−−西暦1995年8月、某所。
出来杉は警戒心も露わに、目の前の“敵”を睨みつけた。隣にいるはる夫は戸惑った顔で、自分と相手を交互に見やっている。
なるほど、何も知らなければ−−敵という認識すら、持てないに違いない。
「お前は誰だ」
出来杉は手に持ったグロック17(9ミリ)を構える。1985年−−十年前にアメリカで発売された有名なモデルだ。
余談だが17という名称は、装弾数がダブルカラム・マガジンによる17発+1発だからという説や、獲得した特許が17件であるからなどの説があるが定かではない。
この拳銃は反動がやや大きいのが難点だが、装弾数が多くて比較的軽いというのが魅力である。
その実本来ならばもっと扱いやすい武器も用意できたが、武器から足がつく可能性を考えればこの世界のこの時代にない武器は使えない。
はる夫と行動しているから尚更である。
よって出来杉は、グロック以外にも複数の銃の扱いをマスターしていた。
警察が銃を持ち出してきている現状、入手経路は誤魔化しがきく。
聡い奴は、日本の警察官が本来携帯しない型が混じっている事に気付くかもしれないが。
「酷いなあ。いきなり銃を向けてくるなんて」
銃を向けられても、相手の人物は余裕を崩さない。それこそ不自然なほどニコニコと笑っている。
「あからさまな偽物に油断してあげるほど、甘っちょろくないんでね」
そう、偽物だ。何故なら。
「もう一度訊く。貴様は誰だ。何故源君と同じ顔をしている」
相手は−−静香と同じ顔、同じ服装をしていた。
本来のシナリオの“出来杉英才”なら騙されたかもしれない。それくらい本物とよく似ている。
だが自分には“彼ら”がいる。仲間のコンピューターでのび太達の動向は逐一把握しているのだ。
静香は今のび太達と共に裏山の廃旅館いる事が分かっている。何をどうしたって、今自分の目の前に現れる事は有り得ない。
「くすくすくすくす…偽物だなんて酷い。あたしは静香よ?」
そもそも。本物の静香が知り合いに銃を向けられて平然としているなど有り得ない。
彼女の性格だ。動揺して涙くらい流してもおかしくないのに、こいつはその演技さえやる気がない。
「…僕は仲間内じゃ、一番気が長い方なんだけどね」
わざわざ静香の顔と名前を騙るなんて。どう考えてもろくなもんじゃない。
「君が本当の事を話してくれないなら、こちらも少々荒っぽい手段をとらざるをえないんだけど?」
「お、おい出来杉!?」
ぐい、と拳銃を偽・静香の額に押し当てる。はる夫が慌てたように声を上げた。
「よ、よせって!確かに静香ちゃんにしちゃ様子がおかしいけど…本人じゃないって証拠でもあるのかよ!?」
彼は一般人だ。モニターのことなど何も知らない。
だから、この静香が偽物だと確信が持てなくとも仕方のない事ではある。
さらに。自分にもまた、それを説明できる材料がないのは確かなのだ。
“彼ら”の事は話せない。話すわけにはいかない。その上ではる夫を説得するにはどうすればいいのか。
「話せないわよねぇ、本当の事なんて」
すると考えこむ出来杉に追い討ちをかけるように、少女がにんまりと嗤った。
「貴方、本当にそのボウヤを仲間だなんて思ってるの?ちょっと隠し事が多すぎやしないかしら?」
「黙れ」
「せめて教えてあげればいいのに。安雄君が死んじゃったことくらい」
「え…!!」
はる夫の顔が驚愕に染まる。出来杉は思わず舌打ちしていた。何故だ。何故こいつが、安雄の死を知っている?
まさか。
「あら、分からない?理科室の金庫に…面白いモノを残してあげたのはあたしよ」
理科室の金庫。密室にあったにも関わらず、安雄が最後に見た時から不自然に入れ替わっていた中身。不自然に残されていた、日記。
まさか、こいつが。
「…どんなマジックを使った。目的はなんだい。そしていい加減最初の質問にも答えてくれないかな」
「言ったじゃない。あたしは静香よ」
くすくすという笑い声が耳障りだ。
「正確には…元・静香だけどね。あたしは源静香のデータを元にして作られた人造人間1号…別名SMサイボーグ。
あの方の技術をもってすればこれくらい容易い事なのよ」
あの方。
「…二ノ宮蘭子…か?」
偽静香−−SMサイボーグは答えない。違うという意味なのか、答えるまでもないという事なのか。
いずれにせよこいつがサイボーグというならば、こいつを造った人間、命じた人間がいる。
少なくともこいつ以外に敵がもう一人いる事を意味している。
「なあ…安雄が死んだってどういうことだよ。何で出来杉知ってんだよ…知ってたなら黙ってんだよ!?」
はる夫が会話に割って入る。ややこしい事になった。
自分が安雄の死を知らせなかったのは、本来ずっと安雄と行動していた筈の自分が知り得なかった情報だからだ。
その情報源を探られて、あらぬ疑いをかけられたらたまったもんじゃない。そう思って黙っていたのに−−。
「…可哀想ぉ。まだそのボウヤは貴方のことを信じてる。可哀想だから教えてあげちゃうわ」
やめろ。余計な事を言うな。出来杉は睨むが、少女の口は止まらない。
「ねえはる夫君。ちょくちょく姿が見えなかった出来杉君が…どこに行っていたか知りたくない?」
「おい!」
「出来杉君は本当のお仲間と連絡をとっていたのよねぇ。だって…」
にぃ、と。本来の静香ならばけして浮かべない凶悪な笑みを浮かべる偽物。
「貴方達にとって…この世界のことなんてただの実験に過ぎないんだもの」
空間が、凍った。
「じ…っけん?…なんだよ、ソレ…」
「よせはる夫!こいつの言う事なんかデタラメだ!信じるな!!」
「くすくすくすくす!!どうかしらねーくすくすくすくす!!」
マズい。ある意味一番マズい展開だ。彼女の言う事は間違っていない。確かに自分達は実験をしている。
しかしそれはあくまで、世界を救う為の実験だ。自分は断じてアンブレラの手先ではない。
ここでそのキーワードを出すこと自体が禁忌。はる夫の頭に浮かぶ実験など一つしかあるまい。
「出来杉、お前…アンブレラの手先だったのか?お前がこの町を…みんなを…?」
「違う!僕はアンブレラとは関係ない!僕は…っ!」
本当の事を話してしまえたらどれだけ楽だろう。だがそれが出来ないからさらに誤解は続く。亀裂が広がる。
最悪だ。
「うわああああっ!」
自動拳銃H&K USP9ミリ弾モデル−−はる夫がそれを構たのを見た瞬間、出来杉は横っとびに飛んでいた。
直後ぱぁんっと火薬の弾ける音がする。
「素敵!素敵だわ!目の前で仲間同士の殺し合いが見れるなんて!」
黙れ、と一喝してやりたいところだが、悲しいかなその余裕がない。
相手が赤の他人ならこちらも容赦しなかったが、なんせはる夫だ。
しかも狭くて視界の悪い洞窟内。頭に血が上っているはる夫の動きを読むのはそう簡単なことじゃない。
はる夫は自分より腕力もあるので押さえ込まれたら勝ち目ない。
しかもこちらは出来る限りはる夫を傷つけたくないのだ。なんて厄介な。
唯一こちらの利点は。こちらは戦闘訓練を充分につんでいるのに対し、あちらは今日銃に触ったばかりの素人であること。
あちらの武器であるH&K USPのことは充分把握していることだ。
H&K USPは右利き左危機問わず扱えるレバー式のマガジンキャッチでありであり、グローブをつけていても扱いやすい大きめのトリガーガードわ備えている。
余談だが後に日本警察で普及されることになるH&K P2000の前身版といっていい。
装弾数ダブルカラムマガジンの15+1発。ポリマーフレームを軽量化してあるが、H&K社は独自の機構で解決を図っている。
おそらく、反動の大きさは自分のグロック17の方が大きいだろう。装弾数はわずかにこちらの方が多いけれど。
−−はる夫君にマガジンの取り替え方は教えてある。でも、前にやらせてみたらだいぶ時間かかってたっけな。
ならば、全弾撃ちつくさせて、その隙に銃を奪う。はる夫が持っているのはそのH&K USP一丁だけだからそれで武器がなくなる。
あとは手荒いが一度拘束して、ゆっくり説得させてもらうしかない。
真実を全て語ることは出来ないが、断片的に話して、それらしく仕上げることは可能。自分になら、できる!
「くそっ…くそっ!」
はる夫は錯乱しながら撃ちまくっている。おかげで無駄弾が多い。弾数は数えている。
あと三発だ。そうしたら一気に距離を詰めて銃を蹴り飛ばせばいい。洞窟内に岩がごろごろしていたのが幸いした。
問題は。
「つまんないなー」
偽静香。こいつがまた余計なことをやりかねないということ。
自分の狙いはバレているだろう。出来杉に戦う気がないこともすぐ分かった筈。
さっきの言動から察するに、こいつは状況を引っかき回したいのだ。そして恐らくこいつはアンブレラ側の存在。
はる夫のことさえなければ、真っ先な拘束して真相を吐かせてやったものを。サイボーグ相手に拷問や尋問なんとものが通用するかは分からないが。
それに、こいつの見た目は静香に似すぎている。ガチで演技されたら見分けるのは難しいかもしれない。
それでのび太達に接触されでもしたら、どんな混乱を招くか想像に難くない。余計な犠牲が増えることも考えられる。
ここで自分がなんとかしなければ。そして一刻も早く廃旅館に駆けつけなければ。
「はっ…!」
足元に着弾。なんとか避ける。あと二発だ。はる夫は悔しげにこちらを見つめる。出来杉は叫んだ。
「僕は確かに、君に隠してることがある!でも…みんなを嵌めようなんて微塵も思ってない!!」
そうだ。自分達は−−いや、彼の望みは。
「真相を解き明かして…みんなを助けたい!僕の願いは、それだけだ。信じてくれ、はる夫!!」
その為だけに自分達はリテイクを重ね続けてきたのだから。繰り返し繰り返し、心を削りながらも、延々と。
「そんなこと信じられるわけないわよね、はる夫君?」
偽静香がまた余計なことを言いながら、パチンと指を鳴らす。その途端、どこからともなく地響きが響いてきた。
「な…!?」
「わあっ!」
「ふふ…さーぁ、黄泉への扉が開いたわよ?」
何だ。何をしたんだ。出来杉はサイボーグを睨みつける。少女は涼しい笑みで、暗い瞳をこちらに向けてきた。
「何度賽子を振っても同じ。貴方達に、奇跡なんか起きやしないわ。何故ならあの方がそう定めたのだから」
不幸の連鎖は続くのよ。少女は妖艶に微笑む。地響きが大きくなり、出来杉とはる夫は膝をついた。そんな自分達を、彼女は暗く見下ろし続ける。
「さあ…もっと面白いショーを見せて頂戴?」
少女の背後から、死が姿を現した。それは巨大な陰。人の闇が具現化した化け物。大きな大きな−−毒蜘蛛。
「くそが…っ!」
ブラックタイガー。その名称がを吐き捨てる出来杉。少女の高笑いが響く。地響きの中でも、忌々しいほど鮮明に。
第四十話
敵
〜狂い咲きのテーゼ〜
快楽は根源。