出木杉はのび太に、“全てを話す”と言った。話したい気持ちは嘘ではないし、出木杉なりの答えを出したのは確かである。しかし、実はまだ一番肝心な事を語っていない。
−−…セワシ君がのび太君を恨んでいるのは…不幸輪廻因子だけが理由じゃない。
のび太の不幸輪廻因子が全ての元凶だと、セワシがそう考えている理由は他にある。いや、そう考えざるをえなくなってしまったというべきか。
しかしそれを語るにはまだ、出木杉に勇気が足りなかった。
今彼らが持ちうる情報だけでも、真実に至るのは不可能ではない。しかし、至れたところでそう簡単に信じられるほど甘い真実ではないのだ。
突きつけてしまうことは、彼らの希望を奪う結果になるかもしれない。そう思うと、やはり迷ってしまう。だってそうだろう。
言葉になんで出来るものか。セワシのあんな――深い深い絶望を。傷を。思い出すだけで、出木杉の頭は怒りで真っ赤になる。
アルルネシアさえいなければ。あの魔女さえ存在しなければ。
全ては何一つ、狂い出さなかったというのに。
「僕……一生懸命考えてみたんだけど……」
太郎が困ったような顔で、口にする。
「のび兄ちゃんが死んだら…不幸は終わるって思ってるから、セワシ兄ちゃんはのび兄ちゃんを殺そうとしてるんだよね?」
「そうだね」
「でものび兄ちゃんが今死んだって、もう起きちゃったことは変わらないんじゃ」
思っていた以上に鋭い子だ。太郎の言は正しい。
仮に今ここでのび太が死のうと。それで“不幸輪廻因子”による呪いが終わろうと。
既に始まってしまったバイオハザードを食い止める事にはならない。
ウイルスの脅威は、カルトなものでない、現実に地に足がついたものだ。
その怪物は、世界を否応なく食い荒らすだろう。のび太が生きようとも死のうとも関係なく。
「多分セワシ君は、確かめたいんだと思う。のび太君が死んだ結果、みんながどうなるのか」
既に言ったことだが、不幸輪廻因子の研究はまだまだ発展途上。まだ実在するかもハッキリしていない。
のび太が保有者だと確定したわけではなく、ただその可能性が高かったが為にアンブレラに狙われたという、それだけの話だ。
しかし、否定できるだけの材料がないのも事実。何故のび太の通う学校に、アンブレラの研究所があったのか。
何故魔女がのび太のいる世界に目を付けたのか。何故この町だったのか。のび太がやたらとトラブル(それも地球の存亡がかかるレベルのだ)に巻き込まれがちなのは本当に偶然か?
残念ながら。それらがのび太の不幸輪廻因子が原因だとすれば、筋が通ってしまうのも確かなのだ。
「……僕達は未来を知っている。このまま行けば君達がどうなるのかも」
その悲劇的な末路が、自分達には見えてしまっている。もしそれもまた、のび太の持つ因子に起因するものなのだとすれば。
「のび太を殺した時点で、未来が明るい方へ変わったら。セワシ君はのび太君が不幸輪廻因子を保持していたという確証を持つだろう。
……セワシ君は欲しいんだよ。こんな事件が起きてしまった…本当の理由がね」
「そんな……」
太郎の顔がくしゃりと歪む。
「そんなのおかしいよ。無理矢理全部、のび兄ちゃんのせいにしようとしてるみたいじゃん……!最低だよっ」
「そうだね。……無理矢理だ」
出木杉は目を閉じる。もし自分が“ただの”のび太の友人なら。真実の要を、知らなかったのなら。
今の太郎のように怒ることも、できたのだろうか。
「だけどね。本当はそんなこと、セワシ君だって分かってるんだと思う。だけど」
心と体はバラバラで。いつだってチグハグで。
何かを恨まなければ、憎まなければ、きっと彼は今日まで生きて来れなかっただろう。
「だけど……それでも、そうするしなかったんだ。僕やドラえもんはのび太君を恨んじゃいない。
君を殺したいのは僕達じゃない。でも……セワシ君の気持ち、分からないわけじゃないんだ」
もし自分がセワシだったら、耐えられただろうか。
定められた不幸の連鎖。定められた呪いのレール。その上でただひたすら、孤独に孤独に足掻き続けなければならない――その絶望。
頭を掻き毟り、喉が枯れるまで叫び続けてもその声が届かない。
彼の声を聴いてくれる人など何処にもいない。そんな彼が生きていく為に必要だったのが、憎悪なのだ。
野比のび太を憎み、そのケジメをつける。そうすればきっと光が見える。救われる命がある。
そう信じる事で、自らを奮い立たせてきたのだろう。無理矢理に。壊れそうな心を掻き抱きながら。
「もし僕がセワシ君の立場なら……きっと同じことを、していた」
誰が彼を否定出来るだろう。
誰が彼を、真に咎められるだろうか。
「本当はね。セワシ君だって君を憎んでるわけじゃないんだ。憎んでるんじゃなくて、本当は……」
「本当は?」
「……ごめんね。やっぱり、この先は言えないや」
出木杉は出来なかった。その先を告げる事が。
告げればきっと、のび太は悟ってしまう。
セワシの存在そのものが、絶望であるということを。
「……セワシ君はたった一人きりだった。だから僕とドラえもんがいる。彼を独りにしない為に」
血の滲むような努力をして、セワシは機械工学を学び、出木杉とドラえもんを作り上げた。たとえ命のないロボットでも。紛い物でも。彼には欲しかったのだろう。
けして死ぬことのない存在が。孤独を埋めてくれる友が。
「……他にもあるんじゃないかしら?」
長く考えこんでいた様子の静香が口を開く。
「太郎君も言ったように…もう事件が起きた以上、のび太さんを殺しても根本的な解決にはならないわ。
そもそものび太さんを殺して全てが終わると本当に思っていたなら、もっと早く手を打つべきだったんじゃない?」
「それもそうだよね。それに、セワシ君は真実を明らかにしたいって言ってた。
もしかしたらだけど……他に、高い確率で世界を救うプランが、セワシ君にはあるんじゃないの?」
静香の言葉に、のび太が続ける。どうやらこの事件での経験が育てたのは、度胸と戦闘能力だけではないらしい。
静香はともかく、のび太の洞察力もなかなかのものになっている。国語の読解問題で珍回答を連発していた今までとは大違いだ。
「その通り。セワシ君が今までのび太君を殺さず泳がしてきたのは、この事件の真相を探るため。
僕達自身でそれが出来たら話は早かったんだけど、そういう訳にもいかなくてね」
自分達はこの世界の外側を知る存在。出木杉はまだある程度動けなくはないが、セワシは違う。
ゲーム盤において彼は完全に異分子だ。だから動ける幅が非常に狭い。
ゆえに、自分達に代わって真相を探ってくれる駒が必要だったのだ。
残念ながらと言うべきか、その駒はのび太達しかいなかった。なんせこの町で生き残れる可能性が少しでもあるのは、彼らしかいなかったのだから。
「君達のお陰で、やっと事件の全容が見えてきた。……でもそれだけじゃ駄目なんだ。最後の“鍵”がないと」
「鍵?」
「そう…実はそれが、僕達が一番欲しいモノ。のび太君を抹殺する以上の目的なんだよ」
その鍵があれば。
たった一度――たった一度きりと定められた奇跡を、起こすことが出来るかもしれないのだ。
「その鍵があれば。本当の意味で、世界を救う事が出来るかもしれないんだ」
果たしてアルルネシアはどこまでそこに勘付いているのだろうか。
彼女の口ぶりからすると、こちらの手の内はだいぶ知られてしまっていそうだが。
「何なの、その鍵って」
「それは……」
静香の問いに反射的に答えそうになり、出木杉ははっとした。そうだ。危うく大事なことを忘れるところだった。
ついさっきの崩落。ロボットとはいえ、自分もさっきの衝撃で一瞬シャットダウンを余儀なくされた。暫くして再起動したものの、そこには空白の時間が存在する。
出木杉の頬を、冷たい汗が流れた。もしかしたら。自分達は今、とんでもない状態に陥っているかもしれない。さっきはる夫と一緒に対峙した時は、静香が廃旅館にいるのが分かっていたからすぐ見破れた。しかし今はどうだ?
自分には見分けられない。目の前にいるのは果たして本物の静香か?それとも、偽物か?
偽物に入れ替わる時間はあった。もしドラえもんとの通信が安定していれば、見破る方法はいくらでもあったのだが。
−−失念していた。本物だと思い込んで、べらべら喋ってしまったけど……。
いや――いや。まだ大丈夫だ。核心は何も語っていない。アルルネシアの口ぶりから察するに、魔女とて不幸因子の件までは知っていた可能性が高い。
ならばまだ奴に新しい情報は与えていない筈だ。
だがここからは、危険。
“鍵”が何かを知られたら、奴は確実に邪魔をしに来るだろう。避けなければならない。それだけは絶対に。
「出木杉……?どうしたのさ」
突然黙り込んだ出木杉を不思議に思ってか、眉をひそめるのび太。これは伝えないとまずい。
静香の偽物――恐らくその存在は今までも陰で物語を動かしてきている。紛れもない、アルルネシアの望む方へと。
「言い忘れるところだった。アルルネシアなんだけど……どうやらある意味B.O.Wより厄介な駒を用意してくれてるらしくてね。実は……」
出木杉が言おうとした、その時だ。
「のび太ぁ!どこだー!?」
武の声だ。のび太がはっとしたように、天井の穴を見上げる。
「ジャイアン!?……そうか、時間が経っても僕達が戻らなかったから…」
「探しに来てくれたみたいね。武さーん!スネ夫さーん!聖奈さーん!あたし達は此処よー!!」
多分遠くない場所まで来ている。声はかなり近かった。静香が声を張り上げる。
その間に、出木杉はなんとか体を起こし、壁にもたれた。体中のあちこちが断線している。
アンドロイドの自分は、胸部のコアを破壊されない限りいくらでも修理がきくが−−自力で直す事は出来ない。
さすがにダメージを食らいすぎた。ドラえもんになんとかして貰わないと、まともに戦えそうにない。
−−しかし何でセワシ君も、痛覚なんて厄介な機能つけたかな。……いや、理由分からないわけじゃないけど。
痛みを共有したいという、彼の心の現れなのだろう−−多分。
心の痛みと体の痛みはまた違うけれど。全く別というわけでもない。突き詰めれば詰めるほど苦しくなるだけなので、出木杉はそこで思考をシャットアウトした。
今は何よりまず聖奈達にこの状況をいかにうまく説明するか、そちらを考えるのが先決だろう。
「のび太さん!みんな!!」
足音と共に、穴から聖奈が顔を覗かせた。その隣には武とスネ夫の姿も。
「で…出木杉!?お前なんでまたこんなとこに……ってあれ!?」
「その反応も分かるけど……説明は後で」
混乱するスネ夫に、出木杉は苦笑して言った。
「ロープかなんかある?まずはここから這い上がらないとね」
第八十九話
千変万化
〜数限りない可能性を〜
そこに四次元。