たった一度の奇跡願い、繰り返す悲劇。

 いつか、そんな物語を読んだ記憶がある。過疎化の進んだ村の、一人の少女の物語だ。彼女は自らの死の運命を回避する為、何度も何度も時間を巻き戻すのである。

 しかし強固な意志は簡単には打ち崩せない。彼女は何度も足掻くが、結果それは同じ悲劇を繰り返すにとどまった。

たった一度。たったひとかけらの奇跡の可能性に縋ったがばかりに、一度で済んだ筈の死と絶望を何度も見せつけられる羽目になった−−少女。

 もしかしたら。自分達のいる世界も、似たようなものなのかもしれない。聖奈はそう思った。

今まさに直面する絶望も、悲劇も。自分の与り知らぬ誰かが、必死で乗り越えようとしているものなのかもしれないと。

 いや−−違う。乗り越えなければならないのは、聖奈自身だ。

自分はきっと今運命に試されている。生きる価値があるか、その力があるかどうかを見定められているに違いない。

 

−−上ッ等。

 

 こんな馬鹿げた歴史を許した、クソッタレな神様に。聖奈は心の中で唾を吐く。

 

「見せてやりますよ。……緑川聖奈の戦いってヤツをね!」

 

 目の前の、緑川リュウジの姿をした偽物が−−ぐるん、と振り返った。

それはさながら操り手がマリオネットの糸を強引に引っ張ったかのような、不自然極まりない動作だった。

 

「ふふ……ふふふ。君は俺が、偽物だって言うんだ?酷いなあ。せっかくパパとママに襲われた君を助けてアゲタのにぃ」

 

 ニタニタと嗤う。その笑みの歪さが、何より彼が偽物である証拠だった。

リュウジとは短い付き合いだし、彼を盲信する気はないが−−それでも、こいつは“違う”と、聖奈の本能に近い部分がそう叫んでいた。

 

「……楽しいですか。そうやって人の心の傷口を広げるような真似して」

 

 偽リュウジ、ではない。その向こうにいるであろう魔女に、聖奈は言う。

 

「楽しいんでしょうね。私にもまったく分からないわけじゃぁないです。人の不幸は蜜の味。

自分に火の粉の降りかからない凶悪事件のニュースは、カレーに混ぜるスパイスみたいに刺激的なもの。

安全圏から他人の悲劇を眺めるのは、愉快なものです」

 

 成績優秀、品行方正な生徒会長。聖奈はいつも皆からそんな評価を受けてきた。

しかしそれは、聖奈が取り繕ってきた表の姿に過ぎない。誰が知らずとも聖奈自身が知っている。自分の醜さも、弱さも。

 中学一年生の時。クラスでイジメが始まった時もそうだった。

聖奈は一貫して、中立という名の傍観を貫いた。

苛められている女の子を助けようとは考えもせず、それとなくイジメ主犯の機嫌をとり、イジメの存在など何一つ知らないという顔をしてみせた。

実際皆が思っていただろう。学級委員の緑川聖奈は、偶々イジメに気付かなかっただけ、と。

 自分は真面目でなければならない。

 おしとやかないい子でなければならない。

 優しくて礼儀正しい大和撫子であらねばならない。

 それがみんなの“望み”で“理想”なのだから。

 親や周りに知らず知らず押し付けられていたイメージ。それを演じていたのを知るのは聖奈だけ。

ずっと苦痛だった。しかし、苦痛なだけではないのも事実だった。

 私は味方ですという顔をして、苛められていた子に何もしてあげなかった。

最初は自分が苛められたくないという恐怖心からだったが、傍観し続けているうちに、もっと醜い感情が沸き起こってきた。

 それは喜悦。

 虐げられる者の涙が愉快だった。下らないことで言いがかりをつける虐げる者が滑稽で面白かった。

その両方を見下して優越感に浸り−−その直後、激しい自己嫌悪にかられるのだ。

 恐らくその感情は、多かれ少なかれ誰もが持っているものだ。サーカスの芸に例えるならば−−そう。

大多数の者は、ピエロが無事綱を渡りきることを望むが。

心のどこかに、ピエロが落ちて大怪我をしてしまえば愉快だと思う心理があるのである。

それを人は、悪意と呼ぶ。人間の根本にある、当たり前の感情の一つだ。

 

「アルルネシア。貴女は人間をとても醜いものと思ってるんでしょう?だから蔑むんでしょう?

間違ってはいません。この世界に人間ほど悪意に満ちた存在はいない。…でも」

 

 多くの人がその感情を律して生きていく事が出来る。他人との共存の為に、我慢と理性を選ぶことができる。

 それはどんな悪意にも勝る、人間の素晴らしさだと聖奈は思う。

道に倒れた人を無言で見て見ぬ人は多い。でも手を差し伸べる人だって必ずいる。その勇気こそ、人が人足りえるものではないか。

 

「貴女には分からない。人間の良さなんて。最初から人間を否定して、悪意を律することさえ忘れて。

人間にさえない悪意の塊になって、それで平然としていられる貴女には、絶対!」

 

 アルルネシアには分からないのだろう。

安雄がどんな想いでのび太を護ったか。

健治がどんな想いでのび太達に未来を託したか。ましてや。

 

「これは私達の物語。貴女なんてお呼びじゃないんですよ」

 

 何故自分が、リュウジが偽物だと見破ったかなんて、分かる筈もない。

 

「私は私の好きな時まで生きて、好きなように死にます。

貴女に介錯して貰うまでもないし、口出しされるいわれもない。さっさと舞台から退場して下さい」

 

 迷うことなく、聖奈は引き金を引いた。パンッと小気味よい音がして、リュウジの頭が弾ける。

飛び散ったのは血でも脳漿でもなく−−闇。まるで靄のように霧散して、後には何も残らなかった。まるでそこには最初から何も無かったように。

 

−−姿形だけなら、リュウジ君そっくりだった。

 

 今更ながら、聖奈は不気味に思う。もし会話をしなければ、彼が偽物だと気付く事は出来なかっただろう。

それほどまでに精巧だった。これが魔女の魔法なのか。

 これで終わりだとは、到底思えない。聖奈は銃を構えたまま、注意深く辺りを見回す。

リュウジの偽物はわざわざここまで聖奈をおびき寄せたのだ。必ず、何か理由がある筈だ。

『……なさん!聖奈さ……っ!』

「!」

 ノイズが酷くて、通信機の役割を果たしていなかったインカムから声がした。のび太の声だ。

 

「のび太さん?どうかしたんですか」

 

 どうして突然通信状況が悪くなったかは分からない。もしかしたら魔女が何か妨害工作を仕掛けてきたのかもしれない。

『……なんだ。金田さんが……』

「金田さん?金田さんがどうかしたんですか!?

 はっとする聖奈。もしや自分が誘き出されたのは、単に聖奈を始末する為だけでなく、金田を一人にする為?

 

−−迂闊だった……!自分のことだけで手一杯で…!!

 

 金田は老人だし、何よりまともに武器を持ってない筈だ。聖奈は慌てて視聴覚室から出ようとする。

 しかし。

「ギシャアアア!!

「!」

 こんな時。テニスをやっていて良かったと思うのである。

運動神経には自信があったし、何より−−とっさの勘や反射神経。今まで何度救われてきたことか。

 聖奈が立っていた場所に、上から降ってきたのは−−ハンター。

襲いかかる直前に鳴き声を上げてくれなかったら、間に合わなかったかもしれない。

 

「くっ……!」

 

 聖奈は銃を構え、引き金を引く。中途半端な体勢で撃つものではない。弾丸は逸れて、明後日の方向に向かった。しかも。

 

「グキャァ!」

 

−−まさか……もう一体!?

 

 カサカサと音を立てながら壁を這ってきたのは、ブレインディモス。

とっさに床に伏せる。気色悪い虫型B.O.Wは、酸を吐いて攻撃してきた。じゅっと聖奈の長い髪の端が焦げる。

 

「お……女の子の髪を焼くとか!デリカシーの欠片もない虫ですねっ!」

 

 わざと冗談じみた事を口にする。それはのび太や健治がやっていたのと同じ。

余裕はまだあると−−そう自分自身に“見せる”ことで、心の安定を図るのだ。

 効果はあったらしい。なんとか落ち着きを取り戻す聖奈。

偽リュウジを消して終わりではないことは分かっていたが、予想以上の歓迎ぶりだ。

自分一人の為に、ハンターとブレインディモスの両方を配置してくるなんて。

 

−−倒せるの?私……一人で。

 

『聖……さん!どうし……があったの!?

 

 途切れ途切れの声が、インカムから聞こえてくる。

 

『ま……て!今……けに行く…ら!』

 

 ノイズ混じりの言葉だったが。のび太が何を言いたいのか、何を言おうとさているかを知るには充分だった。

 

 待ってて。今助けに行くから。

 

 のび太はそう言ったのだ。自分の為に。聖奈を救う為に−−危険を犯すと、そう言っている。

 理解した途端。聖奈の腹は、決まっていた。

 

「来ないで下さい!」

 

 インカムに向けて、叫ぶ。

 

「こんな奴ら……私一人で充分ですっ!」

 

 意地では無かった。ただ、それではいけないと思ったのだ。のび太に頼ってばかりではいけない。

そもそも彼こそアルルネシアの狙い。自分が彼に情けなく守ってもらうことを期待したら−−それはつまり、アルルネシアに負けたも同然。そう思ったのだ。

 

「私の方が年上なの、忘れてません?子供ののび太君に守って貰うようじゃ、面目丸潰れじゃないですか」

 

 決めた筈だ、自分は。

 守られる側ではなく、守る側に回ろうと。

 

「この場所に魔女はいません。数もたった二体。健治さんの時と比べたら全然対した事ないです」

 

 健治は、守りきってみせた。確かに最後は死に追いやられたかもしれない。

自分達に絶望を見せたかもしれない。けれど彼は確かに、太郎一人を守り抜いたのだ。

 そして。非力な人間にも出来ることがあると−−運命に風穴を空ける事ができると。そう示してみせたのだ。

 

『人は、生きる為に死ぬんだよ』

 

−−金田さん。貴方は私に、そう教えてくれましたね。

 

『悲しいだけかもしれんが、その悲しみにも意味があり価値がある。…だから死は、我々に寄り添うんじゃないかね』

 

−−大切な誰かを失う……その悲しみにも意味はあると。

 

『願わくば…君達を最期まで見守るのが、私の役目でありたいね。人生の終わりに、随分素敵な魔法を見せて貰ったよ』

 

−−私達が生きている……のび太君に生かされている。その奇跡を、貴方は魔法と呼びました。

 

 ハンターが飛びかかってくる。聖奈はとっさに椅子でその爪をガードしていた。

 

「はああああっ!」

 

 そのまま−−ブン投げる!

 火事場の馬鹿力は侮れない。椅子に爪を刺したまま動けなかったハンターは、もろに椅子ごと投げ飛ばされた。

 

「見せてやる……これが私達の、魔法!魔女なんかに屈してなるものかっ!!

 

−−そんな貴方を……助けに行く事は、できないかもしれない。

でも貴方が教えてくれた魔法を、私も信じてみようと思います。

 

「死にたい奴から……かかってきやがれぇぇぇ−−ッ!!

 

 聖奈は叫び、引き金を引いた。誰にも否定させはしない。

のび太が自分達を“生かしてくれた”事実も、彼がくれた奇跡も。金田の誇りも、安雄や健治の想いも、全部全部全部。

 生き残って証明してみせる。自分達は、間違ってないという事を。

 

七十一

戦乙女

マネウタとラプソディア〜

 

 

 

 

 

いざ、参らん。