−−西暦1995年8月、地下洞窟。
「どんどんゲームじみてるというか」
聖奈は辺りを見回しながら言った。
「洞窟とか坑道は、RPGのお約束ですよね」
「へぇ、聖奈さんゲーム好きなんだ。今度貸してあげよっか。お勧めはドラドラの3」
「あ、そのシリーズ私も好きなんです。スネ夫さんとは気が合いそうですね」
つまりは、そんな会話が出来そうな場所に今、自分達はいるのである。
学校四階の隠し扉から、梯子を降りて貯水スペースへ。そこからエレベーターを経由した先がここだった。ハイテクな研究所を想像していた為、少しばかり意外である。
恐らく元々この学校の地下には使われなくなった坑道があったのだろう。その坑道を研究所の入口として繋げた、そんなところか。
「この中で方向音痴な人、挙ー手」
気になったので、聖奈は皆に訊いてみた。するとスネ夫だけがおずおずと手を上げる。
「うっそ、僕だけ!?おいのび太、お前違うのかよ!?」
「何でムリヤリ僕を巻き込もうとするのさ!社会科は苦手だけど方向感覚は悪くないから!!」
「そ、そんな。のび太に負けた……」
がくり、と膝をついてオドロ線を背負うスネ夫。なんとなく彼らの関係やのび太がいかに周りにイジられてきたかが窺える。
そんなにショック受けなくたっていいじゃない、とのび太も涙目だ。
「まあスネ夫はいろいろ武勇伝あるもんな。この間のエジプト旅行、ママとはぐれて、旅行会社の人に散々迷惑かけただろ」
「ジャイアン暴露しないでー!ってか何で知ってるのーっ!!」
武はニヤニヤ笑い、スネ夫はさらにドン底に突き落とされる。さすがにちょっと可哀想だ。
そろそろフォローに入るべきか、と聖奈はやや真剣に考える。
「どっちにしたって、一人で動くのはやめた方がいいと思うわ」
静香が岩壁などを観察しながら言った。
「多分迷路みたいに入り組んでる。…さっきのエレベーターを直接研究所に繋げなかったのも、カモフラージュの為である可能性が高いもの。
生物兵器の研究なんてバレたら大変……特に日本は厳しいでしょ。機密を隠すんだから、ある程度手をかけるのも頷けるわ」
その通りだ。簡単に研究所まで辿りつけると思わない方がいい。もしかしたら面倒なトラップも仕掛けられているかもしれない。
出来れば全員、無理でも何人かずつに別れるべきだ。
「二組、が無難かな?」
「そんなもんですかね。出来ればいい加減のび太さんには休んで欲しいんですが」
聖奈はのび太を見る。このメンバーで一番疲れがたまっている筈だ。
他のメンバーは少なくとも一度ずつ待機役が割り当てられたが、のび太だけはずっと動きっぱなしである。
「ありがとう、聖奈さん。…でも…悪いけど、今休んでる方が辛いかも」
のび太は苦笑いして言う。
「立ち止まってると、余計なことばっかり考えちゃって。動いてた方が気が紛れるんだ。…本当に疲れたと思ったら言うからさ。それまでいいかな」
本心なのだろう。まだ彼が何故アルルネシアに狙われるかも、セワシに殺意を向けられるかも分かっていない。
一番の親友とも仲違いしたままだ。加えて、仲間の死や離脱が続いている。精神的に相当参っている筈である。
そんな時に。じっとしているのはかえってキツいのかもしれない。一人で思い悩めば悩むほど、思考はドロ沼化するものだ。
「…分かりました。どうか無理だけはしないで下さいね」
聖奈にはそう言うしかない。自分はこのちっぽけで勇敢な少年の為に、一体何が出来るだろうか。
今のこのメンバーでは、自分が最年長者だ。
頼れる兄貴分だった健治も、博識だった金田も、冷静沈着なヒロトもいない。自分が年上として彼らを引っ張り、守っていかなくては。
「…奥へ続く道と、脇道。二手に分かれるのに丁度いいですね。組み合わせ、どうします?」
さすがにここにきて“くじ引き大会”は出来ない。
ランダムで組み合わせを決めるにはちょっと危険度が高すぎる。
「…聖奈さんはどう思うんだ?」
「私…ですか?」
「…多分このメンバーで一番冷静なの、聖奈さんじゃねーかと思うんだけどよ。偶には年上の顔立てるぜ、俺だって」
意外なところから水を向けられる。武はちょっと恥ずかしかったのか、そっぽを向いていた。
確かに聖奈にも一応考えるところはあったが−−。
−−なんだ。不器用なだけなんですね…この子も。
空気の読めないちょっと乱暴な少年、というイメージがあった武。
しかし意外なところで、気遣いや落ち着いた判断が出来る子供だったようだ。
あるいは、彼もまた変わったのかもしれない。この、変わり果てた世界で−−這いずるようにして見つけた希望の中で。
「客観的に言います。技量に加え、一番場数を踏んでるのはのび太君です。よって太郎君はのび太君に任せたいなと。フォローに静香さんをつけて、そこで一チームです」
いざとなったら素早く逃げるのも勇気だ。太郎がいるなら尚更で、小回りのきく武器と体格ののび太と静香はそれに相応しいだろう。
太郎も太郎で非力だが、足は速いから(さっき50m走タイムを聞いてひっくり返った。どう見ても小一の足じゃない)逃走の面で足手まといにはなるまい。
彼を抱えられないのび太と静香でも充分な筈だ。
また個人的には、のび太の側にはやはり静香についていて欲しかったのである。彼が倒れそうな時、誰より傍で支えてあげられるのは、彼女しかいない。
さらに。この組み合わせにすると、残る三人のバランスも悪くないのだ。
聖奈と武とスネ夫。聖奈とスネ夫が拳銃で相手を足止めして、武のロケットランチャーで一撃かませば、大抵の敵は退けられる。
だが、ずっと放送室にいたスネ夫と武は戦闘経験に不安が残る。
そこは、最終的にセワシに助けられたとはいえ、一人で二体のB.O.Wを倒した聖奈のフォローが必要だろう。
もっと言うと。武の怪力は役に立つが、ロケットランチャーは諸刃の剣だ。
いかんせん装填から発射まで時間がかかりすぎる。彼の為に時間を稼ぐ為には、銃を扱う人間が二人で前に出るべきだろう。
穴がないわけじゃない。しかし理には叶ったチーム分けではないだろうか。
「…僕、頑張るよ」
聖奈の説明に、太郎はキッと顔をひきしめて言った。
「僕だって男だ。ヒーローにはなれなくたって…きっと戦える。お化けが出てきたって泣いたりしない」
「…いい子」
太郎の頭を撫でる聖奈。変わったのは武だけではなく。この環境だけが彼らを変えたわけではない。
のび太がいたからだ。彼の純粋で真っ直ぐな言葉が、皆を支えてきたから。だから自分達はまだ生きる事を諦めずに、此処にいる。
「聖奈さんが言うなら僕もそれに従うよ。…で、どっち行く?どっちが危ないかなんて分かんないし、今インカムは安定してないし」
あっちか、こっちか。奥が横道か。スネ夫が指さす二つの道。どちらが研究所に通じているかは分からない。
「ここは公平にジャンケンでいいじゃない。勝った方が奥ってことで」
「そうだね。ここはサクサクっと話を進めようか」
静香の提案にのび太が乗る。チーム代表としてのび太と聖奈でジャンケンする事になった。
そういうば、ジャンケンの文化は海外にもあれど、こんなに頻繁にジャンケンをするのは日本人くらいなものらしい。
確かに、アメリカなどはコイントスのイメージが強い。
「私の勝ちですね。私達が奥の道に行きます」
聖奈がチョキで、のび太がパーだった。これで決まりである。
確率的にあいこ率が高いのがジャンケンだが、一対一ならさっさと決着がつくのが有り難い。
「何かあってもなくても、三十分後にここに戻って来る事にしない?
もし三十分経って片方のチームが戻らなかったら、何かあったと判断してもう片方がそっちの道に入って探索に向かうということにしましょうよ。インカムも近距離なら使えるみたいだし」
「異論ありません。安全第一ですから」
「そうしよっか」
静香の案が通る。万が一、なんて事態は起こらないのが一番だが。対策を決めておくに越した事はない。
のび太、静香、太郎の姿が横道に消える。彼らの姿を見送り、聖奈達も歩き出した。
鬼が出るか蛇が出るか。さっきハンターとブレインディモスと戦ってから、やたら気分が高揚している自分がいる。
「…こうして見ると、地底探検した時を思い出すなあ」
歩きながらスネ夫が言う。
「聖奈さん、知ってた?地下には恐竜から進化した地底人が住んでるんだよ」
「ええ!?でも、地球の中心は煮えたぎるコアで…」
「コアを包むプレートは結構厚みがあるから。生活空間があってもおかしくないんだ、ってドラえもんが言ってた。バンホーさん達、元気にしてるかなあ」
地底人。恐竜から進化した、新たな人類。まるでファンタジーの世界だ。
非現実的な、と切り捨てるのは簡単だったが、彼が嘘を言っていないのは目を見れば分かる。
スネ夫の眼は年相応に輝いていた。きっと、素敵な冒険をしたのだろう。
聖奈は羨ましくなった。真面目な優等生、なんて殻にこもってばかりじゃなくて−−自分もそんな体験をしてみたかった、と。
「地底人がいるなら…天上人もいそうですね。私、小さな頃は雲は綿菓子で出来てるって信じてたんです。食べれば甘い味がするに違いないって」
実際は足をつける事さえできない、水蒸気の固まりだ。ロマンを打ち砕かれた時のショックは、今でも覚えている。
「いるよ、天上人。雲を固める方法があってさ。本当に雲の上に住んでたんだ。緑がいっぱいで、絶滅危惧種の動物もたくさんいて…」
「まるで楽園のような世界ですね」
「そうでもないよ。環境問題で悩んでるのはあっちも同じだったし…“ノア計画”なんてけったいな名前つけて、地球の文明を洗い流しちゃおうとしてたんだから。阻止できたから今も僕等は無事なんだけど」
御伽噺を聞いているようだった。しかし、スネ夫や武にとっては、まごう事なき真実だったのだろう。
たとえそれが。束の間の甘い夢だったとしても。
「…楽しかったんだ、たくさん冒険してよ。俺様とのび太とスネ夫と静香ちゃんと……ドラえもんと」
武の顔が、くしゃりと歪んだ。
「どこまでが…本当だったんだろうな」
胸が痛くなる。幻に溢れた日常だったかもしれない。
しかし彼らにとっては、かけがえのない経験と−−幸福だったに違いないのだ。
「…幻なんかじゃないですよ、きっと」
聖奈は言う。
「少なくとも…その“世界”で貴方達が笑い合ってた事実は消えない筈です。だったら、それは幻なんかじゃない…真実。違いますか?」
「聖奈さん…」
全てが幻ではないと、そう言ったのは他でもないドラえもんだ。だから聖奈も信じようとも思う。
彼らとドラえもんの間に、確かな絆があったことを。嘘ではない貴い毎日があったことを。
何故ならこんなにもドラえもんは。今でもなお彼らに愛されているのだから。
第八十話
洞窟
〜奇怪なダンジョン〜
ゆっくりと開かれた、その先には。