何でこいつは、蜘蛛のくせにブラック・タイガーなんて名前なんだろうか。確かに色は黒いけど、個人的にはずっと虎の方が可愛げがあると思う。

蜘蛛なんて気色悪いだけじゃないか。足も八本、元より昆虫ですらない。

 ただの蜘蛛でさえ大嫌いなのに、なんでその巨大化バージョンと戦わなくてはならないのか。

静香は今ほど自らの不運を呪ったことはなかった。

ああ本気で気持ち悪くなってきた。何で名前の通り虎じゃないのだろう。あっちならまだ“猫の仲間”だと思えるのに!

 

「きゃっ…!」

 

 巨大蜘蛛は突進しながら、糸を吐いてくる。静香はすんでのところで伏せていた。

髪にでもついたら、真面目にショック死したかもしれない。こんな状況で何を言ってるんだと言われそうだが、そこはそこ、虫嫌いの女の子の気持ちは理解して欲しい。

 増してや汚れても今はお風呂にも入れないのだ。ネバネバがついた髪じゃ、1分1秒も我慢ならないというもの。

 

「やっぱり…こいつが地下坑道の番人で間違いないようだね」

 

 出木杉が銃を構えて言う。

 

「登録されていない人間を、片っ端から襲う番犬ってとこかな」

「だったらせめて、本物の犬を置いて欲しかったわ。蜘蛛なんて嫌いよ、大っ嫌い!」

「心から同意するね。あんなデッカい蜘蛛、好きな人の方がレアだ」

 

 静香の悲鳴に近い声に、普通に言葉を返してくる出木杉。

正直、静香はまだ彼を完全に信用したわけではない。

しかし、元々は彼は静香にとって尊敬できる唯一のクラスメートで――好んで疑いたい相手ではないのだ。

 何より。のび太が信じると、そう言った。ならば自分も信じたい。

何よりそののび太の言葉を無下にできる人ではない筈だ。自分の知る出木杉の姿もまた、真実であるのなら。

 

「……蜘蛛は僕も嫌いだよう。まさか毒とか、持ってたりしないよね?」

 

 太郎が震えながらも刀を握りしめて言う。出木杉は肩をすくめた。

 

「残念だけどその“まさか”だよ。蜘蛛に毒はお約束だからねぇ」

「いやだー!」

 

 そんなお約束守らんでもよろしい。静香は腐りたくなる。

 

「キシャアッ!」

 

 またしてもブラックタイガーが糸を吐いてきた。全員が回避したが、糸を浴びた岩壁がベッタベタになっている。

 何やら、ものすごーく嫌な予感がするのは気のせいだろうか。

 

「もしさあ、僕達がこのまま糸を避け続けてたらさ……」

 

 のび太が引きつり笑いを浮かべて言った。

 

「この辺り一体が糸だらけになって、逃げ場がなくなるんじゃないの?」

「いいとこに気付いたね、のび太君」

「やっぱりぃぃぃ!」

 

 どうやら皆同じことを考えたらしい。冷静に返した出木杉も、目が笑っていない。

 吐き出された糸は暫くの間粘着力を保つようだ。つまり直撃を免れても、既に壁や床に吐き出された糸と接触したら。そのまま壁や床とお友達になってしまうということである。

 ベッタベタな壁に縫いとめられる自分を想像し、静香はぞっとする思いだった。最悪だ。あらゆる意味で最悪だ。

 

−−それがブラックタイガーの補食方法なのよね。

 

 資料にもあった。ブラックタイガーは、ふつうの蜘蛛のように、罠を張って待ち構えたりはしない。

糸を吐いて獲物を雁字搦めに拘束し、さらには牙の毒を注ぎこんで弱らせ、最終的には頭から食べてしまう。

周到すぎるほど用意周到に獲物を捕まえる。それは、ブラックタイガーが餌を食べる時間が長いからだと言われているらしい。

 冗談じゃない。薄汚く飾られた挙げ句、生きたままじわじわ食われるだなんて。

 

「短期決戦だ。長引いたらどんどん不利になる。いろいろ思うことあると思うけど、協力してね」

 

 最後の言葉は、どうやら静香に向けられたものであるらしい

。彼は気付いていたのだ。静香がまだ彼に対し、疑念を吹っ切れきれていないということを。

 だが言われるまでもないことだ。吹っ切れてないとはいえ、自分が一番に優先させるのはあくまでのび太の意志。

何より、この状況で無為に出木杉と諍おうとするほど馬鹿じゃないつもりだ。

 

「分かってるわ。お邪魔虫を倒さないと、ゆっくりお話もできないもの、ね!」

 

 言いながら静香は引き金を引く。サブマシンガンの利点はこの連射スピードだ。

ダメージを与えるのが困難な装甲の堅い相手でも、弾幕で足止めし怯ませるくらいは出来る。

 

−−お約束にはお約束でお返しよ!

 

 静香はのび太達ほどゲーム好きではないが。それでもスネ夫の家では度々遊ばせて貰っている。

モンスターハントはRPGの王道にして定石。そして大抵弱点は同じだ。

 つまり、頭。正確には顔。もっと言えば目の辺りは大抵皮膚も弱いし、何より目玉は鍛えようがない。

鬼畜と言われそうだがこちとら命がけなのだ。化け物相手に綺麗事を言う余裕がどこにあるのか。

 真正面から静香に顔面を撃たれ、ブラックタイガーが悲鳴を上げる。その間にのび太は銃のリロードを終え、出木杉がB.O.Wの右サイドに回り込んだ。

 

「こういう奴は大抵、腹の下とかも柔かったりするんだよね」

 

 ぴっ、と唇で手榴弾のピンを抜く出木杉。

 

「みんな、離れて!」

 

 流れるように鮮やかな動作だった。静香は頭が認識するより早く交代し、地面に伏せていた。

出木杉の投げた手榴弾はブラックタイガーの腹の下に転がり込み、一拍置いて爆発する。

 

「ギャアアアアアッ!」

 

 爆音とB.O.Wの絶叫。砂塵が舞い上がり視界を隠す。さすがにあれを食らったら、ブラックタイガーと言えどただでは済まない筈だ。

 

「なんかプロっぽかったし……出木杉ってほんとナニモノ?」

「そうだね。某大企業お抱えの人造ソルジャーですとでも言ってみる?」

「なるほど、そう来たか」

 

 のび太と出木杉の会話を聞きながら、静香は砂煙の中に目を凝らした。

視界が晴れなければ、迂闊に動くことも銃を撃つことも出来ない。万が一味方に当たったら笑えもしないからだ。

 

「……!」

 

 少しずつ視界が明瞭になってきて−−静香は息を呑んだ。うずくまるようにして佇んでいた大蜘蛛の影が、もぞり、と動く。

 

「のび太さん、出木杉さん、太郎君!こいつまだ、生きてるッ!」

 

 体液が飛び散っているあたり、ノーダメージではないのだろう。

だが、ブラックタイガーはまだ死んでいなかった。怒りの雄叫びを上げ、身を起こすB.O.W。すぐに気づき、全員が身構える。

 

「ジャァァァ!」

 

 眼を真っ赤に怒らせた蜘蛛が、真っ直ぐ突進してきた。目標は出木杉。彼はすぐ横に飛んで回避しようとしたが――。

 

「ぐっ…!」

 

 その顔が一瞬、苦痛に歪む。怪我でもしていたのかもしれない。その為、回避行動が一拍遅れた。

 

「がはっ!」

 

 避けきれず、蜘蛛の足に引っ掛けられ、吹き飛ばされる出木杉。

壁に叩きつけられた彼を見てチャンスと悟ってか、再び大蜘蛛が彼の方を向いた。

 

「出木杉兄ちゃん!」

「出木杉!」

 

 太郎とのび太が駆け寄ろうとするが、蜘蛛の動きは早かった。出木杉に向けて糸を吐く。彼の体は壁に糸で縫いとめられてしまった。

 

「くそっ、僕としたことが……!」

 

 まずい。静香の頬を冷たい汗が伝った。蜘蛛はまず全員の足を止めることを優先させたらしい。動けなくなった出木杉ではなく、自分達三人に目標を変更してきた。

 

「しまった!」

 

 出木杉に気を取られたせいだろう。のび太の足が止まる。どうやら床に吐かれていた糸の一部を踏んでしまったらしい。

足をとられ、転倒するのび太。そこにブラックタイガーの糸が新たに吐きかけられた。

 のび太も動きを封じられる。膝をついた姿勢のまま、足を絡めとられてしまっては、その場から立つことも叶うまい。

 

−−そ、そんな……!

 

 愕然とする静香。出木杉ものび太も動けなくなってしまった。となればもう、あと無事なのは自分と太郎しかいない。

 

「し、静姉ちゃ……」

「――ッ!」

 

 ぎょろり、と。真っ赤に染まったブラックタイガーの眼が、自分と太郎を捉えた。

奴の眼に自分達はどう映っているのだろう。美味しそうな獲物?非力な虫螻?あるいは――排すべき、敵?

 

「静香ちゃんっrwン…逃げて!」

 

 もがきながら、のび太が叫ぶ。しかし静香は反射的に叫び返していた。

 

「何言ってるの……で、出来るわけないじゃない!」

 

 恐怖から喉がひきつる。逃げたい。本当は逃げてしまいたい。しかし、もしこのまま自分と太郎が逃げたら、身動きできないのび太と出木杉はどうなる?

 恐らく糸の粘着力は永続的なものではない。時間が立てば乾いて、体から剥がせるようになるのだろう。

かし大蜘蛛がそれまで暢気に二人を放置する筈がない。糸が乾くより、二人がご馳走になってしまう方が確実に早いだろう。

 いや。もしのび太達が動けてもだ。

 こいつはこの地下道の番人的存在。どこまでも追いかけてきて、いずれ捕まえられてしまうだろう。ならばいくら不利な状況でも、戦うしかない。

 

「……対決、するのよ」

 

 のび太というより。自らに言い聞かせるように、静香は言った。

 

「今、決着をつけるしかない。ブラックタイガーとじゃないわ。弱いあたし自身を超えなきゃ……明日なんて来る筈ないのっ!」

 

 逃げたい。逃げたい。

 でも――逃げられない。否。

 もう逃げたくない。甘かった自分から。弱かった自分から。

 

 

 

「来いよ化け物っ!あたしの目の前でのび太さんに触れたこと……地獄で後悔させてやるッ!」

 

 

 

 静香は叫び、ヘルブレイズ改・Y型を構えた。望むところだと言わんばかりに、B.O.Wが吠え、突進してくる。静香は太郎の手を引いて、左に飛んだ。

 

「太郎君、貴方、戦える!?

 

 大蜘蛛が勢い余って岩壁に突っ込む。その隙に、静香は太郎に言った。

 

「命懸けで戦ってくれる!?あたしと一緒に!」

 

 太郎はその大きな眼をまんまるに見開いて−−やがてハッキリと頷いた。

 

「戦うよ!僕だって……男だもん!!

「そこは“男だ”!でビシッと言った方がカッコよかったけどね」

 

 静香は微笑む。この子が強い子で、良かった。

 もう自分達の仲間に、足手まといは一人もいない。自分達はもう、誰かの背中に隠れたりさない。

 

−−考えろ。考えるんだ。

 

 ブラックタイガーの弱点はいくつかあった筈だ。例えばそう、視力。視界は広いが、視力そのものは相当弱い。

眼がほぼ退化している為だ。確か色の識別もできないと、資料にはあったはず。

 あとは糸。大量の糸を吐いたあと、しばらく糸が吐けなくなるタイミングがある。実は糸を吐くのは、かなり体力を消耗するのだからだそうな。

 

−−そしてけして不利なスタートのゲームじゃない。出木杉さんのお陰で、こいつはかなりダメージを受けてる。だったら!

 

「太郎君!あたしの話をよく聞いて、その通りに動いて!!

「何をするの?」

「貴方にしか出来ないこと、よ!」

 

 危険な仕事。しかし太郎は静香の言葉に、ノーとは言わなかった。

 

「わかった…頑張る!」

「よく言った!」

 

 勝ちに行こう。全力で。

 

 

 

八十六

 大蜘蛛

ラック・タイガー〜

 

 

 

 

 

君を作るよ。