――西暦1995年8月、地下洞窟・側道。

 

 

 

 聖奈達がノートを発見する少し前。のび太は静香と太郎と共に、とある人物を見つけていた。

 

「しっかりして、はる夫」

 

 のび太は拙いながらも、ポーチから包帯と消毒薬を出す。はる夫は岩壁にもたれて、座りこんでいた。どうやら足が動かないらしい。

擦り傷は大したことがなかったが、右足首が腫れている。捻挫か、もしくは折れてしまっているのかもしれない。

 

「もう大丈夫。頼りないかもしれないけど……他にも仲間がいるんだ。みんなで脱出する方法を探してるんだ」

「あ…ありがと。…ってのび太こそ大丈夫か。冷や汗かいてるけど」

「……すみません。頑張ったけど無理デシタ。静香ちゃん助けて。結び方わかんない…」

「ちゃんと固定しないと意味ないわよ。気を使うのは分かるけど、もっとキツく巻かないと」

 

 偶には自分が応急処置を――と思ったが、不器用魔神ののび太には難易度が高かった。

やっぱりこういうところは女の子に叶わない。のび太の目の前で、静香がテキパキとはる夫の足に包帯を巻いていく。

 

「すっごい静姉ちゃん、看護婦さんみたい!保健室の先生より上手いかも!」

 

 太郎が目をきらきらさせる。太郎みたいなかけっこ大好き小僧は、擦り傷を作ることも多いのだろう。きっと保健室のお世話になりっぱなしだったに違いない。

 

「これでも、看護婦が夢だった時があったのよ。今はスチュワーデスさんとかもいいなって思ってるけど…はい、できた」

 

 静香が悪戯っぽく笑う。はる夫は少し赤くなって、ありがと、と礼を言った。

のび太的にはちょっとだけ面白くない。怪我人につっかかるほど幼くはないけれど。

 

「ずっと探してたんだぞ。安雄がお前と一緒にいたのに、はぐれたって言うからさ」

「安雄?安雄に会ったのか?」

「うん。……あいつ、凄く立派だったよ」

 

 そののび太の物言いで悟ったのか。あるいは最初から予想していたのか。はる夫はさほどショックを受けた様子を見せなかった。

 

「そっか。……立派だった、か」

 

 はる夫は俯き、ぽつりと言った。

 

「俺達と逃げてる時さ。あいつずっと“死にたくない死にたくない”ってビビりまくってて。……でも、最後には、逃げなかったんだな、アイツ」

 

 そうだ。彼は最期、自分の運命から逃げなかった。全てを受け入れ、立ち向かい――その先を、選んだのだ。

 のび太は既に聖奈から聞いていた。安雄がバイオゲラスに襲われたのは偶然ではなく、セワシ達がバイオゲラスを操ってけしかけた結果だと。残念ながら自分達が薄々予想していた通りだったわけだ。

 まさかドラえもんとセワシが、安雄を死へ追いやった本人達であったなんて。

さすがののび太もショックだった。しかしそれは、あくまでのび太以外の仲間達を助ける為であったのだという。

安雄は、静香達が生き残る上で足手まといになる――少なくともセワシ達はそう考えていたわけだ。

 そんな事はない、とのび太は思う。しかし、はる夫と行動を共にしていた段階での彼は、どうやらあまり誉められた調子ではなかったらしい。

何故セワシ達が安雄にそんな判断を下したか、今その一端が明らかになったわけだ。

 

「…確かはる夫さんは安雄さんや出木杉さんと一緒に行動してて…途中で安雄さんとはぐれちゃったのよね?その後何があったの?それに…出木杉さんは?」

 

 静香が尋ねる。

 この地下道にいたからはる夫が今までモニターに映りこまなかったのだとすれば、出木杉もまた地下道のどこかにいる筈である。

 

「……いろいろあったんだけどさ。お前ら、出木杉を探すのはやめとけよ」

「ど、どうして?」

「あんな奴もう、どうなったって構うもんか」

 

 忌々しい、と言わんばかりに吐き捨てるはる夫。のび太は戸惑うように静香と顔を見合わせた。

 喧嘩でもしたのだろうか。あの温厚で冷静な出木杉と?

 

「あいつ、アンブレラのスパイだったんだ」

 

 はる夫が吠える。

 

「俺達をこんな目に遭わせといて、巻き込まれた被害者ってツラして…俺達が逃げ惑うの見て、嘲笑ってたんだよ!!

 

 絶句した。一息に吐き出される言葉。その意味を頭が受け付けるまで、しばし時間を要してしまった。

 そしてやっと言えた事と言えば。

 

「………冗談でしょ?」

 

 我ながらなんと間抜けた声であることか。そんなのび太を、はる夫はぎろりと睨む。

 

「…僕が嘘言ってるって?そう言うのかよ」

「ち、違う!でも…っ」

 

 いきなり信じろというのが無茶だ。確かに自分は、出木杉とさほど付き合いがあるわけではない。

友達であるが、密度でいえばスネ夫達とは比較するべくもないだろう。心のどこかで、小学生離れした知識と頭脳を持つ彼を敬遠してしまっていたのもある。

 それでも。彼は人を傷つけるような嘘は吐かないし、ましてや殺人実験の片棒を担ぐような非道な人間じゃない。

そもそもどんなに彼の頭が良くたって、小学生ではないか。その彼がアンブレラのスパイだなんて、ちょっと現実的でない気がする。

 まあそれを言ったら、バイオハザードに始まり魔女だの異世界人だのといった話が出てしまっている現状が、既に非現実の塊ということになってしまうけれど。

 

「…ごめん。僕もまだ混乱してて…気が立ってるんだ。クラスメートがアンブレラのスパイだとか言われたって、ピンとこないのは普通だよな…」

 

 ふう、と一つ息を吐くはる夫。そういえば、彼は当たり前のように“アンブレラ”の単語を出している。

つまりはこの事件が“アンブレラ”によるものだと知っているという事だ。自分達のように、何か資料でも見つけたのかもしれない。

 

「……でもあいつは言ってたんだ。出木杉は実験をしてるって。この世界のことなんか実験だとしか思ってないって…」

「あいつ?」

「…信じてたのに。そう思ったら頭真っ白になっちゃってさ。

そしたらあいつが蜘蛛みたいな化け物を呼んで…それで僕、必死で逃げて…。途中で足挫いちゃったけど、蜘蛛が見失ってくれて助かったんだ。だから…」

「はる夫、落ち着けよ。あいつって?あいつって誰なんだよ」

 

 段々と興奮気味になるはる夫を、のび太は必死で落ち着かせようとする。話が見えない。出木杉が、自ら自分はアンブレラと――そう言ったわけでは、ない?

 

「お前の言う事は信じるさ。友達だもの。でも…お前にそれを言った奴のことまで信じるかっていうと、それは別の話だろ?」

 

 勿論、それもまた真実である可能性は否定出来ないが。

 

「……そうだよ、のび太。僕は見たんだ。此処には人間でもゾンビでも化け物でもない…おかしな奴がいる」

 

 はる夫は頭を振り、どうにか混乱を振り切ろうとしているらしい。

 人間でもゾンビでも化け物でもない、おかしな奴?まあ確かに、例えばドラえもんならばその三つのどれにも当てはまらないだろうが――無論はる夫はドラえもんのことを言っているけではないだろう。

 はる夫は動揺しきった眼でのび太を見−−静香を見て。

 

「だって…だってあいつはまるで、し……」

 

 ダアンッ、と。鋭い銃声が響き渡った。銃弾はのび太と静香の間を抜け、はる夫の鳩尾あたりを貫いた。

 

「ごぼっ…!」

 

 はる夫がドス黒い血を大量に吐き出す。腹から噴き出す血より、吐いた血の方が多いくらいだった。

みるみるうちにシャツを染め、ズボンをも真っ赤に汚していく。

 

「は、はる夫さん!」

「くっ…!!

 

 のび太は振り向くも、一足遅かったらしい。足音が遠ざかっている。たった今。そこに誰かがいた。

もしかしたら自分達の会話も盗み聞かれていたのかもしれない。明らかに、人間。

そいつが今、岩陰から正確にはる夫を撃ち抜いたのだ。

 いや、もしかしたら狙いは多少外れていたかもしれない。頭や心臓を貫いていたならば、せめてはる夫も楽に死ねただろうに――胃袋を破壊されて、不幸にもショック死できず。

されど回復の見込みのない傷を受けて、はる夫をもだえ苦しませている。

 

「ごぼぼ…ぐほぉっ…!」

 

 腹を押さえ、血泡を吐きながらのたうつはる夫。吐血が止まらず、結果呼吸まで阻害しているのだろう。

激痛だけではない、地獄の苦しみが彼を今襲っているに違いない。しかもどうやら銃弾は貫通せず、まだ彼の腹に埋まったままであるようだ。

 いずれ出血多量か、窒息で死ぬことにはなるのだろう。でもそれまでの時間、はる夫は苦痛と戦わなければならない――このままならば。

 

「そんな…どうしよう!のび太さ…どうしよう!!

 

 静香が泣きながらパニックになって言う。その姿が、逆にのび太を冷静にさせた。

 助かる見込みがあるならそうしたかった。機能している病院さえあったなら、なんとしてでも救急車を呼んで彼を担ぎ込む努力をした筈だ。

 しかし今、それはない。自分達がいるのは文字通り地獄だ。まともな手当て一つ出来ない。唯一生存していた医者は――金田もおそらく、この世にいない。

 そしてこの場所で下手に死ねば。死んだ後にも死者は辱められ、尊厳を踏みにじられるのがこの場所だ。

はる夫がウイルスに感染していたら。いや、多分死んだ後でももしゾンビ達に死体を触られたら。はる夫もまた、アンデットの仲間入りを果たす事になるだろう。

 

「の…のび太さん…!?

 

 がちゃり、と。のび太がヘルブレイズ改・Z型の撃鉄を起こす。それを見て静香が目を見開く。

 

「何を……何をする気なの…!?

「……はる夫は、僕の友達なんだ、静香ちゃん」

 

 残酷な決断をするのは二度目。友達を殺すのも、二度目だ。

 一度目は健治の願いを聴いた時。二度目は、今。

 

「友達だから…助けたいんだ。僕にできる、たった一個の方法で」

 

 本当は。銃ではなく、野球のボールで、ミットで、グローブで。はる夫の役に立ちたかった。

 いつも自分を“ライパチ王”と馬鹿にしていたはる夫を見返してやりたかった。

 

「やめて…やめて。なんでそれしかないの…なんで」

「時間がかかればかかるほど…苦しむのははる夫だよ」

「のび兄ちゃん…」

 

 静香が顔を覆って泣く。太郎がのび太の服の裾を掴む。標準の先。はる夫がのたうちながらも、血だらけの顔でのび太を見た。

 

「ぐほっ…のび、た…」

 

 その顔が一瞬だけ、笑ったように見えたのは気のせいだっただろうか。

 ありがとう、と。唇が動いたように見えたのは、都合のいい錯覚だったろうか。

 

「はる夫…」

 

 のび太は引き金に、力をこめた。

 

「ごめんね」

 

 銃声。のび太の射撃の腕は残酷なまでに確かだった。銃弾ははる夫の額を貫き、一瞬で彼を苦痛から解放したのだ。

 はる夫が最後、何を伝えたかったかは分からない。でも、彼が見つけられなかった答を、自分達が見つける事は出来る。

 

「出木杉君を探そう。まだ近くにいる筈だ」

 

 彼が敵なのか味方なのか。真実どこにあるのか。自分達はそれを確かめなければなるまい。

 はる夫の為に。そして今生きている者の、まぎれもない義務として。

 

 

 

八十三

 誤解

〜すれ違いの奏曲〜

 

 

 

 

 

何度間違い続けた日々を、解いて、結び直すように。