−−西暦1995年8月、廃旅館・1F廊下。

 

 

 

「もー嫌だもー嫌だ」

 

 健治は溜め息を吐いた。ハンターは倒したが、その直後にまたゾンビの群とご対面。

せっかく102号室の鍵を手に入れたのに、ここまで来るのにまた随分と時間がかかってしまった。

「俺達絶対呪われてる。…あー町がこんな事になった時点でもう確定か」

「まあねぇ。…それでもまだ生きてるだけ見離されてないって思いたいよね」

「違いねぇ」

 ヒロトが苦笑し、健治もそれに同意する。確かに別の解釈をすれば、こんな酷い事件にも関わらずまだ自分達が感染しないで生きているのが奇跡的だ。ある種幸運だと言えなくもない。

 とはいえ。その幸運がいつまで続くかはわからない。一刻も早く、研究所へ続く道を探さなければ。

 最悪なのは自分達が脱出できないことではない。脱出した先に自分達がウイルスを持ち込んでしまうこと、だ。

もし自分達が感染して、感染に気付かず町の外に出てしまったら−−目も当てられない結末が待っているだろう。

 他のメンバーがその可能性を視野に入れているかは分からないが。

健治は脱出よりも優先して、抗ウイルス剤ないしワクチンを探すべきと考えていた。

子供達には酷かもしれないが、こうなってしまった以上自分達の生命だけを考えて動くわけにはいかない。

 

『おうよ、こーゆーの良くね健治。可愛いだろ』

 

 不意に、思い出すのは友人の声だ。この町に帰ってくる前。旅行先の土産物屋で、彼−−達也は言った。

 達也と、マコと、巧。それに健治を加えた四人で行った旅行。やんちゃしていた時代からの大事仲間達だ。

高校は全員バラバラで、しかも引っ越した奴もいて高校に入ってからなかなか会う機会が無かったが。今回マコが言いだし、流れで少し遠出する事になったのだ。

 男四人、なんてムサくるしいメンツなのは、ズバリ現地で女の子を引っ掛けるつもりだったからのようで(特にマコが)。

しかし残念ながら収穫はなく、殆ど四人で明け方までバカ騒ぎをやって終わった。

未成年が酒はやっちゃいけません、は当然ながら忘れ去られる。

マトモな姿をしていれば立派に二十歳以上に見える達也が、旅館にしこたま買い込んだ酒を持ってきてくれた。翌日の朝、マコと巧が二日酔いでぐったりしていたが。

 そんなこんなで今日帰る事になって。健治は大阪に住んでいる妹と弟に土産を買ってやろうと、達也と一緒に土産物屋を物色していたのである。

一番センスがあるのは巧だったのだが、彼は昨日の飲み会のせいで沈没中だ。

 そして達也といえば。

 

『達也…和美と彰、七歳なんだけど?』

 

 センスが神がかっていた。救いようがないレベルで。

 とりあえず歯剥き出しにして『ファック!』って指突き出してるウサギのキーホルダーはない。有り得ない。

こんなん送ったら絶対泣かれる。そして叔母から恨みつらみのこもった不幸の手紙が送られてくること間違いなしだ。

 健治の両親は、健治が小学生の頃に離婚した。原因は公にされていないが、酒癖が悪くすぐ暴力を振るう父の側に問題があったのは明らかである。

母は幼い双子のみ引き取り、長男だった自分は父の元に残された。

仕方ないこととはいえ母を恨んだものだ。自分だけ置いて行かれた、捨てられた。そう認識するのもまた致し方ない事だっただろう。

 父は健治に暴力を振るった。ハッキリ言ってしまえば虐待だ。

筆舌に尽くしがたい目にも遭ったが、段々と健治も父に抵抗しなくなった。

最初は恐怖しかなかったが、やがれそれも憐憫の情に変わった。反面教師である。

力づくでしか他人を支配できない、心の弱い父こそ弱者。健治は父を哀れみ見下す事で、自分を護った。

 その父は最後は仕事をクビになった挙げ句、アルコールに溺れて汚い路地裏で野垂れ死んだ。

既に生活は健治のバイト代と母方からの祖母からの仕送りだけで賄われていたので、皮肉なことに父が死んだ結果生活は楽になってしまった。

 また母も。祖母のところに転がりこんだはいいが、結局早々に病死。

かくして祖父母方に妹と弟がおり、健治は一人暮らしという構図が出来上がったのである。

 彼らと共に暮らしたいという気持ちがなかったわけじゃない。実際誘いはあったのだ。

しかし健治はそれを断った。一人暮らしにも慣れていたし、バイトや学校も性にあっている。この町を離れたくなかったのである。

 よくツルんだ四人のうち、今はもう町に住んでいるのは健治だけだが。ここには彼らと過ごした、苦くも楽しい思い出がたくさんあった。

『なあ達也…もう少しさ、女の子向けのものとかさ…ほんわかしたものでよくね?』

『ナヨナヨしたもんは俺の性に合わん!』

『いやお前に買うんじゃねぇんだから!!

 そんな下らない、いつもの延長線上にあるようなぶつかり合い。

でも多分、あれで達也も達也なりに一生懸命土産を選んでくれていたのだ。健治の些細な一言が、彼を本気で怒らせてしまった。

 

『いい加減お前自分のセンスの無さを自覚しろってば!』

 

 本当に−−ただそれだけのことだったのだ。

 殴り合いにならなかったあたり、お互い大人にはなっただろう。

しかし喧嘩は喧嘩。帰りの電車の中ではお互い殆ど口をきかなかった。

正直健治の方も頭に血が上ってしまっていたのだ。

口を開けば罵詈雑言撒き散らしてしまいそうで嫌だった。楽しい旅行だったのに、台無しだ。

 達也の家は遠い。先に健治が電車を降りた。その時まだ達也はスネた顔で、健治に言ったのである。

 

『くたばれ、馬鹿健治』

 

 それが明らかに子供みたいな声だったものだから、健治はつい笑ってしまった。

昔から変わってない、おなじみのパターン。これは後で必ず電話がかかってきて仲直り、だ。

図体はデカいくせに、こういう所が女々しくて、つい庇ってやりたくなってしまうのである。

 だから自分はわざと呆れた声で言ったのだ。

 

『ばーか。誰がてめぇより先に死ぬか』

 

 いつもなら。そうやって中途半端に別れても良かったのだ。その後暫くしたら電話で謝ることが出来たのだから。

なのに今健治は、あの時ちゃんと口で伝えておかなかった事を、死ぬほど後悔している。

 今までだって散々思い知っていた筈だ。暴力振るうわ変なところで教育バカだわな父親と、現実逃避ばかりだった母親。

泣いてばかりだった双子の妹弟と、その他諸々の荒んだ環境。最近は幸せすぎて忘れていた。当たり前な事など何一つない。幸せはいつだって有限だったのに。

 今日と同じ明日が必ず来るなんて、信じこんだザマがこの結果だ。

自分は今更になって、どうにもならない事をまたくよくよ悔やみ続けている。時間が巻き戻ったところでどうせ同じ過ちを繰り返すに違いないのに。

 

「健治さん?」

 

 声をかけられ、はっと我に返る。のび太達が不安そうな顔でこちらを見ていた。どうやらトリップしていたらしい。いけない。追憶に浸る暇などないというのに。

「…悪ィ。思い出に浸ってた」

「健治さん意外にセンチメンタル?」

「意味わかって言ってるかーのび太?ほれ解説してみ?」

 からかってやると、明後日を見るのび太。こういう所が子供らしくて可愛いと思う。

のび太だけじゃない。つい素直になれなくて乱暴になる武も、健治から見れば充分可愛い。

静香だっておませでお転婆だが、自分の飾り方がまた下手なのが可愛い。

子供は、馬鹿で不器用なくらいで丁度いいと思う。無理に賢くなろうとする必要はないのだ。

 こんな事になってしまって、こういう経験をした以上。彼らはなかなか普通の大人にはなれないかもしれない。

それでも年上としては、彼らに少しでも子供でいて欲しいと願う。こんな歪み方をする奴は、自分一人で充分だ。

 健治は102号室の鍵穴に、鍵を差し込む。

 

「開けるぞ」

 

 ぎぃ、と軋む音がやけに大きく響き、薄い闇が口を開ける。その途端だ。

どこからか甘い、桃にも似た甘ったるい芳香が、どこからともなく漂ってきたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

−−西暦1995年8月、某所。

 

 

 

 シナリオが変化していく。それは誰かの望んだ方向なのか、あるいは誰も望まぬ方向なのか。

 僕は素早くタッチパネルを操作して、かつての“実験結果”及び“史実”を確認した。

源静香のコピーロボット。その出現は、明らかに出来杉の立場を悪化させてしまった。

ただでさえ精神的に追い詰められていたはる夫が疑心暗鬼に陥るのも無理からぬ事である。しかし、悪いことばかりではない。

 彼女の存在が発覚した事で、今まで解明されなかった謎のいくつかの答えが、朧気ながら見えてきたのだ。

 

−−一番最初の世界から前回まで。仲間達が不自然な疑心暗鬼を起こして相打ちになるケースがいくつもあった。

 

 スネ夫が聖奈を殺す。聖奈が武を殺す。何故だか仲間達が殺し合う事になり、いらぬ犠牲が出た事が何度もあったのだ。

その度に原因が分からず、自分達は思い悩む事となったのだが。

 もし静香が、あのコピーロボットと入れ替わっていた時間があったとすれば。

あのロボットが皆を巧みに扇動し、仲間割れを招いていた可能性が出てくる。

今まさに、彼女がはる夫を使って出来杉を始末しようとしたように。

 問題は、その目的が一切わからない事なのだが。

 

『正確には…元・静香だけどね。あたしは源静香のデータを元にして作られた人造人間1号…別名SMサイボーグ。

あの方の技術をもってすればこれくらい容易い事なのよ』

 

 あの方、と彼女は言った。つまり偽静香の行動は彼女自身の意志というより、黒幕にいる何者かの意志である可能性が高いということ。

それは二ノ宮蘭子という名前の人物なのか、あるいは別の誰かかは分からない。彼女は否定も肯定もしなかったから。

 その黒幕が。偽静香を動かし、史実においてのび太達を攪乱した疑いがある。ではそれは何の為に?

 

−−真っ当な考えをするなら…黒幕がアンブレラの人間で、のび太達君の行動を妨害しようとした…ってとこだろうけど。

 

 若干腑に落ちない。もし単に彼らが邪魔だったなら、もっと簡単な方法はいくらでもあった筈だ。

例えば今出来杉とはる夫を襲っているB.O.W、巨大蜘蛛のブラックタイガー。こいつが偽静香の命を聞いているのは間違いない。

ならば、こいつを皆にけしかけて皆殺しにしてしまうのが一番てっとり早い。ちまちまと内部崩壊を狙う必要はない筈である。

 また。もし殺すのではなくサンプルとしての捕獲が目的ならば−−最終的にアンブレラが彼らを捕まえに来るのが史実だ−−彼らが内輪もめで壊滅してくれては意味がない。メリットもない。

 

−−くそっ…分からないことだらけだ…!

 

『どうした』

 

 その時だ。“彼”への通信がやっと繋がった。僕は矢継ぎ早に状況を説明する。

「緊急事態だよ。出来杉君は今まったく動けない。悪いけど今すぐ廃旅館に向かえるかい?」

『…のび太になんか会いたくねぇ』

「プランは狂うけど仕方ないよ。急いで」

 嫌な予感がつきない。途方のない悪意が、真実の裏に見える気がして。

 

 

 

四十三

望郷

るべき、場所〜

 

 

 

 

 

輪廻は回帰。