−−西暦1995年8月、某所。
かつん、かつんと音が響く。洞窟の中、まるで誰かが謳っているかのようだ。
壁や天井、広さも高さも一定ではない。音色は縦横無尽に反響して、好き勝手に跳ね回る。
自分が作曲家ならば何かインスピレーションが湧くかもしれないな、と出来杉は思った。
−−まったく、素直に生きるのは難しいね。
少し前の出来事を思い出し、出来杉は苦笑する。自分がバイオゲラスからのび太を助けた時の、仲間達の反応と来たら。
特にあちらの彼は、本当は安堵したくせに必死になって無表情を装っていたので、笑いを堪えるのが大変だった。もう一人の反応に嘘はないのだろうけども。
あれだけの期間を共に過ごしたのだ。あちらの彼がのび太に情が湧くのも致し方ないことである。かく言う自分も、少なからず同情してしまっているのは確かだ。
それは本来のシナリオがそうさせるのか。彼への感情と混同させてしまっているのかは定かでないが。
−−本当は…のび太君を殺さずに済むなら、それに越したことはないんだけどね。
まだ歴史は“確定”していない。彼が再びリセットすれば、この悲劇もまた“リテイク”されることだろう。
それが出来るからこその実験だとも言える。だが、今回の実験で彼が望む結果が得られれば、スイッチは押されることなく確定される。
彼はきっとそうするだろう。のび太を殺した結果、未来を変えることが出来るのであれば。
それで−−自分達がどんな思いをすることになろうとも。
−−ま。素直じゃないのはお互い様だよね。
自分がのび太を助けた理由。それは彼らに語った通りではあるが、それだけでないのも確かである。
のび太を死なせたくない気持ちはどこかにあるし、悲しい思いをしたくない自分勝手な願望もある。
それにのび太を殺してその未来が確定すれば、“彼”がどうなるかなど語るまでもないことだ。
それに。シナリオはどんどん姿を変えている。今までの実験では起こらなかったことがたくさん起きている。
少なくとものび太達がここまで奮闘してくれなければ、自分達も真実を知らないままだっただろう。
そして彼が見せる勇気や行動−−まるで人が変わったかのようだ。それはつまり、彼にもまた未来を切り開く力が眠っていたことを示している。
これは新たな可能性。自分達にとってもけして悪い事ではない筈だ。
のび太が変わる事で、彼を殺さずとも良い未来を得られるなら−−自分達にとってそれ以上の理想はない。
−−…それでも……彼はのび太抹殺を主張するんだろうけどね。
彼がのび太をあそこまで憎む理由。それが分かっているから、自分達は何も言う事ができない。
そもそも彼が強硬にのび太殺害を主張した場合、自分達は逆らう術を持たないのだ。
たとえ何があっても、天地がひっくり返っても。自分達には彼を意志を超える事が出来ない。
それが絶対のルール。自分達はあくまで彼の為に存在していると言っても過言ではないのだから。
「出来杉?」
不意に声をかけられ、出来杉ははっとして顔を上げる。
「どうかしたのかい?足、止まってるけど」
はる夫が不安げな声でこちらを見ている。どうやら思いの外深く思索に没頭してしまったらしい。
はる夫は出来杉のことも、出来杉の二人の仲間のことも何も知らない。あまり不審な行動をとるわけにはいかなかった。
「さっきも…どこ行ってたんだよ。心配したんだぞ」
「ごめんごめん。ちょっと気になる事があってさ。調べてた」
「気になる事?」
「うん」
誤魔化す手段は山のようになる。質問の答えは何パターンも用意してあった。
「…この洞窟さ。僕達はマンホールから入ってきたわけだけど…どう見たってただの坑道じゃないでしょ?」
自分達は安雄とはぐれた後、学校の近くのマンホールに逃げ込み、偶々ここを発見した−−事になっている。
少なくともはる夫はそう考えている筈だ。出来杉の場合、マンホールがどこか妙な場所に通じてるらしい事は知っていた上で飛び込んだのである。
計測する機器は彼が用意してくれていた。一般人ならば持ちえない筈のカードも、自分達はたくさん持っている。
残念ながら、干渉できる範囲もまた限られてはいるのだけれど。
「さっき、エレベーターみたいのを見つけたんだ。使えたらもっと地下まで行けたと思うんだけど…半分入り口が埋まっちゃってて、無理だったよ」
「エレベーター…ねぇ」
はる夫は苦い顔になる。
「…やっぱりアンブレラの連中が使ってたんだよな。ウイルスを研究する為に…」
エレベーターは少なくとも地下四階まで繋がっていたようだ。しかし、出来杉が問題視したのはそこではない。
はる夫は気付いてないだろう。問題は“エレベーターが何故か埋まっていた”ことにあるのだと。
手動で、ほんの少しだけ扉を開く事ができた。
中をライトで照らしながら覗き込んだところ、なんとロープが切断されエレベーターの天井に土砂が積もっているではないか。
ロープの切り口はナイフで切られたようにスッパリ行っていた。化け物の爪で切断された可能性もゼロではないが−−やはり人の手で成された可能性が高い。
化け物は暴れることはできても知恵はさほどない。ある程度の知恵を持つ“ネメシス”は、逆に鋭い爪や牙を持たない。
エレベーターのロープを切断して退路を絶つ−−化け物がやるにしてはあまりに高度すぎやしないだろうか。
それに、あの土砂といい埋もれて歪んだ扉といい−−誰かが爆発物を使った形跡がある。化け物は爆弾なんて使わない。“ネメシス”さえ扱うのは銃器がメインだ。
化け物以外−−自分達やのび太達以外の“何か”が確実に存在している。
アンブレラの連中か。件の魔女か。あるいはまだ未知の何かが潜んでいるのかもしれない。
時間をかけてでも炙り出すしかあるまい。もう既に、時間は山のように費やしてきたし、リテイクも重ねてきたのだ。今更恐れる事など何もない。
「…安雄……大丈夫かな。なあ出来杉、やっぱり学校に行くべきだったんじゃないか?
安雄は今でも僕らを校内で探し回ってるかもしれないぞ。それに化け物だっているし…一人だったら大変じゃないか」
「はる夫君…」
はる夫はまだ、安雄が死んだことを知らない。
その死に出来杉が間接的とはいえ関わってることなど考えもしない。
胸が痛んだが、出来杉に今できる事は嘘を吐くことだけだった。
「…大丈夫だよ、きっと。安雄君も武器はたくさん持ってたしさ。
それに、今から引き返すのもナンセンスだ。この先が学校のどこかに繋がってる可能性もあるしね」
もうこの世にいない人間を探しても意味はないんだよ、と。心の中だけで呟いた。
はる夫は知らなくてもいい。寧ろ知らない方が幸せな事はたくさんある。
この世界が、このまま行けばどんな末路を辿るか出来杉は知っている。
その破滅の未来を回避する為、自分達は試行錯誤してきたわけだが−−何度も思ったことはあるのだ。いっそ何も知らないまま死ねた者達は幸せだったのではないかと。
半端な知識は人を苦しめるだけ。そして完全な知識を得られたところで、それが救済になるとは限らないのだ。
「…多分この洞窟は、いろんな場所を結ぶ役割をしてたんだと思う。もしかしたら街の外に通じてるかもしれない。
…もしそうなら、その時は引き返して安雄君に知らせに行こう。生きて街を脱出すれば、とりあえずは安全な筈だ」
「だといいけどさ…」
はる夫の顔は晴れない。まだ街の外が無事なのは確かだ。電気も水も通っている。
これはも今までにはなかったことで、今までのシナリオならばあっさりウイルスは町の外に漏れだし、東京全体が早々に機能しなくなっていた筈だった。
これも何者かの手によるところなのか、現在はまだハッキリしていない。
しかしアウトブレイクが町の外でまで起きたら後はもう破滅を待つばかりだ。日本どころか、いずれ海外まで被害は拡大する事だろう。
ただ。そうなると他の疑問が浮上する。町の外が無事なのに何故救助が来ないのか?だ。
「…アンブレラってでっかい会社なんだろ。僕はあんまよく知らないけどさ」
はる夫は天井を仰ぎ見て言った。
「この洞窟の中にもあちこちアンブレラのマークはあったし…見ちゃったもんもあったし。
アンブレラが事件の原因なのは確かなんだろうけど…それだけ力がある企業なら、私用の軍隊くらい持ってそうなもんじゃないか」
「…軍隊持ってたからって、それを使って民衆を助けてくれるかは別問題だと思うけどね。良心がなければ、あっさり町一つ見捨てるんじゃないのかな」
「そ、そんな…」
絶望的な呻きを上げるはる夫。残酷だがそれが現実だ。
偉い大人ほど汚いものである。会社を守る為と言い訳して自衛にばかり徹するのだ。出来杉は痛いほどよく知っていた。
−−救助が来ないのは、アンブレラが隠蔽してるか政府に圧力をかけてるかのどっちかだろう。まあ、まだ政府が事態を把握してない可能性もあるけどね。
まだ町の外が無事という事は、裏を返せば高い確率で住人が誰一人外へ脱出出来ていない事も示している。ならば後者の可能性もゼロではない。
−−けど。いくら何でもこんな大規模なバイオハザード、露呈するのは時間の問題じゃないか?いつまでも隠し通せるとはとても…。
ふと、出来杉はある可能性に思い至る。その率がけして低いものではないという事も。
「パフォーマンス…」
「え?」
「パフォーマンスかもしれないよ、この事件」
事件発生が故意か事故かは分からない。しかし起きた事件を、アンブレラがさらに有効活用しようとするのは充分にあり得る。
アンブレラが開発していたのは、最初の趣旨はどうであれ今や立派な生物兵器だ。
そして開発されたからにはそれを使った営業を考えていたという事である。自分達自身の使い道もあるだろうが、基本的にはまずどこぞの国に大金で買い取って貰う事を考えた筈だ。
その為にはまず、買い手へのアピールが必要になる。
この兵器はこれだけ凄いんですよ、これだけの威力の制圧力がありますよ、と−−他国に見せられるような魅力的な実例が欲しいところ。
今回の事件など、まさに打ってつけではないか。
「他国へ売り込む為の、実証実験のデータをとること…それが目的なら、あえて見逃す事も考えられるね」
否。単なるデータだけではないかもしれない。もしアンブレラがこの事件を折を見て堂々と公開するつもりだったら。
その威力を見せつけ、世界全てに宣戦布告するつもりなら−−。
−−さすがに、それは無い…か。
もしアンブレラがその気なら、自分達の今までの実験でも同じ事が起きた筈。出来杉はその考えを否定した。しかし。
このもやもやとした嫌な予感はなんだろう。自分達はまだ、何かを見落としている気がしてならない。
真実の裏の真実。のび太達を追っていくば、それも見えてくるだろうか。
晴れない気分は募るばかりで、暫く青空は見えそうになかった。
第三十八話
不協和音
〜無音のオト〜
坩堝は煉獄。