洞窟は見た目よりずっと整備されていた。あちこち電球が吊され、危惧していたほどの暗さや足場の悪さはない。

 途中「E-11」という看板まであった。ナンバーで区分けされていたのだろう。残念ながら地図がない自分達では、E-11が研究所からどれだけの距離にあるかは分からなかったが。

 緊張感漂う探索だった筈だが、聖奈は思っていたほど気を張らずに済んだ。スネ夫と武がしてくれる冒険談の数々は聴いていて飽きない。

 夏休み課題の名目で、のび太が疑似的な地球を作った話だとか。

 トラブルからのび太家の畳の裏が、遠い遠い星と超空間で繋がってしまった時の話だとか。

 裏山に翼の生えた人間−−鳥人間がやってきて、鳥人間だらけの世界を冒険した話だとか。

 

「日常的にも、ネタは山ほど転がってるんだよね。これはのび太から聴いた話なんだけどさ」

 

 スネ夫がニヤニヤしながら言う。

「ドラえもんはネズミがすっごい苦手で。のび太の家にネズミが出た時はとんでもない騒ぎになっちゃってさ。

ドラえもんってばパニックになんて、ネズミ専用サブマシンガンとか出してきて…」

「ね、ネズミ専用?どんな機能が付加されてるんでしょう…?」

「最終的には“地球破壊爆弾”なんてものまで出してきて…」

「ちょ、軽く地球滅亡の危機だったんですか!?私の全く知らない間に!!

「いや多分聖奈さんが知らないところで軽く二桁はこの地球、滅亡の危機に晒されてると…。天上人のノア計画といい鉄人兵団の大遠征といい…」

「えええっ!?

「ま、まあ…地球破壊爆弾の件はさすがの俺様ものび太に感謝したな。あいつとあいつの母ちゃんが頑張って止めてくれなかったら、そこで地球がオワッテタわけだから」

 武が遠い眼をする。なんとまあ、とんでもない話だこと。なるほど、道理で彼らが小学生のわりに場慣れしていたわけだ。

 きっと語るほど簡単な話ではなかった筈だ。楽しい冒険の裏には命がけの戦いや苦労があって、でも彼らがそれを乗り越えてくれたから自分達の日常が守られてきたのだ。

 

「…有名な小説からの引用ですけどね。私、好きな言葉があるんです」

 

 自分は彼らの苦労を何も知らなかった。知らないからこそ、日常を謳歌できた。

 

「どんなに日の当たらない場所でも…目立たないところでも、勇者は必ずいる。私達は彼らの見えない働きに常に感謝し、敬う気持ちを忘れてはならない…」

 

 例えば。事故やトラブルが起きて、電車が止まったとする。利用者達は、電車が時間通りに動かない事に腹を立て、駅員に詰め寄るだろう。

事故やトラブルの全てが、会社のせいではない。時には全く会社に落ち度がない場合もあるだろう。

それでも彼らは客に頭を避け、一刻も早く電車を動かせるように最善の努力をする。その努力が、人の目に触れないものでも。努力したところで非難される事もあると分かっていても。

 また。どこかで火事が起きたとして。二人が助かり、一人が助からなかったとしよう。

助からなかった一人の身内は、消防隊員を責めるかもしれない。家が焼かれた住人はもっと早く消しに来いと怒るかもしれない。

しかし、彼らは自らの命を危険に晒しても危ない現場に飛び込んでいく。夜勤明けでまったく寝ていなくても、通報があれば身も心も削って出動していく。

その結果、救えない命に出くわしたり、誰かの恨みを買う事になってしまってもだ。

 そもそも土曜日曜祝日でも電車が動き、消防車が出て、警察が働くのは。彼らが自分達は遊んでいる時でさえ市民の為に全力を尽くしているからに他ならない。

 そう。忘れてはならないのだ。

 日常の中にも、日の光を浴びずとも、戦い続けている勇者達がたくさんいる事を。聖奈の知らないところで、スネ夫達が世界の為に奮闘してくれていたように。

 見えない勇者に感謝し。ただ一面だけを見て不満を吐き捨てることのないように。

 

「貴方達は、誇っていい」

 

 小さくても、全てが本当でなくとも。

 

「自分達が勇者であることを、誇っていい。…本当にありがとうございます」

 

 聖奈は心からの礼を述べた。自分達の幸福を、陰で支えてくれていた彼らに。大事な事を思い出させてくれた、彼らに。

 

「まだまだたくさんエピソードはあるんだ」

 

 やや照れた様子で、スネ夫が言う。

「今度聖奈さんも僕んちにおいでよ。そしたらいっぱい話したげるし、ゲームも一緒にやれるし」

「それは楽しみですね」

「スネ夫んちすっげー広いんだ。きっと腹立つぜ。すぐスネ夫も家族も金持ち自慢してくるからよー」

「し、してないって!ただ僕は事実を…」

「あぁ!?

「……全力で気をつけマス」

 武の睨み一発で、スネ夫が小さくなった。本人達は至って真面目なところが、かえって面白く感じたりする。聖奈はついつい吹き出してしまった。

 

「ゲームよりもさぁ、野球がしてぇな俺は!」

 

 スネ夫に対抗してか、武がバットを取り出して素振りの動作をした。

「…ちょっと危ねぇけど…女子も一緒にやったっていいと思うんだよな。前に静香ちゃんに参加して貰ったら、いきなりホームラン打っちまってビビッたぜ」

「静香さんが!?

「人は見た目によらないよなー。聖奈さんも聖奈さんだけど。テニスやってたなら、運動はそこそこ得意だろ?」

「ええ。運動神経はそれなりに自信ありますよ」

 まあ、ランニングをサボッた分スタミナ不足は否めないが。野球は体力より、瞬発力や判断力が重視されそうだ(自分はあまり詳しくないので、あくまで主観的判断ではあるが)。

 野球やサッカーは男の子のスポーツだと思っていた。しかしよくよく考えてみれば、小学校のクラブなら男の子も女の子もごっちゃまぜにやっていたりする。

小学生の頃ならむしろ女の子の方が大きいくらいだし、体力的な差もさほどないからだろう。

 

「またみんなで野球やろうぜ。ルールとかあんまわかんねえなら、俺様が教えるし」

 

 そう言う武の瞳に、陰がよぎる。そんな日が果たして本当に来るのか。

そもそも自分達は生きて脱出し、まだ事件を知らない人々に真実を知らしめることが出来るのか。誰の心からも、その不安が消える事はない。

 でも。それは当たり前の事で−−恐れながらも前に進むからこそ意味があるのではないかと、聖奈はそう思うのである。

 

「…野球、私もやりたいです」

 

 聖奈は、俯く。この後に及んでまだ泣きそうになる、自分の顔を隠したくて。

 

「三振だらけになるかもしれないけど、みんなと一緒にプレイしたいです。野球だけじゃない。

スネ夫さんやみんなのお家で、いっぱい面白いお話聞いて、ゲームして…あとあと、ヒロトさんや綱海さんが大好きなサッカーも、みんなでやったらきっと楽しいと思うんです」

 

 取り戻したい、日常がある。

 取り戻したい、幸せがある。

 

「くだらなくたっていいから…楽しいこと、たくさんやりたい。…やりたいですよ」

 

 その為の道のりは、あまりに長いのかもしれないけど。

 

「…案外、そんなもんかもな。生きたい理由なんてさ」

 

 スネ夫が口を開く。

「こんな状況でもさ。生きたい理由とか未練があれば頑張れるじゃん。来週のジャンプが読みたいって思ったら、読むまで死ねないし」

「確かにそうですね」

「僕、絶対家に聖奈さんを呼ぶよ。みんなを呼ぶよ。…その日楽しみにして、頑張ることにする」

 笑うスネ夫。どこか吹っ切ったような笑顔だった。

「じゃあ俺は野球だな。聖奈さんの打力に期待しちゃうぜ!」

「うーんプレッシャー」

「プレッシャーがあるから面白いんだよ。振り切った時の開放感はたまらないもんだ」

 困ったな、と聖奈は思う。こんな時なのに、楽しみなことがたくさん増えてしまった。

 困ったけれど−−本当は、すごく嬉しい。

 

「じゃあ私は皆さんにテニスを教えて差し上げますね。でも約束はしませんよ」

 

 聖奈はニヤリと笑って二人を見た。

「こういう事で約束すると…死亡フラグになりかねません」

「……もう既に遅ぇんじゃないか、それは」

「…そうかも」

「あれま」

 もしそうならば、叩き折ってやるだけだ。聖奈はそう思った。

 誰かのシナリオに踊らされたりしない。物語は、自分達の手で紡ぐものなのだから。

 

「…さて。いかにも、な扉発見しましたよ。如何でしょう、皆様方?」

 

 聖奈はあえて気取った口調で、突き当たりのドアを示した。鉄製のドアだ。ここまでほぼ一本道だった。この部屋に何もなければ、この道は行き止まりという事になる。

 何だかよく分からないが、アルルネシアは自分達を先へ進ませたいらしい。このドアが開かなければ、おそらくこの部屋には手がかりは何もないという事になる。

 

「鍵…かかってないね、ここ」

 

 キィ、とスネ夫がほんの少しだけドアを開く。全開にしないのは、罠を警戒しての事だ。隙間からは細く、真っ暗な闇が見つめている。

 開けたら左右に飛び退いて、武器を構える。基本動作だ。三人は頷き合う。スネ夫がドアを勢いよく開くと同時に、ばっと端に寄る聖奈、武、スネ夫。

 静寂が、五秒。

 

「…何もねぇみたい…だな?よし」

 

 トラップの類はなさそうだ。武を先頭に、三人続けて部屋に入った。

「真っ暗だよー」

「普通は入口付近にスイッチがあるものです。それ、ぽちっとな」

 暗闇が苦手らしいスネ夫が情けない声を上げる。聖奈は苦笑いしながら岩壁を探り、スイッチを入れた。

 ぱっと部屋が明るくなる。通路もそうだったが、電気系統はまだまだイカレてないらしい。

「部屋の奥にスイッチがー、なんてのはSPGのダンジョンだけですよね。現実だったら不便でたまらないですもん」

「違いないや。そして机の上な都合よくノートが置いてあったりするのもお約束だ」

「だな。…あとは部屋の隅に宝箱があれば完璧だったぜ」

 室内には、簡素なテーブルに木の椅子が二つ。パソコンが一台と手を洗うくらいならできそうな小さな洗面台があった。

奥のドアはもしかしたら風呂かもしれない。洗面台の脇には、ボロボロなベッドと棚、錆だらけの冷蔵庫、電子レンジまである。

 武の言うような宝箱は無かったが。ゲームのお馴染みと言わんばかりのノートが、机の上に置いてあった。

 

「…このパソコン、まだ生きてる。この地下道の地図くらいあればいいんだけど」

 

 パソコンがあるとなれば、スネ夫の出番だ。キーボードをいじり始めるスネ夫。ブラインドタッチも出来ない聖奈からすれば、キーを打つそのスピードがまず賞賛ものだ。

加えてハッキングの技術である。これで小学生とは、なんと末恐ろしいことか。

 聖奈はテーブルの上のノートを捲る。幸い、日本語だ。基礎英語しか分からない聖奈には非常に有り難かった。

 

「完全適合者における実験と考察…?」

 

 タイトルを読み上げ、首を傾げる。これもウイルスに絡んだ研究か何かなんだろうか。

 後ろで武がごそごそとベッドの周りを探るのを見ながら、聖奈は内容を読み始めた−−。

 

八十一

懐古

供達の冒険譚〜

 

 

 

 

 

結んで、開いて。