−−西暦1995年8月、地下坑道・下層。

 

 

 

 体の節々が痛い。のび太は呻きながら、身を起こした。

 

「う……ぅ」

 

 我ながらなんと強運なことか。頭をさすりながら、上を見上げる。天井にあいた巨大な穴。

どうやらブラックタイガーがいまわの際に暴れた結果、地面が崩れてメンバー全員が下層に落下したらしい。

 頭と腹がひきつぶれたブラックタイガーはもう、ピクリとも動かない。安堵しつつ、のび太は辺りを見回す。

すぐ傍に静香と太郎、少し離れた場所には出木杉が倒れている。

 時間はどれくらい経過しているのか。気を失っていたのは一瞬のようでも、長い時間だったようにも感じる。

 

「静香ちゃん!静香ちゃん!大丈夫!?

 

 のび太は静香の体を揺さぶる。見たところ、彼女も大きな怪我はしていない。だが、頭かどこかを打っている可能性は大いにある。

 

「う…ん……」

 

 しかしそれはどうやら杞憂だったらしい。静香は呻きながら、身を起こした。

 

「のび太さん……あたし、は」

「良かった静香ちゃん…無事で」

 

 さっきの彼女の奮闘ぶりを思い出す。のび太の中で静香は未だに、守ってあげたいか弱い女の子、のイメージが抜けきってはいなかった。

しかしさっきの彼女は。守られて満足するようなお姫様ではないことを、自分達に証明してみせたのだ。

 

「助かったよ、ありがとう。凄くカッコ良かった」

 

 のび太は心からの言葉を告げる。すると彼女は顔を赤らめ、俯いた。

 

「そ、そんな……あたし、大したことしてないわ」

 

 あれ、と。その時のび太はなんとなく違和感を覚えて、首を傾げる。

何だろう、この感じ。今一瞬――自分のよく知る静香が、まったく別人に見えたような。

 

「のび…兄ちゃ…」

「太郎!」

 

 その疑問を突き詰めるより先に。太郎の声に我に返る。あちこち砂まみれになっていたが、太郎もどうやら無事なようだ。

 

「君も頑張った!よしよーし、のび兄ちゃんがナデナデしてやるぞ〜」

「ちょ…恥ずかしいってば!髪の毛ぐちゃぐちゃになるよう!」

「照れんな照れんな」

 

 そうだ、出木杉はどうだろう。瓦礫に脚をとられながらも、のび太は出木杉の傍へ向かう。

出木杉はうつ伏せに倒れたまま動かない。もしや、怪我でもしていたのではないか。自分達と会った時から彼はやや様子がおかしかった。

 

「出木杉、大丈…」

 

 大丈夫か、と言いかけて。言葉は中途半端に止まった。ひっくり返した出木杉の体。首筋と胸元に、見るに耐えない酷い傷があった。

恐らく、落下の衝撃で傷口を広げてしまったのだろう。だがのび太が本当に驚いたのは、その傷が大きかったからだけではない。

 その傷口の中に。幾重にも巡る配線と、LEDの光を見たからだ。

 

「で、出木杉……君は」

 

 そののび太の声に反応してか、出木杉がゆるゆると瞼を開く。

のび太を見て――悟ったのだろう。倒れた姿勢のまま、フッと苦い笑みを浮かべた。

 

「ああ……なんだ。バレちゃったのか」

「君は、君は一体」

 

 普通の人間だと思っていた。セワシの仲間だと聞いた時も、まだ。

しかしその体の現状は、明らかに彼が“人ではないもの”である事を表している。

 

「そうだよ。見た通りさ。僕もドラえもんと同じ」

 

 出木杉は、語る。

 

「セワシ君に作られた……機械人形なんだよ」

 

 彼は“ロボット”ではなく、自らを“人形”と称した。

どんな意図があってそんな言葉を選んだかは定かでないが――“ロボット”と言われるより、遙かに衝撃が大きかったのは確かだ。

 

「ちょ…ちょっと待って!出木杉さんがアンドロイド?そんな筈が…」

「信じられなくても、残念ながらこれが現実だから」

 

 動揺する静香に、あっさりと言い捨てる出木杉。

 

「僕も…今日この日の為に、セワシ君の手でススキヶ原に送り込まれたんだ。ドラえもんとは違った立場で君達を監視し、誘導する為にね」

 

 のび太は言葉も出ない。一体誰が、クラスメートが人間そっくりのロボットだなんて予想するだろうか。

 

「…まあ、その反応は普通だと思うよ。今みたいにダメージ受けて配線が露出すればバレるけど…そうでなければ一年くらいは潜伏できただろうね。

我ながらよくできたプログラムさ。…ま、オリジナルがいるんだから当然か」

「オリジナル?」

「そう。…出木杉英才って人間はね、ちゃんと実在するんだよ。…いや。“存在した”と言うべきかな」

 

 ふう、て息を吐く出木杉。その所作はどう見ても人間のそれだ。

 

「この事件が起きた結果。出木杉は存在しなくなってしまったんだ。歴史がねじ曲げられてしまったせいでね」

 

 のび太はいまいち理解が追いつかない。存在したのに、しなくなった?歴史がねじ曲がったせいで――この事件のせいで?

 これが未来人の話なら簡単に納得出来たのだ。事件のせいで死ぬ筈のない人達が死に、結果未来人の誰かが生まれなくなる。だから、存在しなくなってしまうのも可能性としてあり得る話だ。

 しかし、未来と違って過去は確定済みのもの。現在がいくらトチ狂ったって、過去が破壊される筈はないではないか。

 

「君が思っているより、時間ってのは複雑に流れてるんだよ。確かに理論の上では、“今”に何が起きたところで過去に影響は出ない。

…でも、それが“有り得ない形での干渉”なら話は別。君達がアルルネシアの存在を突き止めてくれたお陰で、漸く謎が解けた…痛っ…」

 

 どうにか体を起こそうとする出木杉。しかし、ダメージがやはり大きいのだろう。人間だったら致命傷レベルの怪我をしているのだから。

 太郎が心配そうに、出木杉を支える。

 

「ありがと。……とにかくだ。アルルネシアは本来異世界の魔女。この世界に最初からいた存在じゃあない。

その魔女がこの世界で好き勝手やってくれたお陰で、恐らくは起きなかったであろう悲劇が起きた。

アンブレラがトチ狂った。…有り得ない形で、歴史がひっくり返ったんだ。ここまで時間軸そのものが揺さぶられたら、過去に影響が出ない方がおかしい」

「よく分からないけど…それでオリジナルの出木杉が消えちゃったってこと?」

「そう。…だから僕は、オリジナルが消えたポジションにそっくりそのまま入れちゃったわけ。

だから君が知る“出木杉英才”は全て僕。ロボットだとバレないように立ち回るのはちょっと大変だったけどね」

 

 分かったような、分からないような。しかし結論として、どうやら今のび太の目の前にいる“出木杉”が偽物というわけではないようだ。

自分の知る出木杉は最初からロボットの彼。消えてしまった本物に、のび太が出逢ったことはないと――多分そういう事なのだろう。

 うん。頭悪いなりに頑張ったぞ自分。誰か誉めてくれないだろうか。

 

「セワシさんの最終的な目的は何なの?一人でも多く救いたいと言ってたけど、もう事件は起きてしまったわ」

 

 静香はちらり、とのび太を見る。

 

「のび太さんが全ての元凶…みたいな言い方をしてたけど、その意味も分からない。

いくらのび太さんがその…人よりいろいろ凄い経験してるからって、ドラちゃん絡みを除けば普通の小学生じゃない。異世界にまで影響を及ぼせるとは到底思えないわ」

「そうだね。僕も正直そう思ってる。でも……」

 

 そこで出木杉は一端言葉を切った。話すべきか話さざるべきか。何かを躊躇っているような−−そんな様子で。

 だが。

 

「……のび太君。君がアンブレラに狙われている理由。それが問題なんだ」

 

 やがて。腹を括ったように、口を開いた。

 

「アンブレラが狙った人間は三人。僕と静香ちゃんとのび太君だ。…君達はまだ知らなかったようだけど、アンブレラが探していた最後の一人は静香ちゃんなんだよ」

「あたし?何で…」

「君達が“完全適合者”の可能性があったから。T−ウイルスと共存し、不老不死と神がかった身体能力を誇る…そんな存在になれる、可能性がね。

ウイルスの新たな実用化を狙っていたアンブレラからすれば、喉から手が出るほど欲しいサンプルだ」

 

 まあ実際僕はロボットだったんだから、どっかミスがあったんだろうけどの、と出木杉は笑う。

 

「さらに。のび太君はその三人の中でも、更に特異な存在だった。これを欲しがったのはアンブレラというよりアルルネシアだろう。

…のび太君は、“不幸輪廻因子”の保有者である可能性もあったんだ」

 

 普通輪廻因子――どこかで聞いたような。のび太は少し考えこみ、あ、と声を上げた。

 廃旅館で太郎が拾ったノートだ。ぐねぐね文字(筆記体)の英語で書かれた考察。健治が途中まで読んでくれた筈だ。

 この世には、人の死や不幸を連鎖的に引き起こしてしまう因子を持つ人間が存在する、と。

 

「僕……が?」

 

 のび太の顔から血の気が引いた。あの時はまだそんなもの信じてはいなかった。

信じたところで外国の話。バイオハザード騒ぎで手一杯な時に、対岸の火事に気を止める余裕などある筈もない。

 だが今それが。実は自分自身が火種で起きた火事かもしれないと知る。自分が普通輪廻因子を持つ存在だったから――今回の事件が、起きてしまったというのか?

 

「あくまで可能性の話だ。アンブレラはまだ研究を始めたばかりで、普通輪廻因子の存在さえまだ確定されてなかった。

ただ、偶々目に留まったその可能性が、奴らの気を引いただけ。…完全適合者と普通輪廻因子の両方を持つかもしれないなんて、レアどころの話じゃなかったからね」

 

 のび太の様子を見て、出木杉が慌てて弁明する。

 

「僕もドラえもんも、君が普通輪廻因子を持っているだなんて本気で信じてるわけじゃない。ただ……セワシ君だけは違う。

彼はのび太君がいなければ、悲劇は起きなかった筈だと信じてる。

そしてセワシ君に作られた僕達が…彼の意志を超える行動は、出来ないんだ」

「だから、ドラえもんは僕の敵だって…」

「そういうこと。ドラえもん本人が君を本気で敵視しているわけじゃない。それどころか…」

 

 彼は切なそうに、目を細めた。

 

「…長く君の傍にいたんだもの。情が移ったんだろうね。だから悩んでるんだ。君を殺さなくちゃいけない立場と…自分の心との間で」

 

 のび太の胸に、滴のように言葉が落ちた。まだ本人から真実を聞いたわけではないけれど。

それでもずっと蟠っていたものがほんの少し、解けたのを感じた。

 

「信じていいと思う。君とドラえもんの間に、確かな絆があったことをね」

「出木杉君…」

 

 真実は時に残酷だ。

 でも残酷なだけが、真実じゃない。

 

「ありがとう。もう少しで…ドラえもんのこと、信じられなくなるところだったよ」

 

 確かめに行こう。ドラえもんに、直接。

 真正面からぶつかってこそ、心は見える。自分は自分の心に従う、それだけだ。

 

「…ドラえもんは今だって…僕の最高の親友。僕はそう、信じるよ」

 

 偶然か必然か分からない、それでも自分達は走る。息を止めていないのだから

 まだ絆は断ち切れていない。まだこの手は繋がっている。そう信じることこそ、最強の魔法だ。

 

 

 

八十八

 機械人形

が見た夢、見ていた幻〜

 

 

 

 

 

君をつくるよ。