この展開は予想していなかった。さすがに油断しすぎだ、自分。

 出木杉は内心自らを罵りながら、思考を巡らす。どうにも今回のシナリオは、予定にない事ばかり起きる。

確かに自分達も“今までにない”ことをやろうとはしていたのだけど。

 

「何者か、ね……」

 

 のび太は銃を構えることもせず立っているは、静香は違う。いつでも銃を向けれるよう握りしめて、警戒心を露わにしている。

 さっきのセワシとの通信は、聴かれていたと見るべきだろう。もしかしたらはる夫とも接触したのかもしれない。

ドラえもんに訊けば事実確認はできただろうが、自分達の通信機でさえあまり調子が芳しくなく、さっきやっとセワシとまともに話ができたところなのだ。

 もしのび太達がセワシから話を聞いていたなら。きっと彼らの中で自分は“アンブレラのスパイ”という事になってしまっている。

人間、一度そうと思い込んでしまったら恐ろしく頑固だ。自分が結局未だはる夫を説得出来ていないように。

 

「その様子じゃ……僕が“君たちの普通のクラスメートだよ”って言っても信じてくれそうにないよね」

 

 さて、どうしたものか。

 自分自身は当分のび太と接触しないつもりだった為、セワシの許可も取っていないのだ。つまり、“どこまで話していいか”の許可である。

 実はこれははる夫を説得すると決めた時点で、悩んだことだった。自分はアンブレラの関係者ではない。

しかし“実験”はしている。それを説明するには、どうしてもドラえもんやセワシ、そしてこの世界の真実を語らざるをえなくなる。

 しかし、それはあまりに残酷なことだ。はる夫とてドラえもんの存在は知っている。多分彼ならばなんとかしてくれるんじゃ、という期待が多かれ少なかれある筈だ。

だが実際、ドラえもんにこの事件を解決することは出来ない。タイムマシンなんて、今の自分達は持っていないのだから。

 いや。それ以上に問題なのは――この世界。はる夫は当然のごとく何も知らない。

彼が見ている地獄などほんの一端にすぎないということを、現実は今見ている地獄が生温く感じるほど凄惨なものであることを――彼は知らないのだ。

 それを知らせる勇気は、出木杉には、無かった。それはもう残酷なんてものじゃない。だってそうだろう。

 一番不幸なのは誰かって?決まっている。この迷路に出口がないことを知る人間だ。

この世界が迷路であることさえ気付いていないはる夫に、それを伝えることはどれほどの絶望になるか。

 

――そして僕は……出来る事ならのび太君や静香ちゃんにもそれを、知らせたくない。

 

 そろそろ彼らも、この世界に違和感くらいは抱きつつあるだろう。しかしまだこの世界がどんな迷路であるかはまるきり把握していないだろうし、ましてや出口がないなどとは思いもしていない筈だ。

 何も知らないまま。終わってしまった方が、いい。余計な絶望を背負うのは、自分一人で充分だ。

 実際のところ、本当にのび太を憎悪しているのはセワシ一人である。

ドラえもんも出木杉も、けしてのび太を憎んではいない。

ただ、自分達はセワシの為に生きてきた存在だから――彼の望みを超える事が出来ないという、それだけの事なのだ。

 ただドラえもんは、セワシとは違った理由からのび太との対決を望んでいる。

セワシものび太を恨んではいるが、別に彼自身の手で決着をつけることに執着しているわけではない。

ドラえもんがその気ならセワシも邪魔はしないだろうし、出木杉が邪魔をする理由もないのだ。

 そもそも自分の役目は本来、のび太に直接関わることではない。

つい陰からアドバイスを繰り返してしまったが、本来の仕事はあくまで裏工作だ。

のび太が思い通り動いてくれるよう、セワシが動きやすいよう駒を動かし、道を整えることにあるのである。

 つまり、結論として。セワシはなるべくのび太達を傷つけたくないし、個人としては殺意など微塵もないのである。

だからこそ今、説得が極めて困難になっているのだが。

 

――ぐっ……!

 

 ズキリ、と痛みが走る。厄介な体だ。痛みなんて要らないもんが何故あるのだろう。はる夫を護る為、ブラックタイガーをこちらに引きつけ、彼から引き離したはいいがいらぬダメージを受けすぎた。

 この状態でも、のび太達と戦えないわけじゃない。

 わけじゃないが、手こずるのは目に見えている。こちらは相手を傷つけたくないのだから余計にだ。

 

「……先に質問させてくれ、のび太君。君達ははる夫君に…」

「会ったよ。いろいろ話は聴いた」

「そっか」

 

 いろいろ、か。出木杉は苦い笑みを浮かべる。0点マスターの筈なのに、随分とうまい受け答えをしてくれる。これはこちらの手を探りに来ている答え方だ。

 例えば自分がここで、“僕がスパイだとでも言われたかい?”と話を振れば。

つまりそれは出木杉自身が、はる夫に疑われる原因があると自覚していると明かすことになる。

 

――下手な嘘は、逆効果……か。

 

 ならば手は一つしかない。

 真実のみで乗り切ることだ。自分ならきっと、出来る。

 

「はる夫君、無事だったかい」

 

 のび太が目を見開く。出木杉は続けた。

 

「はる夫君に聴いたとは思うけど。僕達はずっと一緒に行動してた。そしたら蜘蛛の化け物に襲われてさ。はぐれちゃったんだよね」

 

 そうだ。またいつ奴が襲ってくるかは分からない。あまり悠長に話が出来ると思わない方がいい。

 

「化け物は撒いたけど……倒しきれなくて。僕もさすがにヘトヘトで今すぐ動けなかったもんだから……心配してたんだ。ねえ、無事だった?」

 

 全部、本当のことだ。出木杉が今この場所で休んでいたのは、偶々通信機が一時回復したせいもあるが、現実的にダメージが大きくて動けなくなっていたからが大きい。

 心配していたのも嘘じゃない。体が動けばすぐ探しに行っていた。

のび太以外の仲間は一人でも多く助けよ、はセワシの命令でもある。自分達が罠に嵌めた形になってしまった安雄だって、本当は死なせたくなかったのだから。

 

「はる夫は……」

 

 のび太は暫く沈黙した後、口を開いた。

 

「はる夫は、死んだよ」

「……え?」

「僕が殺した」

 

 我ながら情けない声が出た。出木杉は優等生の仮面を崩し、動揺した目でのび太を見る。

 はる夫が死んだ?馬鹿な。ブラックタイガーは自分を追いかけてきたから、はる夫の方には行っていない。

そもそもこの坑道には、ブラックタイガー以外にB.O.Wもアンデットもいない筈で。

 そもそも、のび太が殺したって?

 

「のび太さん!何も貴方のせいじゃ……」

「ありがとう、静香ちゃん。でも事実は事実だから」

 

 静香がのび太に言うが、のび太はやんわりと彼女を制した。

自分の知る情けない臆病者の野比のび太ではなく、一人の男としての、誇りを見せる所作だった。

 

「はる夫、撃たれたんだ。当たりどころが悪くてさ。だから……僕がトドメを刺したんだ」

「撃たれた、だって?」

 

 そんな、誰が――そう口にしようとしてハッとする。誰が、だって?決まっている。人造人間一号、あの偽静香以外にありえないではないか。

 

「はる夫は言ったよ。君はアンブレラのスパイだって」

 

 のび太は真っ直ぐに出木杉を見つめて、言った。

 

「でも僕は、そうは思ってない」

「え?」

 

 てっきり。のび太も自分を疑っているかと思ったのに。出木杉は間抜けた声を出してしまう。

 

「僕はさっき、君が誰かと話しているのを聴いた。君はブラックタイガーをはる夫から引き離した……それははる夫を守る為だったんだろ」

 

 それだけじゃない、とのび太は続ける。

 

「はる夫を心配してると言った君の目。死んだって聴いた時の顔。嘘なんかじゃないって…見てれば分かる。

友達を本気で案じる奴が、裏切り者の筈ないよ。

はる夫だって嘘をつく奴じゃないけど、はる夫は何か、勘違いをしただけなんじゃないかな」

 

 のび太の目は、紛れもなく真実を語る者の目だった。彼は出木杉を探る為に、嘘をついているわけじゃない。

本当に、出木杉がスパイではないと思っている。

 いや、違う。信じているのだ。

 

「確かに君は、普通のクラスメートじゃなさそうだけど。だから友達じゃないなんて理屈はないもの」

 

 出木杉を――友達を。

 

「君がそれを真実だというなら、僕はそれを信じるよ。信じた友達が隠し事や嘘をつくなら、僕はその隠し事や嘘ごと友達を信じる。……君を、信じる」

 

 知っているからだ、彼は。

 

「だって友達を信じて……僕も信じて貰えて。それが一番楽しいし、幸せじゃんか」

 

 疑うことより、信じることがどれだけ勇気が必要でも。

その先に真理が、一番ささやかでありながら根本的な幸せがあるかを、理解しているのだ。

 

 

 

「それが僕の、生き方だよ」

 

 

 

 そうか。

 それが――野比のび太の、魔法<チカラ>なのだ。

 

「……君は……宇宙一のお人好しだよね」

 

 やっと口にできたのは、そんな言葉。

 

「誰も疑わない……か。もしかしたら、それ以上の魔法はないのかもしれないな…」

 

 どうやってのび太をやりこめるか。そればかりを考えていたが、どうやらそれこそ無駄だったようだ。

 真実は彼らを傷つけるかもしれない。しかし傷ついて尚、恐れて尚前に進む強い意志を、彼らは確かに持っている。

 心の中でセワシに謝った。またしても独断専行だ。だが、自分は今理解し、選びたいと思っている。

 

「のび太君。もし君が、今君の見ている世界が幻だらけだったら。記憶さえ間違いかもしれないと分かったら。君は何に従って前へ進む?」

 

 出木杉の問いに、のび太は真正面から答えた。

 

「決まってるさ。心に従って進むだけだよ。喩え嘘があっても……その嘘にだって絶対意味はあるんだから」

「……強いね」

 

 彼ならば。のび太ならば出来るのではないか。

 セワシが見つけられずにいた、この迷路の出口を作り出すことが。この馬鹿げた運命に、風穴を開ける事が。

 

「僕は、アンブレラのスパイじゃない。やましい事をしてるのも確かだけど……僕達はただ、救いたいだけなんだ」

 

 セワシを。

 この、壊されてしまった世界を。

 

「僕は、セワシ君の部下で……ドラえもんの仲間だ。だから彼ら目的は彼らと同じ」

「え!?じゃあ君も僕を……」

「だけど僕は……ううん、僕も。君を信じてみたいと思ってる」

 

 ギャンブルになるかもしれない。でも。

 こういう賭は、悪くないじゃないか。

 

「君なら真実を受け入れられるかもしれない。全部話すよ。僕が知っていること……全部を」

 

 出木杉が微笑んだ、まさしくその時だった。

 

「ギャシャアア」

 

 軋り上げるような−−鳴き声。出木杉ははっとして振り向く。背後の岩壁が、音を立てて崩れ落ちた。

 舌打ちする出木杉。

 

「空気読んで欲しいな、こういう時くらいは」

 

 現れた巨大蜘蛛、ブラックタイガーは。そんなもの知るかと言わんばかりに、口から糸を吐きつつ突進してきたのだった。

 

 

 

八十五

 信頼

抜くより、抱きしめるように〜

 

 

 

 

 

何者でもなくても、世界を救おう。