−−西暦1995年8月、廃旅館・大広間前。

 

 

 ゾンビやら何やらを蹴散らしつつ、のび太達がやってきたのは大広間と書かれた部屋の前だ。

多分、かつてこの場所が通常営業されていた頃は、パーティー会場などに使われていたのだろう。

 

FFとかのゲームで言うと」

 

 ぼそり、と太郎が言う。

「…こういうとこに、ラスボスっているんだよね」

「ふ、不吉な事言うなよな…!」

 のび太は思わず太郎の後頭部をはたく。確かに気持ちは分かる。

いかにも“最後に辿り着いた広い場所”は、ラスボスのステージっぽい。間違いない。

そんでもってボスを倒さないと先に進む鍵やらなんやらが手に入らなかったりするわけだが。

 この状況ではまったくシャレにならないと分かって欲しい。もうバイオゲラスのような怪物と戦うのはごめんだ。

 

「スネ夫さん…どう?中の様子は見れる?」

 

 静香が安全策をとった。もし中にカメラがあるなら、スネ夫に確認して貰うのがてっとり早い。

カメラに何も映ってなければ、多少は安心して足を踏み入れる事が出来る。

 先程健治に大目玉を食らってから、彼女はかなり慎重になっていた。

別に彼女は何も悪くないし、無論健治はあくまで彼女を心配して叱ったわけだから、そこまで落ち込むことはないと思うのだが。

でも静香が気をつけて動いてくれた方が安堵できるのは確かだった。もうあんな無茶はして欲しくない。

 

『カメラ…あるにはあるし動いてはいるんだけど』

 

 スネ夫がインカムごしに苦い声を出した。

 

『駄目だね、真っ暗で何も映ってないよ。外にあるのは暗視カメラみたいだけど、中のは普通のっぽい。

どっちにせよ音声は拾えない仕様だから、これじゃ何も分からないよ』

 

 なるほど、そう来たか。カメラがあるのに役に立たないとあっては、自分達の目で中を確かめる他ない。

ごくり、と唾を飲み込み、のび太は扉のノブに手をかける。

「のび太さん!今度はあたしも一緒に行く!一人でなんて行かないで…」

「静香ちゃん…」

 不安に揺れる静香の眼に、罪悪感が募った。さっきの彼女の行動も、全てはのび太のしたことに起因している。

健治は静香を叱ったが本当に咎められるべきは自分だった筈だ。

にも関わらず彼らが何も言ってこないのは、のび太が既に理解していると気付いていたからかもしれない。

 のび太とバイオゲラスとの戦い。皆からすればそんな予定では無かっただろうに、結果としてのび太一人で戦う羽目になり。

危うく奴に殺されかかった。静香の取り乱しようは尋常ではなかっただろう。声と音しか聞こえてなかったのび太にもそれは分かる。

 またあんな無茶をされたら、今度こそ死んでしまうかもしれない−−のび太は静香にそう思わせてしまった。

それが彼女の焦燥に繋がった。

自分はなんて情けない男だろう。これでは守るべき彼女を守った事にならないではないか。

 強くなりたい。彼女に心配かけないくらい。健治やヒロトに迷惑をかけないくらいに。

 

「…大丈夫。もう一人でなんて戦わないよ」

 

 だから、のび太は言う。

 

「一緒に戦おう。君の事は、僕が護るから」

 

 他にもまた彼女の焦燥の原因があるのかもしれない。でも今、のび太に出来るのはこれだけだ。

最上級も最下級もなくこの言葉の他を置いて真実はない。そして真実を伝えて手を握る以上に、彼女の不安を取り除く方法を自分は知らない。

 静香は瞳を揺らし、やがて小さく「ありがと」と言った。

何に対してのありがとうだろう、と少しだけ思う。一人で戦わないと言ったことなのか、護ると言った事なのか。あるいはそれ以外の何かだったのか。

 しかし、それらを考えるのは今でなくてもいい。

のび太は意を決して扉を開くべく取っ手を捻ろうとして−−頭の上にクエスチョンマークを浮かべた。

 

「あ…あれ?」

 

 まさかのまさかだ。

「あ…開かないんですけど」

「だああっ!」

 健治と太郎が盛大にずっこけた。

「おま!こんだけ引っ張っといて結局それかよ!」

「感動台無しだね」

「ぼ、僕のせいじゃないよお!」

 健治に突っ込まれヒロトに生ぬるい笑みを向けられ、思わず涙目になるのび太。

静香も心なしか赤い顔で明後日の方向を向き、太郎に至っては笑い転げている。なんだこれは。どんなイジメだ。

 

「鍵…かかってたんだねぇ。面倒だけど探してくるしかないね」

 

 クスクス笑いながらヒロトが扉を押したり引いたりしている。やはり開かないようだ。

よく見れば取っ手には鍵穴がある。また鍵探しか、さすがRPGだ。のび太はもはや投げやりだ。

「ま。此処以外にも探索するところは山ほどあるし。ついでに鍵も探せばいいじゃない」

「うぅ…そりゃそうなんだけど」

 都合よく鍵が見つかっても見つからなくても、なんだか怖い。むしろ鍵が見つからない方が幸せな気さえしてしまう。

見えない誰かに延々監視され誘導されているかもしれない、そう気づいてしまった以上は。

 

「…ねぇ…みんな。見てよ」

 

 不意に、太郎が皆を呼んだ。通路の行き止まり、観葉植物が置いてあるあたりを指差して言う。

 

「この絵…此処にもあるんだけど…やっぱり魔女は、いるのかな」

 

 そこには、自分達が相談室で見たのとよく似た魔女の絵が飾られていた。

アルルネシア−−と今度はしっかり日本語で名前が書かれている。寄贈はやはりアンブレラ創始者であるオズウェル・E・スペンサーだ。

 

「魔女幻想を信じる人間は…アンブレラの中にどれだけいたのかね」

 

 健治が眉を寄せて言う。

 

「創始者のオズウェルとその一部幹部のみだったのか…あるいはアンブレラのほぼ全てに浸透してたのか…」

 

 なんだかぞっとしない話だ。宗教において大事なのは神そのものでなく信者たる民である−−と。

前、今はなき恩師が口にしていたのを思い出す。いつの授業だったか。

社会科の授業中、キリシタン排除をするべく踏み絵の話が出た時だった気がする。

 今なら彼が言っていた意味も分かる気がする。神こそ至上と謡われる数々の宗教だが、実は神が本当に存在するか否かは大した問題でないのである。

神を信じる者がどれだけの数存在し、盲信しているか。信者がいる事で神の存在が確定されると言っても過言ではない。

 だってそうだろう。神に神託を受けたと妄想を抱いた信者が人を殺したとしたら。

ある者にとってはただの殺人でも、ある者にとっては神が下した神罰になりうる。

神罰が下るならば神はいる。その事象が結果さらなる信者を増やすことに繋がる。まあ、これは極端な例ではあるが。

「なんかまた下に書いてあんぞ。さっきとは違う文で…日本語だな」

「って事は健治さんでも読めるね」

「のび太には読めないと思うぜ。俺が保証する」

 のび太のからかいに肘鉄で返しながら、健治が彫られた文章を読み上げた。

 

 

 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 

 アルルネシア卿は仰いました。

 魔女が愛するは魔女の国。魔女が目指すは魔女と選ばれし者のみの理想郷。

 魔女の口付けを受けし者は永劫の幸福と未来を約束されるでしょう。

 魔女は私達に課題を与えて下さいました。

 夜会における試練を乗り越えた者を、魔女の理想郷へ連れて行って下さると。

 そして生贄となった魂も、魔女が永久に復活し続ける為の糧となり、けして無駄なはならないと。

 素晴らしき哉、我が愛しのアルルネシア。

 貴女の為ならば我らはどんな茨の道でも歩みましょう。

 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 

 

 

「相変わらずのイカレっぷりですこと」

 

 はぁ、と溜め息が五重奏を奏でた。

「しかし読めば読むほど…人災である率が高くなってくんだけども」

「そうだね。最初から実験を兼ねた“儀式”だったのか、事故を装った“実験”だったのかの違いはあるけど」

 ヒロトがじっと碑文を見つめる。否、それは殆ど“睨んでいる”に近い眼だった。

「…やっぱりそういう事か。アルルネシア」

「え?」

 聞き間違いだろうか。のび太は眼を瞬かせてヒロトを見る。もしかしてヒロトはアルルネシアという魔女をよく知っている?

 

「さて。いつまでも此処にいたって仕方ないし。とりあえず一回、降りよっか」

 

 しかし次の瞬間、彼がうって変わって明るくそう言ってきたので−−のび太は尋ねるタイミングを逸してしまった。

 もしここで強引にでも深く切り込んでいたのなら−−この先に待つ悲劇を、回避する事も出来たのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

−−西暦1995年、某所。

 

 

 

 ギリギリと噛みしめた奥歯が、痛みを発する。なんて間が悪い。否−−これもまた連鎖する悪夢の一端だと言うのか。

 僕は素早くモニターを操作した。一刻も早く知らせなくては。このままでは手遅れになる。

 

『こちら出来杉』

 

 やがて、相手が応答する。この回線を使ったという事はかなりの緊急。向こうもそれが分かっているから、ワンコールを待たずに出たのだろう。

 

「忙しいとこ、ごめんね。マズい事になったよ。…廃旅館だ」

 

 のび太達があの場所に向かってからというもの、僕はずっと彼らをモニタリングしていた。

このままのルートで行けば、のび太達を最初の悲劇が襲う事になる。健治の死は、免れられない。

自分達にとっても喜ばしい事では無かった。自分達自身の感情もあるし、彼は今や集団になくてはならない存在である。

のび太達の精神的支柱と言っていい。彼が失った後、どれほど泥沼に嵌るかは想像に難くない。

 健治がどのように死ぬ事になるのか。実は今まで何度も実験を繰り返してきながら、殆ど何も分かっていなかった。

ただ彼の両断された死体が突然転がり出て、目の前で彼の死を見た太郎の気が触れる。その結果しか判明していなかったのである。

 しかし今。予定より早くのび太達が廃旅館に入った事で−−その一端が見えた。

廃旅館の映像に、面倒極まりないB.O.Wの一種が写り込んだのである。

 

「…フローズヴィニルトだ。奴が…廃旅館のどこかに潜んでる」

 

 映ったのは一瞬だけ。僕の持つ高性能な機器でさえ完全な追尾は不可能だった。

そもそも持ち合わせの機器は人間を監視するのには向いていても、化け物の監視には向いていない。

「フローズヴィニルト…奴の特性は君も分かってるだろう。のび太達が遭遇したら大変な事になる」

『…なるほど。確かにね。奴はバイオゲラスのような毒を持たない代わりに、複数で徒党を組んで襲ってくる。こちらもそれなりの人数で…かなり息のあった連携をしなければ勝ち目はない』

「うん。…さっきから“彼”にもコールしてるんだけど、繋がらなくて。なんとか君がヘルプに行けないかい?」

 出来杉の現在地はかなり遠い。それでも今頼れるのは出来杉しかいなかった。だが、その望みはすぐ無惨に砕け散る。

『……残念だけど。僕もはる夫君も今、身動きがとれない。詳しく説明する余裕もないくらいマズい状態』

「…何だって?」

 珍しく苦い色の混じる声で、出来杉は言った。

 

B.O.W以外にも…化け物はいたみたいだ』

 

 

三十九

日誌

敗する意識〜

 

 

 

 

 

煉獄は快楽。