自分自信の嗚咽を、煩いと思ったのは初めてだ。のび太は健治の遺体の傍らに座りこみ、涙を流し続けた。

 どうしてこんな事になってしまうのだろう。何がいけなかったのだろう。仲間が死ぬというだけで悲しいのに、なのに。

 

−−人生で…生まれて初めて殺したのは、ママだった。

 

 既に彼女はウイルスに殺されていたかもしれない。

でも世界で一番大事な人をのび太が、殺意を持って刺した事実は変わらない。自分が彼女を眠らせたのは、紛れもない事実だ。

 

−−二番目に殺したのは…僕の大切な、友達だった。

 

 というより。お兄ちゃんみたいに思っていた人だ。

父以外の−−甘えることのできる年上の同性。

今まで冒険で出会った人は何人もいるが、健治との短い付き合いはそれより遥かに密度が濃かった気がする。

それは多分、ここまで命懸けの状況に追い込まれたのが初めてだったからだろう。

 無意識に頼っていた。彼が大丈夫だと言えば、それが絶対の魔法になる気さえしていた。

もしかしたらその甘えが最終的に、こんな結末を招いてしまったのかもしれない。

 死は、健治が望まざるをえなかったこと。その額に綺麗に一発空いた穴は彼の救済。

自分は彼を、彼の誇りを、屈辱にまみれた復活劇から解放したに過ぎない。

 だけど。感情は理性とはベツの生物だ。引き金を引いたのは確かにのび太で、彼の命を奪ったのはのび太が撃った弾丸。

それだけは紛れもない事実。誰がどう否定したところで、のび太本人が忘れることはけして−−無い。

 

「みんなで帰るって…約束してたのに。健治さんだって帰りたかった筈なのに!」

 

『幼なじみのダチと旅行したって言ったろ。でも最後の最後で喧嘩しちまってさあ。結局謝ってねぇんだよな。

このまま終わっちまったらこの上なく後味悪いっつーか…俺うっかりあいつの枕元に化けて出ちまうかも』

 

「僕にもっと…力があれば!」

 

 ダンッと床を叩いた。手は痛かったけど、それよりもっと心が痛かった。

安雄が死んだ時に誓った筈だ−−もうこれ以上の犠牲者は出さない、と。

なのにまた、こうして仲間が死んでしまった。彼ん中心にまとまっていたものが、希望が、一気に砕かれてしまった。

 どうすればいいのだろう。どうすれば良かったのだろう。

今の自分達に過去を変える力はないのだから、そんな風に今更悔いても仕方ない。

前を向かなければならない。分かっているのに、頭の隅からどんどん闇が浸食していく。

 もう駄目だ、諦めろ。そうやって甘く、苦く、痛く、優しく−−何者かがそう囁くのが聞こえるのだ。

 

「…俺達は知っていた」

 

 不意に、セワシが口を開く。

 

「知っていたんだ。ここで健治が死ぬことを。だが誰によって、どうやって死ぬかは分からなかったから…お前達が大広間に入るのを阻止すれば、なんとかなると思ったのに」

 

 やはり、そうだったのか。しかしそうならば何故自分達に情報をくれなかったのかと思う。

こうなる事が分かっていたら、少なくとも廃旅館のチームから健治と太郎は外したのに。

「…またやり直しだ。運命から逃れられないということか」

「え?」

 やり直し?どういう意味なのか。戸惑うのび太を、セワシはぎろりと睨みつける。

 

「お前のせいだ」

 

 再び向けられる、憎悪。

 

「お前さえいなければ、こんな事にはならなかったんだ…!」

 

 凍りつく。セワシはいきなりのび太に向けて刃を振り上げた。健治の死からの突然の展開。

感情がいっぱいいっぱいで、とっさにのび太の頭は追いつかない。ただ剣が振り下ろされる様を呆然と見ていた。

 

「やめろ!」

 

 そのタイミングで、間に入ったのはヒロト。セワシの刃を、自らの刀で受け止める。

「君はさっきもそのような事を言ったけど…俺達には全く意味がわからないんだよね。説明してくれるかい?」

「必要ない。俺はただ事実を言ったまでだ」

「…君も知った筈だ。事件の本当の黒幕が誰だったかを。君が倒すべきはのび太君じゃない、アルルネシアだろう?」

 ガキンッと鋭い金属音。腕力ではヒロトが上回っているのだろう。

弾かれたセワシは長刀こそ手放さなかったものの、衝撃で膝をついた。

 

「…そうだ。あの女もいずれ必ず…俺の手で殺す」

 

 まるで亡霊のように、ゆらり、とセワシが立ち上がる。

 

「だがそれだけでは駄目だ。お前が生きている限り、災厄は終わらない」

 

 何故。それはどういう意味だ。のび太が尋ねようとした、その時だ。

 

 

 

「魔女の言ったことは、間違ってないのさ」

 

 

 

 世界に、罅を入れる声。

 

 

 

「魔女をこの世界に引き寄せてしまったのは、君ということだよ…のび太君」

 

 

 

 愛嬌のある容貌。大好きだった声。

のび太は愕然と、悄然と−−彼がセワシの後ろから歩み出してくるのを、見た。

 

「ドラえ…もん?」

 

 どうして。

 

「何で、君が…」

 

 言いかけたのび太を遮り、武が叫んだ。

「ドラえもん!てめぇ…今までどこに行ってた!!

「ジャイアン…」

「俺達がどんだけ心配したと思ってる!?それに…のび太が引き寄せたって訳わかんねぇぞ!!

「…そうだよね。訳が分からないだろうね」

 ふう、と。どこか疲れたようにため息を吐くドラえもん。

 

「ヒントが既に示されていても、すぐには気付かない。

普通のことだ。セワシ君だって…誰かに教えて貰うまでは分からなかったみたいだから」

 

 何を言ってるんだろう。ぐちゃぐちゃになった頭で、のび太はドラえもんを見る。

 目の前にいるのは確かに彼で。自分が彼を見間違えることなど金輪際ありえなあのに。

 

「…教えてあげる。僕は…知ってたんだ。今日この日に何が起きるのかを。

そして…惨劇の真実を明かし、食い止めたい気持ちはセワシ君と同じ。今の僕は、セワシ君の為に戦ってると思ってくれて構わない」

 

 誰だろう、とすら思う。

 

 

 

「僕は君の敵だよ。セワシ君の為に…君を殺す、敵だ」

 

 

 

 知っている筈の彼が。

 全く見知らぬロボットのように見える。

 

「待ってよ…待って!ドラちゃんが何を言ってるか、あたし達全然分からないわ!」

 

 静香が悲鳴に近い声を上げる。

「どういうこと!?惨劇を終わらせるなら…ドラちゃんのタイムマシンで解決させれば済む話でしょ?

確かに今日まで、何でバイオハザードが起きるかドラちゃん達も知らなかったのかもしれないけど…今ならアンブレラとアルルネシアが原因だってことも分かってる!

もしもボックスだってあるわ!のび太さんを殺す必要なんて、どこにも…」

「それができるならとっくにやってる!!

!?

 今まで聞いたことのないほど激しい声。思えば、ドラえもんが本気で怒った姿も−−怒鳴った様も、一度たりとて見たことがなかったと気付く。

 マスコットのような愛らしい顔に、いっぱいの怒気と焦燥を表して−−ドラえもんは、言った。

 

「まだ…気付かないの?」

 

 呆れなのか、疲れなのか。

 

「違うんだよ。僕は…」

 

 そこで躊躇うように言葉を切って−−。

 

 

 

「僕は…僕達は22世紀から来たんじゃない。タイムマシンなんてものは存在しないんだ」

 

 

 

 一瞬。

 何を言われたか、分からなかった。

 

 

 

「…タイムマシンが、ない?そんな筈…」

「マリファナだよ。君達もアンブレラの傭兵が持っていたのを見たんじゃないかい」

「み、見たけど…」

「最後まで言わなきゃ分からない?だから君はいつも理解力が足りないって叱られるんだ。

それとも何、逃げてるの?君の友達が君を裏切る筈がないって思い込みたいだけ?」

「こんな時に…いつもの毒舌発揮しないでよ…!」

 いつもの。それがどれだけこちらの胸を抉るか、分からないドラえもんじゃない筈だ。

目の前にいる彼は自分の信じていた存在じゃないかもしれない。なんせのび太を殺すとハッキリそう言ったのだ。

 だけど。だからって何もかもスッパリ切り捨てて否定できるほど自分は大人じゃないのだ。

分からない。分からないことにしたい。だってドラえもんの顔も、声も、自分のよく知る彼と何一つ変わらない。

悲しそうな表情だって見覚えがないものじゃない。違うのは−−話す内容だけなのだ。

 実はドッキリだったんだよ、ビックリした?と。いつかのプラカードを持ち出してきて笑い飛ばしてくるんじゃないかと−−心のどこかで期待している自分がいる。

 逃げているって?ああその通りだ。本当は段々と理解し始めているのに、信じたくないから最後まで彼に言わせようとしている。

放り投げたくてたまらない。あれだけ覚悟を決めた筈なのに、保健室に集まった時点で腹を括ったつもりだったのに−−今それが、簡単に揺らごうとしている。

 それだけ重かったのだ。自分にとって、ドラえもんという存在は。

 

「ぜーんぶ、嘘」

 

 ドラえもんは邪に笑って−−いや、嗤うのを失敗した顔で。

 

「あの改良型マリファナは、この町中に隠されている。僕達はそれを利用して、君達に都合のいい幻を見せていただけ」

 

 芝居がかったように両手を広げて。

 

「君の知る22世紀!ドラえもんなんて子守ロボット!セワシ君もドラミも秘密道具も全部全部…幻だったのさ!!

僕達の手で可愛い夢を見てたに過ぎないんだよ!!

 

 頭の中で。硝子が粉々に砕けるような音がした。

 視界が明滅する。のび太は倒れそうになる体を、気力で支えなければならなかった。

 

「…まぼ…ろし?」

 

 何ソレ。

 

「何…わけわかんない事言ってるの…?だってドラえもんは目の前に…セワシ君だってここに…!

僕達はそもそもタケコプターで空を飛んだし…それもまたジャイアンが持ってる!!まぼろしなんて…そんなわけが…」

 

 マリファナの幻覚作用がどれだけどぎついものかは身を持って実感している。現実と見分けるのは極めて困難なのも分かっている。

 しかし。−−しかし。いくらなんでもこんな長い期間、そんな夢に溺れていた筈が−−。

「…確かに、僕もセワシ君もここにいる。僕達の姿は君が見たままと違ってない。

でもね。…君の信じてたドラえもんなんて存在しない。…正確には“存在しなくなった”と言うべきかな」

「存在しなくなった…?」

「…ああ、今のは忘れて。失言だった。……今君が見ている僕というロボットはね、さっき言った通り22世紀の技術で作られた存在じゃあない。

僕を作ったのはセワシ君だ。セワシ君が…この事件の謎を解明して悲劇を回避する為に、僕を君の元に送りこんだんだよ」

 セワシが。

 のび太は虚ろな眼で彼を見る。

 

「…秘密道具の一部は幻じゃない。でも…君が思っているような夢に溢れた便利な何でもできる道具じゃないんだよ」

 

 ガラガラと全てが崩れる音がする。脳みそをかき回す勢いで、鳴っている。ドラえもんはのび太の目の前に立ち、光のない眼で告げた。

 

「僕はあくまでセワシ君の命令にだけ従うロボット。下らない情なら捨てた方が懸命だ」

 

 救いはない。思い知らされる。

 

「これが現実なんだから…ね。のび太君?」

 

六十二

失意

〜砂だけはただれ落ちて〜

 

 

 

 

 

のこされた、あかし。