−−西暦1995年8月、学校校舎・1F廊下。

 

 

 

「聖奈さん!聖奈さんてば!!

 

 のび太は繰り返し呼びかけるが、もうインカムは喧しいノイズしか吐き出さなかった。何かが電波を阻害している。

 アルルネシアがまた何か仕掛けてきているのか。あるいは偶発的なものか。−−いや、タイミングが良すぎる。意図的だと考えるべきだろう。さっき少し繋がったのが奇跡のようなものだ。

 綱海、スネ夫。他のメンバーにも話しかけようとするが、一向に繋がる気配がない。のび太の背筋を、冷たい汗が流れた。

 

−−どうしよう。どうしよう。どうしよう!

 

 少なくとも、金田と聖奈は危険な目に遭っている。綱海やスネ夫も危ないかもしれない。

自分はどうすればいい?誰を助けに行けばいい?体は一つしかないというのに!

 

「のび太さんっ!」

 

 叫んだのは、静香。

「迷ってる暇なんかないわ。……保健室へ。金田さんを助けに行きましょう!」

「で、でも!聖奈さんや綱海さんは…」

「居場所が分かってるのは、保健室にいる金田さんだけじゃない」

 それは確かにそうだが。

 

「それに……聖奈さんはあたし達に言ったわ。来るなって。一人で充分だからって」

 

 静香は強い眼差しで言い切った。

 

「あたしはそんな聖奈さんを信じる。……知ってる?土壇場じゃ男より女の子の方が百倍強いのよ。

ましてや……女ライバルを蹴散らす時なんか最強なんだから」

 

 まあ少女漫画に興味がないのび太さんは知らないかもね、と静香は不適に笑う。

「金田さんは“来なくていい”って言い方だった。あの人は諦めちゃってるかもしれない。

だからあたし達が言って、一発渇を入れてやるべきじゃない?」

「い、勇ましいね静香ちゃん」

「のび太さんのお陰でね」

 そして、一瞬。彼女は顔を陰らせる。

 

「まあ……健治さんのおかげでもあるんだけど」

 

 

 

『お前は…お前だけは何があってものび太を裏切るんじゃねぇぞ』

 

 

 

 そうか。

 静香もまた彼女なりに−−健治の思いを、言葉を。背負おうとしているのか。

 

 

 

『守ってくれ。俺の分まで…最期まで』

 

 

 

 守れる人になる。しかしそれは無茶をして暴走しろと言っているわけじゃない。信じて待つ。その痛みに耐えるのもまた、強さだと。それが静香の出した、答えなのか。

 

「…じゃあ、こうしよう。三つに別れて動くんだ」

 

 ヒロトが提案した。

 

「のび太君と静香ちゃんが保健室へ。俺は綱海と聖奈さんを探しに行く。それで武君は太郎君を連れてスネ夫君のところへ。

何かあってもなくても、そのまま放送室に待機していて欲しい。

いずれ一回みんなで集まらなきゃいけなかったわけだから。のび太君と静香ちゃんも…もし保健室に金田さんがいなかったりしたら、放送室へ行って」

 

 本当はこう言いたかった筈だ。保健室に金田がいなかったら。もしくは−−手遅れだったら、と。

しかし、それは思っていても口には出来なかっただろう。もう誰も失いたくない。その気持ちは全員に共通する筈だから。

 

「インカムがちゃんと使えたら、もっと効率良く動けたんだけど。

一過性のものかそうじゃないかも分からない。原因が分かるか、妨害が終わるまでは派手に動かない方がいい」

 

 尤もな意見。しかし本音を言えばのび太は不満だった。この役割分担だと、明らかにヒロトの負担が大きい。なんせ綱海も聖奈も、校舎のどこにいるか分からないのだ。

 インカムが使える状況ならそう面倒でも無かっただろうに。

スネ夫にモニターでナビをして貰えれば、効率よく全員の状況が知れた筈だ。

 するとそんなのび太の不満が伝わったのか。ヒロトが苦笑いして言った。

「そんなムクれないでよ。大丈夫。綱海や聖奈さんが見つかっても見つからなくても、二十分たったら一先ず俺も放送室に行くからさ」

「…分かったよ」

 仲間は失いたくないが、危険な橋を避けて通れるような状況でもない。渋々のび太は了解した。

 

「仕方ねぇな。太郎、行くぞ」

 

 武が太郎の手を引く。太郎はちらりとのび太を振り返り、言った。

 

「のび兄ちゃん…死んじゃ嫌だからね」

 

 その大きな瞳に映る、怯えの色。たくさんたくさん悲しい事があって、それでもまだ歩く意志のある子供が、ほんの少し垣間見せた恐怖。

 それを見るたび。のび太は思う。自分もまだ子供だけれど。太郎の前ではほんの少しだけでも強いお兄ちゃんでありたい。健治さんの分まで、きっと。

 

「死なないよ」

 

 笑ってみせよう。それが希望に続く架け橋になるのなら。

 

「アルルネシアのシナリオを壊して。ドラえもんと仲直りするまでは、死ねないよ」

 

 真実は戦って掴み取るしかない。そうしてこそ、きっと価値あるものになる筈だから。

 

 

 

 

 

 

 

−−西暦1995年8月、学校校舎・1F給食室。

 

 

 

 左腕が焼けるように熱い。我ながらドジを踏んだと綱海は思った。

 

−−まあ顔にぶっかからなかっただけマシなんだろうが…。

 

 ガードもしたし、防護壁も張った。しかし完全には間に合わなかった為、こんな有り様になってしまった。

ウーズの飛沫が飛んだ左腕は焼け爛れ、不自然に肉が抉れている。硫酸でもぶっかけられたかのようだ−−否、もっと酷いだろう。肉がこうも簡単に溶かされるとあっては。

 骨が露出しなかっただけマシだと思うしかない。正直もう、痛いなんてものじゃない。早く適切に処置しなければ感染症は免れられないだろう。

 

−−回復魔法……もうちっと真面目に勉強しとけば良かったなぁ。

 

 超能力も魔法も、根本は非常に似通っている。大別すれば二つの力に分けることが出来るのだ。

つまり“物質に直接作用する力”−−PKか、“通常なら知り得ないことを知る力”−−ESPである。

 綱海は前者の能力が得意なタイプだった。中でも超能力で言うならサイコキネシスやパイロキネシスのような−−力を飛ばして何かを壊すのは得意なのだ。

しかしPKPKでもLPKに分類される−−人の傷を治すような力は非常に苦手だった。

能力というのは使う人間の性格に大きく影響される。大雑把な性格(を自覚している)綱海らしいといえばらしいが。

 

−−ただでさえここ、俺らの世界じゃないし。能力制限キツいよなぁ。

 

 世界を渡る者の制約。干渉値と呼ぶ者もいるそれ。

早い話、異世界から来た者は能力を大幅に制限されなければならないし、自身の手で世界に“決定打”を与えてもならない。秩序を守る上での、絶対的なルールだ。

 自分達の上司(誰にも敬われちゃいないが)にあたる人物は、人格的には問題アリアリだが、このルールにだけは厳しすぎるほど厳しい。

よって彼を後見人として活動している綱海達は、自分自身で考えるまでもなく最初から能力を制限される。つまり、ルールを破ろうとしても無理、なのだ。

 だから。ルール無用で暴れまくるアルルネシアをこの世界で倒そうと思ったら、制約なしに戦えるのび太達の協力が必要不可欠なのである。というか、彼らでなければトドメが刺せない。

 

「ヒロトかリュウジがいればなぁ。…なんでいて欲しい時に限ってお留守かなあいつら」

 

 溜め息を吐きつつ−−綱海はあたりを見回す。まだ戦闘は終わっていない。

なんとかしてあの“赤いスライムもどき”を攻略する方法を見つけなければ−−仮に綱海が逃げおおせたところで、いずれ必ず奴は障害として立ちはだかるだろう。

 悔しいがアルルネシアの言う通り、ウーズと綱海では圧倒的に綱海に不利だ。相性が悪すぎる。

水魔法でいくら叩いても奴は水に溶けて分散し、むしろ状況を悪化させてしまう。

 相手が液体である以上、刃物や銃が効くわけもなく。酸で溶かされることを考えれば殴る蹴るなどは論外。物理攻撃は完全無効果されると思っておいた方がいい。

 

−−となれば。あとは二つに一つ……かな。

 

 弱点のない生物などいないはずだ。そして液体の敵ならば、一般的に考えられる弱点は二つに一つ。

 冷気か、熱気だ。

 

「もしもーしウーズちゃーん。君が苦手なのはー何デスカー?」

 

 すると。それに答えるように、給食室の壁が赤く染まった。じわじわと壁から染み出してくる、液状の生命体。軽くホラーだ。−−いやもう、バイオハザードの時点でホラーっちゃホラーなんだけども。

 

「出てこなくていいです、返事してくれれば!…ってお前口きけねーんだっけか!!

 

 綱海は反射的に後ろへ飛び退いた。じゅっ、と焦げる音がして床が溶ける。

熱ではなく薬の溶け方だ。薬とプラスチックと鉄を混ぜたような匂いに思わず顔をしかめる。嗅がない方が無難そうだ。

 熱と氷。さてどちらを先に試すべきか。給食室に逃げ込んだのは意図的だ。ここでならその両方が可能だと踏んだのである。

 幸いにも、すぐそこには巨大な冷凍庫の扉が。ここに追いやれば、奴を凍らせる事も出来るかもしれない。

 問題は弱点が熱の方だった場合だ。火事の危険性を考えると、あまり大きな炎は使えない。

余談だがこの世界の派遣メンバーを決める際、炎技を得意とするメンバーが外されたのはこれが理由だったりする。

以前誰かさんが山火事を起こして、近隣住民にえらく迷惑をかけた事があるのだ。

 

−−こいつはT−ウイルスの産物じゃない。そして多分、魔術で生まれた化け物でもない。

 

 アルルネシアは、さも魔法で呼び出したかのように演出してみせたが。奴は魔女でありながら、偶に手法を混在させる。つまり、呪術に手を出すのだ。

 魔術と呪術は似て非なるもの。何故なら他者に魔法をかける場合は、必ず除法を用意するが、呪術にはそれがないのだ。

呪術は書いて字のごとし、相手を呪いで苦しめるのが前提。リスクが高い分、質が悪いのである。

 唯一、呪いを解除する方法が“呪詛返し”と呼ばれるもの。呪術師に呪いを跳ね返すことで、呪術を無効にするのである。

ならばウーズに対しても、アルルネシアに呪いを返す方法が必ず存在するのだ−−少なくとも、理屈の上では。

 

−−何が問題って、俺は呪術に関してからっきしだって事なんだけど。

 

 やはり物理的になんとかするしかない。綱海は冷凍庫の取っ手に手をかけた。

鍵がかかっていたら、その時点でアウト。この状況で鍵が見つかるとは思えない。

 

「南無三ッ……とりゃっ!」

 

 気合い一発。こういう時ならば、無宗教の綱海も神頼みしたりする。

取っ手が動いた。勢い余って、綱海の体は冷凍庫の中に転がりこむ。後を追って、ウーズも中に滑り込んできた。

 途端に体を包む冷気。沖縄っ子の綱海にはなかなかハードだった。うっかり設定温度を確認していない。マイナス何度なのだろう。

 

「わざわざ寒い思いまでしたんだ。きちっと凍ってくれよ?」

 

 後先考えない行動だった気もするが、今更言っても仕方ない。ウーズが凍ってくれるのを願って、それまで粘るだけだ。

 心なしか、ウーズの動きが鈍いように思う。歯の根が鳴りそうな寒さの中、それでも綱海は笑みを浮かべた。

 この程度大したものじゃない。

 “彼”の痛みに、比べたのなら。

 

七十二

ち向かう為の、即興曲〜

 

 

 

 

 

エデンはまだ遠い。