−−西暦1995年8月、小学校校舎・保健室。

 

 

 残念ながら学校も安全とは言えないらしい。最初は屋上に降りるつもりだった武も、学校を視界に入れて三秒で諦めたようだ。

屋上にも、ゾンビが何体か這いずっている。となれば校舎内の様子も想像に難くない。

 昇降口はバリケードで覆われていたので窓から入った。開いていたのではない。窓硝子が割れていたのである。

 

−−硝子に血が…ついてる。

 

 ゾンビや化け物が入り込んだのか、あるいは生存者が逃げようとして怪我でもしたのか。

のび太はもう、血や死体を見ても驚かなくなっている自分に気付いた。

感覚が麻痺してきている。喜ばしい事なのか、不幸な事なのか。

 

−−でもバリケードがあるって事は、誰かが籠城しようとしたってことで。

もしかしたら安全な部屋も…あるのかも。

 

 落ち着いて対策を練れるベースが必要だった。延々と動き続けられるような体力も精神的もない。

包丁一本しかない、女の静香より非力な自分(残念ながら公式設定である。気になる人はネットで調べてみよう)では、武の足手まといになるのも間違いないのだ。

 武器が要る。食糧が要る。知恵が要る。休憩場所が要る。仲間が要る。

 武は乱暴者だが、ギリギリの状況になればなるほど仲間を見捨てたりしない。

自分がお荷物でも置き去りにはしないだろう。だからこそ、このままでは彼の足を引っ張ってしまうだけ。そんなのは、嫌だ。

 そして最終的に、今に至る。のび太と武は保健室に辿りついていた。

そこには生存者達が数名。廊下側の窓硝子が板で打ちつけられていたのでまさかと思ったが、どうやら正解だったらしい。

 

「ノロマなお前がよく生き残ってたな、のび太。ジャイアンに助けて貰ったんだろうけど」

 

 相変わらずイヤミを欠かさないスネ夫。

「ジャイアンが来てくれて助かったよ。やっぱり心強いもんね。頼りにしてるよガキ大将!」

「おうよ!俺様にかかればゾンビなんかイチコロだぜ!」

 ついでにお世辞も欠かさない。ジャイアンも調子に乗って腕まくりをする。

 しかし、彼らも現状は理解している筈だった。武のパワーは頼りになるが、金属バット一本でどこまで戦えるかは怪しい。

それでも彼らが普段のようなやり取りを欠かさないのは、お互いの無事を確かめ合う社交辞令に近い。

 自分を見失ったら、それが死に直結する。武とスネ夫も分かっているのだろう。

 

「二人とも無事で…本当に良かったわ」

 

 静香が涙を拭って言う。

「家に帰ろうとしたら…その途中で大きな蜘蛛みたいな怪物に襲われて。逃げたんだけど転んじゃって…」

「大丈夫だったの?」

「ええ。綱海さんが助けてくれたの」

 彼女の視線の先には、ピンク色の派手な髪をした少年がいた。

彼はニッと笑い、手を上げて挨拶する。日焼けしたサーファーのような容姿だ。

年は中学生か高校生か。人懐っこい印象だ。

「綱海条介。高一だ。ガールフレンドと再会できて良かったな。えっと…」

「野比のび太です。静香ちゃんを助けてくれてありがとうございます」

「いいっていいって。困った時はお互い様だろ」

 見た目は不良ちっくにも見えるが、気さくに返して貰ってほっとする。

生き残った数少ないメンバーだ。仲良くするに越したことはない。

 見れば綱海の他にも見慣れない者達がいる。

 

「みんな、この町の生存者だよ。遠くに行ってて町に帰ってきたら騒ぎに巻き込まれた…が一番多いパターンらしい」

 

 スネ夫が解説してくれた。彼の隣に立っているセーラー服の女の子が、ぺこりと頭を下げてくる。

 

「緑川聖奈です。中学のテニス部で部長をやってます」

 

 紺がかったストレートの長い髪に大きな瞳。おしとやかそうな可愛いらしいお姉さんだ。

「夏休みで…私は昨日から家にいたんですけど。朝、目が覚めたらもう父と母は…」

「朝にはもう死んでたってこと?聖奈さん、お家どこ?」

「この小学校のすぐ隣なんです。親戚の男の子と一緒にいて、その子のおかげでここまで辿り着けたんです。

保健室のバリケードは私がやりました」

 どうやら最初に保健室に来たのは聖奈だったらしい。のび太は首を捻る。

今日の朝にはもう事件は始まっていた?

だが、武は確か、旅行から帰ってきた時家族は平穏無事だったと言っていたような−−。

 

「親戚の子…リュウジ君って言うんですけど。

彼は私に保健室にいるように言って、そのまま戻ってきてないんです。もしかしたらもう…」

 

 思い出したのか、聖奈の目が潤む。誰も彼も、何かを奪われ、壊されてここにいるのだ。

化け物になってしまった母を思い出してしまい、のび太の胸も痛む。

 

「俺はダチと旅行して、ついさっき帰ってきたばっかだ。電車降りて駅前出たらもうこの有り様でよ」

 

 そう言ったのはセミロングの金髪に制服(上着は着ていなかったが)姿の高校生だ。

やや目つきが鋭く、髪色のせいで不良じみて見えるが、充分美形の範疇に入るだろう。

ツンツンして見えるだけで根は優しいのかもしれない。彼のシャツを、握って離さない男の子がいるから尚更だ。

「俺は片瀬健治。高校二年だ。このチビっこいガキは山田太郎。この小学校の一年生だとよ」

「こ、こんにちは…」

 健治の後ろに隠れて、太郎が恐る恐る顔を出す。赤い野球帽の、小柄な男の子だ。のび太達よりもだいぶ小さい。

 

「ったく、いつまで引っ付いてんだよコイツ。成り行きで助けて連れてきたら妙に懐かれちまった。

こっちはナイフ一本しかねぇのに」

 

 言葉と裏腹に、口調はそうキツいものではない。

その実、子供が嫌いなわけではないのだろう。邪険にするわけでもなくそのままにしている。

 人は見かけによらない。第一印象だけで判断するのはよそう。のび太は心の中でメモをとる。

 

「初めまして。俺は基山ヒロト。中学生だ。ヒロトって呼んでくれていいよ」

 

 にっこり笑ってそう言ったのは、外ハネの真っ赤な髪に碧眼の少年だ。

男の子相手に言うべき言葉ではないかもしれないが、驚くほど綺麗な顔立ちをしている。

少々色が白すぎてひ弱な印象を与えるが、それもミステリアスな雰囲気を損なうものではない。

 緊張感のない笑顔といい、なんというか、のび太が初めて見る人種だ。

「こんなことになって大変だと思うけど。みんなで協力して頑張ろう。俺も出来る限り頑張るから」

「は、はい。ありがとうございます」

 でも悪いけど、あんま強そうじゃなないなぁ文化部っぽいし。ついのび太はそう思ってしまう。

同年代なら健治や綱海の方が役立ちそうだ。うっかり顔に出なかっただろうか。

 

−−で。最後の一人は…。

 

 保健室にいるのはあと一人。のび太はそちらの方を見る。保健室の隅で、ずっとぶつぶつ呟いている男がいる。

白髪混じりの髪。中肉中背の、五十かそこらの男だ。

仕立てのいい青いスーツを着ている。会社の重役といった雰囲気だ。

 

「あー…あいつはほっといた方がいいぞ。だいぶ恐怖でイカれてんだ、あのオッサン」

 

 健治が声をひそめて言った。

「金田正宗。本人いわく、町内会の会長らしい。随分態度がデカいし怒鳴るし、俺らもかなりウンザリしてんだ」

「おい、誰の態度がデカいって!?

「げっ…」

 聞こえてしまったらしい。金田が眉を跳ね上げて怒鳴る。

苛々がもろ顔に出ている。相当ストレスがたまっているらしい(こんな状況でそれも致し方ないとは思うが)。

 

「お前達が今まで無事生活できたのは会長の私のおかげだろうが!

少しは口を慎めガキどもが!ったく、親の顔が見てみたいわ」

 

 残念ながらそれは無理ですけどね。のび太もらしくもなく皮肉を言いたくなる。

精神的に参っているのはここにいる全員皆同じだ(まあ一部、そうは見えない奴もいるっちゃいるが)。

なのに一番しっかりしているべき年長者がアレでどうするのか。大人気ないのはどっちだと言いたい。

 計十名。それが今保健室に集まっている、生存者の数だ。

子供ばかりで心許ない(しかも唯一の大人がアレだ)が、とりあえず生き延びられた事を喜ぶべきだろう。

 

「…実は俺、保健室に来るまでにあちこち探索したんだけどな」

 

 綱海が口を開く。

「この学校、なんか焦臭いぜ。公立の小学校に、なんであんな最新の小型監視カメラが大量に設置されてんだ?」

「監視カメラだって?」

 のび太は目を見開く。そんなハイテクなブツ、お店にだってないところも多いのに。

プライバシーの侵害だなんだと騒がれそうな学び屋に何故そんなものがあるのか。しかも自分は四年以上通っていて全く気付かなかった。

 

「排気口の中にあったり、すげぇ上手く隠れてた。カメラの存在自体を公にしたくない感じでな」

 

 思わず、武と顔を見合わせる。自分達の知る限り、ここはあくまで普通の、田舎の公立校、である筈だ。

そんなカメラの必要性は見当たらない。

 

「もう一つ気になることがある。この現象の発生地点についてだ」

 

 近隣の地図を広げて言うのはヒロト。金田を除くメンバー全員で地図を覗き込む。

「…みんなの話と、みんなの家の駅の位置関係を見て気付いたんだ。

例えば聖奈さんの家は学校のすぐそば。遅くとも朝にはもう異変が起きてたんだよね」

「は、はい…」

「俺達の中で一番家が遠いのは武君だ。君の家族はほんの一時間弱前まで無事だった。そうだよね」

「ああ。なんか…時間差あるよな。聖奈さんちと俺の家で」

「だよね。で、駅がここで太郎君の家がここ。のび太君の家がここで俺の泊まってた宿がここ。

静香ちゃんちはここ、スネ夫君ちはここだ。金田さんちはこの病院の横」

 皆が証言した場所を、逐一指差していくヒロト。

「結論を言うとね。この学校に近い場所ほど、早く騒ぎが起きてるんだ。まるでこの学校でバイオハザードが起きたみたいに」

「バイオハザード?」

「生物災害って意味さ」

 生物災害?どういう事だろう。まだ化け物発生のメカニズムが分からないのび太は首を傾げるしかない。

 だが−−この学校が発生源かもしれない、という事は理解した。

あるいはこの学校にごく近いどこかという事だろう。

何故か監視カメラが大量に常備されていることといい、何かあるような気がしてならない。

 

「…この学校に原因があるかもしれないなら、話は早ぇ」

 

 武の顔色が変わった。睨むように、ドアの向こうを見据える。

「暴きだして、原因を作った奴をギタギタにしてやる!俺達の町をこんなにしやがって…ただじゃおかねぇ!」

「き、気持ちは分かるけど落ち着いてよジャイアン!

原因もそうだけど、町から脱出する方法を探さないと、僕達の命が危ないよ!」

 いきり立つ武を、スネ夫が止める。どちらの気持ちも理解できた。どちらも正しい。

ならば自分は、どうすべきだろう。二人の会話を聞きながら、のび太もまた考える。

 何としても生き残る。しかしただ生き残るだけでは駄目な気がしている。

 怖いけれど、知りたかった。何故こんな酷い事が起きてしまったのかを。

 

 

 

 

集合

〜束のの休息〜

 

 

 

 

 

何もない、ぼくの。