自分の怪我の状態を考えれば、次倒れたらもう立ち上がれる保証ない。

そもそも倒れた衝撃による激痛で、少なくとも意識が飛ぶだろう。

フローズヴィニルト達に食い荒らされた身体は、滝のように血を流し続けている。血だまりに肉片らしき固まりも落ちている。

健治は苦笑した。今生きているのが既に奇跡だ。

 この奇跡を生かさない手はない。多分あと十分くらいが限界だ。死ぬほどの痛みに耐えてはきたものの、失血死は免れられまい。

それでも最期まで生き抜く意志だけが今、健治の身体を動かしている。

 

−−今のガタガタの俺の身体じゃ、奴らの身体にまともな切れ目一つ入れられやしない。

 

 ならばどうするか。奴らのパワーとスピードを利用させて貰うしかあるまい。タイミングを逃したら、その場でジ・エンドだけども。

 

「ゴバアアッ」

 

 フローズヴィニルトの一体が、涎を垂らしながら突進してくる。

押し倒されたら今度こそ骨まで残さず食い物にされてしまう。命懸けのカウンター。逃げるだけでは、勝機など掴めやしない。

 

「はあああっ!」

 

 飛びかかってきたその爪の一撃をかわし、比較的柔らかそうな腹に刃を食い込ませる

そのまま流れに身を任せるまま手首を捻った。自分の力では無理だが−−B.O.W自身の体重と突進力ならばどうか。ずぶり、と刃が相手の身体に深く切れこんだ。

 形容し難い声をあげてフローズヴィニルトが転がる。

あと動けるのは一体だけだ。あとはこいつを封じれば、奇跡の綱は渡りきれたも同然である。

 残念ながらそう簡単にはいかないのだけれど。

 

「ぐっ…!」

 

 三体目はさすがに警戒心を強めたようだ。一端健治から距離を取り、体制を整えることを選択した。

そのまま、あちこちに散らばった床の破片や石を掴み、こちらに投げてくる。身を屈めたが避けきれず、右太ももに痛みが走った。

破片を掠めてかザックリ切れて血が流れている。他と比べてしまえば大した傷ではないが、ただでさえ血が足りないのだ。これ以上出血箇所を増やすのはマズイ。

 怪我は負ったが、太郎を庇う必要がない分多少無茶な回避行動もできる。

捨て身だろうとなんだろうと、あとの二体が再び襲ってくる前にケリをつけなければなるまい。

 左手が使えない以上、ただでさえ自慢出来ない腕力がさらに下がっている。

片手で持てる重量など微々たるものだ。それでも健治は足下にある破片を手当たり次第拾い、フローズヴィニルトに投げつける。飛び道具のない自分の微弱な抵抗だ。

 

「ガアアッ!」

 

 与えられるダメージは無きに等しい。けれど、この行為の目的は攻撃ではないのだから構わない。

フローズヴィニルトはさすがにウザくなったのか、怒りの声を上げて突進してきた。

やはりいくら知能が残っているとはいえ所詮はB.O.W。知恵比べじゃ人間の足下にも及ばない。あっさりと挑発に乗り、罠に進んで足を踏み入れる。

 

−−そうだフローズヴィニルト、お前にとって一番有利なのは接近戦だ…!

 

 さっきと同じ要領で腹を抉ってやる。体力もパワーもない自分に狙えるとしたらカウンターだけなのだ。

 B.O.Wが左手の爪を振りかざす。すかさずそれを見極めて回避し、刀を突き出した。渾身の力。深く食い込む手応えが。

 だが。

 

「がっ…!」

 

 向こうも馬鹿ではなかったらしい。切られた瞬間、構えていた右手を突き出してきた。

零距離では避けよう筈もない。ずぶり、ごきり。胸の中で響く音。その鋭い爪が、健治の胸元に埋まっていた。

 

「げほっ…っぐっ…!」

 

 喀血する。肺に傷がついたらしい。位置がまずい。このままでは心臓まで持っていかれる。

 コンマ数秒のわずかな時間に、健治は判断を下していた。刀を抜きながら、化け物の胴を思い切り蹴り飛ばす。

火事場のなんとやらだ。B.O.Wは吹っ飛び、他のフローズヴィニルト達の身体に激突する。

 好機は、今しかない。

 

「ああああああああっ!」

 

 叫びながら、健治は手榴弾のピンを抜き、化け物の口目掛けて投げ込む。

持っていたのは三個。一体につき一個が使える。しかも口の中から爆発する上、奴らは今密集した場所にいるのだ。

 いくら強化されたB.O.Wでも、これならば。

 

「ぶっ飛びやがれぇぇぇっ!」

 

 三個分が、一気に爆発した。断末魔は聞こえない。爆風にあおられ、健治の身体も吹っ飛ぶ。ごろごろと地面を転がり、止まる。

 さすがに限界のようだ。健治は横倒しに倒れたまま、浅く息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

−−西暦1995年8月、廃旅館・大広間前。

 

 

 

 大広間で爆発が起きる数分前−−。のび太達もまた、化け物達を前に戦っていた。だいぶ数は減らしたが、まだリッカーが二体とブレインディモス一体が残っている。

さらには能力が完全に未知数な魔女がその後ろに控え、開かない扉を背にした完全袋小路の状態。

ついでに言えば“一刻も早く仲間を助けに行かなければ間に合わない”というタイムリミットまである。

 絵に描いたようなピンチ。だけどまだ“最悪”ではない筈だとのび太は思う。希望が僅かでもあるならば−−諦める必要がどこにあるのか。

 

−−セワシ君は僕を憎んでいる。

 

 悲しいがそれは認めざるをえない。しかし、のび太の仲間は救いたいと願っているのも彼だ。

根っからの悪人であろう筈がない。ならば健治達を救う為の作戦なら協力するだろうし、少なくともそれが終わるまではのび太のことも殺そうとはしない筈だ。

 気になることや言いたいことはお互い山ほどあるが。分を弁えないほど愚かではない。聡明なセワシなら尚更だ。

 

−−僕の仲間は、セワシ君を除いても二人いる。ヒロトさんと、静香ちゃん。

 

 遠距離から足止めに向くのは自分と静香で、近距離で柔軟に対応できるのがセワシとヒロトだ。

餅は餅屋。適材適所。驚くほど綺麗に、役割分担という名のピースは嵌る。

 

−−僕達四人が力を合わせても、扉は簡単には破れない。むしろ下手に力任せに壊そうとすれば、壁が崩れるかもしれない。

 

 最初は魔女を倒して、扉を開けさせようと思った。

しかしアルルネシアのあの言動。あのキチガイもいいところなサディストぶり。

簡単に鍵を渡すとは到底思えない。ならばまず魔女は無視だ。手を出してこない限り、ではあるけれど。

 出来る限り少ない力で扉を破壊する。その為には三体のB.O.Wの宝を使う他ない。袋小路といえど非常に広い通路なのが幸いだ。

「静香ちゃんっ!」

「ええっ!」

 のび太と静香がまずセンターでリッカーだけを集中攻撃する。

奴の装甲は堅いからそう簡単には死なない。というかあえて、頭以外の胴体を狙うのだ。すぐに動いて貰っては困るのだから。

 その隙に、セワシが弾幕の横を抜け左サイドからリッカーに向かって走る。ヒロトはその反対、右サイドから抜ける。

攻撃を受けなかったことで足止めされなかったブレインディモスの注意を引きつけるのはヒロトの仕事だ。

 

「鬼さんこちら手の鳴る方へ…ってね!」

 

 ブレインディモスの行動を見ていて分かったことがある。奴らは虫が元であるだけあって頭が良くない。

その実攻撃パターンは二通りしかないのだ。近くに来た獲物には組み付いてひたすら噛みつき、遠くの相手には酸を吐きかける。

目算だが約2メートルくらい距離を保って逃げれば、奴はただ追いかけながら酸を吐く行動を繰り返すのだ。

 それが狙いだった。ブレインディモスの注意を引きつつ、適度な距離を取りながらヒロトが逃げる。

ブレインディモスは酸を吐きながらヒロトを追い−−他の獲物への注意が疎かになる。

 

「来い…デカブツども!」

 

 セワシがリッカー達の近くまで辿り着いたタイミングで自分と静香は銃撃をやめ、素早く彼の近くまで走る。

この時ヒロトを追って近付いてくるブレインディモスの両脇を抜ける形になる。

ヒロトの囮行動が成功していなければ、この時のび太か静香が“組み付き”攻撃を食らう可能性があったのだが−−どうやらこれはうまくいったようだ。

 しかしまだ綱渡りは終わっていない。時間差で今度はセワシがリッカー二体を引きつけて扉の方へ走り出す。

セワシの身体能力をアテにした危険な賭だ。彼はかなりの近距離で、攻撃をかわしながらリッカー達から逃げなくてはならず−−そのリッカー達の横も自分と静香は抜けなければならない。

 

−−リッカーはブレインディモスと比べて知能がある。ただし、目は退化していて視力は殆どない。あいつの攻撃は全て音による察知に頼ったものなんだ。

 

 普段は勉強していてもろくに何も覚えられないくせに。

何故だろう。B.O.Wの資料で見たデータは、やけに鮮明に覚えている。追い詰められれば強いタイプだ、とはよく言われるのび太だけれど。

 

 ピイッ!

 

 のび太と静香が駆け抜けるタイミングで、セワシが甲高く口笛を吹いた。

人間の耳で聞いてもかなりの音量だ。リッカーの注意がセワシのいる方向へ向く。

 作戦成功。のび太と静香はB.O.W三体の背後を取るのに成功した。ついでにこの隙に銃のマガジンを詰め替える。

 

−−あとは、ヒロトさんとセワシ君にかかってる。

 

 ヒロトがついに扉の前まで到達した。走るスピードを調節しての、絶好のタイミング。ブレインディモスのすぐ後ろには、リッカー二体をおびき寄せたセワシがいる。

 きぃ、とブブレインディモスが甲高く鳴いて酸を吐いた−−扉を背にしたヒロトの方へと。

ヒロトは当然避ける。強い酸性の体液がじゅっと音を立てて扉を溶かした。獲物が避けたのを見てさらに二撃、三撃と酸を吐かれるが、ヒロトはそれを全て回避する。扉に酸がかかるように計算して。

 業を煮やしたブレインディモスが距離を詰め、組み付きにかかる。

身を屈めたその身体を、ヒロトは飛び越えて反対側に着地した。当然ブレインディモスは扉に激突。溶けて脆くなった扉が軋みを上げる。

 

「来いっ!」

 

 そこでセワシだ。セワシはリッカーをギリギリまで引きつけ、その舌をかいくぐって脇を転がった。

二体リッカーの舌は空ぶって、扉にぶつかったブレインディモスの身体ごと扉を貫く。

 バキリ、と景気のいい音。頑丈なはずの大広間の扉に、大穴が開いた。

 

「それっ…!」

 

 そこでヒロト、のび太、静香の三人で後ろから思い切りリッカーを蹴り飛ばす。

不意を打たれたリッカーはつんのめり、二体ともが扉にぶつかった。扉の穴がさらに大きくなる。

 

「トドメだっ…食らえぇぇ−−ッ!!

 

 のび太と静香が二人揃って、後ろからリッカーを撃ちまくった。全弾撃ち尽くす勢いの、今度は情け容赦ない攻撃である。

頭を穴だらけにされたリッカー達はボロボロになった扉に突っ込む形で前のめりに倒れる。

さすがにこれでもう、起き上がってくることはないだろう。

 

「健治さん!太郎ッ!!

 

 のび太は叫び、扉へ走った。化け物の死体を乗り越えて、扉に開いた穴を潜る。

どうか無事でいて欲しい。ただ生きていて欲しい。祈るのはただそれだけだ。

 大広間の中から爆発音が聞こえたのは、まさしくその瞬間だった。

 

五十九

転覆

〜覆すは、かのシナリオ〜

 

 

 

 

 

未来へ、明日へ。