−−西暦1995年8月、小学校校舎・保健室。

 

 

 柄にもなく苛ついている。静香はパイプ椅子に座ったまま、下を向いていた。

 保健室のドアを見、下を向き、またドアを見る。さっきからそればかり繰り返している。焦りの原因はのび太が心配なせいだ。

銃を持たせたとはいえ、彼もまだ小学五年生。ついでに言えば力もなければ体格や知恵もない。臆病で優しいその気質は、静香だってよく分かっている。

 本来戦いになど向いていないのだ。

それなのにそんな彼を、太郎の護衛代わりにするなんて間違っている。静香は無意識に、ヒロトの方を睨んでいた。

 銃を持っているから。それだけの理由で彼を選んだヒロト。理屈は間違っていない。

けれど、ならばスネ夫でも良かったし、なんならのび太から銃を借りてヒロト本人が行けば良かったではないか。

静香にはどうしても彼が、のび太に嫌な役を押し付けたように思えてならなかった。

 金田は少々ビビりすぎているが。少なくとも今は、保健室に閉じこもっていた方が安全に決まっている。

年上のくせに、自分は安全地帯にいて、年下の男の子を戦地に追いやるなんて−−それって人として、どうなんだろう。

「…間違ってる」

「何が間違ってって?」

「!」

 どうやらうっかり声に出してしまっていたらしい。はっとして口を塞ぐが、時既に遅し。

 

「ああ。…のび太君に太郎君の護衛をさせた事かな?図星でしょう?」

 

 どうやら全部お見通しらしかった。ヒロトはにっこり笑って言う。

罪悪感も何もなさそうな笑顔に、より苛立ちが募る。

 

「どうして…」

 

 のび太さんを行かせたの。貴方が行けば良かったじゃない。そう口にしようとした時、代わりに発言したのは綱海だった。

「健治がああ言ったのは、のび太に対してだけじゃないぜ。んでもって俺らも同じ気持ちだったから行かせたんだ」

「え?」

「臆病者は生き残れねぇってハナシ」

 

『でもな。…これから俺達はゾンビの群の中に突っ込んで行かなきゃならねぇんだ。

ここで怖じ気づいてるようじゃ、こっから先生き残れねぇぜ』

 

 あの発言のことか。確かに最初の言い出しっぺはヒロトでも、のび太の背中を押したのは健治で、綱海もそれを黙認した形だったが。

「一つ聞くが嬢ちゃん。そんなにのび太が心配なら、何で自分が行くと言わなかった?お前だって銃は持ってんのに」

「!」

 思わぬ切り返しに、絶句する静香。

驚いたのは当たり前のように静香が行けば良かったんじゃないかと綱海が示してきたことだけではない。

その発想が当然のごとく自分の中になかったことにもだ。

 

「勘違いしてるようだから言っておく。少なくとも俺と綱海は、君や聖奈を特別扱いするつもりはないよ。

女の子だからって当たり前のように守って貰えると思わないでね。

俺の仲間には君より小さな女の子でも、ちゃんと戦える子だっているんだ。

さっきは偶々先にのび太君をテストしただけ。個人的には君やスネ夫君を行かせても全然構わなかったんだよ?」

 

 ヒロトはさっきまでの笑みを消して、ハッキリと言い放った。

 

「足手まといは要らない。太郎君はある程度大目には見るけど、

それでもビービー泣いてみんなの障害になるだけだけなら容赦なくひっぱたくつもりだから。

自分の力で生きる気がない奴は、邪魔になるだけ。ハッキリ言って、要らない」

 

 その言葉で、静香は理解させられた。ヒロトは本気だ。

そして彼の言う“足手まとい”は、単純な戦力だけを指しているわけではないと分かる。

 他人の力だけをアテにして生き残ろうなんて甘い考えは捨てろ。

そうでなければあっさり見限ると、そう言っているのだ。

 

「健治君はそれなりに分かってるみたいだけど…武君とスネ夫君と聖奈ちゃん。君達も肝に銘じておきな」

 

 ヒロトはぐるりとメンバーを見回した。目のあった面々の中で、眼を逸らさなかったのは健治だけ。

聖奈とスネ夫は俯き、武は気まずげに顔を背けた(深い考えもなく、いつものノリでのび太を送り出したことに罪悪感を抱いたのだろう。少しほっとした)。

金田に至っては最初からヒロトを見ていない。

 

「此処から先、生きようが死のうが地獄。勝っても負けても辛い事が続くと思う。

それでも生きる気があるなら…自分と誰かを守る気があるなら。俺と綱海は、全力で力になるよ」

 

 たかが中学生が偉そうに、と切り捨てるのは簡単だった。しかし誰もそう言わなかった。

彼らがただの中学生でない事は、銃やら刀やらを普通に所持していた事からも明らかだ。

何より随分戦場慣れしていると感じる。見た目は弱々しく見えるのに、その威圧感は戦士のそれだ。

 小学生だから。女の子だから。それは今の現状なんの言い訳にもならないと思い知る。

無意識のうちに、当たり前のごとく守って貰えると思っていた自分が恥ずかしくなる。

 自分がそうやって誰かの足を引っ張ったら、その誰かが代わりに死ぬかもしれない。そしてそれは、のび太や武かもしれないのだ。

 

「…そうだな。最後に生き残るのはやっぱ…生きようって気持ちが強い奴、なのかもなあ」

 

 らしくもなく塩らしい様で武が言った。

「…俺の…母ちゃんは。俺が帰った時はもう、バケモンに食い荒らされた後だった。

バケモンになって襲われなかっただけマシなのかもしんねぇけど」

「武さん…」

「妹のジャイ子は友達の家に遊びに行ってていなかった。その友達の家も町内だ。無事な保証は何処にもねぇ。でもな…」

 ぐっと拳を握りしめる武。

 

「でもな…生きてんなら。アイツは俺が守る。アイツを守りきるまで死ぬ訳にはいかねぇ。

ぶっちゃけ俺だってゾンビもバケモンも怖ぇけど…生きなきゃなんねぇ理由があんだよ!」

 

 それは静香が初めて耳にする、武の弱音と本音だった。いつも強がりで、腕っ節を自慢してばかりのガキ大将。

そんな彼もまだ小学生で、弱いところはたくさんある。それを垣間見せてくれた。見せてこそ信頼だと、決意に繋がると分かっていたのだろう。

 

「僕のパパとママは…旅行に行ってたから、多分まだ無事だと思う」

 

 スネ夫が口を開く。

「だけど…なら尚更、生きて脱出しないと…だよね。

生きてパパとママにもう一回会うんだ。会ってこの町で起きたこと、伝えなきゃ」

「俺もまだ死ねないな」

 健治が苦笑する。

「幼なじみのダチと旅行したって言ったろ。でも最後の最後で喧嘩しちまってさあ。結局謝ってねぇんだよな。

このまま終わっちまったらこの上なく後味悪いっつーか…俺うっかりあいつの枕元に化けて出ちまうかも」

「健治さん恨みつらみはしつこそうですものね」

「おうよ、末世まで呪ってやるぜ、覚悟しろ……って何でやねん!」

 さらりと言ってくれた聖奈に、健治が反射的にツッコミチョップをする。確定だ、この人完璧にツッコミ体質だ。

そして聖奈はブラックジョークタイプかもしや?つい静香はまじまじと観察してしまう。

大和撫子に見えて、実は腹黒いタイプだったりするのだろうか。

 

「私のお父さんとお母さんも…アンデットになってしまいました。

リュウジ君がいなかったら、きっと私も化け物になるか…殺されていたに違いないです」

 

 ぎゅっとのび太に手渡された彼女の武器−−包丁を手に、聖奈は呟く。

 

「リュウジ君ならきっと生きてる。けして長い付き合いじゃないけど…あの子に会って、ちゃんとお礼を言いたい。

そして証明したいです。私も、あの子を守れるんだって」

 

 今度は私が守る番だから、と。微笑む聖奈は綺麗だった。

それは単なる容姿だけの意味ではない。決意をした人間は例外なく美しいものだ。

 自分はどうだろう。静香は自らの胸に問いかける。

無力かもしれない。臆病で、時に皆に迷惑ばかりかけるかもしれない。そんな自分でも、出来ることはあるだろうか。

 否。出来ることがないなら、作らなければいけない。それが彼らと仲間である為の義務であり、自分自身の為にもなる。

何が何でも生き抜いて、戦う。自分がそうしたいと願う理由、それは。

 

「…あたしは家に帰る前に襲われたから…パパとママがどうなったかは分からない。

生きてるのか死んでるのか…もし生きてるなら逢いたいし、死んじゃったならちゃんと弔ってあげたい」

 

 考えたくもないことだけど。もし二人がアンデット化していたならその時は−−この手で眠らせてあげたい。

あんな姿でさまよい続けるなんて惨たらしいにもほどあがる。

 

「…でもそれ以上にあたしが生きてられる理由は…みんながいるからなの。

独りじゃ、怖くて震えてるだけで…何も出来なかった」

 

 綱海が来なければ。辿り着いた先の学校で、唯一無二の仲間達と再会出来なければ。

心はあっという間に砕けて、バラバラになってしまっていただろう。

 

 

 

「あたし…みんなの役に立ちたい。みんなの仲間でいたい…。その為にできることは、何だってするわ」

 

 

 

 それが自分の決意。

 自分の願望。

 

「………」

 

 ちらり、と金田がこちらを振り返った。一瞬懐かしむような、切ないような−−そんな眼をした気がしたのは、気のせいだっただろうか。

 

 コンコン。ココン。

 

 その時、保健室のドアが特徴的な音で叩かれた。念の為と皆で決めた合図だ。

静香は慌ててドアに飛びつき鍵を開ける。今この暗号を使える人間達は限られている。つまり。

「のび太さん!良かった…無事だったのね!」

「し、静香ちゃん…!」

 嬉しくて思わず抱きついてしまう。背後で誰かさんの悲鳴が聞こえた気がしたが気のせいってことにしておこう。

のび太軍曹、市民を守って無事帰還!なんて見出しが浮かんだあたり軍事ドラマの見過ぎだろうか。

 無論太郎も無事である。保健室に飛び込むやいなや、太郎は一直線に健治の傍に駆け寄ってダイブした。

胸に突撃された健治は勢い余ってベッドにひっくり返る。ショタなので怪しい光景には見えません、念の為。

「ゾンビが三体いっぺんに入ってきちゃって…怖かったよもうー」

「三体も相手にしたのかよ!?のび太のくせにやるじゃねぇか!!

「のび太のくせに、は余計だよジャイアン!!

 ぶーぶー文句を垂れるのび太だが満更ではないようだ。珍しく武に誉められたのが嬉しいと見える。

 静香は安堵すると同時に、のび太を心から見直していた。彼は、三体のゾンビを相手に太郎を守り抜き、自らも守り抜いてみせた。

臆病なだけの人間にはけして出来ない芸当だろう。

 ヒロトを見る。彼の眼は笑っていた。唇が動く。“合格だね”、と。

 

「最初のミッションはクリア。ということで…一階の探索を始めることにしようか」

 

 どうやらのび太は色々戦利品があるらしい。

死んだ警官の手帳とピストルをポケットから出している。

「戦力と薬を均等に分けて…班分けしようか。さて、どんな組み合わせにする?あ、ちなみに健治さんは太郎の子守役決定だからね」

「げっ…」

「わぁい!健治兄ちゃんと一緒!」

 ぴょこぴょこ跳ねて喜ぶ太郎が可愛らしい。静香は微笑ましくなり、無意識のうちに笑顔を浮かべていた。

 

 

 

〜穿つもの、穿たれるもの〜

 

 

 

 

 

この想い、だけは。