして存在してるとも言える。

アンブレラがもし自分でウイルスをバラ撒いたなら、馬鹿としか言いようがないな」

 

 エボラ出血熱、という恐ろしい法定伝染病がある。危険度ランクは世界でも屈指。全身の粘膜から出血し多臓器不全で死に至る恐ろしい病だ。

このウイルスを他のウイルスと掛け合わせて兵器を作る試みがあったと耳にしたことがある。

とんでもない話だ。ただでさえ危険なウイルスなのに、インフルエンザのような感染力を持ったら到底手がつけられない。

 兵器というのはリスクを考慮し、万全な対策を立てて始めて実践利用が可能なのである。

「ということは…やっぱり今回の事件は、アンブレラにとって事故…の可能性が高いんでしょうか」

「…どうだろうな」

 アンブレラの連中がトチ狂って、町一つを実験台にした可能性もあるし−−事故に見せかけた人災であるということも考えられる。

いずれにせよまだ情報が少ない。あの壁画−−魔女と呼ばれた女が実在したかも気になるところだ。

 アンブレラは元々、ウイルスを治療薬として使おうとしていたようだ。確かに、T−ウイルスはあらゆる筋肉を蘇えらせ、新陳代謝を活発化させる働きがある。

ただしその熱量は、バクテリアの大量発生による内臓の腐敗から生まれるものだ。

いくら筋肉が蘇り筋ジストロフィーなどの病が治療できても、内臓が腐ってしまっては全く意味がない。

 最初はウイルスとワクチンを併用することで対策しようとしていた筈だ。

しかし被験者は一生、アンデットになるかもしれない恐怖と戦う羽目になる。そんな危険な治療薬では、役に立たないも同然だ。

 十年以上前に、治療薬としての研究が頓挫したと資料には書いてあった。

だが、最初は薬を作ろうともがいていた連中が、そう簡単に方針転換するだろうか。

しかも人殺しの兵器なんて、当初のコンセプトからすれば真逆である。チーム全員が簡単に納得できたとは思えない。

 

−−それとも肖像画の女が、一枚噛んでいるのか?

 

 金田は唸る。敵は人間の女か、宗教か、本物の魔女か。非現実的なファンタジーを信じる気など毛頭ないが、完全に否定する気もない。

もし異端の宗教そのものが敵ならば、自分達の最大の敵は彼らの脳みそに巣くっていることになる。布教した奴はいるにせよ、架空の神こそ厄介なものはない。

 神の威光を恐れる者は、同時に神に報いる為ならばあらゆる非情も問わない。

もし−−ゾンビではない、狂信者達を相手に戦う時が来てしまったら−−のび太達はその躯を踏み越えて前に進むことができるだろうか。

 この時代で稀に見るまでの、素直で真っ直ぐな子供達。

彼らが生きた人間の血で手を染める時が来ませんように。自分にできるのはただ、祈ることだけだ。

 

「…スネ夫君。皆の様子はどうかね?」

 

 インカムのスイッチを入れる金田。ボタンを一度話すと話せ、もう一度押すとミュートになるシンプルな仕組みだ。

『のび太達なら今さっき裏門を突破したとこだよ。かなりゾンビとケルベロスが集まってたから、ちょっと手こずってた。

ヒロトさんがなんかブチかましてくれたみたいだけど』

「綱海といい…得体が知れんな奴も。まあ味方だからいいが」

『まあね。…あ、今エレベーター乗った。カメラの配置が正しければ次は旅館の入口に出てくる筈だ』

 一応、配置図は先程会った時説明して貰っている。エレベーターと通路があり、その先が旅館の前庭の倉庫に繋がっているという。

モニターに見覚えのない画像があるのでスネ夫も不思議に思っていたようだが、カメラが外にあるのでは見つかる筈もない。

 そしてカメラがあるということは、それだけアンブレラが施設を重要視しているということでもある。

恐らく、ここから先さらに核心に触れる事実が明るみに出てくるだろう。もう充分驚かされたが、鬼が出るか蛇かは誰にも予想できない。

 

『施設の中の映像っぽいのもあるにはあるけど…多分中のカメラも何カ所も壊されちゃってるな。ゾンビもうろうろしてるのが見えるし』

 

 安全な場所じゃないのは確かだね、とスネ夫はため息をついた。

 

『あとは綱海さんなんだけど。なんかすっごくフリーダムでチート。

この人を一人で旅館に放り込んでも良かったんじゃないの。気まぐれにゾンビを蹴ったおしながら進んでる…素手とサッカーボールだけで』

 

 彼があっさり銃を手放した理由が見えた気がする。何故あんな武器を所持していたかは分からないが、とにかくあれは綱海自身に必要なものでは無かったのだ。

だからのび太達に渡した。もしかしたら最初から仲間に渡すつもりで持っていたのかもしれない。

 綱海とヒロト。彼らが明確にそうと言ったわけではないが、恐らく同じ目的で動く仲間であり、何らかの経緯で保健室に辿り着いたのだろう。

金田は、二人はどこかの国の特殊部隊出身ではないかと踏んでいる。どう見たって身のこなしや考え方が普通の中高生ではない。

「ありがとうございます。また何か動きがあったら教えて下さい、スネ夫さん」

『オッケィ』

 聖奈がそう言って通信を終了させた。どうやら今のところ、取り立てて大きな危機はないらしい。聖奈も安心したのか、それが顔に出ている。

 

「問題はここからだ。…綱海君はともかく、のび太君達が向かうのはアンブレラの重要施設だからな」

 

 彼らが研究していた危険なB.O.Wがまだうろついている可能性も十二分にある。腹を決めて進むしかないだろう。

 

「きっと大丈夫です。…皆さんなら」

 

 聖奈はそう言って、苦笑した。

「不謹慎なんですけど。…こんなことが起きなければ、私達は出逢えなかった。

私、皆さんに出逢えて本当に良かったと思ってるんです。…皆さんと一緒にいれば…今までの自分を変えていける気がして」

「意外だな。変わりたかったのかね、君は」

「……強く思ったのは、皆さんに会ってからですが。変わりたいとは思ってました。…私、“優等生”な自分が嫌だったんです」

 優等生?それは良いことではないのか。金田が尋ねると、彼女は静かに首を振った。

 

「…良い意味じゃないんです。今までの私って、綺麗なことばかり信じて…綺麗事ばかり平気で言える人間でしたから。

頑張って頑張って擦り切れそうな人に、平然と“もっと頑張れ、逃げるな”って言ってしまったり。

…イジメは良くないですやめましょう、って口では言いながら、具体的に自分では何も出来なくて…人任せだったり」

 

 自分が“最低”だって自覚がないことが、一番“最低”でした。彼女はそう言って、俯く。

 

「でもね。のび太さんや健治さん達は、綺麗じゃない事も真っ直ぐ口にして、ぶつかってきてくれるんです。

時には行動で、伝えてくれるんです。…本当に良かった。世界が綺麗なものだけじゃない事を知る事ができて」

 

 聖奈は金田に微笑みかけてくる。

 

「だって綺麗じゃないモノを知るから…世界の美しいモノに気付けるんですもの」

 

 そうだな。そうかもしれない。金田は心の中で呟く。綺麗なモノばかり見ていては分からなかっただろう。

悲しい事がたくさんあったけれど−−もし生き延びる事が出来たらこの出会いは、自分にとっても大きな財産になるかもしれない。

 

 

 

『…いいじゃん。生きたいから生きるんだ。理由なんかどう繕ったってこじつけだろ』

 

 

 

 健治の言葉を思い出す。生きたいと願うことに理由が必要だと、そう思っていた自分には衝撃的だった。

彼のおかで、決意は固まったのだ。

そしてまだこうして立っていられる。

醜い世界で、彼のような強さがあると、その貴い光を見つける事ができたからこそ。

 

「私も…変われるかね」

 

 彼らが無事に帰ってくると、今はそう信じて待とう。傷の手当てくらいなら、してやれるのだから。

 

 

 

三十五

議題

値観エトセトラ〜

 

 

 

 

 

現実は今此処。