−−西暦1995年8月、廃旅館1F・102号室。
部屋を換気して、室内を探索。部屋の中には傭兵の遺体以外何もないようだった。特にゾンビもいない。
とすればやはり、こいつは誰にやられたんだという疑問が浮上する。
健治は割れた頭蓋骨を覗きこんだ。吐き気を催さなくなってきたあたり、いよいよ正常な感覚が麻痺してきている。
「一気に頭吹っ飛ばされてるからな…バズーカみたいなものかと思ったけど、火傷らしい跡がないんだよなあ」
「じゃあやっぱり化け物にやられたのかしら」
「なら何で食われてねーのよ。奴らの食い意地の悪さハンパないぜ?」
まあ武器が何にせよ。やはり人間にやられた可能性が高いのは確かだろう。
アンブレラでも自分達でもない人間と聞けば、あの仮面の少年か出来杉とかいうのび太の友人が思い当たるが−−彼らのどちらかが、この手ごわそうな傭兵を倒したのだろうか。
いずれにせよアンブレラの工作員ならば、何か重要な秘密を握っているかもしれない。
男の胸ポケットを探っていた健治は、指先に堅いものが当たったのに気付き眉をひそめた。
「これは…?」
パッと見た感じ、それが何かは分からなかった。四角い手のひらサイズの機械。
携帯電話に少し似ているがボタンが見当たらず、大きな液晶がついていて折り畳めるようになっている。
弄くり回していると、ヒロトが声を上げた。
「スマートフォン…!?うそ、なんで…」
「?何それ」
その瞬間、ヒロトが僅かに“しまった”という顔をする。
他ののび太や静香は気付かなかったかもしれないが、健治は見逃さなかった。
「…携帯電話の発展系なんだ、それ」
やがて渋々といった様子で、ヒロトが口を開いた。
「というより、超小型化されたパソコンって言った方がいいかな。
電話やメールだけじゃなくて、インターネットもできるし容量もある。基本スペックが高いんだよ」
「随分ハイテクだな。今時まだ携帯持ってる奴も殆どいないってのに」
「当たり前だよ」
ふう、と一つ息を吐くヒロト。
「スマートフォン…特にその機種は。2011年の七月にドーモ社が発売した最新モデルだ。
…この時代に存在するはず、ないんだよ」
一瞬、何を言われたか分からなかった。2011年発売?今は1995年だというのに−−十六年も先だって?
そんなものを何故この時代の傭兵が持っているのか。
いや、そんなことよりも。
「…ヒロト。何でお前がそんなこと知ってるんだ」
ヒロトが本当にこの世界の、この時代の人間ならば。そんな未来に発売される機械のことを知っている筈がない。
「お前…未来から来た人間だったのか」
こんな発言、のび太の話を聞いていなければしなかった。これでも現実感は強い方だ。ファンタジーなんて信じる年でもない。
しかし、のび太達は言った。タイムマシンはある。22世紀を見てきた、と。妄想や妄言は信じられないが、のび太個人は信じるに値する。
未来からの渡航者は存在するのだ。そして有り得ない事はけして−−有り得ない。
「いい加減話してくれないか。お前は…いや。お前と綱海は、何者なんだ」
健治からすれば、彼らは頼れる戦力で、特にヒロトはチームの頭脳にもなる。
人当たりもいいし、性格的にはかなりできた人間だと思う。その彼が敵か味方かはっきりしない現状は、正直辛いものがあるのだ。
自分としてはヒロトを信じたい。しかし彼らには不審な点が多すぎる。
何故武器を所持していたのか。
思考回路が妙に軍人じみている事も気になるし、そもそも殆ど何も分からない段階で彼はこの事件を“バイオハザード”と呼んだ。
事件発生がのび太達の学校だと確信していた。
さらに。アルルネシアと−−絵画の魔女がまるで実在しているかのごとく、憎しみをこめて呼んだこと。挙げれば疑問は尽きないのだ。
今ここでハッキリさせて欲しい。彼らが何の目的で此処にいて、何をしようとしているのかを。
「う…ん?健治兄ちゃん…どーしたの。あれ、僕…」
「このタイミングで起きるの?お寝坊さんね」
健治の背中で目をこすりだした太郎に、静香が呆れたように言う。
まあ大事な話をしていたわけだから、ある意味空気は読んでいたわけだが。
「…そうだね。だんまりも潮時かな」
やがてヒロトが口を開く。
「ごめん。隠してたわけじゃないんだよ。ただ…信じて貰えるか不安だったんだ」
「信じる!信じるに決まってるよ!!」
「…まだ何も言ってないのに?」
すぐ様のび太が身を乗り出して言う。
「友達の言うこと、疑うわけないじゃんか!」
友達。なんの躊躇いもなくそう言った彼を、ヒロトは目を見開いて見ていた。健治もだ。
のび太の眼は何一つ嘘を言っていない。本気で、彼を友達だと言っていた。ただただ真っ直ぐな気持ちで。
「ヒロトさんはもう僕の友達だよ。ヒロトさんだけじゃない。健治さんや太郎や綱海さんも、みんな僕の友達で仲間だよ。みんなは違うの?」
染み渡る言葉。それはまるで浄化の魔法。人を幸せにして、光の側へ引っ張り上げる魔法だ。
「僕は…臆病で弱虫で、ドジでマヌケで…自分一人じゃなんにも出来ないからさ。
だから、今までたくさんの人に助けて貰ったんだ。ドラえもんの道具で冒険したいろんな世界でも、いつもの毎日でも。
…その人達一人一人と長い付き合いがあったわけじゃないけど…みんな僕を本気になって助けてくれた」
僕はすっごく幸せだったんだ、と。のび太は噛み締めるように言う。
「僕、勉強はできなかったけど…たくさん教えて貰ったよ。友達になるのに、年齢も資格も地位も…時間だって関係ない。
ただ辛い時助けてあげたいって思うだけでいいんだ。そうしたら相手はちゃんと答えてくれる。
一回一緒に笑って友達になったら、それはずっと変わらないんだ」
「…変わらない……」
「そうだよ健治さん。…今日の友は明日の敵って言う人もいるけど。一度友達になったら、何回喧嘩したってぶつかったって本当は友達なんだよ。
少なくとも僕はそう信じてきて…短い人生の中でそれが間違ってるなんて思ったことない。どんなに離れたって…いつか…死んじゃう時が来たって」
多分、安雄の事を思い出したのだろう。ぐすんと鼻を鳴らすのび太。
「僕達、人間だもん。どんな怖い世界だって、それは変わらない。みんな一人で生きていけないから、友達になれるんだ。
僕、静香ちゃん達だけじゃなくて…今は健治さんやヒロトさんの事も助けたいよ。だからもう、僕は友達だって思ってるよ」
たくさん、たくさん。悲しい事があった。怖い事があった。奇麗事では済まない世界を、その片鱗を、のび太だって見てきた筈である。
それなのに何故、こんなにも奇麗なんだろう、彼は。
健治はあまりの眩しさに、目をそらしそうになる。歪んでしまった自分さえかき消されてしまいそうだ。何でこんな少年がいるんだろう。出逢う事が、出来たんだろう。
こんな奇跡が、あっていいのだろうか。
「だからどんなに敵がたくさんいたって…僕は友達の味方でいたい。
たくさんの人が今までそうしてくれたように。だから…ヒロトさんも僕を、信じてくれないかな」
暫く。自分達は皆、何も言う事が出来なかった。ヒロトを疑った事に後悔はない。
しかし、疑うことに罪悪感さえなかった自分が、今無性に辛かった。
健治も知っていたのに−−分かっていたのに。のび太が言ってくれるまで忘れてしまっていた。
ただ手を繋ぎたいと願うだけでいい。実際はとても難しい事かもしれないけれど−−友達になる最初の一歩なんてそれだけでいい。
時間をかけなくたって胸を張って友達なんだと言っていいのだ。
そしてその友達を信じるのは“当たり前”。なんでこんな単純な理屈を忘れてしまっていたのだろう?
「…のび太君ってやっぱり似てるよ。僕の友達に」
「?」
「…君は自分を臆病だって言ったけど、そんな事無いよ。友達を助けたいって真っ直ぐ思える。言える。その為に動ける。…君は誰より勇敢だ、誇っていい」
ふふ、とヒロトが笑う。
「今まで周りの人達が君を助けたのも道理だね。
…そんな優しい君だから、みんな君と友達になりたくなるんだ。…僕だって」
そう。ヒロトの言う通りだ。のび太本人はきっと気付いていないのだろうけど。
彼のちょっとした言葉で今、健治は救われた。多分、ヒロトも。そして彼の仲間で良かったと、心から思っている。
野比のび太。この子はけして死なせてはならない。こんな場所で終わっていい子ではない。
ヒロトと目が合う。健治は頷いた。答えはもう出ている。
この子を守り抜く。これから先、何があっても。
「のび兄ちゃんは友達がたくさんいるんだね」
太郎が健治の背中にくっついたまま言う。どうやらおんぶが気に入られてしまったようで離れてくれない。まったく、とんだ甘えん坊だ。
「僕ものび兄ちゃんみたいにたくさん友達、欲しいなあ。…声かけるの、怖い子とかもいて…なかなかクラスの友達、増えないんだけど」
「人間見た目じゃないよ。健治さんなんて不良っぽい見た目だけど優しいでしょ」
「うん」
のび太にはっきり具体例に挙げられ、太郎にも納得されてしまっては失笑する他ない。
そんなに自分、怖そうに見えるのだろうか。日焼けは地だし、髪も−−やっぱりキンパはやめとくべきだったか。目つきの悪さは生まれつきだが。
「僕も…いっつもジャイアンには苛められるし、泣かされてきたけどさあ。
それでもやっぱり友達なんだよね。だってあいつは絶対、友達を裏切らない。僕達の為に怒って泣いて…立ち向かってくれる奴なんだ」
喧嘩できる友達もいいもんだよ、とのび太は言う。健治は自分の友達を思い出していた。
喧嘩別れした形になってしまった、達也。でも友達は友達だ。ちゃんと仲直りしたい。
生きて町を出たなら、必ず。
「…のび太さんはいつも、人の長所を見つけるのが上手いよね。そして、誰かを助けるのを躊躇ったりしないわ」
静香が微笑む。
「だからあたし達みんな、のび太さんが大好きなのよね」
のび太が赤くなる。まあ静香は幅広い意味で言ったのだろうが−−全くそういう意味がないわけでもあるまい。
若いっていいなあ、としみじみ思う健治である。
「…のび太君。君は、誓える?」
やがてヒロトが言った。
「これから先…きっとまた悲しい事が起きる。この中の誰かがいなくなるかもしれない。
それでも君が君のまま…真っ直ぐ生きてくれるというなら。僕は全部、話すよ。君を信じてね」
「ヒロトさん…」
のび太は真っ直ぐヒロトを見つめて、頷いた。
「よく分からないけど…僕は、僕だよ。…自分を見失ったりしない。みんながそれを悲しむなら尚更だ」
「…ありがとう。そうしてくれると有り難いね」
だから俺は君を守るから、と。その後にヒロトの声が聴こえた気した。
「話すよ。俺達の目的を…この世界の敵のことを」
真実の書が今。少しずつ紐解かれてゆく。
第四十五話
友達
〜魔法の、コトバ〜
哀愁は郷愁。