暫くの間、三人は黙りこんだままでいた。ただ黙々と、地下坑道を歩く。

時折太郎だけが、所在無げにのび太と静香の顔を交互に見たが、静香はそれに対しアクションを起こす事が出来なかった。

 本当は、分かっている。ただそれに対し、どんな言葉を紡げばいいか分からないだけで。

 

「…静香ちゃん」

 

 やがて。先に口を開いたのは、のび太の方だった。彼は静香に背を向けて、足を止める事もなく言った。

 

「……赦さなくていいからね」

 

 静香はとっさに、返事が出来なかった。ここで黙ってしまえば誤解を招くだろう。それでも、何も言う事が出来なかった。

 

「はる夫が誰に撃たれたか、分かんないけどさ。きっと僕達に何か話そうとしたから……それがきっと、駄目だったんだ」

 

 はる夫は口封じの為に殺された、のだろう。それは静香も理解している。襲撃者が不明であるにせよ。

 

「話さなかったら、はる夫は撃たれずに済んだかもしれない。……ねぇ、やっぱりセワシ君が言ってたこと、正しかったんじゃないかな」

「のび太さん…?」

「僕がいなかったら、みんな苦しい思いする事も……死ぬこともなかったんじゃないのかな……」

 

 それは静香に言っているというより、自問自答に近いものだったのだろう。

彼がどんな顔をしているか、こちらからは見えない。もしかしたら――静香と太郎に見せたくないから、振り向かないのかもしれない。

 

「!……静香ちゃん?」

 

 言葉より――行動で示したいと、そう思ったのか。いや、何かを思うより先に体が動いていた。

 背中から。静香はのび太を抱き締めていた。

 

「……のび太さんは、悪くない」

 

 分かっている。分かっていたじゃないか。

 誰が今、一番苦しんでるのかなんて。

 

「誰も悪くなかったの。きっとセワシさんだってドラちゃんだって……誤解してるだけなのよ」

 

 友達だから、安雄はのび太を護った。

 それと同じ理由なのだ。友達だから、のび太は健治を、はる夫を撃ったのだ。

事実だけを見れば殺人になるだろう。でも、誰が理解せずとも自分が理解している。

 

「貴方がいたせいで、安雄さんや健治さん……はる夫さんは、死んだんじゃないわ」

 

 その傷ごと。抱き締めることが出来たら。

 

「貴方がいたから、みんなは救われたの」

 

 確かに――確かに。静香とて、はる夫達には助かって欲しかった。その可能性を、のび太に摘み取っては欲しくなかった。それが静香の個人的エゴだとしてもだ。

 だけど、あの時。はる夫は笑ったように見えた。

健治は“幸せになった”とそう言った。

安雄は“のび太に逢えて良かった”と遺した。

 自分はそれを、信じようと思う。

 

「何が正しいのかなんて、本当は誰にも分からないことよ。だって人の数だけ正義があるんだもの。正しい事だけやって生きていける人なんか、いない」

「……うん」

「だから…分からなくなったら。貴方は、貴方の心に従えばいいんじゃないかしら。貴方が信じたなら……それが“正しいこと”なのよ」

 

 ある人はのび太を責めるかもしれない。諦めるべきでなかったのにと糾弾するかもしれない。

 だけど静香は信じると決めたから――もう迷わない。

 

「貴方が信じた貴方の心を、あたしも信じる」

 

 貴方は言ってくれました。

 私を護ると、そう言ってくれました。

 だから私に、貴方を護らせて下さい。

 

「言った筈よね。のび太さんは、あたしが護るって。……大丈夫よ。傍にいるから」

 

 抱きしめた温もりに、真実はあるのだから。

 

 

 

 

「泣いていいよ、のび太さん」

 

 

 

 静香がそう告げると。静香の手に、温かいものが落ちた。押し殺した嗚咽。

いつもののび太らしくない泣き方ではあったが――多分それが、今彼が見せられる精一杯の弱さなのだろう。

 

「う……ぅっ」

 

 何でこんな事になってしまったのだろうと、今でさえ思う。これが悪い夢であればいいと、今でさえ願ってしまう。

目が覚めたら、いつもの自分の部屋なんじゃないかと。

またのび太がスネ夫とジャイアンにいじめられて、ドラえもんに呆れられて。

それを自分は苦笑しながら見ていて。そんな日々が戻ってくるんじゃないかという気が、未だにしているのだ。

 だが忘れてはならない。この“夢”がなければ、出逢う事さえなかった人達がいる。

分からなかった真実がある。見えていなかったモノの中に、見えるようになったものがある。

 だからどんなに悲しくとも――全てを否定してはならない。全てを無意味にしないこと。それこそが唯一、いなくなってしまった人達に報いる手段であるのだから。

 

「終わらせましょう。全ての悲しいことを、悪い夢を」

 

 生きよう。

 

「だって見たいじゃない。ハッピーエンドを」

 

 生きて。生きていいのです。

 ただ純粋に、祈るように生きれば――それでいい。

 この世界は、いつだって自分達の為にあるのだから。

 

「……そうだね。バッドエンドはヤだもんね」

 

 のび太が目元を拭い、鼻を啜った。

 

「待ってたってハッピーエンドは来ないんだ。だったら僕達の手で……作るしかないよね」

「そうよ。だから人生は面白いのよぉ〜」

 

 わざと近所のオバサン風に言ってやると、のび太が吹き出した。振り向いた顔は、目はまだ赤かったが笑っている。

良かった、と静香は安堵した。泣いて笑えたら――もうきっと、大丈夫だ。

 

「“らぶらぶ”なとこ悪いんだけどー」

「わっ」

「た、太郎君!?

「……僕のこと忘れてない?“でーと”はまたにしてよー」

 

 のび太と静香の間に強引に入ってきた太郎は、完璧ムクレている。

間違いない。すっかり彼のことを忘れていた。ずっと観察されていたと気付き、二人は顔を赤くする。

 いい雰囲気の二人を邪魔してやろう、といった意地悪な考えがあったわけではないだろう。

ましてや太郎は男の子だ。単に自分が空気扱いされたのが我慢ならなかったらしい。

 

「のびハザの“ショタもえ”担当大臣の僕を空気にするなんて、のび兄ちゃんも静姉ちゃんもいい度胸〜」

「ご、ごめん太郎……って頼むから太郎までメタ発言しないでよ!」

「ふーんだ!!

 

 太郎はすっかりへそを曲げ、のび太はさっきまでとは別の意味で涙目になっている。

 死ぬ前に健治を一発殴っておくべきだったか、と静香は黒いことを考えていた。

いくらなんでも太郎に変なことを教えすぎである。太郎は絶対ショタコンのショの字の意味も分かってないだろうに。

 

「そ、それにしても……こっちの道ってなんにも見つからないね」

 

 無理矢理空気を変えるべくか、のび太が言った。ここは自分も便乗すべきと静香も口を開く。

 

「そ、そうね。ゾンビの陰もないし」

 

 事実だった。今のところ、この地下道ではそれらしいものに出くわしていない。

はる夫達がどのルートから地下に入ったかは知らないが、少なくとも自分達が通った入り口からB.O.Wやアンデットが出入りできるとは思えなかった。

消火器を使った仕掛けに加え、降り口そのものが狭く、しまいにはエレベーターときているのだから。

 もしかしたら。研究所への降り口も、似たような仕掛けなのかもしれない。

だとすれば研究所でもし化け物の脱走などが起きていても、研究所と学校を繋ぐこの地下道までは出てこれないのではないか。

 

−−この場所が、実は一番安全ってこ…と…?いや。

 

 もし脱出口が見つからなかった場合、この地下で助けを待つべきではないか。一瞬浮かんだその考えを、静香は即座に否定した。

 

−−無理だ。アンブレラの圧力がある以上、公共機関の助けは期待できないと思っておいた方がいいわ。

 

 そもそもこの面倒な場所を、自衛隊が見つけられるのか。自分達が探し当てられたのも偶然に近いのだ。

 それにはる夫を襲った化け物はまだこの地下にいる筈である。恐らくそいつはアンブレラが手懐け、地下への侵入者を排除すべく配置された番犬のようなもの。

その番犬も、一体きりとは限らない。やはり、ここが安全だなんて過信しないのが賢明だ。

 それに、化け物がいくら出入りできないと言っても、ウイルスそのものが漏れる可能性はいくらでもある。

例えば、感染した人間がエレベーターなどを通じて地下道や地上へ出た場合。その人間を温床にして、パンデミックは発生するだろう。

 まだ研究所に、ゾンビ化していない生存者や、感染だけして発症していない人間がいる可能性も――ゼロでは、ない。

 

「……しっ!」

 

 前を歩くのび太が、急に立ち止まった。静香は危うくつんのめり、彼の背中にぶつかりそうになる。

 

「ご、ごめん静香ちゃん。今、誰かの声がした気がしてさ」

「声?」

 

 耳をすます静香。長い坑道の向こう、小さく開いた鉄扉がある。確かに、そこから誰かの話し声がする。

 坑道そのものに明かりが灯ってはいるが、学校の常備灯よりはだいぶ暗い。足元に気をつけながら、かつ物音を立てないようにしながら、三人は慎重に進んでいく。

 

「……ったよ。まさか……てね」

 

 近付けば、さっきよりハッキリと声が聞き取れるようになってくる。静香は扉に触れないように気をつけつつ、隙間から向こう側を覗いた。

 

「……!」

 

 驚愕。そこにいたのは、つい先程話題に上ったばかりの、出木杉その人だった。

 恐らく旧採掘場の、休憩場所か何かだったのだろう。開けた場所で、彼は誰かと話をしている。

しかし、その相手と思しき人影はない。右耳に手を当てているところから察するに、通信機か何かで誰かと話をしているのだろう。

アルルネシアのせいで、自分達のインカムは役に立たないのに、彼のは無事なのだろうか?

 あるいは。

 

「ブラックタイガーをはる夫君から引き離して……なんとか撒いたのはいいけど。我ながらドジを踏んだよ」

 

 出木杉はこちらに気付かず、話を続けている。

 

「今のうちに……うん、そう。そっちの首尾は上手くいったんだ?良かったよ。で、君的にはどう考えてるんだい?実験の途中経過……っていう意味でもさ」

 

 実験。静香の顔を、冷たい汗が伝う。今、確かに彼はそう言った。という事は、つまり。

 

「早くはる夫君を探さないと……手も打たないといけないし。大丈夫、これくらい心配しないで。言っただろ、君の命令には何だって従うって」

 

 誰かの命令を受けている。何だって従う――その言葉に見える強い忠誠心。という事は、やはりはる夫が言っていた通り――。

 

「出木杉君っ!」

「の、のび太さん!?

「のび兄ちゃん!?

 

 止める暇も無かった。のび太は立ち上がり、扉を派手に開けて飛び込んでしまっていた。

 

「誰だ!?

 

 出木杉が振り向き、素早く銃を向けてきた。のび太は一瞬怯んだものの、しかし真っ直ぐ出木杉を睨んで立つ。

 こうなっては静香も隠れているわけにはいかない。太郎の手を引いて前に出る。

 

――危ないのに…もし出木杉君がアンブレラのスパイだったら!

 

「教えて。君は……一体何者なんだ?」

 

 沈黙の中。硬直状態は暫し続いた。

 

 

 

八十四

 謀反

〜真とと〜

 

 

 

 

 

その優しい声を探して。