−−西暦1995年8月、廃旅館・2F廊下。
腐りかけの床に気をつけながら進んでいく。よく見れば補強された板もあり、そこを選んで踏めば危険がないことも分かっていた。
アンブレラの連中が施設の
隠れ蓑として使っていたなら、最低限の安全確保は必須である。
まあ、どこまで“安全”を優先してくれる企業だったかはだいぶ怪しいものだけど。
201号室、と書かれたドアの前に立つのび太。
ドアの前に足音がたくさんある。最近使われたのは間違いなさそうだ。恐る恐るノブを回してみるが−−残念ながら、開かない。
「こういうのの鍵ってさ。カウンターとか、管理人室で管理してるのが通例だよな」
まじまじと鍵穴を覗きこんで健治が言う。一理ある。というかその可能性が一番高そうだ。
今までの鍵の入手経路がそもそもおかしいのである。管理してる場所で見つかるのがまず普通だろう。
「…ちょ…何これ」
ややヒロトのあっけにとられた声。彼が立っているのは203号室と書かれた部屋の前だ。
「…四隅。釘で打ちつけられてて鍵とかそういう問題じゃないかんじ」
「わーお」
「開かずの間だな。別名、部屋をプログラムするのをめんどくさがった作者の手抜き現場」
「健治さんやめない?そーゆーメタ発言…」
普段常識人なのに、たまにさらっと爆弾落とすよなこの人。のび太は顔を引きつらせる。
「一応スネ夫さんに確認してもらいましょうよ。…スネ夫さん、今話せる?」
静香がインカムのスイッチを入れる。すると全員の耳に、やや大きなノイズが入った。同時にスネ夫が通話ボタンを押すピッという音が。
『話せるには話せるけど…うっわ、ノイズ酷っ。だいぶ距離離れちゃったからだな。音が全然安定しないみたいだ』
「仕方ないわ。ちょっと耳が痛いけど、聴こえるだけマシよ。
…私達の現在地分かる?203号室の開かずの間なんだけど…中にカメラはあるかしら」
『ちょっと待ってて』
カチカチとスネ夫がボタンを操作する音がする。で。
『…うん。そこ無視。入らない方がよさげ』
あからさまにビビッた返事が。ちょっと待て何を見たんだ。むしろ気になっちゃうではないか。
『部屋薄暗くて…暗視カメラじゃないからハッキリ見えないんだけど。誰かいるよ。ゾンビか生存者か分からないけど』
「生存者!?」
『…もしそうだとしても近寄らない方がいいよ。明らかに動きがおかしい。イカレてる。
窓もドアも釘で打ちつけられてて、さっきからこの人電気もつけないで床を猛スピードで這い回ってる…』
「………」
思わず。全員がドアの方を見た。太郎が恐々としながらもドアに近づき、耳をくっつけるという勇気ある行動に出る。
そして泣きそうな声で言った。
「……中でカサカサガサガサ音がするんだけど……」
ああ。
聴かなきゃ良かった。
「ゾンビになったか発狂してヘブン状態になったかのどっちかだな…」
「忘れよう。全力で忘れよう」
どっちにしたって関わり合いになりたくない。
もしどーしてもこの部屋にしか地下施設への入口がなさそうだと分かったら、その時考えよう。
んでもってそうならないことを、祈ろう。
「あ」
きぃ、という音。声を上げたのは静香である。
「見て。こっちのドアは開くわ。老朽化して鍵が壊れちゃってたみたい」
見れば彼女がドアを少し開けた途端、掛け金がぼろりと外れて床に落ちた。錆だらけ、埃だらけ。
ここは本当に使われてなかった部屋かもしれない。もし本当にそうなら、探索したところで何も見つからない可能性もあるけれど。
「一応見てみるか。俺が先に行く。太郎、のび太兄ちゃんに捕まってな」
「う、うん…」
さっきの静香の一件があったからだろう。健治はなるべく自分が先頭に立つようにと意識しているらしい。
このメンバーの中で彼が一番年上だし、皆を率先して護らなければという使命感もあるかもしれない。
ずっと健治にひっついていた太郎が、やや心配そうな顔をしながらものび太の方に来る。
のび太はその小さな手をしっかり握った。太郎の震えと恐怖が伝わってくる。
自分にはその恐れを取り除いてやる術がない。そう思うと、胸の奥がきゅうと締め付けられるように痛くなる。
健治を先行させつつ、一歩遅れて室内を覗くのび太。
「おっと」
健治が何かを見つけたようだ。
「明らかに一般人じゃなさそうなオッサンだな」
健治の足下。白衣を着た初老の男が倒れていた。背中から左足の膝から下が喰いちぎられている。
にも関わらずぴくりとも動かないあたり、やはり死んでいるのだろう。
健治の行動に迷いは無かった。彼は素早く刀を抜き、遺体の首を寸断しにかかる。
ごぎ、と。骨が断ち切られる嫌な音。のび太は思わず目を背けた。
万に一つでも復活してくるのを防ぐ為とはいえ、惨たらしいことに代わりはない。
自分も遺体を見つけたら同じことをしなければならないかと思うと、陰鬱な気持ちになる。
本当は彼も嫌でたまらないだろうに。これも務めと、健治が遺体のポケットを漁った。
遺体の胸には名札がついている。『Sean=K=Faker』。それがこの男の名前だったらしい。
名札にはアンブレラのマーク。やはりアンブレラの研究員だったようだ。
「このカードキーはなんか約に立つかもしんねぇな。…あと…なんだこれ。メモ?」
「見せて」
のび太は健治からメモを受け取る。
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0530
(↑Mana's birthday)
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「マナちゃんの誕生日…ねぇ。誰よマナちゃんて」
「この人の娘とか孫とかじゃないの。あるいはペットの名前」
健治とヒロトがぶつぶつ話している。のび太はむくれたくなった。
どうせ自分は英語なんて読めませんよだ。しかもぐねぐね文字(筆記体)だし。
いや、パソコンの小説じゃ読者様方には分からないかもしんないけども。
「わざわざメモしてあるんだから、なんかの金庫の番号かなんかでしょ。一応預かっておくね。…ほらのび太君、スネないの」
「僕は小学生だから英語なんてできなくたっていいもん」
「ローマ字はそろそろ覚えていい時期だけどね…」
やかましい。余計なことを言うヒロトにますますご機嫌ナナメなのび太である。
「洗面所は完全に床が抜けちゃってるみたい。入らない方がいいと思うわ」
洗面所を覗きこんだ静香が言う。ならば寝室だ。再び健治を先頭に居間兼寝室へ向かう。
埃と湿気と腐臭が混じって、なかなか素敵なハーモニーを奏でている。鼻がひんまがりそうだ。
見れば部屋の奥に汚物がブチ撒けられていて蠅がたかっている。この研究員が死に際に嘔吐したのかもしれない。
おまけにどこから来たかも分からない片目を抉られた女の子の生首がソファーの上に堂々と鎮座している。
私が主ですと言わんばかりだ。
少し前なら泡を吹いてひっくり返っただろう光景も今では驚きさえしなくなっている。嫌悪感が残っているだけまだマシか。
「うう…さっさと調べて早く出よう、こんな部屋…」
吐き気を堪えながらものび太は棚の方へ近付いている。
さっきのが金庫の暗証番号というならば、当然どこかに金庫本体がある筈だが、なかなかそれらしい物体が見当たらない。
そもそも自分も金庫らしい金庫なんて某怪盗アニメでくらいしか見たことがない為、想像しているブツが正しいのかも不明だ。
金庫が明らかに“私金庫デス”といった姿をしてなかった場合、探しても簡単に見つからない気がする。
「金庫、この部屋じゃないのかなあ…あ」
太郎がミニテーブルの下から何かを拾い上げた。それは薄汚れたノートである。『Sean=K=Faker』と、さっきの人と同じ名前が書いてあるのが見えた。
「…表紙の文字、僕読めないよう。えいご?なんて書いてあるの、健治兄ちゃん」
「ほれ、貸してみ」
ノートが太郎から健治へ渡る。
「ショーン=K=フェイカー…さっきの奴のノートみたいだな。タイトルは“不幸輪廻因子における最終考察”…って訳せばいいのか?」
不幸輪廻因子?のび太は首を傾げる。初めて聴くキーワードだ。
「なんかウイルスとは関係ないっぽい?」
「さあな。一応読むぞ。…くっそ筆記体かよ翻訳めんどくせぇ!」
のび太は健治の手元を覗き、即座に目を逸らした。達筆なのか下手なのかさえ分からない、へびうねうね文字(筆記体)が連なっている。
これを言語と呼ぶのが間違ってる。
何で日本語が世界共通語じゃないんだとかそもそも言語の種類なんて一種類でいいじゃないかとか、あちらからすれば理不尽極まりないことを思ってみる。
健治は少し時間をかけたようだが、やがて中身を意訳し始めた。
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不幸輪廻因子に関しては諸説あるが、私はその存在を肯定している。世界を滅ぼす“不幸”を引き寄せる人間は間違いなく存在するのだ。
私が担当したクラリスという少女も、この不幸輪廻因子を保有していた可能性が極めて高い。
彼女が生まれた町は、彼女が生まれた年から犯罪件数が何故かハネ上がる現象が起きており、また彼女が生まれた年に彼女の祖母が火事で死亡している。
さらにクラリスがよく遊んだ子供達三十二人は皆、彼女と最初に遊んで一年以内に大きな怪我をした。二人に至っては死亡。全員バラバラの理由でだ。
また、彼女が通ったハイスクールまでのクラスだが、担任が計二十八回も変わっている。殆どが不幸な理由でだ。またクラスメートの不幸も九回ほど起きている。
さらには。彼女が長年過ごした町は彼女が引っ越した翌日に竜巻にみまわれ、二万人近い犠牲者を出して壊滅した。
もっと言えば彼女が引っ越した先の町もその日に交通事故者数がハネ上がっている。
他にも様々な具体例が挙げられるが。ここまで続くものを偶然と片付けるのはさすがに強引だろう。彼女は最終的に精神を病み、電車に飛び込んで挽き肉になった。
不幸輪廻“因子”という表現をしたが、遺伝子に何か目立った異常があったわけではない。
しかし彼女の“何か”が不幸を引き寄せ続けてきたことは確実であり、また似たような境遇を持つサンプルも数例報告されている。
非常に興味深い事例だ。上層部はあまり重要視していないようだが私はそうは思わない。上手く解明して生かせば、T−ウイルスにも匹敵する脅威となる筈だ。
そこで私が考えた方法はといえば−−。
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「……」
「あれ?どうしたの健治さん」
唐突に健治が読むのをやめたので、のび太は尋ねる。すると彼は引きつった顔で言った。
「…こいつテンション上がるとどんどん字が汚くなるタイプだぜ絶対…この先カオスすぎて全然読めねぇ。
俺が本家アメリカ人なら読めたかもしんねーけど」
「ありゃ…」
しかし、不幸を招く因子なんて恐ろしい。ウイルスと直接関連したものでないにせよ、アンブレラがこういった研究をしていたのは確かだ。
一応気に止めておこうと思うのび太だった。
第四十一話
羅刹
〜連鎖反応〜
根源は漆黒。