−−西暦1995年8月、学校校舎・保健室。

 

 

 皆が戻って来れる場所を確保するのは大事だ。しかし、ただじっと待つだけというのも正直苦痛である。仲間の死を聞かされたから尚更だ。

 聖奈は保健室のソファーの上で、膝を抱えるようにして座り、手を合わせる。

特に意味はないし、行儀の悪い座り方なのは分かっていたが−−こうすると、何か思い浮かぶような気がしたのだ。どこぞの名探偵のジンクスを担ぐわけではないが。

 

「…昇降口を塞いできたのは正解だったかもしれんな」

 

 金田はドアの方を見て言った。

「多分…町は今私達が来た時より酷い有り様になってるだろう。ただのアンデットならそうそうあのバリケードは崩せまい」

「…そうですね」

 ほんの少し前だ。自分と金田は、一回の昇降口と、窓を、片っ端から封印して回ったのである。

南校舎だけだがやらないよりはマシだ。化け物も怖いが、無限に沸くゾンビも数の意味では非常に脅威なのだから。

 外は既に夜。明かりに惹かれて、何が寄ってくるか分かったもんではない。

 

「まだ…私。長い夢を見てるだけのような、気がしてるんです」

 

 あまり弱音を吐くべきじゃないと分かっているが。

気が少し緩んだ途端、それは口から零れ落ちてしまう。

 

「それとも…これは、誰かが見てる悪い夢で。私達はその登場人物なのかもしれない。…そうだったら、どれだけ良いだろうって、そう思います」

 

 今日一日の全てが、あまりに現実からかけ離れ過ぎていた。

今更現実逃避したいわけじゃないが、未だにどこか現実味が薄いのも確かだ。

 まるで、誰かに−−そう例えばあの魔女に。あるべきシナリオを無理矢理書き換えられた、出来の悪い脚本を踊らされているような−−そんな気分なのである。

 

「…そうだな」

 

 金田も俯き、言った。

「これがもし夢になるなら…妻や娘が生き返るなら。他には何も要らないと、そう思うよ」

「…すみません、金田さん。嫌なこと、思い出させてしまって」

「構わんさ。事実だろう」

 誰もが傷を受け、背負いながらもどうにか生きている。辛いのは自分だけではない。

むしろもっと辛い目に遭っている人がいることを、忘れてはならないと思う。

 そして自分の吐いた弱音を。受け止めてくれる人達に出逢えたことも。

 

「…安雄君が死んで……健治さんが死んで。私…思ったんです。人って簡単に死んじゃうんだって」

 

 さっきも金田と話したことだ。悲しいだけなのに、人は何故死ぬのだろうかと。

 問いかけた聖奈に、金田は言った。生きる為の死。生者に何かを遺す為の死なのだと。

確かに、死者が望むのは安い同情や慰めではないのかもしれない。

少なくともそんなことよりは、彼らの死が無駄にならない事の方が嬉しいのかもしれない。

残念ながら、“かもしれない”の域は出ないのだけど。

 ただ。死に対して、どう向き合うかは生きる者が決めることに違いない。

彼らの死を力にするか、ただ悲劇で終わらせてしまうかは−−自分達に、かかっている。

 しかしその選択が出来るのは。自分がまだ生きているからで。死んでしまったら、前に進む足も叫ぶ声も失ってしまうのだ。

 

「…あんなに強い二人さえ…死んでしまうのに。私が生き残ってる理由が分からなくて。それに…この先生き残れるかも、自信がなくて」

 

 もしかしたら。金田相手だから、こんな話をしてしまうのかもしれない。

彼は一見頑固で自分勝手に見えるが、それは表向きのスタンスだと聖奈は気付いていた。

人に対し頑なになるのは、優しさゆえ怯える為で。言葉が堅いのは、単に不器用なせいだ。

 なんだか、死んだ祖父を思い出す。彼も、金田とよく似たプライドの高い男だった。

当は凄く嬉しくても、感情を出しすぎるのは恥だと決めこんでいた。だけど。

 幼い頃泣き虫だった聖奈が−−うずくまって泣いていると。黙って側にいて、泣きつかれて眠れば毛布をかけてくれるような−−そんな男だったのだ。

 優しさの形は人それぞれで、けして一つきりではない。たくさんの優しさと想いの種類があって、人は人と接する事でそれを学び、自分に取り入れていく。

 健治とも安雄とも、もっとたくさん話せば良かった。時間が無いのは事実でも、努力次第ではもっと彼らを知る機会があった筈だ。

多分自分は一生、その努力を怠ったことを後悔するのだろう。死者は何かを遺すが−−本人と言葉を交わすことは、もう二度と出来ないのだから。

 

「私達は約束しました。みんなで生きて帰るって。

でももう…その約束が果たされることは、二度と……ない」

 

 だから。もうこれ以上後悔しない為に。少しでも今、聖奈は知りたいと思っているのだ。仲間達のことを−−金田のことを。

 

「金田さんは…出来ると思いますか」

 

 知らなければ、その傷に手は届かない。

 

「自分は生き残れるかもしれないって…まだそう思えますか」

 

 手が届いて初めて−−優しくなれるのではないだろうか。強くなれるのでは、ないだろうか。

 

「…生き残れるかもしれない、で生き残れたら世話ないな」

 

 そして思った通り。金田はハッキリと辛辣な−−それでも彼なりに柔らかい言葉を選んだつもりなのだろう−−で返してきた。

「生き残れる意志が強い者が生き残るんだ。それが摂理ってやつじゃないか?」

「…金田さんには、その意志があると?」

「……さて。どうだろうね」

 聖奈は目を見開く。勿論、と−−力強い言葉が返ってくると思っていたので、意外だったのだ。

 

「聖奈君は…助けてくれた親戚の子に出会うまで、死ねないと言ったね」

 

 私にはないんだよ、と金田は言う。

 

「生きる目的らしい目的が見つからないんだ。…妻も娘も死んだ。偉そうな事を言っておいてなんだが…私も君と変わらない。むしろ君より弱い。

…神様なんてものがいるなら、さっさとお告げでもなんでもして欲しいもんだ。

使命があるとわかれば、安っぽかろうがなんだろうが…その為に足掻く気も起きるかもしれないのに」

 

 使命。なるほど、その言葉は“意味”と置き換えることも出来るだろう。

聖奈だけではない。みんな、生きる意味が欲しいのだ。否−−こんな酷い場所で、“生きなければならない”理由が欲しいのかもしれない。

 

「尤も…こんな不平等な神様なんぞ、敬ってやる気はさらさらないがね。

私自身は恨まれるアテがないでもないが…妻や娘は違った。あいつらにどんな罪があったんだ?

健治君や安雄君もそう。あんなに強くて優しい子達が…何故死ななければならなかった?」

 

 聖奈は俯く。金田の言葉は、聖奈の気持ちを代弁してもいた。彼らの死には意味があったかもしれない。

自分達に何かを遺したかもしれない。しかし当の彼らは−−どうだったかなど、今となってはわからないのだ。

「私達に出来るのは。彼らなも何か役目があって…それを全うできたから死んだのだと。

そして生きる私達にも何か別の役目がある筈だと…そう信じることしか出来んのさ」

「役目…ですか」

「…ふふ。今気付いた。私にはもう生きる目的は無かったが…仮に今すぐ死ぬのだとしたら。未練が…ないでもなかった」

 金田は苦笑して、聖奈を見た。

 

「君達が…何処まで行くか。行けるのか。私は見てみたいね」

 

 予想外の発言だった。まさか自分達を金田が“未練”に持ち出してくるなんて。

 聖奈がそう思ったのが顔に出たのかもしれない。金田は高々と笑い声を上げた。

 

「ははははっ!まあ驚くのも無理ないか。私もびっくりしてるくらいだ」

 

 金田はどすんとベッドに座り、肩を震わせて笑う。それはそれは本当に楽しくてたまらないといった様子で−−聖奈は一瞬、自分達の置かれた状況を忘れてしまいそうになった。

 初めて対面した際は、いつも怒った顔をしてる気難しいおじいさんだとしか思わなかった。

こんな風に笑う姿を見る事になるなど、一体誰が予想しただろう。

 

「君も思っているように…我々が今、生き残っているのは奇跡のようなもの。ならば何故その奇跡が起きたのか、死ぬ前にそれが知りたいね」

 

 人は見かけによらない。否、見える一面などほんの僅かなものでしかないと、金田はまさに教えてくれている。

「私は…奇跡を引き寄せたのは、のび太君だと思うね」

「のび太君?」

「だって不思議じゃないか。最初はゾンビ一匹にもあんなに怯えていたのに…。仲間の為なら、どんな化け物にも立ち向かってみせるんだ。何より…」

 仰ぎ見た目を閉じて、金田は言った。

 

「気付くとみんなが、あの子の言葉に支えられている。友達でいたいと願っている。

宿命の魔術師…というのも嘘ではないかもしれんな。あの子の言葉は、魔法だ。きっと……安雄君と健治君も、あの子に救われたよ」

 

 言葉は、魔法。いや、言葉以上の魔法はきっと−−無い。分かる気がする。

自分達は魔法も魔女も当たり前のごとく否定してきたが。本物の魔女が現れた今になって、真実の一端に手が触れようとしているのかもしれない。

 信じれば、誰もが魔術師で魔女なのだ。言葉一つで人を操り辱め、死へ突き落とす事ができ。

逆に死の淵から這い上がらせることもできる。愛がなければ、見えない。真の魔法がどれだけ身近なあり、自分達を導いているかなど。

「なんの根拠があってあの子が悲劇を起こしたと言っているか分からんがね。とりあえず私はあの女を一発殴りたいな」

「駄目ですよ金田さん。それは私にやらせて下さい。お●ふくビンタをご覧にいれますから」

「…実はS属性か君は?」

「あら、今頃気付いたんですか?」

 くすくすと笑い合う聖奈と金田。くだらない冗談の応酬だって、こんなに楽しい。何故ならもう、自分達は気の許せる仲間なのだから。

 

「願わくば…君達を最期まで見守るのが、私の役目でありたいね。人生の終わりに、随分素敵な魔法を見せて貰ったよ」

 

 それは彼なりの、意志表示だと。気付いた聖奈は笑みを浮かべた。

「もう終わりにしていいんですか?これからがもっと楽しいかもしれませんよ」

「ほう、どんなクライマックスを見せてくれる気かね」

「それはもう…壮大で感動的なものを、ですよ」

 笑っていいのだろうか。死者を慰めなくていいのだろうか。頭の隅に一瞬浮かんだそれを、聖奈は一息で消し去った。

 自己満足は要らない。死者の感情を、わざとらしく悲劇的に決める必要なんてない。ただ忘れないでいればいい。

彼らがどのように生きて、どのような言葉を言って、何を自分達に託したか。

どんな風に笑って泣いたのか、その全てを−−自分達が抱きしめて、歩いていけばいい。

 

−−みんなは、私達に希望をくれた。生き抜く強さを教えてくれた。私はそう、考えることにする。

 

 瞼の裏の、今はもういない人達へ。聖奈は言葉を紡いだ。

 大好きなお父さんお母さん。勇敢だった安雄君に健治さん。

 

−−これで、いいよね…みんな。

 

 サヨナラは言わない。だってまだ頑張れるから。

 いつかまた彼らに、笑顔で会える時を夢見て。

 

六十七

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ミノ倒しと呪詛返し〜

 

 

 

 

 

ありがとう、悲しみよ。