思わず瞑ってしまった眼を開いた時。聖奈の視界に映ったのは、体液を撒き散らして倒れるB.O.Wの姿だった。

 

「あ…」

 

 背中側から、脊椎を切断されたリッカーが崩れ落ちる。その向こうには。怪物の体液でぬめつく刃を握った、黒いコートの少年の姿があった。

 初対面の相手、である筈だ。しかし聖奈は驚かずにはいられなかった。少年の顔が、自分の知る彼と−−のび太とそっくりだったから。

 いや、そっくりなんてもんじゃない。

もしのび太と二人並んで“実は生き別れの双子のお兄ちゃんがいたんだよ”と紹介されたら信じてしまいそうだ。瓜二つ。こんな事があるのだろうか。

 

「あなたが……セワシ君?」

 

 聖奈と対面するのは初めてだが、彼の存在は知っている。彼とのび太達の会話はインカムごしに殆ど聞いていたのだから。

のび太の孫−−である筈の、のび太によく似た顔の、少年。ただし口調と戦闘スタイルはかなり違うようだが。

 

「……怪我は?」

 

 少年は聖奈の問いに答えなかったが、否定もしなかった。多分間違ってはいないのだろう。

実は基本的には無口でシャイな性格なのかもしれない。しかも、どうやら自分を心配してくれているようだ。

「……無い、です。ありがとう、助けてくれて」

「……そうか」

 ピッと刃についた化け物の血を振り払い、鞘へと収めるセワシ。

 

「何よりだ。…かすり傷の一つでもつけられたら、感染しかねないからな」

 

 抑揚のない声。話し方が大人びていて気付きにくいが、声もやはり似ている。子孫だというだけでこんなに似るものなんだろうか。

 セワシはちらりとこちらを振り向くと、ぽんと何かを投げてよこした。慌ててキャッチする。それは聖奈が落としたのと同じマガジンだった。しかも二つ。

「持っていけ。弾切れなんだろう」

「あ、ありがとうございます…。でもどうして」

 何でそれを、と言いかけて止まる。思い当たることがあったからだ。

 

「知ってたんですか?」

 

 セワシは、健治の死を予見していた。彼の場合、死の理由や正確なタイミングまでは掴んで無かったようだが。もしかしたら、今回もそうだったのではないか。

 自分がこの視聴覚室で死ぬことを、彼は予見していたのではないか?

 

「…七割だ」

 

 彼は低く唸るように言った。

 

「七割の確率であんたは死んでいた。あんたはB.O.Wに襲われ、のび太に助けを求める。のび太は七割の確率で間に合わず、あんたは死ぬ。それが決められたシナリオだった。だが…」

 

 のび太と同じ色の瞳が、細められる。

 

「何故だ。何故あんたは助けを求めなかった?一人で戦おうとしたんだ」

 

 いくつか分かった事がある。モニタールームはスネ夫が奪取した筈だが、彼らにはどうやら別に学校内から配慮間に至るまで監視する手段があるらしいこと。

 そして聖奈がのび太に助けを求めず−−つまり生き残れた三割の可能性を蹴っ飛ばした形になった為、彼が慌てて飛んできてくれたらしい−−ということ。

 安堵と複雑な感情と−−疑問。今の短い会話だけで聖奈は悟っていた。この少年は優しいのだ、驚くほどに。ただそれを表に出すのが下手なだけ。健治の上を行く不器用ぶりである。

 

「プライドです。…それでは理由になりませんか?」

 

 だから聖奈は答える事にした。礼を兼ねたのもあるが、何より自分もまた、彼に訊きたい事があったから。

「私が…か弱い女の子に甘んじたら、必ず誰かが代わりに傷つく事になる。

せめて足手まといならないような努力くらいすべきです。本来ならのび太君達だって、誰かに守られなければならない“子供”なんですから」

「…だが、奴らは男だ」

「そうなんですよねぇ。私が気にしなくたって、あの子達は小さくたって男の子なわけで…。

もうどうして男の子ってああもプライド高いんでしょう?

何でも守って貰わなきゃ生きていけないほど、女の子がか弱いと思ってるなら、むしろ失礼だと思いません?」

 む、とセワシが黙る。どうやら彼も例に漏れず“プライドの高い”男子であったらしい。

図星をつかれたのがありありと分かる顔が面白くて、聖奈はついつい笑ってしまう。

 

「…おまけにのび太君なんか、腕力って意味では本当に酷いったら。“男のが力が強いから女を守らなきゃいけない”理論にも当てはまらないじゃないですか。

そこを工夫で頑張ってるあたりが…あの子の格好いいところなんですけど」

 

 実のところ性別だとか常識だとか、そういう問題でもないのだ。本人の気の持ちようで、どんな人間も勇猛な騎士になるしひ弱なお姫様にもなれてしまうのである。

 自分に、全てを守るだけの力があるなんて自惚れてはいない。自分が騎士になれるとは思っていない。それでもプリンセスだけは嫌だったから、今ここにいる。

 

「…私を守る為に、のび太君やみんなに何かがあったら…きっと私は後悔する。死ぬほど後悔…する」

 

 太郎がまさにそうであるように。健治の死を一生かけて背負わなければならなくなってしまったように。

 まだ幼い彼だ。そうでなくとも自分達の誰が太郎を責めるだろう。それでも彼は悔いている。他の誰が責めずとも、自分自身が責める。己の心から逃げられる人間なんていないのだ。

 

「それでも全く勝算がなければまた違ったでしょうが。勝てない相手ではないと判断しました。

最後のリッカーを見逃したのはあくまで私のミス。…証明してみせたでしょう?

ハンターとブレインディモスの二体は、ちゃんと倒してみせましたよ?私は間違ってなかったんです」

 

 ブレインディモスなんて椅子でぶっ叩いて倒してしまった。人間やればできるもんである。

 

「貴方の予測した世界の“私”は、さぞかしペシミストだったんでしょうね。

最初から出来ないと諦めていたら、出来ることなんて何もないです。

きっとハンターの最初の一撃で首を飛ばされてたんじゃありません?」

 

 セワシは何も言わない。言わないのではなく言えないのかもしれない。

「…確かに、変えられない未来がありました。私達は健治さんの死も安雄君の死も止められなかった。

でも…可能性がゼロなことなんて何もないんです。運命は打ち破れる。だから貴方は今此処にいて、私を助けに来てくれたんじゃないですか?」

「…俺は……」

「教えて下さい、セワシさん」

 聖奈は真っ直ぐセワシの眼を見て。

 

「のび太君は、どうしても死ななければならない存在ですか。それが“絶対”だと、貴方は言い切れますか」

 

 そう、言った。

 セワシが息を呑む。

 

「私には、貴方はまだ迷っているように見える。貴方の予知していたシナリオは、だいぶ変わってきているんじゃないですか?」

 

 どうしてのび太の死が必要なのか。セワシがのび太を憎むのか。その根本的なところはまだ分かっていない。

 だけど、この世に“絶対”はない。有り得ない事など、有り得ない。そして少しでも可能性があるならば、奇跡を起こすカケラもまた必ず眠っている。

 聖奈が今、生き残る可能性は三割あった。しかしのび太の助けを借りずに生き残る可能性は、比べものにならないほど低かったかもしれない。

それでも結果としつ聖奈は今生きている。たとえセワシの力を借りた結果だとしても−−いや。そうであるからこそ。

 僅かな可能性を。奇跡を信じ、成就させたいと誰より願っているのは他でもない、セワシ自身ではないか。

 

「…迷っているなら。その答え、私達がきっと見せてあげられる」

 

 聖奈は立ち上がり、スカートの埃を払った。

 

「みんなが不幸になる。みんなが死ぬ。のび太君がいるせいで、そうなる。…貴方のその考えは、私が生き残って…幸せになれば、否定されますよね?」

 

 腹は決まっていた。自分達が見せてやればいい。未来に絶対はないということを。運命は覆せるということを。

 

「私が必ず、証明する。この覚悟、貴方は見届けてくれますよね?」

 

 セワシの瞳が揺れた。真っ直ぐ聖奈の顔を見れなくて、動揺を隠しきれなくて−−そんな顔をしている。

「…野比のび太は…絶対にお前達を不幸にする」

「いいえ。あの子はみんなを幸せにできる子です」

「あいつのせいでみんな…死ぬ」

「死にません。少なくとも私は」

「何故そこまで!あいつを信じる事が出来る!?

 セワシが吠えた。それは彼の、心の叫びに思えてならなかった。

 

「信じてくれたからですよ」

 

 聖奈は答える。微笑みながら、自分自身の真実を。

 

「のび太君は当たり前のように…出逢ったばかりの私達を信じてくれた。友達だと言ってくれた。

あの子は絶対裏切らない。…そんな相手を信じないわけがないじゃないですか」

 

 縋るんじゃない。頼るでもない。ただ信じて、信じ続ける事は、本当は凄く怖い。凄く勇気がいる。

 だけどあの子にはそれが出来る。誰かを信じて、その為に命がけで頑張れるのだ。

なるほど、確かに彼は“魔術師”だろう。その純粋な行動と言葉で皆を救う。それが魔法でなくてなんなのか。

 

「貴方が何故のび太君を恨むのかは分かりません」

 

 いずれその答えもまた、自分自身で見つけなければならないのだろう。

 

「だけどあの子の悪口を言われてブチ切れる人間が此処にいることは、覚えておきなさい。

どうしても貴方があの子を殺すというなら…静香さんより先に私が相手をしてあげますから」

 

 助けて貰った恩はあるし、彼が優しい人物なのは分かる。しかしそれとこれとはまた別件なのだ。

 

「……俺には、分からない」

 

 ぽつり、とセワシが呟いた。

「本当は分からないんだ。真実なんて…何も」

「分からないから探すんでしょう。それが人間です」

「人間、か…」

 自嘲気味に少年は嗤う。

 

「…間違っていたのかな、俺は。…お前達が生き残る障害になる。

それが今まで見てきたシナリオだったから…バイオゲラスを操って安雄を消した。

…でも本当にその必要があったか、今となっては……どうなんだろうな」

 

 やはり、安雄にバイオゲラスをけしかけたのはセワシ達だったのか。予想の範疇だったが、正直ショックだった。

 死ななければならない命なんて本当はあっていい筈がない。奇麗事かもしれないけれど−−でも。

 

「……もうやってしまった事はどうしようもないです。その件については、貴方を許すわけにはいきません…どんな理由があったにせよ」

 

 感染した結果、安雄がどれだけ苦しんだか聖奈は知っている。

それが自分達の為だったというなら、セワシを恨むことはしない。

でも許しては、いけない。セワシも多分それは望んではいなくて、だからわざわざ話したのだろうから。

 

「だけど。未来の選択は変えられるんじゃないですか?」

 

 何が最善で賢明かは分からない。ただ聖奈は、彼が一人でも多くの幸せを願う道を選んでくれたらと思うのだ。

 彼自身と。のび太を除外することなく。

 

「未来…か」

 

 セワシは呟き、天を仰ぐ。まだその眼に映る景色は見えないけれど。

 いつか届けばいい。その瞳の、奥の奥まで。

 

七十五

正義

〜その、誰が為に〜

 

 

 

 

 

全てを見る覚悟はあるか。